E-164 弓の腕を見せるだけでは済まないようだ
その夜の晩餐は、オルバス家と近しい関係の当主夫妻2組を招いて行われたが、オルバス家からの出席者がグラム夫妻とバリウスさんにティーナさんだった。末弟のケイロン君はユリアンさんやバリウスさんの副官、それにナナちゃんと一緒に別室でゲームをしながら食事をするらしい。
俺もそっちの方が良かったんだけどなあ……。
豪華な料理が次々とテーブルに出てくるんだが、食事のマナーなんてあまり気にしたことも無かったからね。とりあえず音を立てずにゆっくりと頂いていよう。
「この前は見事な陶器の皿でしたが、今度はお茶のセットですか! やはり殿下の後見人であるだけのことはありますな」
「エルビン卿、それはレオン卿からの頂き物なのだ。娘が世話になっているだけでなく、このような手土産を頂くと貴族仲間から妬まれそうだ」
「それにしても見事な茶器です。レオン殿、陶器の生産は順調なのでしょうか?」
「だんだんと白地が良く出てくるようになりました。今探しているのは赤い顔料なのですが、まだ見つからないんです。あの茶器を見ても分かる通り、橙色までなら出せるのですが……」
「銀の食器に彫刻する技法はありますが、このような彩色は無理ですからね。レオン卿の知識が羨ましいですわ」
「でも、色の付いたガラスを手に入れることができました。ガラスに色を付けることができるなら、それで絵を描くことも可能かと思いますよ」
俺の言葉に、皆の視線が俺に向いた。
思ってもみなかったということかな? さすがにステンドグラスのような絵を描くことは出来ないだろうけど、数色のガラスが組み合わされたデザインガラスは出来るんじゃないかな。縞模様なら簡単そうに思えるんだけど。
「その発想ができるのがレオン卿ということになるのでしょうな。どうです、エルビン卿。やってみようとは思いませんか?」
「なるほど、面白そうですな。知り合いの工房がありますから明日にでも、可能かどうかを聞いてみましょう」
来客の2人が笑みを浮かべて頷き合っているのを、奥さん達が呆れた顔で見ている。
昔からの友人なのかもしれない。エルビンさん達は武官貴族特有の厳しさが感じられないから、内務に関わる文官貴族なんだろう。
「それなら、明日行われるレオン殿の参内を見てからにした方が良いだろう。今の話が消し飛ぶような驚きがあるはずだ」
「ほう! 王子殿下への献上品ということですか」
面白そうな顔をグラムさんが俺に向けてくる。
「王子殿下というより、王女殿下へのお土産です。王子殿下には儀礼用の長剣を用意いたしました。グラム卿の依頼と同じく刀身のみですが、一応武器ということになります。謁見の間で、献上するのは問題でしょうか?」
「ワシがレオン殿より預かり、それを王子殿下に渡すなら問題は無い。王女殿下への献上品も同じで良いぞ。順番はさすがに王子殿下が先になる」
まあ、それぐらいは心得ているつもりだ。
明後日は何とかなりそうだな。
「ところで、弓の話は聞いている。明日、我が館に何院かレオン卿の腕を見たいという者がやってくるのだが、見せてやってくれぬか」
「的当てなら……」
「それで十分だ。イエティの目を射抜くという腕を見せてやってくれ」
情報漏洩はティーナさんに違いない。まったく困った人だな。
苦笑いを浮かべて頷くと、バリウスさんが食事の手を休めて俺に顔を向けてきた。
「それなら、私も1度剣を交えてみたいのだが……」
「俺は長剣2級ですよ。勝負は見えてるように思えるのですが?」
「バリウス。お前に覚悟はできているのか? レオン殿は長剣2級と明言している以上、その腕を超えることはあるまい。だが、ワシでさえレオン卿に長剣を向けることが出来ん。デオーラでさえも、短剣を抜くのを躊躇ったと聞いたぞ」
