E-020 魔族が動きだした
新たな増援を得て半月ほど過ぎると、監視所から連日のように魔族の焚く煙の報告が来るようになった。
「魔族の動きが活発になってきました。数日前に北東の森から煙が見えたとの報告がありましたが、今朝は少なくとも3カ所から上がる煙を確認できたそうです……」
朝食後の指揮所に集合した小隊長達の表情が、いつもより緊張を帯びている。
レイニーさんの状況報告を聞いて、いよいよ始まるのかと覚悟を決めたのかもしれないな。
テーブルに乗せられた簡単な地図の上に、3つの炎を模った青銅の駒が置かれた。
煙が見えた概略位置ということだが……。
一番近い場所でも2コルム以上離れているようだ。東に向かって直線状に並んでいるところを見ると、更にいくつか東にも煙が登っていることも考えられる。
「かなり規模が大きいように思えますね。だけど、この配置ならこの砦に魔族が殺到することは無いように思えるのですが?」
沈黙に耐えかねたような声で、エルドさんが俺に問いかけてきた。
「俺もそう思う。これだと、この砦を無視して南の砦に向かいそうだ。せっかく被害担当の出城を俺達に築かせたつもりだろうが、とんだ見込み違いになるんじゃないか?」
「今まで通りなら、魔族軍は砦を蹂躙しても直ぐに引き上げてしまいます。今回この砦を襲わなくとも、次はやってくるかもしれません」
相変わらずレイニーさんは心配性だなぁ。
だけど、魔族の考えも分からないところがある。俺達に後ろを脅かされるという考えは無いんだろうか?
しばらく考えていると、突然大きな間違いを犯していることに気が付いた。
魔族を俺達は動物のように見ているが、魔族だっていろんな種族を統率しているんだし、武器を作る能力だって持っている。それは、俺達人間と同じように物事を考えることができるということだ。
誰もが魔族は単なる力攻めだけだと思っているんじゃないかな?
だとしたら魔族が砦を襲撃するだけで、直ぐに後退する理由は何だろう? 魔族だって日々の暮らしを行うには、領土が広い方が良いはずだ。現在の北の大地は、あまり農業には適さないだろう。南への領土拡大は魔族の願望にも思えるのだが……。
そんな思いを巡らせている自分に、ふと笑いがこみあげてきた。
いつの間にか、自分の立場で魔族を考えている。
含み笑いが漏れたのかもしれない。ヴァイスさんがいきなり俺を叱りつけてきた。
「笑い事じゃないにゃ! 皆真剣に悩んでるにゃ」
「ごめん、ごめん。魔族がなぜ直ぐに引き返すのかを考えてたんだけど、いつの間にか俺が魔族の立場だったならと考えてたんだ。魔族は力もあるし知恵もある。俺達とはいろんな違いがあるはずなのに、俺だったら、と考えていたことを笑ってしまったんだ」
皆が呆れた表情を俺に向けてきた。
だけど相手の立場になって考えるというのは、大事なことだと思うんだけどなぁ。
「なるほど、確かに相手の立場で考えると見えてくることもあるでしょう。ですが我等と魔族はかなり異なりますよ」
「どんな違いがあるんだろうか? 力が強くて知恵がある。これ以外に知っていたら教えてくれないか?」
状況的にはそんな事を考えている場合ではないんだが、悲観に暮れているよりはマシだろう。
次々と俺の知らないことを教えてくれた。
「ちょっと待った! 魔族の寿命は俺達よりも長いってことか?」
「村の神官様にそんな話を聞いたことがあります。我等は百年を生きることが無いが、魔族は戦以外では百歳以下で寿命を迎えることは稀だと……」
「その上に子沢山にゃ。ネコ族も子沢山が多いけど、魔族はそれ以上にゃ」
なんだと! ……となれば魔族の襲撃にはっきりとした意味が出てくるじゃないか。
頭の中で考えを整理して、皆に話すことになったのだが……。
「我等を相手にした消耗戦ですか!」
エルドさんが大声を上げた。
そうなるんだよなぁ。兵力がいくらでもいるんだからね。その上、ある程度の損耗は魔族にとっても有利に働く。戦で簡単に戦死するような兵士は魔族軍には必要ではないということになる。それを繰り返せば魔族は強兵を常に維持することができるし、魔族の領地内で生産される食料の分配にも困ることがない。
「そう思える……。王国軍は俺達を犠牲にして、開拓村の防衛を強化しようと考えたようだが、魔族の方が一枚上手だったようだ」
魔族が行っていたのが消耗戦だとすれば、今後の展望が変ってくることは間違いない。
「この砦を守ることで良いんですよね?」
「もちろんそれで良いはずだ。救援を要請する使者を砦は出すだろうが、それは王都に向けてだろう。
南の砦が攻撃を受けるようなら、この砦は落ちたか落ちる寸前と想像してくれるだろう。ジッと腰を据えて状況を見ているだけで十分だ」
「とはいえ状況が状況です。いつでも戦闘態勢に移行できるよう、装備の手入れと準備を進めてください」
レイニーさんの言葉に、皆が頷き指揮所を出て行った。残ったのは古参の連中ばかりだ。
お茶を飲みながら、パイプに火を点ける。
ナナちゃんは、ヴァイスさんの隣に座って一緒にお茶を飲んでいる。
