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都市伝説と呼ばれて  作者: 松虫 大
第三章 カモフ攻防戦
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41 タステ狭道(3)

 日が明けても周囲は(もや)が視界を白く(さえぎ)っていた。

 ただ前日までとは違って若干濃度は薄くなってきていた。それでも視界が白く塗りつぶされていることに変わりはなく、僅か十メートル先も見えないくらいだ。

 そんな中、イグナーツは予定通りに兵を動かす決断をする。

 彼が率いる第一軍は、最大限の警戒態勢を保ちながら、ゆるゆるとタステ狭道(きょうどう)に兵を侵入させていった。

 それと時を同じくして、デモルバも布陣していたコッカサからタステ山沿いまで兵を動かした。しかし間道はタステ狭道以上の難所に加えて視界が悪いこともあり、それ以上は兵を進めることができずに歯噛みしながらもこの日はその場にて待機するのだった。


「さて、我らも少し動くぞ」


 (はや)るように兵を動かしたデモルバを尻目に、戦場に似つかわしくなく優雅(ゆうが)に食後のお茶を楽しんだヒュダは、軍勢を前日イグナーツが陣を張っていた跡まで進めさせた。


「この先にあるのは栄光かそれとも苦境への入口か。どちらにせよ見届けるまでよ」


 ヒュダは白い口を開けている狭道の入口に立ち、誰に言うともなく(ひと)()ちる。

 狭道には既にイグナーツの第一軍一二〇〇〇名が進軍中だ。

 この先は左手には(そび)えるタステ山、右手はキンガ湖が迫った難所が続く。道程のほとんどが二列程度でしか行軍できないタステ狭道と呼ばれる隘路(あいろ)だ。これだけ視界が悪ければ進軍も遅々として進まないだろう。それに加えて常に敵の奇襲を警戒しながらの行軍となる。


「ふむ、デモルバは言わずもがなだが、イグナーツ様も戦果を急いでいるように見えるのは気のせいか?」


 先年のエン砦での屈辱を晴らすため、寸暇(すんか)も惜しむデモルバの気持ちは分からなくもない。だがイグナーツまでもがこのような視界の効かない中でデモルバと競い合うように進んでいく。

 悲願であるカモフの掌握(しょうあく)が目の前に迫っているのだ。逸る気持ちは分からなくもなかったが、ヒュダはどこか冷めたようにカイゼル髭を(しご)くのだった。




 丁度そのころ、イグナーツは内心の苛々(いらいら)を隠そうともせず、憮然(ぶぜん)とした表情で馬を進めていた。

 狭道は想像していた以上に視界が悪く、ほんの五メートル先の味方の背中すら薄らとしか見ることができない有様だった。

 おまけに奇襲を警戒しながらの行軍になるため、一時間で一キロメートル進めればいい方だ。それだけ警戒しながら進んでいるにも関わらず、すでに数十名の斥候からの連絡が途絶えていた。

 相手の手の内が分からないままで、逆にこちらの動きは確実に敵に補足された中での行軍だ。タステ狭道は難所とはいえそれほど距離がある訳でもない。どれだけ難所であろうと数時間から遅くとも半日かからず抜けることができると想定していたが、突入から既に八時間近くも経過していた。にもかかわらず、まだ道程の半分ほどしか進めていなかった。

 常に警戒し続けている兵の精神的な疲弊(ひへい)は想定よりも大きい。現に些細(ささい)なことで言い争う声がイグナーツにも聞こえてくるほどだった。

 彼は荷馬車などの対向のため、ちょっとした広場となった箇所で小休止を取っていた。もちろん広場に入れるのはイグナーツとその側近のみで、ほとんどの兵は狭い狭道で襲撃に備えて肩を寄せ合うようにしながらの小休止となっていた。


