E-195 石火矢を放て
尾根の指揮所に到着すると、一息つく前に屋上へと向かう。
望遠鏡を取り出して西の尾根を眺めると、思わずため息がもれてしまった。
「確かにとんでも無い数だな。ワシなら部下に覚悟を決めさせることになるのだが……」
望遠鏡を貸してあげようとしたら、自分のバッグから取り出して眺めている。隣のティーナさんも持っているようだ。結構高いらしいんだけど、自前なのかな?
「父上、オーガだけで1個小隊を越えています。隣がリザードマンですか……、2個小隊を越えているように見えるのですが」
「中隊だろうな。リザードマンだけで千体ということになる。残りは雑兵だが、数の力はティーナも分かっているはずだ」
「前回で身に沁みました。力を押えることを学んだつもりです」
「それが分かれば十分だ。まだケイロンには無理だろうな。部下の手前頑張るという思いが強すぎる。ここで戦ったなら直ぐに倒れて、部下に後方に運ばれるのが落ちだろうな」
戦闘継続力ということなんだろう。力を出し切るという言葉は大切だと思う。
だが実戦においてはその力をどのように使っていくのかを、状況に合わせて使い分けられるようでなければならない。
戦闘継続力を維持するために、状況に応じて兵士を休ませることも大事だろう。
マーベル共和国軍の中隊長達は、いずれも蛮勇を誇るような者はいない。そもそもレイニーさんに指揮を任せられた俺本人が、どちらかと言うと怠けものだからね。
「状況は芳しくありませんが、狙いはマーベル共和国ということになりそうです。朝夕に南の砦へ状況報告をしておりますから、砦の方も迎撃準備が進んでいるでしょう」
「腕木信号機と言っておったな。腕の組み合わせで状況が分かるのだから、砦も安心であろう。増援部隊の要請も行っているはずだ。南はそれほど心配あるまい」
魔族が篝火を焚き始めたところで、俺達は指揮所に移動する。
盾を3つ横に並べたテーブルの周りにベンチを置いただけの指揮所だが、テーブルの上に尾根の地図を乗せて、魔族軍の位置を駒で並べていく。
前回あれだけの損害を与えたにも関わらずやってくるんだからなぁ。魔族というのは地から湧いてくるのだろうか?
夕食を取っていると、北と南の待機所から中隊長達が集まってきた。
最終確認をしたいということなんだろうが、どちらかと言うと各中隊長の判断で十分に思える。
魔族の柵越えを阻止するのが俺達の使命であり、それは尾根に柵を作った当時から変わることは無い。
俺達の食事が終わったところでワインカップに注がれる。
敵の布陣状況を地図で再確認しながら、魔族軍の推定戦力を共有する。
「かなりの戦力です。前回以上に厳しい戦になると思いますが、秋ですからね。天候は変わりやすいので、爆弾が濡れないようにしておいてください。石火矢の一斉発射は、指揮所の上から信号弾を打ち上げます。上空で青い光が見えたら、発射準備。その後の赤い光で点火してください」
「一応、狙って良いのかにゃ?」
「狙う方向は、魔族軍のど真ん中。角度に注意して下さい。45度でおねがいします」
「簡単にゃ。ガラハウ殿が面白い仕掛けを作ってくれたにゃ」
ヴァイスさんが角度の調整を終えたところで、エルドさんが再確認するだろう。
「数は、指揮所が50。北と南が30にします。敵が動きだしたなら再度攻撃しますが、数は同数で良いでしょう。敵が尾根を下り、谷に達したところで爆弾の投射を始めてください。こちらの尾根を登り始めたなら、弓とクロスボウ、それに投石具での攻撃になります。柵に取り付いたなら、槍を使ってくださいよ。長剣を振るうのは連中が柵を越えてからです」
「谷に向かって矢筒1個分を放つにゃ。後はしっかり狙って放つにゃ」
弓兵は矢筒1個分12本の矢を予備として携行しているからね。それで十分だろう。ヴァイスさん達の事だから、矢の入った箱をたっぷりと運んできているはずだ。