「かなり変化したけど、レオンの想定はそのままってことに変わりはないわ。それで逃げ出す先は見つけてくれたかしら?」
「少なくともこの王国には無い。それぐらいは俺でも分かるぞ。地図を出してくれ。隣国はかなり適当だなぁ……。
ここと、ここだ。こっちは西の川の中州になる。かなり大きな場所らしいぞ。ここは大昔に山が半分崩壊したらしい。川を渡って北東だから隣国でさえ、偵察部隊がたまに魔族の様子を確認する程度らしい」
エルドさんがテーブルに広げた地図を指差した。レイニーさんが鉛筆を取り出して印を付けている。
場所はブリガンディ王国ではなく、西の隣国サブリナ王国になる。砦の西を流れるレイデル川の川下と川上になるようだ。
中州は農業を行うには魅力的だが、下手に開発すると王国からの干渉を受けそうだ。それに川下であることを考えると川の流れも緩やかになるだろう。魔族相手ならともかく正規軍相手の戦があったならかなり苦労するんじゃないか?
となると、狙い目は北西にある大きな台地だ。山腹崩壊を起こした跡であるなら、北部は天然の要害にもなる。城壁を作るにしても3方向で済みそうだし、何と言っても城壁に用いる岩がごろごろしていそうだ。
「レオンはどちらを?」
「こっちかな? しばらく王国軍の干渉を受けずに済む。川下は住むには楽だろうけど、目立ちすぎるからね」
「暮らすための資材を、準備しないといけないわ」
「今年は商人が来ないんじゃないかな? 砦からの補給もあまり期待できないかもしれない」
「秋までは食い繋いで行けるぞ。だが秋分を過ぎても補給が来なければ、俺達はバラバラになってしまいそうだ」
「そこは考えがあります……」
パイプを置いて、笑みを浮かべる。
皆の視線が集まったところで、俺の考えを話したんだが……。ちょっと悩んでいるみたいだな。
「要するに買い出しだな。それは分かるんだが、相手は隣国ってことか……」
「貨幣が異なるから少しは割高になるだろう。でも売ってくれるんじゃないかな」
「だが、西の川をどうやって渡るんだ?」
「船を作る。それに食料をこちらに運ぶのではなく、俺達が向こうに渡れば良いことだからね」
買い出しは、逃げ出す前に行えば良い。それまでは砦にいた方が安全だ。
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10日程過ぎると、北の森の煙が多くなったようだ。魔族軍の集結が進んでいる感じだな。
「だいぶ集まっているようです」
指揮所に詰めているレイニーさんのテーブル越しの席に座ると、覗き込んでいる地図に目を向ける。だいぶ地図の駒が増えている。
「やって来るとすれば10日もないでしょう。今夜から監視を増やそうかと思っているんですが」
「まだ早いと思いますよ。現状で問題はないでしょう」
そう言って砦の北を指差した。そこには全く駒が置かれていない。
「まさか、この砦を無視すると?」
「その公算が高いと思います。南の砦に比べて三分の一もありません。いつでも攻略可能ぐらいに思われているんじゃないでしょうか?」
「なら南の砦を襲う魔族の後ろを突かないと……」
「それは命令違反に問われかねないですよ。『この砦を守れ』と指示を受けていますからね。救援を請う使者でも来れば別だけど」
そんな使者を出しても途中で襲われるのが落ちだろうし、そもそも救援は敵の後方に送るものではない。まだ戦を行っていない味方の後方に送るのが正しい選択だろう。
それに、命令違反の方が問題だ。軍法会議でいくらでも俺達を処罰できる。向こうとしては、魔族の相手をしてくれるか、それとも早いところ命令違反をしてくれないかと思っているに違いない。
「全く無視されるんでしょうか?」
「様子を見に来る魔族軍はいるでしょう。矢合わせをすれば直ぐに退散してくれると思っているんですが」
激戦になるかと思っていたけど、肩透かしを食った感じだ。
あんな兵器を用意することも無かったかもしれないけど、あればそれだけ安心できることも確かだ。
そんな話をした数日後の夜。ゴンゴンと金属を打ち合わせる音が聞こえてきた。
急いで起きると身支度を整える。ナナちゃんの装備を確認して、革製の帽子を頭に乗せる。
矢筒と弓を持って指揮所に向かうと、既に小隊長達が集まっていた。
「これで全員ね。ついに動いたわ。リットン達は正門の屋根をお願い。ヴァイスは指揮所のある屋根をお願いするわ……」
レイニーさんがあらかじめ定めた部隊の配置案に沿って指示を出していく。
受ける方も、あらかじめ教えられた配置場所だから、黙ってレイニーさんに頷くと席を立って指揮所を出ていく。
「最後はレオンだけど、本当に中庭で良いの?」
「直属部隊がいるから、そこが一番ですよ。それに敵は矢を射って来るだけだろうからね。リットンさん達にも盾の影にいるように伝えておきます」
指揮所から下りて中庭に向かうと、食堂の窓から軍属の小母さん達の姿が見えた。
槍や弓を持ってるんだよなぁ。中庭に魔族が乱入してきたら、あれを持って乱入してくるのだろうか?
