E-279 東に煙が見える
レイデル川は今のところ平穏だ。
朝、昼、夜と1日3回、ラビさんの小隊から1個分隊が北に向かって川岸の監視に出掛ける。
ほぼ、半日過ぎた頃に帰投してくるんだが、現場指揮所での報告は「異常なし」が続いている。
それほど大きな内乱では無かったのかな?
10日も過ぎると、そんな思いが大きくなってきた。
「第3小隊の駐屯地に見張り台と、通信兵が新たに配置されたということかい?」
「はい。マーベルの指揮所との連絡に時間が掛かるということで、レイニー殿が通信兵を置いてくれたそうです。それで、レイニー殿から先ほど入った通信がこれになります」
エミルが渡してくれたメモには、ブリガンディの内乱のその後の状況が記載されていた。
俺の予想に反して、王国内にかなり拡大しているとのことだ。既にブリガンディ王国軍そのものが分裂したらしく、かなりの兵士が反乱勢力に加わっているらしい。
王都の門は固く閉じられているそうだが、援軍の当てもないのだからいつまでも我慢できるものではない。飢餓が始まれば内部崩壊してしまいそうだな。
「ブリガンディは予想通りだな。持って3か月程度だろう。南の関所近辺の状況について、エクドラル王国に確認した方が良いだろう。ティーナさんがマーベルにいるなら、状況確認をお願いして貰えないか? ついでに東西の魔族に動きがあるかどうかもね」
「了解しました」
ここで魔族が南進したなら一気に瓦解するんだろうが、今のところは東に焚火の煙さえ見えないそうだ。
魔族は俺達の状況を、あまり気にも留めないのだろうか?
絶好の攻勢状況ではあるんだけどねぇ……。
しばらくして通信兵が届けてくれたレイニーさんからの通信文では、南の関所は既に戦闘態勢を取って固く門を閉じているとのことだ。
どのような難民が現れても、追い返すということなんだろうが、石橋の対岸にあるブリガンディ王国の関所も門を閉じているらしい。
エクドラル王国がそういう事になっているなら、東の王国も同じような対応を取っているに違いない。
ブリガンディ王国の王侯貴族が落ち行く先は無いということになる。
周辺国の勢力が及ばない空白地帯がレイデル川東岸にあるということを彼らがするのは何時になるのだろう。
もっとも、気が付かねばそれまでの話だ。王国周辺に向かって逃げ始めた民衆の内の運の良い連中だけがその地に辿り付くに違いない。
問題は、魔族だな……。今のところ焚火の煙さえ見えないということになるなら、この絶好の機会を魔族は見逃すことになる。
やはり魔族の情報収集は、侵攻時の索敵程度に限定されているのかもしれない。
長城作りの砂利の採取を手伝ったり、釣りをして夕食を賑わせるだけの日々が続く。
このまま、1か月も監視を続けるのは考えてしまうな。
部隊を半数にしようかと、真剣に考えている時だった。
現場指揮所のテントの入り口が勢いよく開かれ、エミルが駆け込んできた。
「報告します! 対岸に煙が見えます見張り台から望遠鏡で望むも原因不明、距離は20コルム以上離れていると推測します」
「了解だ。俺も見てみるよ。魔族か、それとも避難民かが分かれば良いんだけどね。でもマーベルのレイニーさんと南の関所には、通信で知らせておいた方が良いだろうな」
「マーベルには連絡済みです。関所には砦経由で直ぐに連絡します」
南の関所や砦では見ることが出来ないだろうからね。
見えたのは煙だけなんだが、状況に変化があったことは確かだ。
テントから出て、少し小高い場所に作った見張り台に向かう。
俺の身長の2倍ほどの高さだが、視点が少しでも上がればそれだけ遠くが見通せる。
とは言っても望遠鏡を使っても見えなかったらしいから、かなり東であることは確かだろう。
「確かに煙だね……。北西に流れているようだけど、あれが焚火だとするとかなり大きいように思えるな」
「昨夜の見張りでは、あの辺りが明るいということはなかったそうです。少し曇ってましたから、焚火の光が雲に反射するはずなんですが」
見張りの兵士の説明を聞いて、なるほどと納得する。
となると、今朝方移動してきたということになるんだろう。魔族であっても夜間の移動時には松明を使うはずだ。
問題は移動先だな。そのまま南下するのか、それとも南東方向か……。場合によってはレイデル川沿いに南下することだって考えられる。
「煙の位置と、この場所から見える状況をメモに残しておいてくれないか? 明日再び煙が確認された時には、その位置が同じかどうかを確かめてくれ」
「了解です。移動方向の確認ですね。煙の簡単なスケッチも残しておきます。こちらに近づくならもっと大きく見えるでしょうから」
兵士の言葉に笑みを浮かべると、彼の方をポンと叩く。
明日が楽しみだな。
とりあえずは状況の変化を確認中とレイニーさん達に連絡を入れておこう。
翌日。再び見張り台に上がって見張りの兵士に煙の変化を確認する。
やはり移動しているな。
兵士の話では、夜間ぼんやりと煙の立つ方向が明るかったと教えてくれた。
「それより、これで煙を確認してみてください。煙の上がる箇所が今朝は2つあるんです」
兵士から手渡された望遠鏡で東を望むと、確かに2つ上がっている。望遠鏡を使わないと1つなんだけどなぁ。昨日望遠鏡で見た時には1つだったはずだから、新たな軍勢ということになるのだろう。
ということは、魔族軍の集結か所ということになるのかもしれない。
ブリガンディを南下する魔族軍は、確実に1個大隊を越える規模になるだろう。
「位置は変わらないのか?」
「方向を磁石で確認しました。焚火と思われる煙の上がるか所に変化はありません」
「何か変化が現れたら、連絡してくれ。俺達の方向に動くとは思えないが、南に動くとなると、貴族連合に影響が出るかもしれないからね」
「親戚が何組も世話になっていますから、貴族連合にまで影響が出ないと良いんですが……」
兵士の方をポンと叩いて見張り台を降りる。
現場指揮所に入ると、エミルさんとラビさんがお茶を飲んでいた。
いつもの席に着くと、ナナちゃんがお茶を運んでくれる。そのまま俺の隣に座ったところを見ると、今日はすることが無いのかな?
