E-092 内乱の兆し
「だいぶ伸びましたねぇ。尾根が急峻であれば、このような利用もできるということですか」
「西隣の尾根ではこうはいかないだろうね。だいぶ勾配が緩やかだ。谷に下りるのは容易だろうけど、こっちの尾根を登るのは苦労するはずだ」
尾根の一角に設けた防衛部隊の待機所から、エルドさんと一緒に状況を見る。
魔族の活動は沈静化しているようだな。南の攻防でこの辺りに戦力を展開できないのかもしれない。
レンジャー達が、たまに西の尾根近くまで偵察に向かっているのだが、魔族の気配は皆無だと教えてくれた。
とはいえ安心はできないから、銃兵達を何か所かに配置して西の監視を継続している。
「南の城壁と違って、こっちは案外早く工事が終わるかもしれませんね」
「これは仮措置ですよ。計画通り柵を作ったところで、本格的な柵を作ります」
こんな感時の柵になると、メモ書きを見せる。
1度見せてはいるんだが、現状と大きく異なるのは1ユーデほどの石垣の存在だ。
現状の2ユーデほどの柵を、石垣の上に作ることで3ユーデほどになる。この柵をハシゴで越えようとしても、斜面に掛けることになるからなぁ。結構長いハシゴを用意することになるだろうし、そんなハシゴを持って斜面を登れば弓やクロスボウの良い的になるだけだ。
「石を運ぶのは大変な作業になりそうですねぇ。結構キツイ坂ですよ」
「道を作ることになるだろうね。さすがに荷車で運ぶのは無理だろうけど、一輪車を何とか使いたい」
1ユーデほどの道幅があれば、一輪車が使えるだろう。斜面の途中にあるこぶを上手く使えば、九十九折りの道が出来るはずだ。
「そうなると、南と良い勝負になりそうですね。兵達の屯所が1つ出来てますが、もう2つほどは必要でしょうし……」
「贅沢を言えばキリがないけど、冬はかなり雪が積もるそうです。斜面を削ってログハウスを作り、その上にまた土を乗せてますから暖炉で何とか過ごせるかと……。ですが、通路の除雪は面倒そうです」
「屯所と指揮所、それに見張り台までの道は、木組みをして簡単な屋根を作るべきでしょうね。しっかりと屋根を作る必要はないでしょうが、頑丈に作れば雪が屋根代わりになるはずです」
なるほど、良いことを聞いた。
晩秋には、そんなトンネルモドキを作ってみるか。
エルドさんは、尾根で一夜を明かして帰って行った。
状況は理解してくれたみたいだから、場合によっては増援が期待できそうだ。だけどあっちはあっちで大工事だからなぁ……。
夏が終わる頃に、どうにか兵員達がテントから長屋の屯所に移ることが出来た。
さすがに指揮所はログハウスのままだから、火矢を受けても燃えないように、西面の丸太の表面に泥をたっぷりと塗り付けてある。
屋根は丸太の上に萱を敷き詰めて簡易な屋根を作ったが、その上に丸太を組んでいる。戦になったなら水を撒いておけば火事になることは無いんじゃないかな。
「これで屯所が3つだから2個小隊は何とかなりそうだ。次は道の整備だが……」
「尾根伝いの道はかなり伸びています。麓からの道はこれからですね」
「ある程度の道筋を決めておいた方が良いかもしれない。俺の方でそっちは頑張るよ」
麓からの道作りはさすがに来年になってしまうだろう。工事をする前に、ある程度場所を決めて杭を打っておきたいところだ。
秋分前に、尾根を下りて見張りをレンジャー達に引き継ぐ。
今年中に柵だけは何とかしたいところだけど、かなり南に下げて城壁を作っているからなぁ。
もう少し南にも伸ばしたいし、北の尾根筋にも柵は伸ばした方が安心できそうだ。
レンジャー達の見張り小屋が北にあるんだが、あれを大きくして待機所代わりにすれば北の備えにもなるだろう。見張り小屋から200ユーデほど柵を伸ばせばレンジャー達も少しは安心して監視が出来るに違いない。
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雑貨屋が出来たことから、行商人の品揃えにも変化が出てきたらしい。
開店してから数日後に出掛けた雑貨屋が賑わっていたから、行商人達の儲けも少なくなると思っていたんだが、広場に行くと前と同じように賑わっていた。雑貨屋で扱っている品物のリストを、エディンさんが配っていたのかもしれないな。
これは雑貨には無いでしょうと、盛んに売り込む声が聞こえてくる。
タバコの銘柄も初めて見るものだったし、ワインは少し高級なようだ。もっともワインよりは蒸留酒を色々と並べている。
原料が違えば味も少しは変わるということなんだろうか? 匂いは俺にも分かるんだけど、味まではねぇ……。
「さすがに、冬至は行商人を連れては来れませんが、レンジャーの皆さんに荷物を運んで貰います」
「無理はさせないでくださいよ。一冬は何とかなるだけの備蓄はあるんですから」
エディンさんが苦笑いを浮かべて、俺に顔を向ける。
別の理由があるということか?
「雪中で狩りをするレンジャー達もいるようです。この国への荷役はそれよりは軽いものですからオビール殿達は喜んで受けてくれますよ。近頃はギルドの依頼もまばらな用です。さすがに薬草の依頼は増えているようですが、冬は無理ですからねぇ」
レンジャー達が狩った獲物はギルドを通して村や町の肉屋に並べられる。そんな依頼が減ったということだろうか?
