E-253 ブリガンディ王国から使者が来た
秋分を期に、サドリナス領の分割がエクドラル王国によって行われた。
新たにサドリナス領を手にした貴族は旧王都の宮殿に集まって、本国からやって来た国王陛下の名代である第一王子から領地を下賜されたらしい。
新たな貴族は旧王都の貴族の館に住むことになるようだが、第2王子も他の貴族と同様、宮殿から貴族館へと移り住むとのことだ。
将来的には、それぞれの領地に館を設けるのだろうけど、しばらくは代官を向かわせて統治するらしい。
「姉上も、しばらくは旧王都での暮らしとなるのですね?」
「小さくても領地で暮らしたいと伝えたのですが……、1年ほどは旧王都で暮らします」
ブリガンディ王国でも、ずっと王宮にいたぐらいだからなぁ。貴族との付き合い方は良く知っているだろうし、デオーラさんが後ろで見守ってくれるに違いない。
「何とか贈り物は間に合いそうです。楽しみにしていてください」
「レオンの心がこもっていれば十分よ。まさかとは思うけど……、マーベル国の財産を使うわけではないでしょうね?」
「さすがにそこまでは出来ませんよ。とはいえ、姉上には魔導士の指導もして頂きましたし、フレーンさんの手伝いもして頂きました。それなりの対価は必要だと皆からも言われています」
その対価が砂金一袋だとは教えないでおこう。
どうにかできたクリスタルガラスのワイングラスの持ち手に金の帯を巻いたんだが、帯に描いた細密画はガラハウさんの渾身の作だからなぁ。
しばらくは同じグラスを作ることは無いだろうから、マイヤー家の家宝になりそうだな。グラス表面のカットはオリガン家の紋章そのものだ。金をカットした溝にはめ込んだ技術は他のガラス工房では模造すら困難だろう。
現在作っているシャンデリアは大中小の3つだ。
大きいのは、エクドラル国王に進呈して、中ぐらいのは王子様に、小さなものはデオーラさんに進呈しよう。
姉上の相手を見付けてくれたんだからね。
「来年の秋は母上とマリアンだけになってしまいますね」
「そのことだけど……、私達もオリガン領に戻ろうと思っているの。ライザを心配してレオンを頼ったのだけど、ライザが結婚したならその心配もないわ」
「ずっといてくれると思っていたんですが……」
「私の家はオリガン領のあの館よ。ここの居心地は良いんだけど……、居心地が良すぎて……」
「あの騒ぎが聞こえてきませんでしたからね。お館様達の連合化で獣人族の扱いも昔に戻ったようです。とはいえ全く差別が亡くなったわけではありませんから、私達が目を光らせませんと」
確かに、ここには差別はない。そういう意味では暮らしやすかったのかもしれないな。
となると、戻ってからが大変なんじゃないか?
「何事も急に良くすることは出来ませんよ。反対に急に悪くなることはあるんですよ。レオン様も重々お考えなさってください」
「ありがとう。気を付けるよ」
確かに悪い方向に転ぶのは急激だ。前兆を上手く捉えないと手遅れになってしまうとの戒めの言葉に違いない。
そんな言葉を掛けてくれるマリアンが傍にいるから、母上も安心して行動することが出来るのだろう。
「それでは、これで……」と席を立ったら、マリアンがクッキーの袋を渡してくれた。
ナナちゃんにということなんだろうな。
ありがたく頂いて母上達の長屋を後にした。
指揮所に戻ると、レイニーさんの前に座ってる人物に目が行く。
エニルがいるとはなぁ……。
2人に挨拶をしたところで、いつもの席に腰を下ろすと俺の部屋からナナちゃんが顔を出している。
直ぐにお茶を用意してくれたから、マリアンに貰ったクッキーの袋を渡すと、目を輝かせながら受け取ってくれた。
「隊長が不在でしたので、レイニー殿に状況報告をしておりました」
「レイデル川の状況ってことか……。どんな具合だ?」
「失礼して、再度報告します……」
エニルがテーブルに身を乗り出しながら、地図を使って状況説明を行ってくれた。
この地図のレイデル川も、少し見直しが必要だとエルドさんが言っていたな。
それはエルドさんに任せるとして、状況だけならこの地図でも十分だろう。
「すると、2か所で煙を確認したってことか……。レンジャーの焚火ではなく、複数の焚火だということだな?」
「位置的には、エルド殿の部隊が砂鉄採取をしている場所から半日程下った場所と、私達が渡河した場所の少し上流部になります。100ユーデのロープを使って両端で煙の方向を測り、このように距離を求めたのですが……」
角度の差が小さいな。三角形を使った距離の求め方は数コルム以内が良いところだ。これでは三角形を作るだけで、2枚の紙を張り合わせないといけないだろう。
「少なくとも数コルム以上だな。発見した翌日は?」
「煙が消えていました。最初はこちらで確認し、その後はこちらです。渡河地点の煙が消えたことで再び北上して石火矢発射装置の訓練を行いました。翌日の監視では煙を確認できませんでした」
魔族の偵察部隊ということかな?
