E-280 魔族の侵攻方向
魔族の焚火の煙を遠くに眺める日々が続く。
夜はかなりの範囲が明るくなるから、魔族の集結は2個大隊を越えるものになっているのかもしれないな。
2日前にティーナさんがやって来たのだが、いつも思うんだけどティーナさんは大使なんだよねぇ。
駐在武官と勘違いしているように思えてならないんだよなぁ。
魔族の煙を確認して5日目の朝。現場指揮所でお茶を飲んでいると、伝令の兵士が駆け込んできた。
俺達に騎士の礼を取ると、息を調えたところで報告を始める。
「報告します。魔族の煙が半減しています。新たに南に小さな煙が新に上がっています」
「ご苦労様。ようやく動いたか……。こっちに来なければ良いんだが、しばらくは監視を強化して欲しい。たぶん最初の煙の上がった場所は明日には煙が消えるだろう。戦闘時の魔族の動きは素早いけれど、大軍の行軍ではそれほど早いとも思えない。レイニーさんと砦にも同じ連絡をして欲しい」
伝令の少年が頭を下げて現場指揮所を出て行った。
残ったレビさん達の視線が俺に向くんだよなぁ。あれだけの情報は俺にだって判断できないぞ。
「魔族は動いた……。問題は方向だな」
「動く方向は西と東、それに南の3方向です。先ほどの報告では南と言っていますが、南東、南西ということもありますからね。レイデル川から20トレム以上離れていますからまだ進路を確定することは出来ないでしょう。ところでレビさん。第5駐屯地からも魔族の煙は見えるんでしょうか?」
俺の問いに一瞬キョトンとしていたけど、直ぐに答えてくれた。
それによると、あれがそうかな? ぐらいの感じで確認できるとのことだった。
「再度確認して貰えませんか? 場合によっては移動方向を確認できるかもしれません」
もっと早くに気が付くべきだった。およそ10トレム程の距離を置いて俺達はレイデル川の監視をしているんだから、この位置と第5駐屯地との距離を基に煙の方向を測れば距離を求めることが出来るはずだ。
2つの駐屯地からの情報を基に、テーブルに紙を広げて、3角形を描く。
「これで距離が分かるのですか?」
「大砲や石火矢で相手を狙う時もこんな感じで測量をしてるんだ。もっとも、距離が短いから簡単な道具を使っているんだけどね。……これで良し。この交点までの距離は……」
1トレムを1イルムの長さにしているから換算が少し面倒だな。
計算の結果はこの位置から26トレムということになる。誤差は1トレム程度はあるだろう。
地図を広げて、魔族の集結地を書き込んでおく。後は移動方向だな。明日同じ方法で測定すれば分かるに違いない。
「ほう……、かなり遠いな。レイデル川沿いに南下するとも思えん距離だ」
「俺が仕官した砦は、此処から数十トレム程南にあるんです。レイデル川沿いにある砦なんですが、ほとんど北から魔族が襲ってきました。それを考えると、確かに距離は開いてますね」
魔族の狙いは、王都と俺達がいた砦の間を狙うのだろうか?
もう1つあったらしいけど、どちらかというと王都に近いから見張台という規模なのかもしれない。王都の北には立派な砦を作ってあるらしいのだが……。
「ラビさんは、王都の西にある砦を見たことがありますか?」
「あそこは砦と言えないわ。1個小隊が食料や武器の貯蔵庫を守っているだけで、レオン殿がいた砦や王都の北の砦に向かう援軍が武装を調える場所よ」
かつてのブリガンディ王国軍が迅速に動けたのは、そういう物資貯蔵庫があちこちにあったのかもしれないな。
今でも機能しているか怪しいところだが、内乱が何度も怒っているようだから、王都の西を守る手立てが既になくなっているんじゃないか?
動き始めたが、貴族連合の版図に入るには数日は掛かるだろう。明日の煙の位置を確認したところで伝えてあげれば良いだろう。
「近距離を測定する方法ではあるが、遠距離でも使えるのだな? 砦の東西に観測所を作れば案外役立ちそうだ」
「長城が出来たなら、是非とも取り入れるべきでしょうね。魔族の動きが3日前に分かるなら迎撃も容易になると思います」
とはいえ、焚火の煙で魔族の動きを知ることがいつまで続くかも考えねばなるまい。
容易に偽計を使えそうだからなぁ。
だが、戦の直前なら偽の焚火を焚くこともあるだろうが、その数日前ともなればそうもいくまい。戦に備えてたっぷりと食事を取るはずだ。
3日以上前の煙なら、魔族の主力の所在を示すことになるだろう。
翌日の観測で得た数字は距離が35トルム、方向は南に3度移動している。
南東方向に移動しているということだから、やはり攻撃目標は王都になるのかもしれない。
昨日の位置と今日の位置をレイニーさんから砦に連絡して貰う。
レイニーさんが砦から貿易港にいるオリガン領のレンジャーに伝えると言ってくれたから、早ければ今日中に兄上の下に届けられるに違いない。
「とんだ茶番になってしまったな。ここに王都から逃げ延びた王侯貴族が集まるかと思っていたのだが……」
「案外、来るかもしれませんよ。魔族がどこまで戦を続けるかは分かりませんが、何とか凌げれば王都から蜘蛛の子を散らすように逃げ始めるはずです」
「監視頻度を上げるべきでしょうか?」
俺の言葉に、ラビさんが問い掛けてきた。
ラビさんに顔を向けると小さく首を振る。
「王都は内乱の真最中でしょう? それに魔族はこれから向かうんですから、大戦が始まるのは早くて5日後になるでしょう。その後、魔族が引き上げたところで王都からの脱出が始まるはずです」
「王都からこの辺りまでなら、馬車でも5日近く掛かるわよ」
「ですから、頻度を上げるとするなら8日後当たりで十分です。それまでは今まで通りでだいじょうぶですよ」
とりあえずしばらくは何もないと知って、皆が現場指揮所を出て行った。
なぜかティーナさんとユリアンさんが残っているのが気になるところだ。
ユリアンさんがバッグから取り出したのは、真鍮のカップとワインの小瓶だった。
ワインを入れたカップを俺の前に置いてくれたのは嬉しいんだけど、何か気になることでもあるんだろうか?