「ガラハウ殿に頼んだクロスボウが届いた。数は1個小隊分になるが、指揮所と北の詰所に派遣する分隊に渡しておくぞ。このボルトなら、オーガにも使えると思うんだが……」
ガイネルさんがバッグから取り出したボルトの柄は親指ほどの太さがある。先端の鏃は金属製ではなく石炭だ。
石炭の中にはガラスのような断面を持っているものもあったけど、まさか鏃にするとはなぁ……。
「これならリザードマンやオーガにも使えるんじゃないか? 爆裂矢を使わずとも倒せそうだ」
「バリスタ並みだからのう。次は爆裂矢のように爆弾を付けてやるぞ」
ガラハウさんは、使う機会が直ぐにやって来たことを喜んでいるみたいだ。
「さて、それでは始めますか。今までは敵が攻め込むまで待っていましたけど、今回は機先を制することができます。各中隊の迎撃準備が出来次第、伝令兵に『OK』を伝えてください。直ぐに指揮所に連絡を入れてくれるはずです」
「あれを使うのか? 面倒だが子供らがよくも覚えられたもんじゃ」
光信号機だからなぁ。シャッター機構をガラハウさんが作れるとは思わなかったけど、かなり動かしても故障しないんだからたいしたものだ。とは言っても、一応予備を持たせてはいるんだけどね。
「さて、すでに魔族軍は向かいの尾根に移動しつつあります。このまま推移するなら明日の夜明けにこちらを攻撃してくるのでしょうが、此方が先制します。そのまま戦になりますよ。準備は万端に、携帯食と水筒も準備しておいてください。明日の朝食は配給できないと思います」
「その点は大丈夫ですよ。すでに水桶にたっぷりと汲んでいる最中です。準備完了は深夜になりそうですが、レオン殿はそれでよろしいですか?」
「問題ありません。魔族軍より先を取れるなら十分です。石火矢でどれだけ数を減らせるか分かりませんが、2檄を与えるならかなりの損害を出せるはずです。……では! マーベル共和国の勝利を!!」
全員が椅子から立ち上がり、残ったワインを煽って蛮声を上げる。
「「ウッラー!!」」と叫ぶんだから、耳が痛くなってしまうんだよね。まあ、戦前の士気の向上ということなんだろうから、反対はしないけど……。
中隊長達が指揮所を出て行ったから、残ったのはグラムさん親子にエルドさんとエニル、それと俺達の5人だけになってしまった。伝令の少年達は見張り台に昇っているだろう。信号を確認したなら直ぐに下りてくるはずだ。
カップを回収したナナちゃんが俺達にお茶のカップを運んできてくれた。
しばらくは待つことになりそうだな。
入口の扉の直ぐ傍に3本の短槍が立て掛けてある。ごつい槍はグラムさん達の物だろう。俺の槍はエルドさん達の槍よりも少し太いんだけど、並べてみると貧弱に見えてしまう。トラ族は生まれながらの戦士だとつくづく感じてしまう。
「レオン殿。先ほどの話で石火矢という言葉が出ていたが、それが新たな兵器ということなのか?」
「そうです。何とか使い物になりましたので、フイフイ砲をエクドラル王国に渡した次第です。飛ぶことは飛ぶんですが、生憎と散布界がかなり広いので、一度に大量に放つことが運用の基本となります」
「マーベル国の秘密兵器を直ぐに見ることが出来るとは思わんかったぞ」
「見ても模擬することは出来ないと思いますし、次の兵器も考察中です。今のところ行き詰っているんですが、案外突然に良い方法を思いつくかもしれません。兵器開発とは工夫の連続だと考えております」
「工夫次第……。膨大な知識を組み合わせていくのだろうな。そんな考えを持つ武器職人はエクドラル王国のはおるまい。ここで見ただけでは、何も分からんだろう。我等はフイフイ砲と爆弾で十分だ。あれなら我等でも少しは工夫が出来る」
