E-220 母上の婚約指輪
小さな木箱に入っていたのは、緑色の宝石が付いたペンダントだった。王宮からの収入が途絶えた状況下で父上が購入したのだろう。父上としての精一杯の贈り物に違いない。大きな木箱に入っていたのは、ベールだった。懐かしそうな顔をして母上とマリアンが見ているってことは、母上が使ったものということなのかな?
「あの頃が懐かしいわね。覚えている? 披露宴のパーティで私より先に座ったのよ」
「お館様も緊張していたのでしょう。先代様がそれを見て顔を片手で覆ってましたよ」
父上でも緊張したということか……。
ちょっと驚いている俺に母上が優しい顔を向けてくれたのだが、まだ顔に笑みが残っている。油断したらすぐに噴き出しそうだ。肩が震えているぐらいだからね。
「ジークリード殿も当時は若者でしたから……、落ち着いたのはアレクが生まれてからです」
「アレク様の生まれた時は、館の周りを駆け回っていましたね。さすがにレオン様が生まれた時は落ち着いてそんなことはありませんでしたが」
嬉しかったんだろうな。何となく当時が脳裏に想像できる。兄上は父上似だと聞いたから、兄上が館の周りを踊るようにして駆けまわっているところを思い浮かべたら、だんだんと顔が緩んでくる。
「ライザも女の子でしたから嬉しかったんでしょうね。良く馬に載せて領地を巡ってました。花嫁姿を見られないのは残念でしょうけど、領主は領民が第一ですから」
古い貴族の考え方だ。今では貴族あっての領民ということに変わってきている。だから領民を下に見た統治がまかり通っているのだろう。
そんなことを続けていれば、遠からずブリガンディと共倒れになるんじゃないかな。
「これは……」
「奥様の持参金ですね。匂い袋に入れてあったのがそのままでした」
「嬉しい忘れ物ね。母上から頂いた金貨だけだと思っていましたが……。父上が似合わない品を渡してくれたのは表立って渡せなかったということでしょうか」
匂い袋から出てきたのは金貨ではなく3個の宝石だった。オリガン家は貴族としてはそれほど位が高いわけでは無い。
母上の実家はオリガン家よりも各上らしいから、沢山の持参金を見せることが無いように宝石で渡されたのだろう。
だけど、それを忘れていたとはねぇ……。当時は似た者同士でさぞかし、周囲を心配させたんじゃないかな。
「1つはエルザにあげて、もう1つはアレクの妻に渡しましょう。残った1つで……」
「使い道は分かりますが、レオン様に渡せなくなりますよ?」
「レオンには別の物を上げましょう」
母上が席を立って奥の部屋に向かう。
マリアンが改めてお茶をカップに注いでくれた。
「これでライザ様が嫁げば、次はレオン様ですよ」
笑みを浮かべて言葉を掛けてくれたけど、生憎と妻の寿命と俺の寿命が異なることになりそうだ。最愛の妻を失って長く嘆くのは辛いことだろう。容姿がまだ青年になりかけだから、俺の本当の年齢を知る人物はそれほど多くは無い。
出来れば、このまま暮らしていきたいところなんだけどね。
何と返事をしようかと悩んでいると、奥の部屋から母上が出てきた。
小さな小箱を大事そうに持っている。
「これよ。アレクよりレオンなら役立つんじゃないかしら?」
手を出すように言われたので、そっと差し出した掌に母上が小箱を空けて取り出して渡してくれたのは……。
「これは!」
蒼く輝く銀の指輪だ。さすがに俺の指には小さすぎるように思えるんだけど……。
「それは,婚約指輪では?」
「覚えていてくれたのね。最初は変わった指輪ぐらいに思っていたんだけど、サロンでお披露目したときに魔道具だと分かったわ。飾り気のない指輪だからオリガン家らしいとは思っていたのですが」
確かに飾り気がまるでない。婚約指輪だったら小さな宝石ぐらいは付けてあげたほうが良いだろうと、俺でも思うぐらいだからなぁ。たとえ魔道具だったとしても父上の感性を疑ってしまう一品だ。
銀の鎖を購入してペンダントにしてみるか。
大事に取っておくというよりも、母上の思いを身に着けておきたいところだ。
「そのまま、指に付けられますよ。使用者の指のサイズに合わせて形が変化します。それと、ミスリル銀は魔法との親和性が良いことでも知られています。その魔道具の働きは身に付けた者に対する衣服や鎧の防御効果の向上。と言っても1割程度だと鑑定してもらいました」
1割でも効果があるならありがたい話だ。バックスキンの上下が革鎧程度になるってことだからね。
ゆっくりと右手の薬指に近付けると、指のサイズに合わせて指輪が変化した。そのまま指にはめると横幅が半分ぐらいになったから、体積まで変わるということにはならないようだ。
「ありがたく頂きます。でも、母上の大切な品では?」
「結婚指輪だけで十分です。それに、いつも安全な場所にいるんですからね」