東門で石火矢を使っているから、レイデル川の流域で訓練したとしても新たな情報を相手に与えることにはならないだろう。
それよりは、レイデル川のどこからでも石火矢を放てると理解してくれたかもしれない。何度か行えばそれを教えることが出来るかな?
「たぶん魔族の偵察部隊でしょう。東門からの攻撃で進行方向を前回は変えています。魔族としてはレイデル川沿いに南下して、エクドラル王国とブリガンディ王国を遮断したいのかもしれません。エニルにはこのまま石火矢の発射訓練を継続して貰いましょう。今度は煙の方向に打ち込むのも面白そうです」
「あえて存在を示すと?」
レイニーさんの問いに小さく頷いた。
手強いと相手に思い込ませれば十分だ。容易な侵攻をしてこないだろう。
大規模な侵攻なら事前察知が容易になる。中途半端な侵攻軍が一番面倒だ。
「ブリガンディ王国が攻めてこないでしょうか?」
「それは無いでしょう。エディンさんの話では街道近くの町まで魔族の蹂躙に遭っているそうです。現状維持がやっとでしょうから他の領地に攻め入るとは思えません」
とはいえ、起死回生の手段を手に入れようとマーベル共和国に手を出す可能性は無いとはいえない。
東門と南の城壁に攻め入っているから、俺達をそう簡単に落とせるとは思っていないだろう。ブリガンディの戦力はどうにか3個大隊というところだろうから、全戦力を動員しても俺達を下すことは既に不可能なんだけどなぁ……。
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秋が足早に過ぎ去ると、どんよりとした空が広がり始める。
たまに晴れると、北の峰々は既に真っ白だ。
城壁で監視をする兵士も冬用の外套にすっぽりと全身を包んでいる。そろそろ初雪かな?
雪が積もったら、ナナちゃん達があちこちに雪だるまを作るんだよね。
今年は妹分のミクルちゃんもいるから、指揮所の前にもたくさん並ぶんじゃないかな。
「だいぶ寒くなってきましたね」
「おかげで朝起きるのが一苦労です。ナナちゃんが起こしてくれるんですけど、俺を起こしたら再び寝てしまうんですよね」
「ミクルはヴァイスと昼近くまで寝ていますよ。私は指揮所があるだろうと言ってました」
まぁ、ヴァイスさんだからなぁ。
現状では何もないだろうから、取りあえずは問題は無いんだけどね。
何時ものように、暖炉の傍に移動して、レイニーさんは編み物を始める。小さな靴下だからミクルちゃんのかな?
俺はパイプを咥えながら大砲の反動抑制方法を考えることにした。
昼過ぎの事だった。
突然、伝令が指揮所に飛び込んできた。
俺達の前にやってくると、騎士の礼を取り大声で連絡事項を伝えてくれる。
「ブリガンディ王国の使者だと?」
「はい。ハイネル・デル・エルデニスと名乗っています」
貴族か……。
総勢10名ということだから、話だけでも聞いてみるか。獣人族の排斥がまだ続いているのかも気になるところだ。
「使者だけを指揮所に案内してくれ。護衛は2人まで認めよう。残りは長屋でお茶を出せば十分だ。それと、周囲の警戒をしてくれ。不審な動きをするならその場で殺しても構わんぞ。エルドさんに伝えてくれれば、ちゃんと判断してくれるはずだ」
「了解です。直ぐに伝えます!」
さて、俺達も準備するか……。
「さすがに暖炉の前では問題です。とりあえずテーブルに着きましょう。武装はしておいてください。向こうが動いたらすぐに反撃しますからね」
「それなら追い返しても良さそうですけど?」
「礼儀知らずともいわれたくないですからね。それにどんな話を持ってきたかも興味があります」
「とりあえず交渉は任せますよ」
席に着いたところで、投げナイフを1本取り出して膝の上に載せておく。
ガラハウさんが改造してくれたカルバン銃には銃弾が装填されているから、長剣を使う事は無いだろう。とりあえず背中に背負っていれば格好は付く。
しばらくして指揮所の扉が叩かれ、使者の到着を兵士が報告してくれた。
「入室を許可する!」と俺の言葉を受けて、扉が開き5人の人間が部屋に入ってきた。
許可したのは3人だったはずだが……。
「初めてお会いします。ブリガンディのエルニデスと言います。3人とのことでしたが、2人追加して頂きたい。副使のカイネルと私の従者であるパロアになります」
「護衛で無いなら許可しよう。先ずは掛けて欲しい。知っての通り、我がマーベル共和国とブリガンディ王国は戦の最中、そんな中我等に会いに来る要件は無いように思えるのだが?」
「ブリガンディ王国始まって以来の国難ですからな。周辺国に頭を下げることで状況が良くなるならいくらでも下げましょう。実は……」
魔族との戦でかなりの損害を受けたようだな。
これも身から出た錆ということだろう。それで俺達に何が望みなんだ?
「この国の住人はかつてのブリガンディ王国人。であるなら祖国の国難には馳せ参じるのが義というものではないでしょうか?」
「義を失った王国なら、見捨てるのも義であると思いますが?」
よくもそんなことを言えたものだと感心してしまう。
それが王国貴族なんだろうな。今さら変わるとも思えない。出来れば早くに滅んで欲しいものだ。




