E-176 モルデン商会
道具屋を出ると、丁度神殿が時を告げる鐘が聞こえてきた。
ユーリアさんの話では11時ということだから、そろそろモルデン商会に出向いても良いだろう。
さすがに12時丁度に商会を訪ねるのもねぇ……。
路地を抜けて、再び大通りに出ると、西へと向かう。
相変わらずいろんな店があるんだが、しばらく進むと大きな石造りの建物が見えてきた。
「商会ギルドの建物です。レンジャーギルドは北門近くにありますし、穀物ギルドは南門ですね」
「商店を束ねるために商店街の中心にあるんだろうね。それにしても立派だね」
大きさだけなら中流貴族の館ほどの大きさになるんじゃないか?
3階建てだし、通りに面した横幅だけでも50ユーデを越えていそうだ。
モルデンさんの商会は、商会ギルドの数軒先だった。
宮殿の晩餐会に招かれるだけあって店もかなり立派な建物だ。さすがに紹介ギルドの建物よりは小さいけれど、通りに面して、大きな窓が連なっている。
立派な扉を潜るのはちょっと勇気がいるな。貧乏人お断りという感じに思えてしまうんだよなぁ。
3段の階段を上り両開きの扉を開けて中に入る。
大きな広間のような作りの店内はカウンターだけでも3つあるし、立派な応接セットが低い仕切り板で3セットほど置かれている。
商談を行うのだろう。1つの応接セットに数人が座って笑みを浮かべながら会談中だ。
「天井が高いにゃ!」
「2階を吹き抜けにしてるんだろうね。シャンデリアが3つもあるよ……」
俺とナナちゃんが上を見ながら感心している中、ティーナさんが北側の大きなカウンターに向かって足を進めている。
慌てて後を追うことになったが、カウンターの犬族のお姉さんとすでに何やら話し込んでいた。
「ようこそいらっしゃいました。すでに主人より指示を受けておりますので、奥にご案内いたします」
お姉さんがそう言って、隣の若い娘さんに案内を指示している。
カウンター席から俺達のところに急いでやって来たのは、ネコ族の娘さんだ。
彼女の案内に従ってホールから奥に続く通路を進む。
通路の両側にいくつか扉があったけど、少し奥まった場所にある扉を開けて中へと案内してくれた。
大きな窓から中庭が見える。花ではなく何本かの雑木が植えてある。林の中を演出しているのかな?
「どうぞお座りくださいにゃ。直ぐに主人が来ると思うにゃ」
言われるままに、10人ほどが座れるテーブルに着く。
直ぐに冷たい飲み物が運ばれてきたからありがたく頂いていると、扉が軽く叩く音が聞こえてきた。
入ってきたのは、モルデンさんとご婦人にお嬢さん、それとイヌ族の青年だった。
挨拶しようと立ち上がろうとした俺達を慌てて席についていて欲しいと告げると、モルデンさんが席に着く前に軽く自分達を紹介してくれた。
モルデンさんの名はオルンというらしい。隣の御婦人は妻のアメリアさんでお嬢さんはシリルということだ。息子さんいるようだけど、生憎と貿易港に出掛けているらしい。最後の青年はオルンさんの片腕とも言うべき存在らしい。番頭と言っていたけど、店の中では結構偉いんだろうな。
「そろそろやってくる頃かと思っておりました。ガラス工房は昼食後にご案内いたします。ところで途中どこかに?」
「服と絵の道具、それにガラス細工と金物細工の道具を買い込んだ。レオン殿が何を作ろうと考えているのかはわからんが、また変わった品を見せてくれるに違いない」
「エディン殿が言っておりましたな。それほど大きな町ではないが、そこで作られるものは旧王都の工房を超えると……。出来ればあのガラス窓の作り方を教えて頂きたいところです」
「さすがに直ぐにとはいきませんよ。俺達の暮らしが掛かっていますからね。とはいえ、それほど難しいとも思えません。やってみてはいかがでしょう」
「模倣は許容して頂けると?」
「難しくはないんですが、手間が掛かるんです。それと完成しないと美しさが分からないというのも問題なんですよね。先に作るというより、その場にふさわしい窓ということなんでしょうけど」
「なるほど、少し考えないといけませんな。そうなると大窓ではなく、1枚ものをいくつか試作してみるのもおもしろそうです。あのような窓を考えられたことに対する売値の対価は3割でよろしいでしょうか?」
モルデン商会で作ったものをモルデン商会で売る際に、俺達にも金が入るということか?
「特許ということか。確かにそうなるだろうな。だが、この場での即答はできんだろう。王子殿下も当然この件については考えておられるに違いない。試作は構わんだろうが、売る場合には許可が必要になるだろう」
「それは当然でしょうな。海を越えての商いにも使えそうです。となると本国との調整も必要かと……。それに私共の商会だけでの商いともなると、仲間から何を言われるか分かりません」
そこで特許と、許可制を上手く使うということになるのかな?