マーベル共和国が必ずしも安全とは言い切れないんだけど、この場所が安全であるように今後とも努力しないといけないだろうな。
父上からの手紙には、可能な限り姉上の結婚式には参加したいと書いてあったらしい。
参加したいという望みが叶うかどうかはブリガンディ王国の出方次第だ。出来れば魔族に叩かれて欲しいと願ってしまうのは、ブリガンディ王国の領民を考えると礼拝所で祈るのも問題がありそうだな。
でも父上が無理なら、兄上が代理参加することぐらいは出来そうに思える。此処にも1度訪れたことがあるぐらいだからなぁ。
指輪のお礼を再度言ったところで、指揮所に戻ることにした。
少し遠回りして食堂の近くを通ると、宿屋の中が賑わっているようだ。
護衛してきたレンジャーや同行してきた行商人達が、さっそく酒を飲んでいるのだろう。倉庫の周りには荷馬車が何台も停まって、荷物を下ろしたり積み込んだりしている。
食堂の事務所ではエクドラさん達を相手にエディンさんが次の商談をしているに違いない。
「レオン殿。少しお時間がありますか?」
倉庫を眺めていた俺の肩越しに声を掛けてきたのは、〇〇さんだった。ティーナさんの従者だから、俺に用事があるのはティーナさんということになるんだろう。
「ええ、指揮所に戻って一服するだけですからね。案外暇なんです」
「なら、ティーナ殿とお茶はいかがでしょう? 少し話し合いたいとのことでした」
なんだろう? ティーナさん達は雪が降る前に旧王都に戻るはずだ。
その前に相談ということは、同盟軍に関わることに違いない。
2つ返事で了承すると、ユリアンさんの後についてティーナさん達の宿舎へと足を運ぶ。
「来てくれて感謝する。先ずは座って欲しい。ユリアンお茶を頼むぞ」
挨拶をすると直ぐにソファーに腰を着かされた。
以前は俺達と同じように木製のベンチとテーブルだったのだが、何時の間にかソファーセットが置かれている。さすがにここで食事を取ることは無いのだろう。テーブルセットが壁際に移動されていた。
「パイプも構わぬぞ。たまに訪れる士官が嗜むからな」
「ありがとうございます。ところで話とは?」
どうやら姉上達の旧王都訪問に関わるようだ。
滞在中の宿舎はオルバス館を使って欲しいとの話は、グラムさんの手紙にも書かれていたな。
「出来れば私が戻る時にレオン殿の姉上と母上を一緒に同行して欲しいのだ。オルバス家から馬車を用意する。私も今回は騎乗して戻らずに軍馬を残していくつもりだ」
「ありがたいお話ですが、そこまでしていただけるのですか?」
「父上の考えというより母上の希望だろう。レオン殿の母上となれば母上も1度はゆっくりと話したいと思っているのに違いない。滞在費は気にすることはない。全て宮殿から出してくれるらしい。あのワイングラスはかなり話題になっているらしいぞ。その上、エディン達が光の神殿に飾るステンドグラスを運んでいくのだろう? 料金は王子殿下の考える金額よりはるかに安いのだから、気にすることはない」
やはり動いてくれたか。
王子様とグラムさんには感謝だな。
「これを機にティーナ様が、少しはサロンに顔を出すのを願っているのかもしれませんね?」
「サロンだと! あんな場所に行くなら軍の訓練場の方はましだろう。なんの益にもならん気がするが?」
ティーナさんの言葉に、ユリアンさんが俺に視線を向けて首を振っている。
それだと俺に話題が振ってきそうだから、せめて視線だけは向けないで欲しいな。
「レオン殿もそう思っているのか? 全く私の事より自分の心配をしたほうが良いと思うぞ。母上と王女様が止めているようだが、マーベル国訪問を名目に帰属の姫達がレオン殿との会見を望んでいるようだからな」
「本当ですか! 俺にそんな気は全くないですよ。第一、俺はハーフエルフ族ですからね。妻となる人物もそれなりの長命種でないと、俺が長く苦しむことになりかねません」
「相手にとっては、気にならないということになるのだろうな。本人の意思もあるのだろうが、その多くは家を思ってのことに違いない」
「姉上だけでなく俺を?」
それは早めに手を打って欲しいところだ。この際だから、『落ちこぼれ』の噂を広めることも視野に入れる必要があるんじゃないかな?
エディンさんに頼めば、俺の悪評を広めることも出来そうに思える。
「レオン殿の思惑は分かるが、悪評を今更広げても手遅れだな。エクドラル王国ではオリガン家の異端児として名が広がっているぞ。武ではなくその知識で戦をする人物としてな。それなら少々の性癖ぐらいは何とでもなると思っているようだ」
俺を見て笑っているんだから困ったものだ。俺を笑っているぐらいなら自分の将来をもっと考えて欲しいところなんだけどなぁ。
ユリアンさんに視線を向けると、処置なしという顔をして首を振っている。
すでに達観している感じだな。まったく困ったお姫様だ。




