E-157 女神像の背景を作るには
秋分が過ぎると、ナナちゃん達が忙しくなる。
新たな稚魚を育てるために、養魚場の魚を分別して出荷するためだ。
手伝おうかとナナちゃんに告げると、ヴァイスさん達の小隊がすでに名乗りを上げていると教えてくれた。
何となく魂胆が分かるけど、育ちの悪い魚の一部を渡せば満足してくれるんじゃないかな?
伝令の少年達も、ロクロ作業を今日は休んで手伝いに向かった。
残ったのは俺とレイニーさんだけど、ナナちゃんが池に落ちないかと心配そうな顔をしている。たぶん心配のあまりその内に見に出掛けるに違いない。
今日は俺1人で留守番になりそうだな。
だけどその前に……。
「レイニーさん。フレーンさんは風の神の神官でしたよねぇ。この世界の宗教は色々とあるようですけど、摸造した花を飾るような行為は禁忌の範疇になるんでしょうか?」
俺の問い掛けが突然だったからか、飲みかけていたお茶が喉に入ったらしく咳き込み始めた。
しばらくコンコンと咳をしていたけど、呼吸を整えて俺に厳しい目を向けてくる。
「突然、変な質問をしないでください……。フレーン様に聞くのが一番なんでしょうけど、ナナちゃんが陶器に描いた皿を神殿の像の両側に飾っていましたよ。風の神は春を呼ぶそうですから、花が大好きだと教えてくれました。絵皿の花で良いなら、模造した花でも良さそうに思えますね」
なるほど、春を呼ぶ神でもあるんだ。
野草の花を普段は飾っているらしいけど、冬には花が無いからねぇ。何となくデザインが見えてきたな。
「また何か始めるんですか?」
「窓を作ろうかと考えてます。もう直ぐガラスが届きますから、それを使って礼拝所の飾りを作ろうかと考えてるんですよ。上手く出来たら、絵心のある住民に工房を作って貰いましょう」
陶器作りは何とか軌道に乗りそうだから、上手く行けば次の仕事も作れそうだ。
ガラス窓の標準的な大きさは、2フィルト(60cm)に3フィルト(90cm)らしい。大きな窓はその窓を繋げて作るとガラ肺さんが言っていたから、礼拝所の女神像の後ろに窓を設けるとすれば4枚のガラス窓を組み合わせて、横4フィルト、高さ6フィルトの窓を作れば良いだろう。女神像の大きさは4フィルトほどだから、調度良い感じになりそうだな。
さて、そうなると……。
メモ帖を取り出して、デッサンを始める。どんな構図が良いのかな……。
何枚か描いてみて、ナナちゃんに駄目だしして貰おうかな。
下段に花、全体が花、立ち木と小さな花……。何枚かメモに描いたけど、これを針金細工で作ることになるから、もう少し簡略化してみよう。
場合によっては、樹液に墨を混ぜた顔料でガラス面に描いても良さそうだ。
そうなると……。
テーブルでパイプを楽しみながら意匠を考えていると、扉を叩く音がする。
「どうぞ!」という俺の声を聴いて、指揮所に入ってきたのはティーナさんと副官の2人だった。
「レオン殿1人だったのか。邪魔をするぞ」
「どうぞお掛けください。今お茶を出しますからね」
俺が席を立つのを見て、副官のユリアンさんが慌てて、暖炉に向かった。
「ユリアンに任せれば良い。ところで、王子殿下の依頼は目途が立ったのか?」
「優秀な職人がいますからね。彼らに任せておけば安心です。とは言っても、完成は来春になるでしょう」
うんうんと頷いているところを見ると、その確認が目的だったようだ。
エクドラル王国には色々と便宜を図っているからなぁ。ティーナさんの評判も良いんじゃないか?
「なら安心だ。ちょっと心配になって来てみたのだが……。また面白そうなことをしているな。深窓の令嬢でもあるまいし、絵画が趣味であったか……」
「次の仕事を考えてました。これはそれに関係するんですけど、さすがに絵心が俺にはありませんからね。後でナナちゃんに監修して貰おうと思っていたんです」
「どうぞ……。ですが、だいぶ簡素な意匠ですね。王宮出入りの画家はもっと細密な下絵を描きますよ」
「あまり複雑だと、俺が作れなくなってしまいます。これぐらいが適当だと思うんですけどねぇ」
最初から決まった色しか使えないからなぁ。だけど、それが光を通すとなれば世界が違って見えるんじゃないかな。
「でも、この構図は、何かの背景に見えますね。この手前に何かを置くのでしょうか?」
「置くとすれば……、女神像! それなら、もっと丁寧に花を描写すべきではないか?」
ユリアンさんの感性は鋭いな。だけど、絵を描くわけでは無いんだよなぁ。だけど、そんな話をするところを見ると、すでにこの世界には俺が作ろうとしている者が存在するのだろうか?
「王都の神殿のタペストリーは立派ですからねぇ。あれだけで金貨50枚を超えたと聞いたことがありますよ」
「誰もがその前で祈らずにはいられないほどの出来だ。その値段をありがたがっているわけでは無い」
タペストリーということか……。
母上から聞いたことがある。大きな絨毯のような代物らしいけど、それは物語や風景を色糸で織りあげたり、刺繍を施したものらしい。
「似たようなものですけど、少し違いがあります。出来たら礼拝所に飾りますよ」
「レオン殿がタペストリーを自ら作るのか? さすがにそれは……」
噴き出す寸前まで笑みが崩れているから、俺には到底無理だと判断したんだろうな。
ユリアンさんまで下を向いて肩を震わせている。
ちょっと笑い声が漏れているんだよね。
そんなことがあった日から数日後。
ナナちゃんに俺の描いた意匠を見せると、直ぐに1つを選んでくれた。
「これが良いにゃ。この前に女神様が立つにゃ!」
教えなくても、その構図だけで分かるんだろうか?
