E-196 炎の尾根から魔族が溢れだした
透き通った秋の夜空を焦がすようナ勢いで石火矢が西に向かって飛んでいく。
噴炎の持続時間は短いが、ヒューン……という音が未だ聞こえてくる。
風を切る音が聞こえなくなったかと思った時だ。
向かい側の尾根が紅蓮の炎に包まれた。
一呼吸おいて炸裂音が雷鳴のように俺達のところに届いてくる。
「伝令! 石火矢の次発装填を開始せよ」
「了解です!」
見張り台の上に向かって大声を上げる。
少年の答えが少し遅れたのは、尾根の惨状を見てもうすんしていたに違いない。
「レオン殿! 連絡完了です!」
「ありがとう。『OK』の信号を確認してくれよ!」
さて、魔族は銅動くのだろう?
西の柵に立て掛けた盾越しに望遠鏡で状況を見る。
110発の石火矢の半数が焼夷弾だったようだ。油に硫黄を添加したような代物だからなぁ。炸裂と同時に広範囲に炎が撒き散らされる。リンを使った方が確実なのだろうが、リンの抽出方法が分からない。
体に着いた油炎で焼かれている魔族を見ると、あれでも過ぎた代物に見えてしまう。
炎の中で阿鼻叫喚の騒ぎをしているところを見ると、次の攻撃はしばらく待った方が良さそうだな。
「伝令! 『OK』受信後、『待機』を連絡せよ!」
「了解です。まだ『OK』信号はどこからも発してきません」
準備に時間が掛るからなぁ。
ふと周囲を見ると、エニル達も無言で西を眺めていた。
エニルに望遠鏡を渡して、状況変化があれば知らせてくれと言って仮設指揮所に向かいベンチに座る。
ナナちゃんが渡してくれたお茶を頂いていると、グラムさん達も指揮所に入ってきた。空いているベンチに腰を下ろしたところで、ナナちゃんがお茶のカップを渡している。
お茶のカップを受け取りながら、目を細めてナナちゃんの頭を撫でている。
「ティーナもこんな時期があったのだが……。レオン殿! あれは戦を変えてしまうぞ。エクドラル軍にあれが撃ち込まれないことを願うばかりだ」
「使い方次第ですね。グラム殿の事ですから、欠点も見抜かれたでしょう。開発時にだいぶ試射しましたが、あれほどの数を1度に使ったのは初めてです」
「レオン殿が散布界という概念に拘る理由が良く分かった。数個ではあまり意味をなさぬだろうが、大量に使えば敵を丸ごと刈り取ることが出来る……。だが、これで終わりにはならぬだろうな」
「敵が慌てている隙に、次の発射を準備しているところです。それに、先ほどの攻撃で倒れた魔族はせいぜい2割にも達しないでしょう。かえって興奮させてしまったかもしれません。再度の攻撃で全体の3割近い数を倒せたなら上出来だと思っています」
俺の言葉を聞きながら、苦笑いの表情でお茶を飲んでいる。
小さく頷いているところを見ると、グラムさんも俺と同じ評価をしているのだろう。
夜中にあの広範囲にわたる爆炎を見たなら、敵の大部分を倒したと考える者もいるだろうが、生憎と魔族の先兵たちの一部を倒しただけに過ぎない。
西にはさらに多くの軍勢がいるのだ。
「指揮官は冷静であれ……、と言われている。だが過小評価をするようでも問題だ。ワシの読みもレオン殿とさほど変わらぬ。帰還したなら王子殿下に報告することが増えそうだ」
「あまり過大評価をされても困ります。どこにでもいる普通の男ですよ。ただ、いつも一歩後ろに下がって状況を見ることに心がけているだけです」
「それが出来る人物は、多くは無いぞ。1歩下がるというのは状況を客観的に見る目を持っているということだ。ティーナはまだそれが出来んな」
ティーナさんの後ろ姿を見てため息を吐いている。それだけティーナさんが可愛いいのだろう。
ナナちゃんの場合は……。いつの間にか隣に座ってお菓子を食べていた。
思わず頭をなでてあげたら、ブンブンと頭を振って嫌がっているんだよなぁ。子供扱いされるのが嫌なのかな?