その辺りは王子殿下に任せておこう。俺達は働く場所とそこでの働きによって生活が出来るなら十分だ。さらにマーベル協和国の国庫に寄与出来るなら申し分ない。
「マーベル協和国は新たな製品を生み出す力はあるが、それを増産することが難しい、さらに製品を売りさばく術をあまり持たん。エディン殿が頑張っておるが、彼だけで支えられるものではなさそうだ。少し協力してやってくれればありがたい」
「たまにエディン殿から大量の注文がありますよ。その点は問題ありませんし、現状の商会ギルドには大きな課題がありません」
すでに助け合っていたということなんだろう。結構無理な要求もしているからなぁ。
商会ギルドとの付き合いも、今後は考えないといけないな。
「ところで晩餐会でのお話は、目から鱗でした。早速試してみたのがこれになります」
オルンさんがバッグから取り出した数個のグラスは、下半分が色付けがなされていた。ゴブレットのように、短い持ち手の上にグラスが乗っている品は、これだけで十分に商売になるんじゃないかな?
「色ガラスと透明ガラスの接着は案外簡単でした。それにこのグラスは中々ですよ。100個ほど作ったところで、王子殿下に献上しようと考えています。これは従来のガラス工芸の範疇ですから、レオン殿への対価はギルドの取り決めを参考に1割とさせて頂きたいのですが?」
思わずオルンさんに顔を向けてしまった。
酒の席での話だし、これが出来ることで俺達の次の仕事が出来るということもあるんだけどねぇ。
「酒の上の話ですし、それぐらいで売り上げの一部を頂くのは気が引けます。ギルドで調整するだけでも十分かと……」
「そうもいきません。これは新な製品として海を越えての取引にも使えます。まったくレオン殿に渡さぬということになれば、本国のギルドからどのような誹りを受けるか」
「なら、孤児院へ寄付して頂けませんか? かつてエクドラル王国とも一戦していますから、その賠償ということであるなら世間も納得して頂けるかと」
俺の言葉に驚いたのは、オルンさんではなくティーネさんの方だった。
「あの戦は、どう見ても我等の方が分が悪いのだが?」
「国と国であるならそうなるでしょうが、民衆にとってマーベル共和国は未だに敵として認識されているでしょう。それほど多い額とも思えませんが、孤児院の運営に役立てることができるなら俺達に対する敵意も和らぐかと」
納得はしていないようだな。
まあ、売り上げの一部を受けとらないと言う名目なんだから、そんなに悩むことは無いと思うんだけどなぁ。
「ところでこのグラスを10個ずつ、購入したいのですが?」
「10個と言わず30個を贈りましょう。それ以上お渡ししても何ら問題は無いのですが、先ずは宮殿を優先したいと考えておりますので」
笑みを浮かべて互いに握手をする。
今は初夏だから、今年の冬には届くかもしれないな。楽しみに待っていよう。
となると、色の付いていないグラスを10個ずつ手に入れておくべきだろうな。グラスカットの技術が簡単に習得できるとも思えない。何度も失敗が続くはずだ。
テーブルに載せられたグラスを再度手に取る。
透明な部分も何となくすっきりとした透明感が無いのが残念だ。これがこのガラスの限界ということなんだろうか?
俺のもう1つの記憶では、ガラスを溶かす際の混ぜ物によって色や硬度が変わるらしい。あの氷のような透明感のあるガラスを何とかして作りたいところだ。
雑談をしている俺達のところに、メイドさんが昼食を運んできてくれた。
野菜や果物、ハムを挟んだパンと、カップスープが昼食だった。
ありがたく頂きながら、オルンさんの商売の話を聞く。
「サドリナス王国の内乱時代は悲惨なものでした。この店を一時閉店して、貿易に足を乗せたほどですからな」
「それで、息子さんがその後を継いでいるんですね? ますます店が大きくなると思いますよ」
上手く世の中の流れに乗れているみたいだな。
その流れに押し流された人達はどうなったのだろう? 身を落として行商から再び大店を目指す者もいるのかもしれないけど、時代を恨んで闇商売等に手を出さなければ良いのだが。
「お話を聞いていると、次々と新たな商売を考えることができるようですね。あの陶器には驚きましたわ。その上にあのガラス窓ですから……」
「少しはガラスの販売量が増えるかもしれませんが、次はそれ以上を考えているところなんです。とはいえまだ構想段階ですからね。来年辺りには何とか試作品を献上したいと考えてますよ」
その為にもガラス工房をマーベル共和国に作りたい。
ガラス工房を訪ねる目的は、ガラスを溶かす炉を見たいだけなんだけどね。それほど変わった炉では無いと思うんだが、鉄をも溶かす炉が出来たんだからその技術で透明度の高いガラスを作ることも可能だと思ってはいるのだが……。
食後のお茶が出てきたところで、パイプを取り出してアメリアさんに視線を向ける。小さく頷いてくれたところで道具屋で購入した魔道具で火を点ける。直径1イルム、長さが4イルムの真鍮の円筒なんだが、側面のレバーを下げると円筒の筒先から小さな火が出る代物だ。
このぐらいの火なら生活魔法で出すことができるのだが、獣人族の人達の生活魔法の使用回数は1日に数回程度らしいからなぁ。案外売れているそうだ。
確かにパイプを使う連中は多いだろうからね。お土産に10本ほど買い込んでしまったぐらいだ。




