E-004 着替えは必要だろう
町に付いたのは、日が傾き始めた頃だった。
宿を取って部屋に入ったのだが、ナナちゃんの荷物がほとんどないことに気が付いた。
腰のベルトに付いていた小さなバッグの中身は、短剣と数枚の銀貨だけだ。
少なくとも着替えは必要だろう。できれば魔法の袋も手に入れたいところだ。
宿の女将さんは人の良さそうな人物にみえたから、この子の着替えが欲しいと言うと、直ぐにお店を教えてくれた。
「暇だから私が付いてってやるよ。レンジャーってわけじゃないんだね?」
「兵士として砦に向かう途中なんです。魔法があまり使えないんで、この子が代役です」
「西の村のお坊ちゃんかい。そんな歳になるんだねぇ……。確かに、ネコ族の女の子は使えそうだね。素早いから、後ろで支えてくれるだろうさ」
ナナちゃんの頭を撫でながら「頑張るんだよ!」と言っている。
嬉しいのかな? 女将さんに笑みを浮かべて頷いているナナちゃんの尻尾が、ゆらゆら揺れているぞ。
女将さんの案内で先ずは雑貨屋に向かう。
魔法の袋と靴が1つ。食器のセットはやや小ぶりのものだった。
ナナちゃんの小ぶりなバッグに、魔法の袋が入るんだろうかと思っていたら、クルクルと丸めて押し込んでいる。少し余裕もありそうだ。
料金を払って雑貨屋を出ると、すでに女将さんはナナちゃんと手を繋いで別の店に向かっている。
追いついた俺に、女将さんが振り返った。
「ここが服屋だよ。娘が嫁いでいるから、安くしてくれると思うんだけどねぇ」
「申し訳ありませんね」
女将さんの後に付いて中に入ると、いろんな服が並んでいるな。
よく見ると、丈夫そうな服が多いようだ。キラキラした服装で畑仕事はしないだろうからね。
「あら、お母さんじゃない。どうしたの?」
「こっちの女の子の服が欲しいのさ。砦で暮らすらしいから、丈夫なものが良いだろうね。それと下着に、セーター、靴下に手袋があれば、とりあえずは過ごせるだろうよ」
娘さんが、あちこちから服を運んでテーブルに並べだした。
ナナちゃんが興味深々な様子でそれを見ているんだけど、着るのは俺じゃなくてナナちゃんだからね。
「目立たない方が良いだろうねぇ。これとこれかな?」
「下着は、女の子にはこれが人気よ。3枚でいいかしら?」
「5枚は欲しいんじゃないのかい。それと靴下も同じ数だね。2枚は厚手が良いんじゃないかな」
「セーターは袖なしと袖アリの2つかな。手袋はミトンも欲しいんじゃないかしら?」
値段もさることながら、魔法の袋に入るのだろうか?
そんなことを考えていると、向かいの店に小さなリュックが下げられている。
あれを買い込んで背負って貰おうか。そうなると、魔法の袋がもう1つ欲しくなるな。
急いで店を後にして、先ほどのものより大きな魔法の袋を1つ買い込んできた。銀貨5枚で買えるだから、荷物が多ければ便利に使える。これならリュックにも入れておけそうだ。
「おや? もう1つ買ってきたのかい。だいたい揃えたんだが、確かに大きい方が良いだろうね」
「都合、銀貨6枚になります。少しオマケしておきました」
「ありがとう。ついでに、あのバンダナを5枚貰えないかな」
カウンターの上に、銀貨を7枚並べた。
案外安かったな。
選んでくれたんだから、少し多めに払ってもありがたく思える。
「多すぎます!」と言う娘さんをどうにか納得させたんだけど、それならと数枚の布袋を渡してくれた。
色々と買い込んだから、分類するのに使えそうだ。
「またいらしてくださいね!」
カウンターで手を振る娘さんに頭を下げて宿に戻ってきた。
「ありがとうございます。やはり男には細々したものは気が付きませんからね」
「良いんだよ。それより、散財させてしまったねぇ」
「親から支度金をたっぷりと頂きましたから、だいじょうぶですよ」
準爵という地位は微妙な立場でもある。
貴族の見栄も必要らしい。
オマケしてもらうということが難しい立場なんだよなぁ。かなり多めに払った気もするけど、オリガン家の領民に俺が出来ることはこれが最後だからねぇ。
貴族の最下位だから、領地は持たない。その代わり貴族の矜持を保つために毎年大銀貨1枚(2千ドラム)が王宮から渡されるのだ。
父上から書状と一緒に渡された準爵の指輪と大銀貨5枚は、5年分ということなんだろう。
次に渡されるのは、21歳ということになるのだろうが、果たして2度目の金額を受け取れる準爵はどれほどいるのだろう?