未だに幼い姿ではあるんだが、あれから10年近く過ぎている。ということは20歳をとうに過ぎたということか……。
子供扱いするのは止めて、大人の女性として扱ってあげないといけないんだろうな。
「未だに、右往左往している状況だ。あの状態をまとめ上げるのには時間が掛りそうだ」
「まあ、座って待つが良い。すでに次の攻撃準備の最中らしい。ワシ等が槍を取るのはまだまだ先のようだぞ」
腰を上げて様子を見に出掛けようとしていたのだろうか? グラムさんの言葉に、ティーナさんが渋々ベンチに腰を下ろす。
ナナちゃん改めて俺達にお茶を出してくれた。まだまだ夜明けには遠いから、眠気覚ましに少し苦めのお茶はありがたいところだ。
「それにしても凄いとしか言いようがない代物だ。前回もカタパルトで爆弾を谷に打ち込んだがあれほどではなかったぞ。やはり数が違うということなのだろうが……」
「前回の戦では1度に数個の爆弾でしたが、今回は1度に100個を超えてますからね。谷に下りて来たなら前回と同じく爆弾を使いますよ」
「石火矢をエクドラルに供与して貰うわけにはいかないか?」
「威力だけを考えたなら、フイフイ砲と爆弾の組み合わせの方が上ですよ。それに、石火矢は狙って当たる代物ではありません。10個ほど供与しても使い道に困るだけです」
とはいえ、その10個を有効に使う手段がある。
都市の包囲戦だ。どこに当たるか分からない代物なら、都市内の住民に恐怖を与えることが出来るだろう。住民の動揺は、守備兵達の士気の低下にも繋がる。フイフイ砲と併用して使ったなら早期の開城も図れるに違いないが、それは侵略戦争をした場合だ。
防衛戦での使用は、罠でも作らないと難しいだろうな。
ここに座った当時は、西が明るく見えたんだがいつの間にか元の暗がりに戻りつつある。火災もあったのだろうが、あまり燃える物が無かったということだろう。
となると、魔族の動きが気になるところだ。
そんなことを考えていると、エニルが足早に俺達のところにやって来た。
「報告します。敵の混乱が沈静化しつつあります。後続の兵士達が再び終結を図っているようです」
「ご苦労様。それで火災は治まってしまったのかな?」
「まだあちこちに小さな炎が見えています。おかげで魔族の状況が良く分かります」
なら、俺達を攻めるために軍の調整をしていることに間違いあるまい。
「魔族が落ち着いたなら、再度石火矢を放つ。状況を良く見守っていてくれ」
「了解です。ガラハウ殿が先ほどやってきて、笑みを浮かべていました。すでにカタパルトの準備は完了とのことです」
次はガラハウさん達が主役だからなぁ。
石火矢が上手く行ったから、機嫌が良いということなんだろう。それならたっぷりと魔族の爆弾のお礼をしてあげられそうだ。
再びエニルが指揮所へやって来た。
どうやら、魔族軍の騒ぎが落ち着いてきたらしい。
「東の空が少し明るくなってきました。やはり薄明を待っての総攻撃と思われます」
「それなら、再び石火矢を放ってみるか。伝令には報告が届いているかな?」
「北、南それにヴァイス殿の方も準備完了とのことです」
「了解だ!」と答えながら腰を上げる。
屋根の広場に上がって、西の魔族軍を眺める。確かに治まったようだ。それでもきちんと並んでいるわけではない。統率する連中はきちんと手綱を握っているのだろうか?
「エニル、青を打ち上げてくれ!」
直ぐに上空で炸裂音が聞こえてきた。左右を眺めると、松明の列がずっと並んでいる。
今か今かと待っていた感じだ。
再びエニルに信号筒の発射を指示すると、上空の炸裂音に続いて、西へと一斉に石火矢が飛翔していった。
その流星を見て、魔族軍が騒ぎ始める。
流星の光が途絶えてしばらくすると、再び西の尾根が炎に包まれる。
炎に包まれた尾根から、魔族が黒い帯のようになって谷に向かって駆け下り始めた。
改めて陣を纏めることをせずにそのまま攻撃に移ったのだろうか?
「来るぞ! 覚悟を決めるんだ」
大声で周囲に告げる。
「「オオォ!!」」という応えが返ってきたけど、炎の中から飛び出る魔族は炎を避けて飛びだしたのかもしれないな。大軍で葉あるんだが種族のまとまりが全くない。
ゴブリン相手にしていたら、急にオーガが出てくる何てことになりそうだ。
「炎を嫌って飛び出したようだな。このまま後続も続くだろうが、まったくまとまりがない軍勢だ」
「とは言っても、戦は数ですからねぇ。油断は禁物です。30分もせずに近くにまでやってきますよ」
「暗がりの中谷を降りてこっちの尾根に昇るのだ。かなり疲労しているに違いないが、敵に情けは無用だぞ」
「心得ています。仲間の死は見たくないですからね」
改めて槍を握り締める。
ナナちゃんが研いでくれたから、篝火にキラリと輝いた。
「エニル、バリスタで谷底に火矢を打ち込め!」
エニルに向かって叫ぶと、頷いて下にいる開拓民に指示を出してくれた。
数本の太いボルトが炎を上げて谷族に向かって落ちていく。
まるで松明だ。しばらくは燃えてくれるだろう。
ボルトの周辺を望遠鏡で眺めたが、まだ魔族の姿は見えない。やはり足元が暗くては斜面を下るのも遅くなるのだろう。
魔族が谷に姿を見せた時には、すっかり空が白んでいた。
松明は必要なさそうだな。さて、今度はガラハウさん達の出番だ。
ゴブリンが次々と斜面を登って来る。
谷が魔族で埋め尽くされようとした時、バシン! という衝撃音が左右から聞こえてくる。
始まったか……。
谷を覗き込むと、次々と炸裂する爆弾と周囲を焦がす炎が飛び散っていた。
数人掛かりで腕木を引き下ろして、次の爆弾が打ちだされる。
数台とは言っていたけど、北と南からも爆弾が打ち出されているようだな。
炸裂する間隔に間があるが、爆弾に混じって打ち出される焼夷弾が谷をたちまち炎の海に変えていく。
突然爆弾の炸裂が収まった。
品切れではないだろうけど、続けて欲しかったな……。
かなりの魔族が斜面に取り付いている。
次は、弓兵達の番になるんだが、ヴァイスさんはまだ号令を出してはいない。
再び爆弾が放たれる。焼夷弾ばかりのようだ。その上、それほど炎を撒き散らさない。どちらかと言うと不完全燃焼を起こしているようだ。辺りに黄色がかった煙りが立ち込める。
「奴ら、苦しんでいるのか? あんな爆弾があるというのか!」
「殺生石の話を聞いたことがありませんか? 原理はそれと同じなんです。あの煙りは極めて有毒です。少し重いガスですから谷底に溜まりますし、朝のこの時間帯なら、山から吹き下ろす風もありません」
「使いどころが限られるということか……。それにしても、一方的だな」
「まだまだですよ。依然として向かいの尾根から魔族が溢れだしてますからね」
2個大隊を越えるというのは、こんな数なんだな。
石火矢の2階の攻撃で3割は倒したと思っているんだが、それより効果が低かったのかもしれない。




