E-139 ナナちゃんの中級魔法
弓を満月に引き絞り、タァーン! と放つ。
唸りを上げて矢が飛んでいき、俺を見上げた巨体のイエティの左目に吸い込まれていった。
一瞬周囲の時が止まったように、静かになる。
次の瞬間、巨体が坂を転げ落ちていくと、味方の兵士達が尾根に木霊すような歓声を上げた。
「「ウオォォ……!!」」
幾重にも木霊が返って来るなか、俺の最中を叩く者がいた。
振り返ると、槍を小脇に携えたティーナさんが笑みを浮かべて立っている。
「さすがだ……。さすがはオリガン! 街道随一の弓使いだ」
「たまたまですよ。まだまだ上がってきます。油断はしないでください」
さて、次は……。あいつか!
オーガに一矢浴びせておけば、少しは動きが鈍るだろう。
たまに小さな炸裂音が聞こえるのは、爆裂矢を放ったに違いない。
まだまだ爆弾はあるみたいだが、大きな爆発音はかなり間が開いている。
最後の矢をイエティに放ったところで、槍を手にした。
残ったオーガは数体だし、満身に矢を浴びている。もう少しで石垣に届くだろうが、届けばティーナさんの槍で一突きにされるに違いない。
となると、問題は3体残ったイエティだな。
矢が数品突き立っているけど、それほど深くは無さそうだ。
爆裂矢を受けた場所は体毛が黒々と焦げているけど、やはり密な体毛が爆裂の衝撃を和らげているということなんだろう。
さて、どうするか……。悩んでいる俺の傍にナナちゃんがトコトコと歩いて来ると、片手を上げて大声で不思議な呪文を唱えた。
柵の下20ユーデほどの距離に、長さ10ユーデほどの半円の炎が上がると、炎の勢いを増しながらゆっくりと外側に向かって広がっていく。
ゴブリン達を巻き込みながらどんどん谷底に向かって広がり、3体のイエティたちが巻き込まれる。
大声を出しながらその場で悶え始めたのは、体毛に火が付いたからだろう。その場で倒れると谷底に転がり落ちて行った。
凄いな……。下を見ると、先程までいたナナちゃんはすでにテーブルの下に引き上げてしまっていた。盾の隙間からこっちの様子を見ているから、片手を振って小さく頷いた。
「ありがとう!」と、ちゃんと伝わったかな?
まだまだゴブリンが上がってくるから、槍を持ってゴブリンを突く。
とはいえ、最大の敵がとりあえずいなくなってくれたことは確かなようだ。
「逃げ出したにゃ! 向こうの斜面が賑わってるにゃ!!」
「了解だ! ならこれが最後の奴か!」
柵を登りきる直前のゴブリンに槍を突き立て、そのまま柵から谷に落とす。
突いた槍を戻すために、最初は槍を力任せに引いていたのだが、そのまま相手に槍を送り込むとゴブリンの体重で突いた槍が離れていく。
もっと早く気が付くべきだったな。ちょっとした武器の使い方の相違で、だいぶ体力の消耗が違ってしまう。
ゴブリンが柵を登ってこない。
擁壁から斜面を眺めると谷底から昇ってくるゴブリンが全くいない。
視線を先に移すと、手傷を負ったゴブリン達が西斜面を力なく上っているのが見えた。
オーガやイエティの姿が見えないのは、谷に落ちたところを爆弾で体が咲かれてしまったのだろう。
何とか凌げたのかな……。
パイプを取り出して、松明で火を点ける。
伝令の少年達に、各部隊の点呼結果を知らせるように指示を出したところで、擁壁に寄り掛かりながら引き上げる魔族を眺めた。
「終わった……、ということか?」
「たぶん、今回の戦は終わりでしょう。ですが、これで諦めるような魔族ではありません」
次は、さらに魔族の種類が増えそうだ。
やはり長距離攻撃の方法を早く形にしないといけないだろう。
「さて、戻りましょう。大きな被害が出ていないと良いんですけど……」
「エクドラル王国軍なら大被害を被っていたに違いない。やはり、レオン殿の用兵と兵器の差によるものだろう。その辺りを教えて欲しいところだ」
爆弾を知られてしまったからなあ……。
作り方は大まかに説明したけど、それで出来るとも思えない。俺達への攻撃に使わないことを条件に、ある程度の数を渡すことになってしまいそうだな。落としどころとしては20個程度、しかも俺のバッグに入っている小型の爆弾辺りにしたいところだ。
指揮所に戻って、ナナちゃんにお茶を淹れて貰う。
小隊長達が集まってくるだろうから、たっぷりとポットにお茶を作るように頼んでおく。
ティーナさん達とお茶を頂いていると、続々と小隊長達が集まってきた。
点呼結果をメモを取りながら確認すると、軽傷者はかなりの数だが重傷者はいないようだ。矢を受けた者が結構いるようだが、内臓に達するような深手を負わなかったのは、笛の合図で盾の後ろに上手く隠れることが出来たということだろう。
高く鋭い笛の音は、戦場の騒音の中でも聞き取ることが出来るからに違いない。
「魔族相手に、善戦出来たということですね」
「やはり爆弾は強力だな。それよりあの匂いのキツイ爆弾も使えるようですね。失敗作だが炸裂はするだろうとガラハウ殿が言ってましたが、あれはあれで使い出があるように思います」