戦死、病死……、それに犯罪者として処罰されたりしているようだ。
犯罪者になれば、その一族が家運を掛けて討伐するらしい。
少し早いけど、夕食を取ることにした。
丸いパンとウサギのシチュー、それにワインがカップに半分だ。ナナちゃんにはワインの代りにお茶のカップが乗せられていた。
まだ、夕暮れに間があるから、宿の酒場兼食堂には俺達2人きりだ。
ナナちゃんが美味しそうに食べる姿を見てると、自然に笑みがこぼれる。
王都に着いたら、お菓子も買ってあげよう。砦は殺伐とした場所だろうから少しは楽しみがあっても良いだろう。
買い込んだ服を分類しているようだけど、どんな基準で分けているのだろう?
本人の趣味もあるだろうから、口出しはしないけどね。
ふと、ベッドの上にある品物に気が付いた。
ナナちゃんは銀貨を持っていた。6枚あるようだけど、子供が銀貨を使うのは考えてしまう。
確かもう1つ持ってたと思ったんだが……。バッグの魔法の袋に手を入れて、ごそごそ手の感触で見つけたのは小さな革袋だ。
無造作に上着の内ポケットに仕舞いこんだ革袋を取り出して、銅貨を摘まみだす。
穴開き銅貨が4枚に、穴の開いてない銅貨が5枚。
54ドラムになるから、これを持っていれば良いだろう。
「ナナちゃん。銀貨は袋の奥に入れて、これを普段は持つと良いよ。屋台でお菓子を買うにも都合が良いからね。それと、その短剣を見せてくれないかな?」
「ありがとうにゃ!」
俺の手から銅貨の入った袋を貰ってベストの内側のポケットに仕舞いこんだ。
その後で、短剣を渡してくれたんだけど……。
やはり、かなりの代物だ。
武器としては考えてしまうけど、意匠が半端じゃない。握りに3つも魔石が埋め込まれているし、その魔石も上級の様だ。
美術品として、金貨を積んで買うような代物だ。その刀身にも複雑な文様が描かれている。これは魔方陣なのだろうか?
「この短剣も袋の奥に仕舞っといた方が良いな。王都に着いたら、代わりの物を選んであげるよ」
「一族の宝にゃ。落とさないように奥に入れとくにゃ」
ナナちゃんが銀貨を入れた袋をもう1度取り出すと、短剣と一緒にバンダナに包んで魔法の袋の奥に仕舞いこんだ。
魔法の袋はベルトのバッグに入れておくから、落とすことは無いだろう。
仕舞いこんだら、しっかりとバッグに蓋をして紐で結んでおく。
大きい方の魔法の袋をリュックの中に入れておけば、非常食や水筒、それに食器を仕舞いこめる。従者なんだから、それぐらい取り出せないとね。
寝る前に、【クリル】で体と衣服をきれいにする。
ナナちゃんもやっているから、教えなくてもだいじょうぶだな。
ベッドに入って毛布を掛けると、ナナちゃんが潜り込んできた。まだ一人じゃ寝られないのかな?