それは、ますます税がきつくなったということに違いない。
「今年のサドリナス王国は不作だったのでしょうか?」
「平年並みでしょう。ですが耕作地が減っているようです。街道から北の耕作地の半分以上が捨てられてますし、街道から南の農家は耕す畑はありますが、耕す者が減ってしまいました」
町や村の疲弊が始まったということか……。
いよいよサドリナスは危ないぞ!
俺達への圧力は弱まるだろうが、国民は堪ったものじゃないな。
「すでに,他国に逃れたものも?」
「移動が始まってます。王国としては他国への移民を禁止していますが、貿易船は袖の下次第ということです」
思わずため息が漏れる。
残された国民は王国を支える下層民だけになってしまいそうだ。
「一時、少しはマシになっていた選民思想が再び表に出て来てます。たぶん来年には王都に獣人族はいなくなってしまうでしょう。町や村からも少しずつ姿を消しています。同族の暮らす隠れ里を目指す者、さらに西の国へと向かう者、路頭に迷った家族はこの地に案内しております」
最初のころの避難民は、この場所に来てホッと胸を撫でおろす人達が多かったが、この頃は周りを驚きの表情で眺めているんだよなぁ。
それだけこの場所が大きくなったということなんだろう。
だがエディンさんの話を聞くと、今後とも住民は増えていくということだろう。
「内乱は防ぎたいところですけど……」
「こればっかりは予想できないところですね。ですが、どうもそちらに向かっているような気がします」
思うところは同じか……。
今年か……、それとも来年か。行商人から仕入れる噂も確認しておいた方が良いかもしれないな。
エディンさん達が帰った翌日に、防衛委員会を開催する。
日時を決めたのはエルドさんだから、行商人から複数の噂を聞いて判断したのだろう。
中隊長達が集まり、レイニーさんが会議を始める。
「やはりサドリナス王国の内乱は避けられなさそうです。貴族同士の政争から起こるのではなく、民衆の蜂起という線が濃厚ですね」
エルドさんの言葉に、皆が頷いている。やはり噂をあちこちから聞いているのだろうな。
「問題は終わり方だな。王侯貴族を殺したら王国が崩壊してしまう。それこそ魔族の蹂躙が南の海にまで達するぞ」
「王国軍が勝ったとしても禍根が残るのは間違いない。反乱に組したものを極刑にすれば王国の農業を支える者がいなくなってしまうだろう。くじ引きで殺す者を選ぶことになるんじゃないか?」
「そんなことをしたなら、再び反乱がおきるぞ!」
結果次第では、俺達のところにも避難民が押し寄せて来そうだ。
渡河した場所から3日の距離は、そんな避難民を思いとどまらせる効果もあるに違いない。
戦乱を逃れることには理解できるけど、今まで虐げてきた人達が暮らす場所を目指さないで欲しいところだ。
少人数なら受け入れることになるかもしれないけど、この地で選民思想に基づいた行動をしないとも限らない。
その辺りの見極めをどうするかも問題だろうな。
「マーベル共和国は獣人族の国だ。獣人族が避難してくるなら受け入れるのは当然なのだが……」
「人間族もやってくる可能性があるということですね?」
考えることは同じか。
エルドさんの吐き出すような言葉に、レイニーさんが後を続けた。
「レオン殿の家族は客人として遇していますが、さすがに他の人間を受け入れるというのは問題ですよ」
「やはりマーベル共和国の領地を明確に示す必要があるのでは? 領地近くに人間族が仮小屋を作るぐらいは認めないといけないでしょうし、少しぐらいなら食料援助も必要かと思いますな。さすがに共和国内への受け入れは、迫害を受けた住民が許さないでしょう」
マクランさんの言葉は、落としどころというところかな。
領地境界は杭を打ってしっかりと標識を建てれば良いだろう。『これよりマーベル共和国、獣人族以外の立ち入りを禁ずる』とでもしておけば問題ないはずだ。
課題となるのは援助する食糧だ。俺達だって十分とは言えないからなぁ。
エクドラさんの話では、半年分の食料を備蓄しているようだから、1か月分以内というのが1つの目安になるだろう。
向こうだって、散々迫害をしてきたり、迫害されていた者達を見て見ぬ振りをしていたんだからなぁ。
今さら、獣人族を頼るという選択肢を取る人間は少ないんじゃないか?
「サドリナス王国が揺らいでいることで俺達にも少しは恩恵が出ているようです。今のところ南の城壁造りも西の柵作りも王国軍や魔族軍の妨害を受けていません。これがいつまで続くか微妙なところですが可能な限り工事を進めるべきでしょう」
エルドさんの話に、皆が頷く。
「雪が降り始めても、石積みはできそうだ。空堀工事のおかげでだいぶ土手も伸びている」
「石運びは案外楽かもしれんぞ。ソリなら容易に石を運んで来れる」
そんな話に、ヴァイスさんが下を向いている。
寒いのは苦手なんだよなぁ。でも数個石を運ぶぐらいなら出来るんじゃないか?
俺も冬は西の柵作りが出来ないから、南の城壁造りを手伝おう。