「たぶんこれでブリガンディは瓦解するだろう。場合によっては避難民がレイデル川にやってくるだろうが、マーベル国はレイデル川を渡ることを認めない。結果、関所近くに、かつてのブリガンディの難民村が出来るだろう。ここまでは、私にも分かるつもりだ。それならレオン殿がこの地に留まる必要はないのではないか? レオン殿がこの地に留まるのは何か理由があるはずだ。場合によっては我等エクドラル王国にも影響があるやもしれん。黙っているのはそれだけそれが起こる可能性が低いのだろうが……」
苦笑いするしかないな。
ワインを一口飲んだところで、魔道具を使ってパイプに火を点ける。
教えるべきか迷うところだ。
その対策如何では、フイフイ砲や石火矢の効果的な使い方を学ぶことになる。それが容易であると分かれば、周辺の王国に攻め入ることだって出来るだろう。
だが……、エクドラル王国としても兵が足りんな。ブリガンディ領を一気に手に入れようとしたなら、3個大隊は欲しいところだ。
東の王国と貴族連合との関係も微妙になるだろう。下手に敵対したなら3個大隊を失う可能性だって出てくる。
図上演習を何度も行うと共に、外交交渉をしっかりと行う必要が出てくるだろう。
そこまでするかな?
その判断が国王1人であるというのが問題だ。
補佐する人物は多いんだろうが、彼らにもそれなりの思惑はあるんじゃないかな。
「やはり教えられんことが、あるということなのだな?」
「マーベル共和国のレオンである立場では教えることは出来ません。ですが、何かあると感じたティーナさんの友人としてならば教えてあげましょう。確率は非常に低いものです。ですが可能ではあるんです。それは攻め込んだ魔族が王都に居座るという事態です」
「魔族が我等と戦をしても、直ぐに引き上げる理由の1つが食料だと父上も言っていた。魔族は共食いさえするらしい」
「王都であれば1万人を超える住民がいるはずです。人間族を食料とするなら、レオン殿の考えを否定できませんね」
「魔族の大きな拠点が出来る事になる。さすがにエクドラル王国としても見過ごせるとは思えませんが、俺の最悪の推測ですからあまり広めないでください」
「さすがに父上にだけは伝えておきたい。場合によっては軍を大きく動かす必要がありそうだ。父上なら訓練を名目に準備を進める事も出来よう」
「可能性はかなり低いですよ。でも、この状況であれば魔族の王都攻略は容易なはずです」
「さすがに、光通信とはいくまい。ユリアン行ってくれるか?」
「文書にするのも考えてしまいますね。では、直ぐに……」
ユリアンさんが立ち上がると、俺達に騎士の礼を取ると現場指揮所を足早に去って行った。
グラムさんのところに行くまでに3日は掛かるかもしれないが、この夜に単騎で出発するんだからなぁ。
まったくトラ族は根っからの戦士に違いない。
「レオン殿は魔族が居座った王都攻略を考えているのか?」
「考えているというより、エクドラル軍なら容易いですよ。フイフイ砲で爆弾をどんどん王都内に投げ込めば良いだけです。それで城壁近くに布陣した魔族は排除できます。2日ほど爆弾を投げ込んだところで攻城櫓で攻め入れば王都内に入りこめますよ。場合によってはマーベル共和国軍が石火矢を200発程王都内に放つことで王都を火の海に出来るでしょう。ですが……、それが可能であることをエクドラル王国に知られたくなかったんです」
格段に拠点攻略が容易になる。それは大陸に覇を唱えるための強力な武器になり得る事も確かだ。
俺に最後の言葉に、ティーナさんがジッと俺を見ているんだよなぁ。
エクドラル王国の軍人として考えるなら、俺の考えは邪魔であると共に危険でもあるのだろう。
フウゥゥとティーナさんが溜息を漏らすと、俺をキツク見ていた表情を和らげた。
残った小瓶のワインを俺にカップに注ぐと、残りを自分のカップに注ぐ。
「色々と考えているのだな。確かにそのような考えも出てくるのだろう。大陸の沿岸に連なる王国を制覇することも可能だということか……。魔族相手に容易な戦が出来るなら他国の王国軍相手なら遥かに容易に違いない。だが、マーベル国の事だ。万が一にもエクドラル王国が覇を唱え、マーベル国に攻め入った場合の対策は出来ているのだろう?」
ティーナさんの言葉に、思わず飲んでいたワインを噴き出しそうになった。
当然出来ている。
ティーナさんに顔を向けると、苦笑いを浮かべて頷いた。




