E-054 今の内に食料を買いこんでおこう
何事もなく冬が終わろうとしている。
もう直ぐ春分になるから、リットンさんが自分の部隊を引き連れて商人を迎えに出掛けた。
トレムさん達レンジャーからは異常なしの報告が届いているが、数日に1回は西の尾根を動く魔族を目撃するそうだ。
東には顔も向けぬと言っていたが、念には念を入れておいた方が良いだろう。
「嫌な1年になりそうですね……」
「さて、どうなりますか……。俺達にとって試練が始まりそうですけど、そもそも最初から試練だったようにも思えます」
「確かにそうですね。今さらってことですか」
深刻な表情をしていたレイニーさんの顔に笑みが浮かぶ。
確かに今さらだ。すでに川を渡ってしまったからなぁ。帰る場所すらないんだから、ここで頑張るしかないってことだ。
「今度は、かなりの食料を購入しなければなりませんね」
「それが一番大事だと思います。魔族の動きがどれほどになるかは全く分かりません。ですが大規模な南侵が行われたなら、王国内での徴兵が始まるでしょう。そうなれば畑が荒廃してしまいます」
王国を動かすための資金の大半は農民達の収穫によるものだ。
その収穫を減らしてしまいかねないのを、王宮は理解できるだろうか? 目先を考えての徴兵になるだろうが、その結果は農家の働き手を減らすことになりかねないんだよなぁ……。
「商人達は私達の要求を叶えてくれるでしょうか?」
「場合によっては、他の王国から買い付けるかもしれません。今回は砂金を2袋渡すことにしましょう」
背に腹は変えられない。レイニーさんも黙って頷いてくれた。
場合によっては新たな波紋を呼び込みかねないが、使うべき時に躊躇するようでは禍根が残りかねない。
商人達が俺達の村に到着したのは、春分の日の夕暮れ時だった。
リットンさん達が出迎えてくれたのを、かなり驚いているみたいだな。
荷物の引き渡しをエクドラさんに任せて、エディンさんとオビールさんがレンジャー達数人が指揮所にやってきた。
食堂が始まるのはもう少し経ってからだから、ここは情報交換ということになるだろう。
「ライムギだけでも100袋です。春の植え付けに使うジャガイモも2袋運んできましたよ」
「ありがとうございます。次は夏至ということになりますが、これで今回の2倍を用意できないでしょうか?」
砂金の袋を2つ、商人の前に置いた。
「これが、今回の残金になります。いつも通りに、金貨1枚を銀貨と銅貨にしました……。確かに食料は入用でしょう。今回も獣人族を100人程、引き連れてきました。ですが彼らには当座の食料を渡しておりますから、それほど大量には必要なかろうと思うのですが……」
重そうな革の袋を2つテーブルに乗せると、その上に金貨2枚を乗せてこちらに押しやりながら問いかけてきた。
普通なら、そう考えるだろうな。レンジャーも首を傾げているぐらいだ。
「魔族を目撃しました。しかも冬の最中にです。ここから10コルム以上離れた西の尾根を何度も往復しています。村の戦闘準備は出来ていますが、サドリナス王国はまだ知らないのではないかと……」
「本当か! 直ぐに王宮に使いを出さねばならんぞ」
「その判断は、あなた方に任せます。俺達に対して矢を放つ王国に、我等が危機を知らせるのもおかしな話です」
「謀と思われそうですね。そうなると、レンジャーが狩りの途中で見かけたと報告した方が良いのかもしれません」
任せておけという顔をしながらオビールさんが頷いている。報告することで報奨金も期待できるのかもしれないな。
サドリナス王国に間借りしているようなところがあるから、少しは義理立てしてあげても良さそうだ。それに一方的に蹂躙されては俺達も困ってしまうからなぁ。
「夏至前にブリガンディ王国からの避難民を案内してくる手筈になっている。その時に少しは運べると思うんだが……」
「そうですね。ロバと荷馬車を用意しておきましょう」
「できれば山羊を数匹追加してください。メス山羊をお願いします」
エディンさんが懐から小さな手帳を取り出して、俺達の要求を記載していく。
「ヤギですか……。食べるのですか?」
「とんでもない。下草を食べてくれますから、俺達が草を刈るより開墾が進むんです。それに乳を出してくれますからバターやチーズを作れます。住民が増えましたから仕事を作らないといけません」
そういう事かと納得しているようだ。
「羊を勧めたいところですが、放牧になってしまいますね。毛糸も取れますし、肉も山羊よりは上等になるのですが」
「放牧は、ある程度周囲が安定してから試みたいところです」
「商人の仲間にも少し事情を伝えることにしましょう。まぁ、それは次の食料を手に入れた後にということで」
食料の値上がりを見込んだ買い占めということかな? あまり精力的な動きをすると同業者や王宮に目を付けられそうだ。
「ほどほどにしていた方が良いですよ」と伝えると笑っていたから、それほど多くの食料を買い占める気はないようだな。住民に恨まれるようでは商人としては失格だと思っているのだろう。
「レンジャーの仕事が変わりそうだな。さすがに倉庫の護衛というのはなぁ……」
「それが起こらないように、しばらくは食料の値を上げないように準備しておくのが我等の務めでしょう。他国からの買い入れも視野に入れておきますから、パンに2倍の値を付けるようなことはしませんよ」
だが、容易にそうなる可能性だってあるのだ。
軍隊は生産することなく浪費するだけだからなぁ。その軍隊を拡大しなければ魔族に対処できないだろう。特にサドリナス王国はしばらく魔族との本格的な戦闘を行っていないようだからね。消耗戦が始まりかねない。
「場合によっては、この村に避難民が押し寄せかねないぞ!」
「そこはレンジャーの皆さんに期待しておきます。見ての通り、獣人族主体の村であると、迫害を逃れて作った村のようなものですから」
「人間は受け入れんということだな? まあ、それは仕方のないところだろう。だが、状況次第では、寒村に身を寄せている獣人族がまとめてやってこないとも限らないぞ」
「その時には受け入れるしかないでしょうね。1人の食事を2人で分け合うなら、何とか暮らせそうです」
そんなことにならないためにも、あらかじめ食料を備蓄しておきたいところなんだよなぁ。
エディンさんが俺に笑みを向けているところを見ると、俺を試しているのだろうか?