ナナちゃんの声に、レイニーさんが首を傾げながら俺に顔を向けた。
「そうなんですか?」
「ええ、礼拝所の女神像の後ろが少し寂しいですから、これを作ろうかと考えてたんです」
「レオンさんに絵心があったとは!」
ちょっと驚いてるけど、俺が描いた絵皿を見て「可愛いネズミですね」と言ってくれたんだよなぁ。あれはネズミじゃなくて花と花の蕾だったんだけどね。
それ以来皿に絵を描くことは無いんだけど、母上は長屋のリビングに飾ってくれている。下手だけど、それなりに味があると思ってくれているみたいだ。
「少し手直ししてあげるにゃ! これだと女神様が可哀そうにゃ」
うんうんと、レイニーさんが頷いているのが気になるところだ。
「色を付けたいから、あまり細かなことは出来ないよ。でもそれぐらいの形なら何とかできそうだから、ナナちゃんが直してくれると助かるよ」
「任せるにゃ!」
大きな声で返事をしてくれたから、後は安心して任せられそうだ。
後は材料が届くのを待てば良いか。オビールさんが届けてくれるだろうから、初雪前には手に入りそうだな。
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秋の収穫を終える頃、毎年の恒例行事が始まる。
エルドさんの部隊が魚の卵を採取に出掛けるのだ。往復3日の仕事だけど、網に掛かった魚を燻製にして持ち帰るのはヴァイスさん達の仕事らしい。
今夜は炙った魚が食べられると、帰りを楽しみに待っているのは俺だけではないようだ。レイニーさんもたまに外にふらりと出掛けて行くのは東の楼門まで出掛けて行くに違いない。レイニーさんも楽しみなんだろうな。
昼食後に、小屋の土器に水を流しておいたし、土器のストーブにも大きな焚き木を投げ込んでおいたから、帰ってから暖かい小屋で作業が出来るだろう。水は冷たいけど部屋が暖かければ作業がはかどるに違いない。
夕暮れ間近くなって、レイニーさんが指揮所に入ってきたんだが、顔に笑みが浮かんでいるところを見ると帰ってきたようだな。
東門でずっと待っているナナちゃんも、安心しているに違いない。
「見えましたか?」
「はい。昔と比べて格段に安全になってはいますが、やはり心配ですから」
「確かに安全にはなりましたね。ですが……、ブリガンディは未だに敵対関係ですからねぇ」
そうは言っても、ブリガンディは魔族相手にどうにか戦線を維持しているのが精一杯に思える。
おかげで、領内の獣人族排斥が思うように行っていないようだ。秋分にエディンさん達がやって来た時もブリガンディからの避難者が10家族以上いたからなぁ。
まだまだ俺達を頼ってくるに違いない。
この頃は、農家よりも工房の職人達が多いように思える。今回だって、農家は3家族だけだったからなぁ。残りは機織り職人や、チーズ作りの職人だったようで、マクランさんが喜んでいたからね。
「魚の卵の採取が終わると、いよいよ冬ですね」
「何とか南の城壁も完成しましたし、尾根の方は腕木信号機まで作りましたからね。これで少しは安心できます」
「安心できる一番の要因はエクドラル王国が私達を敵視していないからでしょう。とはいえ安心はできませんけど……」
あまり心配していてもしょうがない。いつ敵対しても問題が無いように防衛体制を維持しておけば済むことだ。
来年からは、開拓に本腰を入れられそうだから、一気に耕作地が増えるんじゃないかな。
エルドさんとマクランさんが西の楼門近くに新しい集落を作ろうなんて言っていたけど、どうなんだろう?
今年の冬の会議は、その集落をどのように作るかで盛り上がりそうだ。
受精卵を清水の注ぐ深皿に沈めたところで、収穫祭が翌日に行われる。
年に1度の祭りだからね。中央広場の真ん中に大きな焚火が作られると、広場の片隅にはワインの樽が積まれて、エクドラさん達が腕を振るった料理がテーブルに並べられる。
若い連中が焚火を囲んで踊りの輪を広げ、マクランさん達は有志の奏でる音楽に手拍子を合わせてガラハウさんとワインを飲んでいる。
皆の顔に浮かんだ笑みが焚火に照らされて眩しいくらいだ。
「こんなところで、パイプを咥えているとは!」
呆れた口調で呟いて俺を腕組してみているのはティーナさんだった。
「あまり騒がしいのは……」
「ほらほら、一緒に踊るぞ! ナナちゃんも一緒だからな」
俺とナナちゃんの腕をつかむとそのまま踊りの輪の中に入り込む。
確かに、皆と溶け込むのは悪くはない。ティーナさんとナナちゃんの手を取って、風変わりなダンスのステップを踏みながら、焚火の周りを回ることになってしまった。
「やはりここは良いなぁ。宮殿や砦ではこんなことはできないぞ」
一番うれしそうなのはティーナさんに思えてしまう。
それなりの地位があるんだろうな。こんな踊りを住民と一緒になって踊るなんてことは、本国ではできなかったに違いない。




