E-002 オリガン家を出る
父上の部屋を後にして自室に戻ると、頂いた長剣を抜いてみた。
刀身は2フィルト(60cm)ほどだ。兄上の持つ長剣よりも短いし、片刃で肉厚だ。
片手剣と長剣の中間といった感じだが、背中に担いでおけば弓を使うときでも邪魔にはなるまい。
かなりの業物だ。うっすらとダマスカス紋が見える剣が、俺の物になるとは思わなかったな。とりあえず数打ちの長剣を王都で買おうなんて考えていたぐらいだからね。
長剣をクローゼットに仕舞うと、ベッド脇の机に地図を広げる。
俺の住む王国はブリガンディ王国だ。東にはレードネス王国があり、西にはサドリナ王国がある。北は未開の蛮地で魔族の住み家だ。南には海が広がっている。
ブリガンディ王国は東西150ヤーベル(約180km)、南北300ヤーベル(約360km)ほどの大きさだ。
その王国内を30を超える王侯貴族が領地を細分化しているのだ。
オリガン家の領地は10ヤーベル(12km)四方の大きさだが、町を1つに村を2つ持っている。
場所は、漁村を持つぐらいだから最南端に連なる貴族領地の1つということになるんだろう。
王都は馬車を使っても、街道を北に向かって2日は掛かるし、砦は王都のさらに北西、それも最西端だ。馬車を乗り継いでも王都から3日以上掛かりそうだな。最後は砦近くの村から歩くことになりそうだ。
自分の進路を決めた翌日も、それまで通り長剣の練習と母上からの魔法の講義を受ける日々が続く。
いつも通りの日々が過ぎていくと、新年を迎えることになった。
春分の日までには旅立つことになるから、俺がこの屋敷で暮らせるのも後しばらくということになる。
新年ということで、家族が全員揃っているし、いつもよりも少し贅沢な夕食を取るのが我が家の習わしだ。
俺がここで取る最後の新年の祝いの料理であることを思うと、少し目頭が熱くなる。
少し早めに席を離れて部屋で休んでいると、兄上が俺の部屋にやってきた。
机の椅子を兄上に勧め、俺はベッドに腰を下ろす。
「お前が決心した時には驚いたが、私にはお前の選択が少し羨ましかったことも確かだ。長剣の腕を誇っても、それを使わんのでは意味がない。とはいえ、家を継ぐことは定めだからなぁ」
「兄上が、ここにおればこその決心です。俺のようなものであれば、役立つ場所は限られてしまいます」
オリガン家の落ちこぼれと噂があるのは、小さな時代から知っていることだ。
「その言葉が何よりの支えだ。私にできるのはこれぐらいだが、なるべく身軽な装いが良いらしいぞ。中に騎士用の食器が一揃い入っている。……そうそう、スキットルを1つ入れてある。中にブランディーを入れてあるぞ。最初の戦闘時には、一口飲んで落ち着くことだ。最後は……、これだ」
兄上がテーブルにそっと置いたのは、魔法の袋と呼ばれる魔道具だった。見掛けは革袋なのだが、空間魔法を内在させることにより収納能力が桁外れに大きくなる。1.5フィール(45cm)四方の外形だけど、4フィール(1.2m)四方の衣装箱を越える収納能力を持っているはずだ。
兄上のことだ。辺境の巡回に出る騎士に、色々と聞いたうえで揃えてくれたに違いない。
兄上が、最後に上着の内側から取り出したのは……。
銃じゃないか! 銃身には緻密な文様が彫刻されているし、銃床と握りには象嵌細工まで施されている。
王都に行けば1丁は買えるんじゃないかとは思っていたけど、こんな立派な品を貰って良いのだろうか?