「それならなおのこと、1度手合わせ願いたいところです。噂に聞くオリガン家というものを肌で感じたいと願うばかりです」
そうは言われてもなあ……。
困った顔をしてグラムさんに顔を向けると、向こうも困った顔をしている。
やはり子供は可愛いということかな? まあ、長剣で打ち合えば、俺が負けるのは見えているように思えるんだけどなあ。
「仕方あるまい。レオン卿、申し訳ないが息子の我儘を聞いてやってくれぬか。使う武器は自由で構わん。息子の鼻をへし折って欲しい。デオーラ、宮殿に使いを出して魔導師殿の来訪を手配してくれ。さすがに無傷では済まんだろう」
「了解いしました。王子殿下には?」
「ワシから使いを出す。バリウス、お前の腕は長剣1級を越えておるが、戦は長剣だけでするものではない。レオン殿。レオン殿の隠された技を見せてくれぬか。魔族2個大隊を前に一歩も退かぬだけの腕を……」
見せるしかなさそうだな。
さすがに釘を打ち出すのはまずいから、手裏剣を使うか。3枚あるから周囲に浮かべるだけで防御もできそうだし、軽い手傷を負わせるぐらいならできそうだ。
「そこまで言われると、剣を交えるしかありませんね。とはいえ無傷で勝負を終えることは出来ないでしょうから、弓を披露してからということでよろしいでしょうか」
グラムさんが重々しく頷くと、バリウスさんが飛び上がらんばかりに喜んでいる。
デオーラさんはわくわくした表情で俺を見ているんだが、ティーナさんは兄上を呆れた表情で眺めているんだよなぁ。
「全く、兄上は怖いもの知らずだな。私でさえ、レオン殿には長剣を向けることが出来ぬというのに」
「だからこそだよ。オリガン家の噂は皆が知っている。そしてレオン殿の噂もね。レオン殿に対するブリガンディ王国の噂は聞くに堪えぬものばかりだ。そこまでオリガン家の名を辱める存在ということになっているんだけど、今目の前にいる人物を見るとそうは思えない。レオン殿を知ることでブリガンディの連中の胸中を知ることが出来るかと思っているのだ」
「一応、名目はあるようだな。だが、用心することだ。レオン殿の戦は長剣だけではないのだからな」
そういえばグラムさんには暗器を使うことを教えていた。暗器は手心を加えられないのが一般的だ。一撃で相手の急所を突くのが基本らしい。さすがに俺なら少しは手心を加えられると思ったのだろう。明日呼ばれる魔導師は治癒を専門に行う魔導師ということかな。
「試合前に、バリウス殿に俺の武器を教えましょう。これなんですけど……」
ベルトのホルダーから手裏剣を1つ取り出して皆に披露した。4方向に4イルム(10cm)ほどの短剣が付いたような武器だ。
「見せて貰っても……?」
「どうぞ手に取ってよく見てください。背中の長剣とこの暗器を使ってお相手します」
侍女がトレイを持ってきたので、そのトレイに手裏剣を乗せてあげる。
直ぐに侍女がバリウスさんのところに持っていくと、バリウスさんが手に取って重さや短剣の刃先を確認しているようだ。
グラムさん達も興味があるようで、身を乗り出して見てるんだよなぁ。
「レオン殿。尾根の戦い時にもこれを使ったのか?」
「3個使いました。どのように使うかを教えると、明日の試合に俺が負けてしまいます」
俺の問いに、デオーラさんがハンカチで口元を隠しながらコロコロと笑い声をあげている。
ティーナさんの意図に気が付いたみたいだな。
だけど、ストレートすぎるから、簡単に返すことが出来たんだよね。
そんな話術が、まだまだできていないことを笑っているのだろう。
「館の訓練場に入りきれますかな?」
「卿達の席は確保しておくぞ。あまり広めんようにしておくつもりだ」
見学者ってことか?
