E-193 良い知らせと悪い知らせ
マーベル共和国にグラム夫妻がやって来た翌日。
朝早くに、ヴァイスさんと一緒になってグラムさんは数人の兵士を連れて狩に出掛けた。ヴァイスさんが1個分隊を率いて行ったから、今夜は焚火を囲んで焼肉が食べられそうだ。
焚火の準備はリットンさんが担当するようで、広場に薪を積んでいる。
あれで獲物が無かったらどうなるんだろうと考え込んでいると、トメルさんが俺達に手を振って仲間達と西に向かって行った。
さすがにトメルさん達に獲物が無いということは無いだろう。エクドラさん辺りに頼まれたのかな?
ギルドに依頼をすれば、ちゃんと引き受けてくれるのはありがたい話だ。
秋分を過ぎているとはいえ、まだまだ日差しは強い。
指揮所に戻るよりは……と、母上の長屋を訪ねることにした。
ナナちゃんも、マリアンのクッキーが食べられると思っているんだろう。笑みを浮かべて俺と手を繋いで引っ張っていく。
トントンと扉を叩くと、直ぐに扉が開いた。
マリアンが俺達を中に入れてくれたけど……、来客がいるのかな?
「あら、久しぶりですね。ナナちゃん、此方にいらっしゃい」
俺より先にナナちゃんを呼んでいる。隣に座った姉上が母上と並んで座っていたベンチの間を広げている。真ん中に座らせる気のようだ。
母上達の思惑通りの場所に座ったナナちゃんに、母上達が笑みを浮かべる。
俺は、マリアンが運んでくれた椅子に座る。
来客に顔を向けると、デオーラさんだった。マリアンの隣に座ったご婦人にも見覚えがある。確か、デオーラさんの乳母さんじゃなかったかな。最初はお婆さんかと思っていたんだが、グラムさんとの婚礼時にデオーラさんと一緒に館に付いてきてくれたそうだ。
そういう意味でマリアンと同じ境遇ということだから、話も合うに違いない。
「女性ばかりの席にやって来たのは、少し場違いでした。早々に引き上げます」
「たまにしか来ないのですから、ゆっくりしていきなさい。デオーラ様とレオンの話をしていたのですよ。やはり身を固めるのは考えますか?」
「まだまだ若輩も良いところですよ。それに、妻を頂くことになっても相手を悲しませないとも限りません。女神様との約束でハーフエルフとなっています。人間族との婚姻は難しいでしょう」
「やはりエルフ族限定となるのでしょうね……。次々と妻を変えるのも問題でしょうし……」
「俺のことは、あまり気になさらずとも良いでしょうに」
「アレクなら心配はありません。その内にかわいらしい子を沢山作ってくれるでしょう。でもレオンは……」
余計なおせっかいだと思うんだけどなぁ。
俺の前に、姉上だっているだろうに。顔に酷い傷を負っているけど、誰にでも優しい姉上だからなぁ。
ふと姉上に視線を移した。
んっ! まさか! 本当なのか?
思わず椅子から腰を上げて姉上の方に身を乗り出した。
「あ・姉上、その顔は?」
「デオーラ殿からの頂き物です。エクドラル王国の神殿に伝わる秘薬だということですが、高位魔法でも治らなかった傷が全快しました」
「それほどの秘薬……。俺からも重ねてお礼を申し上げます。この恩はいずれ必ず……」
「お気になさらずとも良いですよ。本国から赴任する折に神殿より役立つだろうと頂いた品です。門外不出というわけでもありませんし、毎年何本かを王宮に納めているぐらいですから」
魔法を凌ぐ秘薬があるということか……。
神殿の奥深くで錬金術が行われていると聞いたことがあるが、そこからもたらされた品に違いない。
大量生産できたなら、世界が変わるかもしれないな。
だけど、オリガン家にとって幸いであることは確かだ。
「姉上、これで何時でも嫁ぐことができますね」
「すでに婚期を逃しています。今さらですよ。レオンのように分家を作ることは出来ませんが、オリガン領の一角で魔道具の研鑽に勤しむつもりです。それに嫁がなくとも子供はたくさんいるでしょう? 私の後を継ぐ子供を見付けることも楽しみです」
30をすでに過ぎているなら、そういうことになるんだろうか?