「このまま進むのか?」


「俺に言われても知らねえよ。イグナーツ様に聞けよ!」


 側近たちはイグナーツから離れた場所で話し合う。誰もが不安に駆られたように眉根を寄せ、(ささや)くような声だ。


「馬鹿言うな! 聞ける訳ねえだろ!」


 イグナーツの方をちらりと見た側近が慌てたように否定する。

 不機嫌な様子を隠すことなく、イグナーツはどっかと腰を下ろし腕を組んでいた。先程から右脚が止まることなく貧乏揺すりを続けている。

 こうした態度をとっている時のイグナーツには誰も近づくことはない。現に今も近くに控えている者はいるが、皆嵐が過ぎ去るのを待つように息を殺しているのだった。

 イグナーツは自分の苛立ちを理不尽に他者にぶつけるほど(おろ)かな騎士ではないが、それでもストール軍にその人ありと言われる程の人物だ。周りが勝手に虚構(きょこう)の人物像を作り上げ、本人の知らない所でそれが一人歩きしていたのである。

 彼は周りからどう思われているか何となく感じていたが、だからといって否定する訳でもなかった。逆に考え事や一人になることができることを喜び態度を敢えて変えなかった。

 しかし、今日はその大切な時間を知りながらイグナーツに接近する人物がいた。


「父上!」


「どうした?」


 声を掛けたのは彼の長男であるミハルだ。

 彼は今回初陣を迎えたばかりの若者で、背格好も同じなら吸い込まれそうな漆黒の髪も同じだ。唯一瞳の色は違い、父が薄い水色なのに対しミハルは翡翠(ひすい)のような翠色(すいしょく)だ。彼は若者らしくその緑色の両目で真っ直ぐに父を見据えていた。


「どうしたではありません。いつまで手をこまねいているつもりですか? このような隘路(あいろ)はさっさと抜けて早くサザンに向かいましょう!」


「そうはいうがこの視界だ。何か策はあるのか?」


「ありません。ですが、もたもたしていれば夜になってしまいます。そうなれば我々はより疲弊するしかありません。ここは多少の犠牲が出るのを覚悟して一気に突っ切ってしまいましょう!」


「ふっ」


 初陣の若者らしい真っ直ぐな案だとイグナーツは思った。

 ミハルが言うように最大限警戒している現状のまま進めば、今日中にこの隘路を抜けることは難しくなるだろう。このような場所で夜を迎えるなど如何にイグナーツといえども遠慮したい所だった。

 警戒しなければならないのは、敵がどのような罠を張り巡らせているかだ。彼らに比べて遙かに少数の敵に最大限の警戒をおこない慎重に兵を進める。若いミハルからすれば、相手を怖がっているようにしか見えないだろう。


「いつの間にかザオラルの影に怯えていたか」


 彼は自嘲気味に笑みを浮かべて立ち上がる。するとそれを待っていたかのように彼の前に側近が集まってきた。


「イグナーツ様!」


「ここまで時間を掛けすぎた! ここからは我らの流儀(りゅうぎ)で行く。ラドミール!」


「はっ!」


 彼がラドミールを呼ぶと三十代を迎えたばかりの男が、紺碧(こんぺき)の瞳をイグナーツに向けた。ラドミールはイグナーツが最も信頼を寄せる幕僚のひとりだ。


貴卿(きけい)には引き続き先陣を任せる!」


「はい!」


「ただし警戒するのはもうやめだ。まずはこの狭道を突破する!」


「御意!」


「他の者も聞いての通りだ。犠牲は少ないに越したことはないが、地の利は相手にあり、我らは既に敵地の中だ! いるかどうか分からない敵に怯えるくらいなら、我らは確実に敵が待ち受けているであろうこの先に進む!」


「応!」


 開き直りとも取れるイグナーツの宣言。しかし深い靄に沈み込んでいた彼らを鼓舞するには充分だった。

 ラドミールを始めイグナーツの側近たちは頭を下げると、凶暴な笑みを浮かべながら準備のため散って行くのだった。


 そして、その日の夕刻過ぎ。

 ついにカントの城壁からタステ狭道を抜けて来たストール軍の姿が確認された。

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