「ブリガンディ王国のように、開拓地の強制退去にまでは進んでいないのが、この王国の救いどころだな。獣人族から農地を取り上げてはいるが、今のところは穀倉地帯が主になっている。開拓村までそれが進むのにはもうしばらく掛かるだろう」
それなりに時間はあるってことか……。とはいえ、いずれはこの村に来るだろう。やはり開墾の手を休めるわけにはいかないだろうな。
「昨年は王都の北に魔族が侵攻したと聞きました。小さな砦が2つ焼かれたようです。今年は王都の北東ということになるのでしょうねぇ……」
「おかげで、街道沿いに進む荷馬車の集団にも警備依頼があったんだが、今年はそれを上回る可能性もありそうだ。まだ山脈に雪は残っている内に、次の避難民を案内してきた方が良さそうだな」
「今回と同じ場所で1個小隊を待たせておきます。さすがにここまで案内してくるのではオビールさん達の帰りが心配ですから」
「そうしてくれると助かる。その分、仲間を増やしておくよ。魔族の偵察部隊ぐらいなら蹴散らせないとな」
次は20日後ということで、対応して貰うことにした。
それぐらいの時間があれば、数匹のヤギも手に入るとのこと。荷馬車を曳くロバも開拓では役立つからなぁ。併せて購入することにした。
一緒にやってきた行商人達が1日店を開いてくれた。ほとんどが売れたようだし、新たな注文を受けてにんまりとしているから次も足を延ばしてくれるに違いない。
まだ完成途中の宿屋兼酒場兼雑貨屋を商人に見せると、支店を出したいようなそぶりだった。さすがに人間族を受け入れるわけには行かないと言ったら、村人を雇ってもよいとのことだ。
さすがに今すぐにとはいかないだろうが、将来を見据えて誠実そうな家族を探してみても良さそうだ。
「それじゃあ、20日後にいつもの場所で待っていてくれ。場合によってはブリガンディ王国からの船も来るかもしれんぞ」
「住むところぐらいは何とかしますよ。それでは、よろしくお願いします」
村にやって来て、3日目に商人達が帰って行った。
そうだよなぁ……。兄上からも頼まれていたんだっけ。となると、総勢200人を超える避難民がやって来るぞ。
その夜の会議で、受け入れ態勢を確認してみると、長屋が18戸余っている状態らしい。200人を受け入れるとなれば、家族の平均人数を4人として、1つの長屋に2家族が入れるから25戸が必要だ。7戸足りないってことだな。
「7戸であれば20日あればどうにでもなります。10戸を目標に長屋を作りましょう」
「任せとけ!」とエルドさんが胸を叩いているから、ここはありがたく任せることにしよう。
「引き続き西の尾根を偵察しているが、これは今後とも継続するのか?」
「ヴァイスさん達が開拓地の西に監視所を作ってくれている。それが出来るまでは継続して欲しい。開拓地は現在広げている最中だから、ヴァイスさん達だけではちょっと防ぎきれないだろうからね」
現在の兵力は7個小隊にまで膨らんでいるが。3個小隊は開拓の手伝いをしているからなぁ。西の偵察に1個小隊、開拓現場の周辺監視に1個小隊、残り2個小隊は村の防衛と休息に充てている。
次にやってくる避難員の中から兵役経験者と元レンジャーで1個小隊は組織できるだろう。
村を大きくしたから、防衛戦力が分散しないかと心配になってしまう。
「弓とクロスボウを準備しておけば良いじゃろう。早めに1個小隊分を作るとするが、問題は矢とボルトじゃな。冬の間に作ってはおいたが、直ぐに無くなってしまうからのう」
「足りませんか?」
「何とか、矢が3会戦分じゃ。クロスボウのボルトは2会戦分じゃぞ」
黄銅鉱の見返りに銅と鉄のインゴットを引き渡して貰っているだろうから、少しは増えるだろう。砦から運んできた魔族の武具や、2度の小競り合いで相手が置いていった武具は、すでに長剣や槍、それに鍬に打ち直しているはずだ。
「剣や槍は何とか揃っているんでしょうか?」
「長剣が5振り、片手剣が10振り、それに槍が15双揃えている。弓とクロスボウは10ずつだな」
「元兵士やレンジャーなら自分の得物を持ってくるでしょうから、やはりクロスボウの数を増やしましょう。鏃は俺達で作れなくとも矢やボルトに付けるぐらいはできるでしょう。弓兵達に自分の矢を作らせるのも良いかもしれません」
「少しでも多く……、ということですか?」
「遠矢を放つことを控えれば良いだけです。至近距離で確実に当てることを練習させましょう」
王国軍相手ならそれで十分だろうが、魔族相手となると物量戦だからなぁ。
向こうが損害を気にせずに攻め込んでくるんだから始末に負えない。
矢筒の12本が直ぐに無くなってしまうだろう。
少し不細工でも良いから、1本でも多くの矢を作っておくに越したことはないだろう。




