E-199 勝利で得たのは疲れだけ
いつの間にか日が高く上っている。
この戦は、昼過ぎまで続くのだろうか? 兵士の疲労もかなり溜まっている気がするんだが、今はどうしようもない。
相変わらずゴブリン相手になってしまっているけど、オーガとリザードマン達は何とかなったようだな。
谷底が焼夷弾で燃えているから、向かい側の斜面下には魔族が蠢いている。さすがにあの炎の中を進んでくる者はいないようだ。
もう少しカタパルトの射程があれば、あの中に爆弾を放てるんだけどねぇ……。
柵を超える魔族がいなくなったから、現在は槍で突きまくっている。
いい加減に腕が疲れてきたんだよなぁ。兵士達は数体葬ったところで後ろに下がって一休みしているようだけど、いまだに槍で無双しているグラムさん達親子を見ると、俺だけ下がるのも考えてしまう。
「グラム殿! 一旦下がってください。今なら一休みできそうです!」
「了解だ! ティーナ、下がるぞ!!」
思い切ってグラムさんに大声を出した。
やはり疲れていたのかな? 直ぐに了承してくれた。
仮設指揮所まで下がって、槍を立て掛ける前に軽く水で穂先を洗っておく。
だいぶ穂先が鈍ってしまった。槍も鋼にした方が良いのかもしれない。
ナナちゃんが渡してくれたお茶はかなり冷えていた。魔法で氷を作って冷やしていたのかな?
ゴクゴクと喉を鳴らして飲み込むと、体から汗が噴き出してくる。
「強敵は何とかなったな。後は雑兵なんだろうが、数が多いことには変わりない」
「だいぶ穂先が鈍ってしまった。力づくで突き通しているが、予備の短槍があれば貸して欲しいのだが……」
「ここにある短槍を使ってください。数が多いですからねぇ。俺の槍もそうですよ」
「いざとなれば長剣があるが、長剣は広場に飛び込んできた魔族だけに使っているようだな?」
「長剣と短槍では間合いがだいぶ違いますからね。魔族に近づくほど危険が増します。それなら離れて戦う方が良いに決まってますよ」
もっとも、防衛戦だからということもある。
これが平原での戦になると槍衾を作ったとしても、数で穴を開けられてしまうだろう。
そんな場合なら片手剣と小型の盾が有効に違いない。
だけど、どの王国軍も前線を構築するのは長剣を手にしたトラ族を使っている。いくらトラ族が勇猛果敢であっても、それでは前線を維持できないと思うんだけどなぁ……。
ふと見張り台を見ると、伝令の少年がナナちゃんと何か合図をしあっている。
うんうんと頷いたナナちゃんが俺の傍から前方に盾の方に歩いていくと、片手を高く上げた。
ナナちゃんが気合が入った声を出して勢いよく腕を振り下ろすと、盾の向こうに炎の壁が現れた。
ゆっくりと左右に広がりながら炎の壁の高さが低くなっていく。
壁が斜面を下りているのだろう。
最後に見えた時には左右30ユーデ以上に広がっていた。あんな魔法を使える魔導士が数人いたなら爆弾はいらないかもしれないなぁ……。
「驚くばかりだな……。王宮魔導師であっても、あれほどの魔法は使えんだろう。しかもまだまだ子供なんだからな」
「姉上の指導があってこそかもしれません。もっとも姉上も驚いていましたから、ナナちゃんの素質もあるんでしょう」
炎の壁のおかげで梯子も燃え落ちたようだ。
これで少し余裕が持てるな。
パイプを取り出して一服しながら西の尾根を眺める。
だいぶ後続が少なくなってきたな……。んっ! あれは、ホブゴブリン達か? その取り巻きはコボルト弓兵のようだ。
となると、今回の魔族軍の後続があれで終わりになりそうだな。
「ホブゴブリン達がやってきます。魔導士がいるようですから注意してください。周りはコボルト弓兵達です」
「コボルトの体力はイヌ族と同等だ。となればネコ族の弓兵よりは少し矢を飛ばせるだろうが、高台に向かって放つ矢と低地に向かって放つ矢では後者に利がある。レオン殿の弓兵なら遅れを取ることなどありえまい。そのために稜線に柵を作ったのだからな」
ティーナさんが首を傾げながら聞いていたけど、高台の有利さについてまだ理解できていないのかな?