テーブルの下でじっと身を潜めているかと思ってたんだけど、後ろから矢を射られないように注意しないといけないな。
既にナナちゃんが先行しているから、俺を見付けたエニルさんがふさふさした尻尾を振って直ぐに駆けよってきた。
「全員準備完了です。初弾を装填して安全装置を掛けています。それで、大砲でしたか……、移動完了、装弾はまだ行っていません」
「御苦労。盾の影で全員待機させてくれ。たぶん俺達が戦う前に戦は終わってしまうかもしれないよ」
丸太を立てただけの塀だが、横梁を3本入れてあるし、数ユーデおきに斜めに丸太を立って梁を押さえてある。その梁を足場にして3方向に回廊を作っているのだが、西は兵がないから、柵に渡した橋に見えてしまう。まあ、見た目は悪くても3ユーデ程上になるから見晴らしも良いし、矢を射るのも都合が良い。
回廊の途中には盾を屋根代わりに乗せてあるから、矢が降ってきても安心できる。
遠距離攻撃は、銃が登場してもまだまだ矢が基本のようだ。
弓兵なら短時間で10本以上矢を射ることができるのだが、銃兵は数発が良いところだ。その後はバレル内を長い棒で掃除しないといけない。
そんなことだから、銃兵を小隊規模にまで大きくした軍は無いようだな。
俺達は長銃と短銃を合わせれば1個小隊近くなるんだが、長銃は塀の足場の上だから連携するまでには至っていない。
火薬を詰めた布包みを入れた木箱と砲弾となる布包みは包みの色を分けて別々の木箱に入れてある。すぐ横には水を入れた木桶が3つ。火矢を受けたら直ぐに木箱に掛けるつもりだ。
10発分の火薬が入っているから、爆発したら砦が粉砕してしまいかねない。
門は、跳ね上げ式だ。その後ろに太い丸太を組み合わせた格子状の柵が付く。
現在は、柵を門に移動して、板壁の扉を下ろしている。周辺の状況が見られるようにしているんだけど、地上からではあまり良く見えないな。
門の上の屋根付きの見張り台にハシゴを使って登ってみた。
リットンさんが北東を睨んでいるんだけど、煙が森の向こう側で登っているのが見えるだけだった。
「来ませんね……」
「来ない方が良いんですけど、その内に様子を見にやってきますよ。向こうが矢を射るまでは撃たないでくださいよ。それに矢を撃ってもあまり意味はありませんから、1矢だけで諦めてください。でも、押し寄せてくるようなら、リットンさんに期待しますよ」
矢を回収して再利用は可能だが、全てが再利用できるわけではない。
その内大軍が来るかもしれないから、矢は大事にしたいところだ。
その日は、たまに近づいて来る魔族の偵察部隊すらこなかった。
部隊の半数を休ませて、残りが持ち場で待機する。さすがにワインを飲むことは禁じたけど、あちこちでパイプを楽しむ連中がいるようだ。
ナナちゃん達は塀の片隅でスゴロクを楽しんでいる。
【シャイン】の魔法で光球がいくつか作られているから、焚き火は広場に1つあるだけだ。
焚き火の周りに3つほどポットが置かれているのは、お茶用だ。たまに兵士がカップに注いで持ち帰っている。
「来ないですね?」
レイニーさんが俺の隣に腰を下ろしながら呟いた。
「来ない方が良いですよ。でも1個小隊ほどはやって来るでしょう。魔族の目標は南の砦、更にはその先の開拓村です。小さな砦ですから向こうからすればどうにでもなる存在ですが、万が一にも後ろから襲われることが無いように俺達を探りに来るはずです。
もし来ないとなれば、ちょっと面倒なんですけどね」
どちらにせよ、偽装は必要になるだろうな。
皆、暇を持て余しているようだから、明日からでも準備しておこうか。




