E-197 厄介な連中が襲ってこない
谷底の煙の中からゴブリンが抜け出して斜面を上ってくる。
咳込んだり、こん棒を杖代わりにして上ってくるのを見ると、やはりあの失敗作は毒ガス兵器そのものなのだろう。
さすがに殺傷力を狙ったものではないから、一呼吸で死に至るということにはならないようだが、長時間あの煙の中にいたなら死んでしまうに違いない。
本能的に魔族にもそれが理解できるのだろう、ふらふらしながらもこちらに向かって昇ってくる。自軍に戻らないのは、いまだに西の尾根から続々と魔族の大軍が押し寄せてくるからだろう。あれを逆に上ろうとするなら、押し倒されて踏みつぶされてしまうだろうからなぁ。
「まだ、ヴァイスさん達は矢を放たないな。エニル、30発ほど石火矢を打ち込むように伝えてくれないか」
「了解です。目標に変更はありませんね?」
3度尾根の先を狙えば、少しは魔族の進軍に間が空くだろう。
連続した戦闘を続ければすぐに消耗してしまう。ちょっと体を休めることが出来るなら体力も回復するし、何より士気を保つことが出来る。
エニルが俺の傍を離れて直ぐに、石火矢が西に飛んでいく。
用意していたってことかな?
三度、尾根が爆炎に包まれたが、さすがに数が少ないからなぁ。前回よりも小規模なのが良く分かる。
「魔族の流れを断ったのか? だが直ぐに押し寄せてくるぞ」
「それでも、手持ちがあるなら放った方が良いでしょう。あれだけで200は倒せたと思いますよ」
倒した魔族の数よりも、狙い通りに尾根を下りてくる魔族が一時停止したことに意味がある。狙い通りだな。
ヒューンという聞きなれた音に空を眺めると、たくさんの矢が、谷に向かって飛んで行った。
盾から少しだけ顔を出すと、数十ユーデにまで魔族が迫っている。先行はゴブリンばかりだ。オーガがいると思っていたんだが、あの煙を吸って倒れたのであれば都合が良い。
矢に当たって倒れるゴブリンが続出だ。
それでも、谷底から帯のようになって斜面を上ってくる。
矢の一斉射撃が数回行われた後は、バラバラに矢が放たれる。腰の矢筒にはまだ数本残っているのだろうが、矢筒分の矢を一斉射撃に使うことは出来なかったか……。
魔族の上げるうなり声が直ぐ下から聞こえてきた。
いよいよだ。
エニル達が長銃で射撃を始めたが、盾付近にいる銃兵の長銃の先には銃剣が装着されている。後ろの銃兵は長銃ではなく短銃なんだが、発砲しては後方に下がって銃弾を装填している。前装式の短銃だが、銃身が短いから短い時間で装填が出来るようだ。
ギヤャァ!
魔族の叫び声が上がる。簡単な梯子を使って昇って来たゴブリンをグラムさんが突き刺して、そのまま斜面に放り投げている。
体を動かさずに腕の動きだけでやるんだからなぁ……。トラ族の体力には驚くばかりだ。
俺のすぐ前にも、梯子が掛けられた。
槍を手に持ち、上がってくるゴブリンを次々と突き落とす。
数が多くなってくると、広場に待機していた軽装歩兵も柵に駆けつけて槍を振るっている。
さらにハシゴが増えてくる。
一旦後ろに下がると、まだ燃えている篝火で小型爆弾に火を点けた。
斜面に向かって投げると直ぐに爆発する。
これで少しは上がってくる魔族が減るだろう。
再び盾の傍に向かうと、槍を突こうとしたゴブリンの胸元にボルトが突き立つ。
見張り台の上の少年達も、クロスボウを使っているようだ。
まだまだ、ナナちゃんの出番ではなさそうだな。あまり頼ると俺の立つ瀬が無いからなぁ……。
数体のゴブリンを倒した時だった。後ろから肩をポン! と叩かれた。
振り返ると、グラムさんが笑みを浮かべて立っている。
「爆弾でだいぶ数を減らしているようだな」
「たっぷりと用意してありますからね。俺達の戦力が足りなければ、兵器で優位を保つしかありません」
「まだまだ続くだろう。少しは休め。指揮官が率先して戦うことで士気を高めるのは理解できるが、それに没入するようでも困る。前線指揮官なら、状況を兵の後ろで見据えることも大切だぞ」
「忠告、ありがとうございます。確かに目の前だけを見てました。少し頭を冷やしますよ」
エニル達に後を任せて簡易指揮所に移動する。もっとも5ユーデほど離れただけなんだが、やはりここなら周囲が良く見えるな。
お茶を出してくれた伝令の少年に、北と南の様子を確認してもらう。
直ぐに見張り台に上って行ったけど、光通信機は日中でも使えるのだろうか? まだ試していなかったんじゃないか?