とは言え、女の子なんだよなぁ……。
ぴったりと身を寄せて来るから、気になって中々眠れないぞ。
翌日。ナナちゃんに体を揺すられて目を覚ました。
外はまだ薄暗いけど、王都に向かう荷馬車を探さないといけない。
急いで身支度を整えて、下の食堂に向かう。
「おや? だいぶ早いんだねぇ。王都に向かう荷馬車があるらしいよ。北の広場で荷を積んだら出掛けると言っていたよ」
朝食を運んできた女将さんが教えてくれた。
ありがたく頭を下げると、朝食を頂く。
野菜スープに丸いパン。パンには薄いハムが挟んであった。
「これはお弁当だよ。あまり散財しないようにしないといけないよ」
小さな包みを2つ渡してくれた。
まだマリアンに貰ったお弁当も残ってたんだよなぁ。魔法の袋に入れておけば物が腐ることはない。時間が停まっている感じなんだが、そんな魔道具を考えた奴は天才だったに違いない。
「申し訳ありません。ありがたく頂きます」
「頑張って勤めを果たして、戻って来るんだよ」
砦の状況を知っているんだろう。
ナナちゃんの頭を撫でて、「頑張りな!」と声を掛けている。
俺に万が一の事が合っても、ナナちゃんが困らないようにしておかないといけないだろうな。
食事が終わると、頂いたお弁当をナナちゃんのリュックに仕舞いこんだ。
女将さんに礼を言って宿を出ると、ナナちゃんの手を引いて通りを北に向かった。
北門の内側に、荷馬車が10台ほど停まれる大きな広場がある。
数台停まっていた荷馬車の御者に、王都に向かうのかと聞いてみると、3人目の御者が頷いてくれた。
「もう直ぐ出るよ。乗ってくかい?」
「2人で、これで良いかな」
銅貨を1枚取り出すと、老人の一歩手前に見える御者が笑みを浮かべて頷いた。
相場よりも高かったんだろう。10ドラム銅貨があれば、安いワインが1ビンは買えるはずだ。
やがて南から荷馬車がやってきた。どうやらここで干魚の箱を積み替えるらしい。
十数箱を荷台に積むと、傍で見ていた俺に荷台を指差した。
ナナちゃんを先に乗せてあげると、俺も乗り込む。魚の匂いがするかと思ったけど、生臭さは全くない。
御者に乗ったことを告げると、荷馬車が動き出した。
王都までは歩いて2日掛かるらしいけど、荷馬車なら1日で着けるらしい。
ナナちゃんと一緒に周囲の景色を眺めながら時を過ごす。
昼食は通りの脇に作られた広場で取る。
小さな焚き火でお茶を作ってごちそうしてくれたから、御者のお爺さんに宿で貰ったお弁当を渡してあげた。
マリアンのお弁当があるから、丁度良い。干魚1枚が昼食ではあまりにも気の毒だ。
「済まねぇな。王都で暮らすのかい?」
「王都から、西の砦に行くんだ。王都からはのんびりと歩くことにするよ」
「かなり遠くだなぁ。仕官するんだろうが、小さいのもいるんだから無理はするんじゃねぇぞ」
「自分の力は知ってるからだいじょうぶだ。父上からも注意されたからね」
「おめぇは落ちこぼれじゃねぇ。落ちこぼれは自分を落ちこぼれとは思っちゃいねぇからな。自分の力を知ることは、誰にもできることじゃねぇぞ」
中々に深い言葉だ。
忠告に頭を下げて感謝する。
落ちこぼれは、自分を落ちこぼれと自覚できないということか……。
そういう意味では、俺は自分の力を自覚していると言えるだろう。領内の連中が俺を陰で落ちこぼれと揶揄しているのは、兄上や姉上と比較するからなんだろう。
だけど兄上たちの前では、誰もが落ちこぼれになってしまうんじゃないかな。
※※ 補足 ※※
ドラム:
硬貨の単位。
1ドラム銅貨は直径3cmほどで真ん中に1cmほどの穴が開いている。
10ドラム銅貨は穴がない。
100ドラム銀貨は8角形で直径2cmほどの大きさ。
大銀貨とも呼ばれる2千ドラム銀貨は8角形で10ドラム銅貨と同じ大きさ。
1万ドラムは10ドラム銅貨と同じ大きさの金貨。