「隣国のカルバン市で作られたものだ。あの王国は海上貿易が盛んだからなぁ。軍艦に乗る士官用だから、レオンが持つには十分だろう。
銃の威力は火炎弾を凌ぐと聞いたぞ。弓で倒せない相手にはこれを使うんだ」
「ありがたく頂きます。手柄を上げることができたなら、1度は戻ってくるつもりです」
「名を上げずとも、戻ってこい。たった1人の弟じゃないか!」
兄上に顔を上げて小さく頷いた。
兄上が筋肉質の腕を俺に伸ばして、がっしりと俺の肩を掴んで頷き返してくれた。兄上はいつも俺を気にかけていてくれる。
魔物の中にはオーガ呼ばれる、巨人もいるらしい。
そんな魔物相手に長剣で斬り結ぶよりはと、銃を買い付けて俺にくれたに違いない。
「済んだかしら? 私からはこれになるわ。役立つかどうか分からないけど、どうにか完成させたのよ」
姉上の声に驚いて、俺と兄上が揃って部屋の扉に目を向けると、いつの間にか部屋に入ってきた姉上が立っていた。
姉上の贈り物は小さなバングルだった。銀製だがそれほど厚みも無い。ある意味、雑貨屋で容易に手に入る代物にみえる。
お金に困ったら売れるかもしれないなと考えていたのだが……。
ちょっと待て! 姉上はどうにか完成させたと言っていた。姉上は天才的な魔導師とまで言われる人物だ。
となれば魔導師の秘儀をもって、何らかの魔法効果をこのバングルに持たせたということになる。
右腕に付けたバングルから姉上に視線を向けると、出来の悪い弟に微笑む姿があった。
「気が付いたかしら? 古い魔導書の中から貴方に合ったものを見付けたの。レオンは魔法が使えない。体質的なものだと私は思っているけど、魔法を使えなければこの世界は不便この上ないでしょうね。
母上はまだ諦めていないようだけど、私は無理だと思っているわ。
そのバングルを通して、初歩的な魔法を1日に数回は使うことができるの。【クリル】、【ドーパ】、それに【サフロ】の3種類。言葉を発すれば、魔法が発動するわ」
古の魔道具を再現したのか! まったく姉上にはいつも驚かされる。
「お気遣いありがたくお受けします。これを持つなら安心して戦えます」
「その位の魔法は、バングルに頼らずに幼少時代から皆が使えるのよ。あまり頼らずにお守りとして持っていなさい」
兄上も、姉上の心遣いに喜んでいるようだ。だけど、姉上の話を苦笑いしながら聞いているところをみると、欲しいとは思わないんだろうな。
「私達は、いつもお前の無事を祈ることにするよ。だからお前も……」
「兄上姉上の御武運とオリガン家の繁栄を、先々の神殿で祈ることにします」
こんな兄上達がいるんだからな。父上に厳命されたけど、家名を辱めることだけはしないように気を付けばなるまい。
いよいよ明日は屋敷を出るという夜に、母上が侍女を伴い俺の部屋を訪れた。
机の上にそっと置いた布包が侍女によって解かれると、真新しい衣服とセーターが現れた。厚手のブーツまでが乗っている。
「北の砦の冬はたいそう寒いと聞きました。衣服を揃えさせましたが、足りない物もあるでしょう。不足分はこれで補いなさい。それと、王国内限定ではありますが、困った時にはこれも役立つはずです」
テーブルに母上がそっと乗せたのは、金貨が1枚に細身の短剣だった。護身用にしか思えないものだが、手に取った瞬間に母上の意図が理解できた。
短剣の柄に、オリガン家の紋章である舞い降りる鷹が象嵌されている。これを持つ者はオリガン家に属する。それが一目で分かる代物だ。
「使う機会が無ければ、貴方が作る家の家宝にすれば良いことです。オリガン家との繋がりを代々受け継いでくれるでしょう」
「ありがたくお受けいたします。ということは?」
「レオンはオリガン家の分家として、レオニード・デラ・オリガンと名乗ることができますよ」
父上も納得しているということだな。兄上は知っているのだろうか? まだ知らされてはいなくとも、父上の判断であれば兄達は納得してくれるに違いない。
名前と家名の間に入る『デラ』が分家である証だ。このまま孫の代まで名乗ることができるし、功績を認められればさらに名乗る代を伸ばすこともできるそうだ。
俺には無理でも子供なら、という親心だろう。ありがたく拝命しておかねばなるまい。
翌日。真新しい綿の衣服の上に革の上下を着る。長旅になるし、途中で何があるか分からない。装備はきちんと整える必要があるだろう。
幅広のベルトに小さなバッグを下げて、その上に雨具を兼ねた革のマントを丸めて革紐で結わえ付けた。
まだ春には遠い季節だが、焚き火の傍でマントに包まれば温まれるだろう。
背中で交差した細いベルトは、腰の荷を肩でも支えることができるようにしたものだ。
そのベルトの両肩のスリングを使って、長剣を背中に背負う。腰の帯剣ベルトに下げるよりも、俺にはこの方が合っている感じがする。
矢筒をベルトの吊り金具で左腰に付けると、弓を肩に掛けた。
これで準備は完了かな?