お茶を飲み終えるころ伝令の少年が戻ってくる。
両方とも柵に取り着く魔族はいるが、今のところ柵を越えた魔族はいないとのことだ。
ちゃんと通信ができたようだな。
ついでにレイニーさんにも状況報告をしてもらおう。
「『現在、交戦中。柵を超える魔族はいない』以上だ。心配しているだろうからね。お願いするよ」
「了解しました。受信確認が出来たら報告に戻ります!」
再び見張り台に上っていく少年を、感心した表情でグラムさんが眺めている。
「まだ若いが、役目をきちんと果たしているな。ところで見張り台から、離れた場所と連絡を取り合えるのか?」
「腕木信号台はご存じでしょう。あれはあらかじめ腕木の形とその意味する内容を決めているからできているんですが、見張り台の少年達は他の伝令の少年達と機械を使って話しているんです。戦が終われば、それをお見せしましょう。実戦での使用は初めてなんですが上手く使えたようです」
機械を使って話しているということに、グラムさんが驚いている。
実際には伝言ゲームのようなものなんだが、光の点滅で文字を表すと言ったら理解できるかな?
「レオン殿! ガラハウ殿から連絡です。爆弾の投射を一時停めるとのことですが……」
「カタパルトの点検と爆弾の補給ということだろう。その間はトラ族連中が小型爆弾を投げてくれるさ。開拓民の連中も石を投げているんだろう?」
「かなり効果的です。個々に投げるのではなく一斉に数十個を投げていますから、登ってくる魔族がそのたびに転げ落ちています」
拳より大きな石がうなりを上げて飛んでくるんだからなぁ。当たり所によっては即死してしまいそうだ。
あの煙を吸って、ふらふらしながら上ってくるところに、落としてるんだから敵も案外無防備なのだろう。
「まだリザードマンは出てこないのかな?」
「下りてきたのは見ているのですが、あの煙でやられたにかもしれません」
毒ガスに弱いということなのか?
それとも斜面を北か南に移動したのか……。
後ろに控えている伝令の少年に、待機所でリザードマンを見たかどうかを確認して貰う。
「確かに上って来ぬな。オーガも何体か斜面を下りてきたはずだが……」
「失敗作が効果的だった、ということでしょうか?」
「そうかもしれないが、油断はできない。前回も上がって来たんだからね。とはいえ、あの失敗作が今回どれだけ用意されているかだな。途切れたなら面倒な連中が上がってくるぞ」
失敗作だとしても、この尾根を守る分には問題ない。さすがに人間同士の戦に使うのは人道的とは言えないだろうけどなぁ。
常時100発程を用意しておいても良いのかもしれない。これは レイニーさん達を交えての相談だな。
たまに梯子を上って来るゴブリンもいるようだが、軽装歩兵の短槍とエニル達の銃剣で刺されているから柵を越える魔族はまだいない。
広場の西を睨んでいると、伝令の少年が報告にやって来た。
「南のガイネル中隊より報告です。『リザードマン約2個小隊の襲撃を撃退。一時柵を越えられたがその場で切り伏せた』以上です。被害を確認しましたが、十数人ほど負傷したとのこと、戦死者はおりません」
「了解した。北のダレル中隊の方も確認して欲しい。場合によっては増援も必要だろう」
取って付けたような騎士の礼を取ると、少年が直ぐに見張り台に昇って行った。
「リザードマンは南を狙ったということですか……、そうなるとオーガは北ということになるんでしょうが、前回はこの指揮所をめがけて押し寄せて来ました。今回は陽動に思えてきましたね」
「本命は、北か南ということか?」
「それが、ここにリザードマンとオーガが現れない理由にはなるんですが……、2個小隊という数が気になるところです。中隊規模の数はいたはずですし、2度の大規模な石火矢攻勢で数が半減したとも思えません。魔族は時間差攻撃を考えたのかもしれませんね」
「裏をかいたように見せかけて、ここにやってくると?」
「たぶん、今の攻撃の3倍規模でやってくるでしょう。今度は乗り越えてきますよ!」
グラムさんが俺に顔を向けて笑みを浮かべる。『面白い!』という思いが溢れているなぁ。俺は困ったと思っているんだけどねぇ……。
「ナナちゃん、もしも俺が倒れたなら、直ぐに広場の後ろから飛び降りて、レイニーさんのところに行くんだよ。光通信も腕木通信も使えないだろうから、誰かが行かないといけないんだ。後は姉上と一緒に押し寄せてくる魔族を迎え撃ってくれ」
「レオン兄ちゃんはどうするのかにゃ?」
「戦死者に紛れて魔族をやり過ごすよ。魔族が通り過ぎたら残った連中をまとめて後ろから攻撃するからね」
ナナちゃんは、ちょっと考えながらも小さく頷いてくれた。
これで全力を出し切れそうだ。女神様との約束もあるが、先ずは俺達を頼ってやってきた住民を守らねばならない。姉上なら、ナナちゃんを託せる。2人がいれば、魔族の暴走を砦の柵で阻止できるだろう。
その為にも、数を減らせねばなるまい。
バッグから小型の爆弾を2個取り出してポケットに入れておく。
篝火に焚き木が追加されているから、いつでも爆弾は使えそうだ。




