E-072 西の尾根からの知らせ
楼門近くに作られた休憩所で、俺達4人はのんびりとお茶を飲んでいる。
門の両側の壁に作った銃眼からエミルさんがたまに様子を見て、ブリガンディ王国軍の様子を教えてくれるが、やって来た連中は俺が踵を返した後に、踊り場の向こうに消えて行ったそうだ。
とはいえ、たまに踊り場からこちらの様子を見ているらしい。
「岩山を登ってこちらに来ることは無いんでしょうか?」
「かなり急峻な岩山ですし、滝の源流もありますからね。そう簡単に来れるとは思えません。それよりもこんな場所にぐずぐずしていると魔族に背後を襲われかねません。
どんな準備をしてきたか分かりませんが、1個大隊は率いてきたでしょう。魔族の中隊なら相手に出来そうですが、2個中隊ともなれば部隊が壊滅しかねません。それほど長く居座るとは思えませんよ」
俺の話に少し心配が薄れたようにも見えるが、相変わらずレイニーさんは心配性だな。
「まさか本当に、この村を明け渡すと思っていたんでしょうか?」
「兄上の事だから、ここに来た時におおよその戦力は把握したに違いない。そのまま王宮に報告したんじゃないかな。だけど、オリガン家で保護した避難民を送り込むことは話していないはずだ。となれば、俺達の戦力は出城を脱出した俺達と襲撃から逃れた開拓民程度に考えているのかもしれません。案外、夜に紛れて塀を越えようとするかもしれませんよ。その辺りを注意しておけば十分でしょう」
1個中隊ほどの戦力なら大隊を匂わせれば軍門に下るぐらいに考えていたのかもしれないな。
実数は2個中隊を越えているから力攻めでも問題は無いだろうし、滝の裏を巡る道を大人数で攻め寄せるのは困難い以外の何物でもない。
引き返してくれれば良いんだが、案外諦めが悪いかもしれない。
小競り合いで済んでくれれば良いんだが、まったく迷惑な話だ。
「ヴァイス達も待機させるべきでは?」
「そうですね。後で、『呼ばなかった!』と文句を言われそうですし、ヴァイスさん達なら夜の方も頼りにできますね」
伝令の少年を呼び寄せて、至急ヴァイスさんを呼んでもらう。
「そういえば……、ヴァイスさんはエルドさんと出掛けているかもしれませんね」
「そうでした! 2個分隊を率いて出掛けてるはずです」
そうなるとリットンさんになるんだが、エルドさん達の事だからなぁ。案外河原でブリアント王国の軍を目撃しているかもしれない。それなら、急いで戻ってくるはずなんだが……。
伝令の少年が、ヴァイスさんが残した2個分隊の分隊長を連れて戻ってきた。
2人ともヴァイスさんと同じ年代に見える。一緒に何度か戦ったから、顔見知りの2人だ。
「休んでいるところを済まないね。滝の先にある踊り場にブリアント王国軍の兵士がこっちを窺っている。攻撃してくる様子は今のところ無いんだが、しばらくここで待機してくれないか」
「了解にゃ。ヴァイス隊長は出掛けてしまったけど、2個分隊いるからだいじょうぶにゃ!」
そう言って、直ぐに休憩所を出て行った。先ずは状況確認というところだろう。
弓兵が2個分隊にクロスボウ兵が2個分隊、さらに銃兵が2個分隊だからなぁ。相手が魔族であっても門を守ることは出来るはずだ。
夜襲の知らせがあったなら、さらに増援も出来る。その時はリットンさんの部隊ということになるだろう。
「さて、そろそろ引き上げますか。とりあえず後は任せても大丈夫でしょう」
「なら、その旨の連絡を……」
レイニーさんが伝令の少年達に楼門の上と、楼門の中に連絡を頼んでいる。
まったく余計な事をしてくれる。
少し南の防衛力が低下してしまうが、西の防衛力を落とすことは出来ないからなぁ。
北の監視も少し強化しておいた方が良いのかもしれない。大部隊で山を越えることは出来ないだろうが、足腰に自信のある兵士なら山を登って北から火矢を撃ちこむぐらいは可能だろう。
そう考えたところで、笑みが浮かんでしまった。
王国軍を人間族のみで構成したことが、相手の最大の弱点になってしまっている。
トラ族の兵士がいたなら、大型の盾に身を隠しながら門に迫ることも出来るだろう。ネコ族の兵士達なら、山を登って北から攻撃することなどそれほど難しくないんじゃないか?