後で質問攻めにあいそうだ。
そろそろ参戦しようかと、ベンチから腰を上げた時だった。
西の尾根が炎に包まれた。
驚いて広範囲に広がった爆炎を眺めていたが、すぐにその理由が飲み込めた。
ヴァイスさん達の石火矢は全て撃ち尽くしたけど、北と南の待機所に運んだ石火矢がまだ残っていたらしい。
残りを全て放ったんだろうな。これで後続を一掃できたかもしれないぞ。
爆炎が晴れた時、斜面を下りてくる魔族は武器にすがるような足取りだった。
逃走できないってことかな? だがあの状況では谷底に下りてもガラハウさん達の放つ爆弾の餌食になってしまいそうだ。
「どうやら打ち止めのようですね。後続があれでは……」
「逃走できんということか。それも惨い話だが、魔族軍内にも掟はあるのだろう。王国軍でさえ敵前逃亡は死罪だからな。退却の判断は指揮官だけが出せる。その指揮官でさえ退却を判断するのは苦渋以外のなにものでもないからな」
退却するにしても判断時期があるってことだな。
部隊を全滅させて指揮官だけが命からがら逃げ帰ったなら、王宮からの叱責だけでは済まないだろう。次の反撃が可能な段階の退却を戦力を削がれないように行うのが最善なんだが、負け戦で士気が低下した中の退却は追撃戦によってどんどん戦力が失われてしまうに違いない。
「上手に負けるのは至難の技ですね」
「それが分かる人間は少ないぞ。レオン殿ならできそうだがね」
ますますティーナさんが首を傾げている。
ティーナさんにとって戦とは勝つために行いものであって、負けるような戦はしないということになるんだろうな。
それもまた1つの真理ではあるんだが、万万が一のことを想定することも大切だということを教えてあげたほうが良いのかもしれないな。
昼近くなると、さすがに魔族も戦力が枯渇したのか尾根を降りて来る者がいなくなった。谷で悲鳴を上げている連中と、今ここに昇ってくる連中を始末したならこの戦も終わりになりそうだ。
すでに爆弾も底をついて、カタパルトは握り拳3つ分ほどの石を投射している。
矢も無くなったようだな。たまに爆弾が付いた矢が炸裂しているけど、周囲を巻き込むほどの威力は無いからなぁ……。
「もう少しだ。踏ん張れよ!」
「「オオォォ!!」」
俺の声に周りの兵士達が大声で応えてくれた。まだまだ周りは元気だな。
それにしても後続が来ないのに、まだゴブリン達がハシゴを登ってくるんだよなぁ。
「もう少しです。谷を登って来る魔族が途切れました!」
見張り台の少年が状況を知らせてくれた。
なら、もう1時間ほど頑張ればこの戦は終わりになるな。
最盛期には10本近く掛かっていた梯子も今は3本程度だ。
魔族の士気は最低になっているんだろう。それでも前に来るんだからなぁ。
梯子が2本になったところで、仮設指揮所に下がった。
槍を置いて、見張り台に昇ると状況を眺める。
「終わりだな……。レイニーさんに伝言できるか?」
「直接は無理ですが、腕木通信機を使えば問題ありません」
腕木通信の問題は、あらかじめ決められた言葉しか伝えられないことだ。
伝令の少年がバッグに入れたある腕木通信機の符丁を見ると、どうにかこっちの要求が伝えられそうだ。
「これを伝えてくれないか? 向こうも心配してると思うんだ」
「了解です。でもこれって必要なんですか?爆弾の在庫を持ってきた方が良いように思うんですが……」
「まあ、そこはやってみないと分からないところだけどね。でも今よりはマシだと思うよ」
広場に下りると、グラムさん達も仮設指揮所のベンチに座り込んでいた。すでに広場の柵に掛かる梯子は1本も無い。
柵を支える石垣に身を寄せているゴブリンを、柵から身を乗り出して槍で突いている状況だ。
「どうやら凌げたな……。王国軍では柵を破られていたに違いない。やはり爆弾はマーベル国に及ばずとも数を用意した方が良さそうだ」
「石火矢のような兵器を作らぬのですか?」
「皆目見当もつかん。保存方法すら分からんからな。爆弾のように保存するのだろうが、一か所に集積したなら砦ぐらい吹き飛びそうだ」
ティーナさんが残念そうな顔をしているけど、俺達も供与はしたくない。
ここに旧王都の武器工房を営むドワーフ族がいたなら、おおよその原理ぐらいは理解できたかもしれないが、単に火薬を筒に詰めれば良いというわけでは無い。
原理が分かってもそれを使える技術にするまでには、相当時間が掛かることは間違いないだろう。
俺だって、もう1つの記憶が無ければ石火矢などという代物は思いつくことも無かっただろう。
パイプを咥えている俺達のところに、伝令の少年が走ってきた。
状況報告かな?
「報告します。谷からこちらの尾根に上がってくる魔族はおりません。尾根の西斜面でまだ動ける魔族は谷底に下りています」
「ご苦労様。『攻撃停止』と『中隊長招集』の信号を伝えてくれ。それとレイニーさんのところにも『勝利した』と伝えてくれよ」
「了解です。直ぐに連絡します!」
どうやら終わったな。これで懲りてくれれば良いんだけど、さらに戦力を増して攻めて来ないとも限らない。
共存できない相手ならば、せめて版図を明確にして互いに相手の版図に足を踏み入れないことぐらいは出来ないのだろうか?
使者を出すわけにもいかないだろうし、困った連中だな。
「どうやら、これで終わりのようです。勝鬨ぐらい上げたいところですが、何か疲れましたね」
「だが、それぐらいはするものだ。レオン殿が音頭を取れば皆が答えてくれるだろう」
だから指揮官は嫌いなんだよなぁ。責任ばかりが付いて回る。
渋々腰を上げる俺に、グラムさんが苦笑いを浮かべている。
広場の真ん中に立つと、長剣を抜いて点に掲げる。
「我等の勝利だ! 勝鬨を上げるぞ!! ウッラァァァ……、ウッラアァァ……」
俺に答えて広場にいた兵士達が同じように剣や槍を掲げて大声を上げる。
「「ウッラァァァ……、ウッラアァァ……」」
勝鬨が波紋のように、北と南に伝わっていくのが分かる。
勝利の確認というか共感なんだろうな。それだけ頑張った自分を褒めてあげたいという思いもあるのだろう。
勝鬨の声がまだ続いている。かなり遠くからだが、まだ北と南の待機所には届いていないのかな……。