レイニーさんやヴァイスさんも、今さらという感じで達観しているからなぁ。
俺の場合は実年齢は30に近いんだが、未だに成人を過ぎた容姿だ。年を取らないように見えるのは、長命種族の特徴なんだろうな。
同じように歳をとったように見えないのが、ナナちゃんに神官のフレーンさんだ。
まさかフレーンさんと一緒になるわけにもいかないから、このまましばらくは一人を楽しんでいたいというのが本音になる。
「良い縁談があるなら、嫁ぐことは出来るということですね?」
デオーラさんが、それは見事な笑みを浮かべて、姉上に問いかけた。
姉上と母上がしばらく顔を見合わせていたけど、やがて姉上がデオーラさんに顔を向けると小さく頷いた。
母上とマリアンがホッとした表情を浮かべたのは、やはり姉上の将来を心配しての事だろう。
「エクドラル王国の男性を、紹介してくださるということでしょうか?」
母上の問いにデオーラさんが、笑みを浮かべたまま頷いた。
「出来ればケイロンにと言いたいところですが、すでに婚約者がおります。縁談を断る価値はあると思いますが、王宮内に波風を立ててしまいます。それに、獣人族と人間族の婚姻は庶民では行われているようですが、エクドラル貴族の前例が無いのです。
人間族の貴族であり、オリガン家にふさわしい若者を持つ貴族となれば、エクドラル王国が大きくとも限られてしまいますが、皆無ではありません。私に任せて頂けますか?」
「この場での即答は出来兼ねます。主人と一度相談した上で返事をしたいと思いますが」
さすがに、俺と姉上では立場が違うからなぁ。だが、ブリガンディ王国の状況を考えると、俺は良い機会に思える。
「来春ごろには、返事を頂けるでしょうか?」
「せっかくのお話です。主人も賛成してくれるとは思いますが、私の一存で事を決めるわけにはいきませんので……」
デオーラさんが笑みを浮かべたままなのは、反対する要因が無いと信じているからに違いない。
だが、政略結婚としても案外役立つようにも思えるな。
それを足掛かりに、オリガン家とエクドラル王国の関係が深まれば、容易にオリガン領内へブリガンディ王国軍を向けることができなくなるだろう。
貴族連合が本当に実現しそうに思える。
それにしても……。
「王子殿下のお考えでしょうか?」
「ティーナからの報告で、レオン殿の姉上が深い傷を顔に残したままだということを憂いてのことだと思いますよ。婚姻については私の一存です」
策士はどっちだろう? 案外、2人で相談しての事かもしれないな。
「もしも、そのような事をして頂ける運びとなっても、オリガン家はブリガンディの下級貴族……。あまり婚礼を豪華にすることは出来兼ねます」
「オリガン家が清貧を家訓にしていることは私でも知っていることです。妬む家もあるでしょうが、それはどの婚礼でも同じことですよ。それに、嫁ぐとなれば動く人物も出てくるでしょう」
王子様が援助してくれるということかな?
恩が重なるのも問題なんだけどねぇ……。
互いの館での暮らしぶりを母上達が話している。
俺の方に話題が来ないことに安心していた時だった。
誰かが、扉を大きく叩いている。
マリアンが迷惑そうな顔をして、席を立って来客の確認に向かった。扉が開くと同時に伝令の少年が俺のところに駆け込んでくる。
息を調えながらも騎士の礼をすると大声で報告を始めた。
「尾根2つ先に魔族が集結中です! 急いで指揮所に来てください」
「了解だ! ナナちゃん行くぞ。デオーラ様、そんなわけで席を離れます。総力戦になるか否か不明ですが、現状での危険はありません。ごゆっくりご歓談を続けてください」
「さすがはレオン殿ですね。知らせを受けても動じることは無いようです。それだけ防衛体制に自信がるということなのでしょう。勝利をお祈りしておりますわ」
「ありがとうございます」と答えたところで母上達に顔を向ける。何も言わずに頷いてくれたから、俺も小さく頷き返して長屋を後にした。
小走りで指揮所に向かう。
ナナちゃんも一生懸命付いてきてるな。小さいから懸命に走ってるんだけど、転ばないかと心配になってしまう。
指揮所に飛び込むように入ると、主だった連中が来ている。
ヴァイスさんは狩りの途中だろうから、帰るのは夕刻になるかもしれないな。
ゆっくりと指揮所の中を歩いていつもの席に座るとテーブルの上に乗った地図を眺める。
「状況は?」
「尾根2つ先に魔族が集結中、数は1個大隊近いということですから、最終的には超えると予想します。位置は見張り台から35度ということですから、指揮所より少し北に位置していますね。指揮所の望遠鏡で確認したところではゴブリンにホブゴブリン、それとリザードマンにオーガがいるようです」
2コルムは離れているな。リザードマンとはまだ戦ったことは無いが、リザードマンだけで部隊を作ることがあるらしい。得物は短槍と盾を言うことだから、簡易な鎧ぐらいは着想しているんじゃないだろうか……。
「南を目指すにはマーベル共和国が邪魔になるんでしょうね。本腰で潰しに来る可能性がありますよ。前回も大軍で来たぐらいですから、今回はそれに増す戦力を集めたかもしれません」
「初代大統領が最後の大統領になるのは嫌ですよ」
「もちろん、撃破しますとも。俺達には頼れる仲間がたくさんいますからね。体力では及ばずとも、それを覆す武器を持っています」
石火矢を使うことになりそうだな。谷を火の海にすれば、俺達の阻止線に到達するものは僅かだろう。
出し惜しみせずに、先制攻撃を掛けてやるか……。
あの化学兵器も作ったらしいからね。上手く使えば大打撃を与えられるに違いない。
「1つ、問題があります……。オルバス殿が護衛兵士を1個小隊率いて来てます。場合によっては援軍として参加しようとするかもしれません」
「石火矢を知られてしまうじゃろうな。だが、改良型の発射装置はまだ尾根には設けておらん。改良型で無いなら、飛距離は500ユーデを越える程度じゃ。ワシ等がフイフイ砲を渡した理由としては丁度良いじゃろう」
ガラハウさんは俺と同じ考えのようだ。
なら見せてやるか、俺達の切り札の1つを……。