人間族が多種族の中で能力が平均的であることは誰もが知る話だ。それは飛び出た能力がないと言うことに繋がる。
夜襲をするにしても、明かりは獣人族よりも多く必要とするだろう。
滝の裏を通る道は悪路であり幅も狭い。松明無しで通るのは無理があるな。
逆に俺達なら……、北の崖を登って滝の源流を渡り敵の側面を吐くことも可能だろう。
戦略の幅が大きく異なる。案外の村の防衛は王国軍が砦を守るよりも容易なのかもしれないな。
「小隊長の誰かを置いておいた方が良いでしょうね。エミールに任せましょう」
「北の崖の監視も強化するよう伝えた方が良いでしょう。エミールさんの部隊は多種族ですからね。監視なら最適でしょう」
さて、そろそろ指揮所に戻るか。
ナナちゃんを連れて、レイニーさんの後に続く。
指揮所に戻ると、直ぐにレイニーさんがエミールさんに伝令を出した。
これで一安心。後は踊り場から敵兵が消えるのを待てば良い。その前に1度は矢合わせが行われるだろうが、楼門に設けたカタパルトの射程は踊り場を超えるからなぁ。たっぷりと石を降らせれば、攻撃を断念してくれるだろう。
テーブルの地図を眺めながら笑みを浮かべていると、指揮所の扉が乱暴に開かれ伝令の少年が飛び込んできた。
「大変です! 西に魔族が現れました」
大声でそれだけ言うと、ハァハァと息を調えている。
「西に魔族は分かった。それで状況は?」
「失礼しました。『魔族が西の尾根の先にある谷を下りて南に移動。部隊規模は中隊を超える』以上です」
「了解した。レンジャー部隊がその後の状況を確認しているはずだ。西の尾根を越えなければこの村に対する脅威にはならない。引き続き伝令役をお願いするよ」
少年が嬉しそうに頷くと、指揮所を飛び出して行った。
さて、どういう事かな?
地図の上に魔族の駒を置いた。ついでにブリガンディ王国の部隊の駒も置いて、俺達の部隊の駒を塀に沿って並べていく。
「ブリガンディ王国が陽動ということはありませんよね?」
「さすがにそれは無いでしょう。たまたま偶然ということなんでしょうが、嫌なところで魔族が現れましたね」
さて、どういう事だろう?
今まで下りてこなかった、西の尾根の先の谷筋を使って南下している。
あの谷筋の先に、サドリナス王国軍の砦でもあるんだろうか?
オビールさんがやってきたら、その辺りの事を確認した方が良いのかもしれないな。
「新たな魔族の戦略でしょうか? 西の砦を2つ失ったと聞きましたが?」
「たぶんあの谷筋の先にも砦があるんでしょうね。古くからの砦か、それとも急造したものかは分かりませんが……。この間の戦で戦力が低下しているでしょうから、果たして守り切れるかどうか」
王国間をつなぐ東西の街道の通行が阻害されるようなら、王国の交易にかなりの影響が出てくるだろう。
船を使う運輸には影響は出ないとしても、港から王国内の町や村への輸送は街道を使っているはずだ。物流の制限が王国の経済に与える影響は俺の想像を超えるだろうな。
税の収入減だけとは限らないはずだ。
「一応、俺達にとっては朗報になるんでしょうね。とはいえ、万が一にも西の尾根を越えるとなれば問題です。収穫を早めに行い、西の備えを強化するぐらいは必要かと」
「新たな民兵がクロスボウの練習をしているようです。2個分隊は増やせそうですよ」
二重に作った柵の外側にもう1つ柵を作るか……。それと内側の柵に丸太を立てて簡易な塀を作るぐらいしかできそうもないな。
開拓した畑は広大だ。それを全て囲む等、それこそいくら戦力があっても出来る事ではない。
「2個分隊でも増えるのはありがたい話です。西の現在の柵の先にもう1つ柵を作り、この内側の柵を丸太で強化するぐらいしかできそうもないですね。楼門のように強化した見張り台を、新たな塀にいくつか作ることで防衛力を上げれば現状の塀を超える魔族の数を制限できるのではと考えますが……」
「完全に防ぐには無理があると?」
地図から顔を上げて、レイニーさんに向かって頷いた。
魔族の動員力は以上に思えるほどだ。いくらゴブリンの繁殖力が多いとは言っても、それこそ雲霞のごとく棍棒を振るってやってくるからなぁ。
楼門作りの見張り台にカタパルトやバリスタを設置することで、爆弾を使って数を減らすことは出来るだろうが、それぐらいで撃退出来るものではない。
最後は白兵戦になりそうだから、民兵にも槍の使い方を教える必要が出てきそうだ。
これはエルドさんと相談することになりそうだけど、帰ってくるのは明後日だからなぁ。
「それにしても、西の尾根を越えない理由が分かりませんね?」
「水源がないと言うぐらいしか思い浮かばないんですが、この村まで来れば水に困ることはありませんからねぇ。案外小さな村だと思っているのかもしれません。以前に出城を築いた時も、俺達を素通りしてますよ」
とりあえず、俺達の村を素通りしてくれるなら大きな問題はないし、備えを行っておけば、例えこちらに向かって来ようと慌てずに済む。
「出来れば、早いところ火薬の原料が届けば良いんですが……」
「火薬は直ぐに作れるのですか? 例の爆弾を作るんでしょうけど、かなり量が必要に思えるんですが……」
「それなりに時間は掛かりますよ。でも、完成品も運んでくるはずです。2袋もあれば魔族の備えには十分なんですけどね」
フイフイ砲で飛ばす爆弾には魔族も驚くんじゃないかな?
飛距離が半端じゃないからね。
オーガ対策のバリスタも作ってあるし、軽装歩兵もだいぶウーメラの扱いに慣れてきたからなぁ。
魔族の一斉攻撃は種族が混在するが、気を付けねばならない種族は、オーガとトロール、それにホブゴブリンぐらいだろう。
だが、オリガン家の書斎で読んだ魔族に関わる本の中には、それ以外の種族もいたようだ。
まさか、こんなことになるとは思わなかったから、あの時にもっとよく読んでおけば良かったと後悔するばかりだ。