例の硫黄が多かった奴だな。亜硫酸ガスという言葉とかなりの猛毒ガスだという記憶が浮かんでくる。
「俺達は硫黄の匂いに気が付く程だが、谷底の魔族は咳き込んでいたぞ。そのままふらついて倒れるゴブリンもいたようだ」
「それだけ毒性があるということなんでしょう。谷底へ使う分には良いですけど、万が一にも城壁の内側で爆発するようなことがあれば、こっちが被害を受けかねません。次を作ることについては町に戻ってからじっくりと考えましょう」
爆弾の話題はそこまでにして、イエティ対策について皆で考えることにした。
バリスタの太い矢を受けて、斜面を転げ落ちた奴もいたようだ。それ以外で倒せたのは俺が矢を目に射こんだものと、ナナちゃんが中級魔法で炎の壁で焼いたイエティだけだったらしい。
「もう少しバリスタの強度を上げられませんか? 尾根の斜面を上がってくるのですから、動きはそれほど早くはありません。じっくり狙ってボルトを打ち込めばあの体毛ですら貫通できるのではないかと」
「爆裂矢を数本受けても、あまり変化が無かったにゃ。射程を短くしても爆薬の量を増やして欲しいにゃ」
やはり直ぐに倒せないということは問題なんだろうな。
大きな石を当てても良さそうだけど、カタパルトでそれほど上手く当てられないからなあ……。
「爆裂矢の火薬を増やすと、こっちにまで被害が及びますよ。あれは現状のままにしましょう。ですがバリスタの強度を上げるのは、それほど難しいとも思えません。帰ったらガラハウさんと相談です」
「それで、しばらくは此処で待機ですか?」
「3日ほど待機した方が良さそうです。魔族は西の尾根に戻ったようですが、再編して再び襲って来ることも考えられます」
とはいえ、下の谷はゴブリン達の亡骸が積み重なっているに違いない。
山の獣達が後始末をするのには時間が掛かりそうだな。
「部隊の半数を現状待機として、残りは休ませても良いでしょうか?」
「そうしてください。さすがに夜襲等されたら困りますからね。休む兵士達にも、即応できるよう武器の手入れをした後に休ませれば良いでしょう」
槍を軽く研ぎなおし矢筒に規定数の矢を補充しておくぐらいは、やっておいて欲しいところだ。
「今夜、何もなければ明日の朝に、レイニーさんに伝令を出します。心配しているでしょうからね。それでは解散します」
小隊長達が指揮所を出ていくと、俺達とティーナさん達の4人だけになってしまった。夕食までには時間があるから、ゆっくりと体を休めることにしよう。
夕食を終えた小隊長達が集まってくる。
とりあえずは、魔族との戦に勝利したことにワインで乾杯する。
ヴァイスさんの話では、西の尾根より先に焚火がいくつか見えるらしいが、数は10か所にも満たないらしい。
「西の尾根に動く物は確認できないにゃ。その先に焚火の明かりが見えるから、夜襲があるとは思えないにゃ」
「敗退を受け入れた……、と考えられますね。魔族の指揮官は無能というわけでもなさそうです」
「最初にゴブリンを使って我等の矢を使い果たそうと考えたのだろう。だが、向こうが考えるより俺達の準備した矢の数が多かったということですかな」
矢数という点では、魔族の作戦は良くできていたと考えるべきだろうな。ヴァイスさんの話では、2回目がやってきた時には矢の数が1会戦分と少しだったらしい。
それに爆弾もだいぶ使ってしまったからなぁ。残った爆弾は全部で数十ということだから、谷底でかなり爆発が続いたのも頷ける話だ。
「それにしても……、イエティの目に矢を射ることが出来るとは……。父上に話しても信じては貰えないだろうな」
「たまたまですよ。エクドラル弓兵の中には俺を越える者がたくさんいるんじゃないですか?」
「謙遜も場合によると相手を侮辱する言葉になるぞ。だが、レオン殿がそう言って我等の軍を評価してくれるなら弓兵達は喜ぶに違いないだろうな」
ティーナさんがちょっときつい目を俺に向けて、叱責の言葉を放つ。だが、最後は笑みを浮かべていたから、それほど怒ってはいないようだな。
「相変わらずの弓の腕ですか……。80ユーデ離れた的の黒点に矢筒の矢を全て打ち込むんですからねぇ……。あれを見たことがある人物なら、レオン殿の腕がたまたまではないことは分かっています」
「80ユーデ離れたら矢に勢いがなくなるし、的を描いた板に当たるかどうかにゃ」
ヴァイスさんはもう少し練習すべきだな。少なくとも板には当てて欲しいところだ。
だが、遠矢には別の目的もある。そもそも当てようなんて考えで遠距離射撃をすることが間違っているのだ。
大勢が一斉に矢を放ち、面で相手を制圧する。それが矢の雨を作る目的だからね。
100ユーデ先を狙うなら、バリスタを使えば良い。
「やはり、槍をもっと練習しないといけません。十数発の銃弾では攻め手に対処するのは難しいです」
エニル達は銃弾を使い果たしたようだな。
だけど槍の練習自体は間違っていない。銃の発射間隔はクロスボウよりも間延びしてしまう。
強力な武器ではあるんだが、大勢を相手にする際には少し考えないといけないだろう。