軽い試合なんだから、それをわざわざ見ることも無いと思うんだけどなぁ。
翌日。大きな客用寝室で目が覚めると、胸元でナナちゃんが丸くなっていた。
隣の従者用寝室で寝ていたはずなんだけど、やはり広い部屋は不安だったんだろう。とりあえず起こさないようにそっと起きると、服を調えた。
それにしても気が進まないなぁ。グラムさんは戒めになるような傷を残して欲しいなんて無茶ぶりをするんだから困ったものだ。
傷の治療魔法に秀でた魔導師なら腕を繋ぐことも容易だろう。だがそんな魔導師は王宮で暮らしていると姉上が言ってたからなあ。宮殿に使いを出して魔導師を呼ぶと言っていたのは、高級治療魔法である『サフラム』を準備しておくつもりのようだ。
あえて傷を残すというのも考えてしまうが、姉上のような魔族の使う黒煙魔法による火傷の跡は治らないみたいだな。
火傷も傷の一種だと思うんだけどねぇ……。
ベランダに出てみると、綺麗に整えられた庭が良く見える。この辺りはマーベル共和国と違って、だいぶ温かなんだろう。庭のあちこちに花が開いている。
パイプを楽しんでいると、ナナちゃんが隣に寄ってきた。一緒に庭を眺めていると、馬車が入ってくるのが見える。
朝早くから来客なんだろうか? 後見人ともなると色々と忙しいのかもしれない。
「失礼します。ノックをしたのですが返事が無かったもので……」
「ああ、申し訳ない。庭が綺麗だったので2人で眺めていたんです。遅れましたが、おはようございます」
「こちらこそ、挨拶が遅れて申し訳ありません。おはようございます。朝食の準備が整いましたのでご案内いたします」
結構早い時間だと思うんだけど、グラムさんは武官貴族だからだろう。規則正しい生活を軍隊並みに行っているに違いない。
本来なら従者は別の部屋で食事を取るらしいけど、ナナちゃんが可哀そうに思えたんだろう、俺の隣にナナちゃんの席が用意されていた。
ナナちゃんの食事風景を笑みを浮かべてデオーラさんが見てるんだけど、このまま置いて行けなんて言わないだろうな? ちょっと心配になってしまう。
「まだ十歳を超えたぐらいかしら? ティーネもそんな時代があったけど、館の中で長剣を振り回すから、あちこち傷だらけになってたわ。その点、バリウスは大人しかったわね。クラウスは輪をかけて大人しいわ」
「ティーナがお転婆だったからだろう。何度も刃引きした長剣で叩き起こされたぞ。おかげで今でも副官に起こされたことが無い」
「寝坊ばかりしているからだ。それに軽く叩いただけだからな」
お転婆だったことは否定しないようだ。
ナナちゃんがティーナさんに驚いた顔を見せているから、苦笑いを浮かべている。
「私は、レオン兄さんに飛び乗るにゃ。『ウェ!』って直ぐに目を覚ましてくれるにゃ」
「なるほど、そのような手もあるのだな。私も兄上に飛び乗った方が良かったかもしれん」
「そんなことをしたら、毎日魔導師の世話になってたよ。レオン殿の訪問が今で良かったよ。少年時代ならティーナの事だ。間違いなくやられたに違いない」
「兄上、脅かさないでくださいよ。今朝は姉上から長剣の鞘で頭を小突かれてるんですから。明日は姉上が布団の上に飛び乗ってきたら……」
「早く起きれば良いのです。そんなことでは副官に笑われてしまいますよ。士官学校からも、知らせは受けてるんですからね」
ケイロン君ががっくりと肩を落としている。まあ、少年だからなぁ。それぐらいは大目に見てあげるべきだろう。
「ケイロン殿が育ちざかりだからでしょう。たくさん食べて睡眠を長く取るように体が要求している年頃ですからね。父上を越える偉丈夫に慣れると思いますよ」
「ほう……。嬉しいことを言って頂ける。やはり、ケイロンを押すか……」
「バリウス殿は成人を過ぎてますからね。すでに体は出来上がっているはずです。これからは武技を磨く日々になるのでしょうが、ケイロン殿なら体作りをまだ続けられます」
「さすがに父上を越えるのは難しいでしょうが、士官学校では皆に比べて体力が下なんです。何か良い訓練がありましたら教えてください」
そんなことで、長距離走と懸垂に腹筋の訓練方法を教えることになってしまった。
ほかにも色々とあるようだが、とりあえずはこれで良いだろう。そういえば、斬り合うことを想定すると反復横跳びもやった方が良いかもしれないな。
「毎日長距離を走れば、疲れ知らずの体を作れます。懸垂は腕の力が増しますし、腹筋を鍛得ることで腰の筋肉も付きますよ。最後の横跳びは敵との斬り合いに役立ちます」
「私が試しても良さそうだな。なるほどと頷けるものがある。ただ長剣を振っていても強くはなれんということだろう」
「それが分かるだけでも成長したということだろう。腕の力で長剣を振り回せば容易ということではない。長剣は全身を使うのだ。毎朝の素振りだけでは強くはなれんぞ」
そうは言ってもなぁ……。俺には耳が痛い言葉だ。
努力して得られる者達は幸せなんだろうな。いくら努力しても報われない俺からすれば羨ましくてしょうがないことだ。
今でも頑張ってはいるんだけど……。兄上の足元にも及ばないからねぇ。