「どうやら魔族が集結しつつあるようです。移動方向はまだ分かりませんが、さすがにレイデル川を渡ることはないと推測します。となればいつものように南進ということになるでしょう。光通信でレイニーさんと砦に『マーベル国より南に40トリム、東におよそ20トリム付近に魔族が集結しつつあり、魔族軍は推定で1個大隊を越える模様。現在移動は確認されず』と連絡してくれませんか」
直ぐにレビさんの副官が俺の言葉のメモ書きを、レビさんに確認して貰っている。レビさんが頷くと直ぐに現場指揮所を出て行ったから、通信文を送ってくれるのだろう。
「レオン殿は滝の東に砦を作ろうと考えていましたが、このような状況を未然に防ごうと考えていたのですか?」
「まさかですよ。あくまで魔族軍の牽制でしかありません。堅固な砦があると魔族が認識してくれたなら、レイデル川沿いは安心です」
エミルの言う通り、滝の東に砦を作ったなら魔族軍の集結地はもっと東になっただろう。
今回魔族の集結を早期に見付けられたのは、まだ砦を作っていなかったからかもしれない。
作ったなら、魔族襲撃の早期発見は出来なかっただろう。
それを考えると、早期警戒を目的とする砦の構築は色々と課題が出てくるなぁ。
ここでのんびりしている間に、少し考えておいた方が良いかもしれない。
「場合によっては、獣人族の恨みを魔族が晴らしてくれるかもしれない。このまま南下したならブリガンディ王都の西を魔族軍が襲うことになるだろう。王都から逃げ出した王国貴族や住民に襲い掛かるだろうからね」
「それは反乱勢力が王都を襲ってからの事、周辺の町や集落を襲うだけになるかもしれませんよ」
「たぶん町や村に住民はいないかもしれないよ。これまでの反乱とは規模が違うらしいからね。だが、王都が落ちていないとなれば……」
そのまま南下するだろうか?
街道を越えるかどうかが、1つの分岐点になりそうだな。超えたなら貴族連合との戦になるだろうし、王都に向かうなら3つ巴の戦になるはずだ。
魔族の蹂躙で反乱は治まりそうだが、王都の門が破られた時にはどんな事態になるのだろう。
さすがに魔族がそのまま王都に残ることはないはずだ。
んっ! 本当に残ることはないのだろうか?
魔族同士の争いが続いている状況下で、地上に大きな版図を得ることが出来るとなれば一気に、それを手に入れた魔族の王国が勢いを増す可能性も出てくる。
まったく、早めに滅んでくれれば助かるんだが、ブリガンディ王国はどこまでも俺達を苦しめてくれる。
「どうかしましたか?」
急に考え込んでしまった俺を訝しんでエミルが問いかけてくれた。
「いや、ちょっとね。最悪の結果を想定してしまったんだ。さすがにそうなる可能性は低いだろうけど、可能性があるのなら対応は考えておく必要があるからね」
「その最悪とは?」
「ここだけの話だよ。他の連中には黙っていて欲しい。魔族が南進した後、ブリガンディの王都を攻略して、その地に残ることだ」
俺の言葉に、2人が目を見開いている。
言葉が出ないようだな。アワワと唇を震わせている。
「……そこまで考えますか。でも、魔族が戦を終えてその地を占拠することはかつてなかったことです」
「その理由を考えたことがあるかい? 魔族が引き上げるのはその地を維持することが困難だからだ。今までの魔族との戦いで多くの砦を落とされているようだけど、砦の収容人数は最大でも1個大隊。これは俺達の軍勢だから1個大隊は4個中隊、16個小隊になる。およそ700人程度になる。軍属を含めればもう少し膨らむだろうけど……」
「魔族の1個大隊は1万でしたね。およそ10倍ですか……」
「砦では収容できないってこと? まぁ。王都なら大きいし……、食料もいる……」
その食料が王都の住民になる。
俺達と叩かくまでもなく、魔族の食料になるんなら少しは獣人族の心も穏やかになるかもしれないが、その後が面倒になりそうだ。
場合によっては連合軍を組織して、ブリガンディの王都攻略をしなければならないかもしれない。
方法はあるんだが……、あまり使いたくはないな。