自室をゆっくりと眺めて忘れ物が無いことを確認する。
部屋に頭を下げて別れを告げると、1階の食堂に向かった。
全員が揃った食事は最後になるけど、いつものように無言で朝食が終わった。
侍女がお茶をカップに注ぎ始めた時、筆頭侍女のおばあさんが俺に紙包を3つ持ってきてくれた。
「レオン様、これで明日の朝まで食事がとれますよ。ワインの小瓶を入れておきました」
「ありがとう。マリアンも元気で母上達を支えてくれよ」
俺に小さく頭を下げると、目頭を押さえながら食堂を出て行った。
テーブルに視線を戻すと、家族達の視線が俺に集まっている。ここはひとつ挨拶がいるということなんだろうか?
頂いたお弁当を腰のバッグから魔法の袋を取り出して詰め込んだところで、カップの紅茶を一口飲むと椅子から腰を上げた。
「長らくお世話になりました。オリガン家の次男レオンは、本日をもってオリガン家を離れて暮らします。
父上母上達がいつまでもご健勝であることを、兄上姉上達が王国の繁栄の一環を担えることを先々の教会で祈る所存です。
最後に、私がこの屋敷で少年を終えたこと覚え置きくださるなら幸いです」
「うむ。しっかりと聞き取ったぞ。レオンがオリガン家の分家となることは、すでに王宮からの承諾を受けている。
オリガン家の分家の数は多いが、その大部分を失っていることも確かだ。我等に誇れる分家を起こすのも、お前の仕事になるのだぞ。
それと、この書状を持って行くのだ。貴族の子弟であれば、一般兵にはならん。准尉がお前に与えられるだろう」
父上から侍女が書状と小さな包みを受け取り、俺に手渡してくれた。
ありがたく、腰のバッグに納める。
それにしても、すでに分家として届を出してくれたのか……。これで準爵を名乗ることができる。
ありがたい話だが、それだけ分家が戦に参戦しているということになる。
父上、場合によっては兄上の求めに応じて参じることになるのは、弟分である以上仕方のないことではあるのだが……。
「それでは出立いたします。皆さんお元気で、それと見送りはここで十分です!」
踵を返して食堂を出る。玄関に続く廊下に出ると、マリアンが4フィルト(1.2m)ほどの杖を渡してくれた。
再び食堂に振り返り、深々と頭を下げると、姉上だけが小さく片手を振ってくれた。残った家族は軽く頭を下げただけだが、侍女たちの目の前だからな、それなりの矜持を持たねばならない。
「お元気で!」
もう一度大きな声で挨拶をすると玄関に向けて歩き出した。
たぶん2度とこの館に戻ることはないだろう。館の門を出て陽光溢れる世界に足を踏み出した時、思わず後ろを振り返った。
俺の少年時代が、今終わろうとしている。
※※ 補足 ※※
魔道具:
魔方陣と魔石を組み合わせることで、魔法を発動させることができる道具類。
多くは単魔法を組み込むが、レオンの持つバングルは複数の魔法が組み込まれる。
生活魔法:
汚れを落とす【クリル】、小さな怪我を治す【サフロ】、お湯を出せる【フーター】、
数時間ほど持続する光球を出す【シャイン】などは、この世界の領民が普段の生活
に使う魔法であることから、生活魔法とも呼ばれている。領民の多くが2つ程度使
うことができる。
付与魔法:
身体能力が少し向上する【ドーパ】は、付与魔法と呼ばれる種類の魔法であり、戦
時に兵士の体力向上を目的に魔導士が使う魔法である。
レオンの持つバングルにこの魔法があるのは、弟を不憫に思った姉が付加したもの
であり、これを付加するためにかなりの労力を費やしている。