パイプを楽しみながら準備が整うのを待つ。
グラムさんも笑みを浮かべてパイプを楽しんでいるんだが、隣のティーナさんは手持ち無沙汰なのか、テーブルを指先でトントンと叩いている。
たまにナナちゃんがヴァイスさん達の様子を見に出掛けるから、指揮所の石火矢の準備状況は良く分かる。他の待機所も似たようなものだろう。
「とにかくたくさん並べてたにゃ! ヴァイス姉さんが、もう少し掛かると言ってたにゃ」」
戻ってきたナナちゃんが報告してくれた。角度をきちんと保てば飛距離はおおよそ同じになる。とは言っても、微妙な違いはあるだろうし、石火矢の火薬の充填量や噴射口の耕作制度もあるからなぁ。
狙っても100ユーデ以上の範囲でばらつくんだから、どんな結果になるのか想像もできない。かなりの範囲で炸裂することは間違いないんだけどね。
トントンと扉が叩かれ伝令の少年が入ってきた。
「北の待機所より、準備完了信号を確認しました!」
「了解だ。引き続き連絡体制を維持してくれ。俺達もそろそろ上に上がる」
少年が騎士の礼を取って指揮所から出ようとした時に、再び扉が叩かれ伝令の少年が入ってきた。
「南の待機所からの信号を確認。『OK』です!」
「了解だ。残りはヴァイスさんのところかな? 上で待ちましょう。そろそろ始めても良さそうです」
「大軍勢ともなると夜襲は無理だ。夜明けを待ってということだろうが、それに先んじるわけだな。さて、宮殿で報告するためにもよく見ておこう」
伝令の少年達が指揮所を出たところで、装備の確認を素早く行う。
扉の傍に置いてあった短槍を手に屋上の広場に続く階段を上る。
西側にはズラリと柵の内側に盾が並べられており、その内の何枚かには盾で屋根を作っている。敵の遠矢対策は、あれで十分だろう。
一回り小さな地図を乗せたテーブルの西側にも盾が並べられている。テーブルの下はナナちゃんの指定席だからなぁ。あの位置なら、俺達の援護に問題は無いはずだ。
奥に作った、4本柱の見張り台も、周囲が囲ってある。伝令の少年達が待機しているんだが、見張りと同時にクロスボウでの援護もしてくれるに違いない。
「敵の矢が振ってきた時には、この簡易指揮所に入るか、見張り櫓の下に飛び込んでください。もっとも谷から弓を引くことになりますから、かなり接近しないと有効な矢を放てないでしょう」
「尾根は色々と利点がある。やはり高い場所を制する方に分があるのはどんな戦も同じだな」
槍を簡易指揮所の屋根に立て掛けて、パイプを咥えながら西を眺める。
直ぐ手前の尾根まで何時の間にか移動していたようだ。だが大軍勢の辛いところで、動きが緩慢だ。移動指示が全体に行き渡らないようにも見える。
西からどんどん詰めて来ているから、最前列のゴブリン達はもう少しで谷に落ちてしまいそうだ。
「レオン殿! エルド殿より連絡です。準備完了を知らせてきました!」
見張り台から顔を出して伝えてくれた少年に、片手を上げて応える。
さて始めるか……。どこに落ちても被害は甚大だろう。
「エニル、合図の信号弾を打ち上げてくれ。先ずは『青』だ!」
「了解です!」
エニルが松明を手に広場の後方に向かう。用意されていた長さ半ユーデほどの細長い筒に松明を近づけた途端、シュポン! という音を立てて中に仕込んだ弾が上空に飛んでいく。一呼吸する間もなく、上空に青い光が広がり遅れて炸裂音が聞こえてきた。
柵を見ていると、数十本の松明が一斉に灯される。中々壮観な眺めだな。
「次は『赤』だ。やってくれ!」
今度は赤い光が上空に現れた。
その光を合図に、尾根からおびただしい数の流星が空に向かって飛んで行った。
「これが石火矢か……」
初めて見る石火矢に、グラムさんの持つ短槍がぶるぶると震えている。
度肝を抜かれた、ということかな?
さて、結果はどうなるんだろう?




