E-137 ゴブリンだけが押し寄せてくる
まるで津波のように、黒い波が谷底から斜面を上ってくるようだ。
ゴブリンの数があまりにも多いのだ。これなら適当に矢を放ってもゴブリンに当たるだろう。
ロープを切られた火の玉が、弾むように斜面を転がっていくとゴブリンの波に激突した。ゴブリン達を焼きながら谷底に落ちていく。
少しは勢いを削げるかと思っていたんだが、火の玉が通って開いた隙間がたちまち他のゴブリンで埋められていく。
ドドォォン!!
大きな炸裂音が聞こえ、谷底に爆炎が舞い上がった。
早速始めたな。思わず笑みが浮かぶ。爆弾1つでどれだけのゴブリンを葬れたか……。谷底は鬱蒼とした木々で地面が見えないけど、少なくとも十数体は始末できただろう。
「あれか! 防衛には一番だな」
「近くで爆発したなら、俺達だって被害を受けますよ。数が少ないですから密集している場所に落としたいところです」
たまに火の玉が飛んでいくのは距離を確認しているためだろう。
このまま爆弾を数発放ったところで、今度は石に変えるはずだ。
「来るぞ! 覚悟を決めろ!!」
後ろを振り返って、大声で激励する。
「「オオォ!」」という応えが、谷から聞こえるゴブリンの甲高い叫びでかき消されそうだ。
弓を構えて柵の手前に陣取る。
俺が一番左手になる。直ぐ右はティーナさんだが朝日を浴びてチェーンメイルが輝いているな。この指揮所で一番偉い人物に見えてしまうんじゃないか?
ギギヤー! という叫び声をあげて斜面を駆け上がって来たゴブリンがその勢いで柵を越えようとしたところに矢を放つ。
俺達の知る指揮所は西と南北の壁は丸太の外側に石を積み上げている。南北に延びる石垣よりも、ここだけ石垣の高さが4ユーデほどに積み上げられている。
わざわざここを登ろうとせずに左右の石垣の柵を登れば良いと思うんだけどなぁ。
やはりここを落としてこそ、魔族内で誇れるということになるのかな?
擁壁に沿って柵を回しているから、ゴブリン達はどうしても柵を上ることになる。
俺達に無防備の腹をしっかりと見せてくれるんだから、その腹に槍や矢を放てばゴブリンを倒すことは容易いことだ。
とはいえ、何せ数が多い。
俺達の攻撃の隙をついで柵の上部にまで達するゴブリンもかなりの数だが、そんな連中には後ろの弓兵達やクロスボウ兵が矢を浴びせている。
上手くゴブリンに当たらなくても、そのまま下に飛んでいけば斜面を上ってくるゴブリンに当たるかもしれないな。
「なるほど、数の脅威と話に聞くことはあったが、実際に経験すると確かに脅威そのものだな」
「魔族の一番恐ろしいのはその数なんです。オーガも脅威ではありますが数が少ないですからね。それに、このゴブリンの後にやってくる連中が厄介なんですよ」
次々に柵に取り着くゴブリンを倒しながら、ティーナさんと雑談ができる。
まだまだ始まったばかりだ。その内、話しもできない程に疲れがたまってくるだろう。
軽装歩兵と持ち場を交代して後ろに下がると、空っぽになった矢筒をテーブルに置いて弓の代わりに槍を持つ。
残った12本はオーガやホブゴブリン対策に使うとしよう。
ゴブリン相手なら槍で十分だ。
持ち場に戻る前にバッグから爆弾を取り出して、まだ煙の出ている松明の残り火で火を点けた。
直ぐに谷に向かって投げると、やや間が空いて炸裂した。
大きな爆弾と違って音が高く感じる。それでも製鉄した際に出てくる鉱滓を砕いて火薬の筒の周りを囲んでいるらしいから、威力は十分のはずだ。
テーブルの下から顔を出したナナちゃんに笑みを見せたところで、再び俺の持ち場へ向かう。
「なんとも、凄いものだ……。終わりが見えん!」
「まだまだ続きますよ。軽装歩兵が控えていますから小休止してください。でないと体力が持ちませんよ。オーガ相手に疲れた体では返り討ちに合いますからね!」
「そうさせて貰うぞ! ユリアン! 一旦、後ろに下がるぞ!!」
敵が鯨波で押し寄せるなら、俺達は体力を温存しながら戦うしかない。
それに、現状では弓兵の矢も十分にあるからな。
柵に取り着いたゴブリンを槍で突き続ければ、連中が柵を超えることは出来ないはずだ。
指揮所近くに設置したカタパルトが交互に爆弾と数個の石を谷に落としている。
谷のいたるところから爆弾の炸裂する音が聞こえて来るし、谷の枯れ木に火が付いたのだろう、だいぶ煙が広がっている。
「それにしても、どんな仕掛けで放つのだ? 谷そこまでかなりの距離があるが、しっかりと届いているぞ」
「高台ですから、届くようなものです。平地では150ユーデにも達しません」
「それでもあの石が当たったなら、ただでは済むまい。防衛戦とはいかに工夫するかが大事なようだな」
バリスタのような弓仕掛けでも石を飛ばせるかもしれないが、俺達は革紐の捻じれを利用している。おかげでカタパルトは小さく作れるのだが、もっと数を増やしたん方が良かったかもしれないな。
カタパルトが飛ばす石は、山が崩れた場所に行けばいくらでも手に入る。
結構運んだらしいけど、たまに小さな石が纏まって飛んでいくのは軽装歩兵達が投石具を使っているのだろう。
あれも弓の代わりになるからね。
柵で槍を使っていると、たまに下の方で飛んできた石に当たったゴブリンが斜面を転がり落ちていくのが見える。
矢やボルトなら確実に負傷させることが出来るのだが、石は当たり所によるからなぁ。
それでも20ユーデ程転がり落ちるんだからただでは済むまい。後から登って来る連中に踏まれているようにも見える。
短い休憩を挟みながら、槍を振るい続ける。
ゴブリンの叫び声と、俺達の蛮声で耳が痛くなるほどだ。
だが、いまだに屋根の上に降り立ったゴブリンは1体もいない。
ティーネさん達が頑張ってくれているからかな?
そんな時だ。ちょっと嫌な臭いが谷底から昇ってきた。
今まで嗅いだことが無いような異様な匂いなんだが、急に漂ってきたんだよなあ……。
風は弱く北から吹いてきているところを見ると、北の待機所辺りで何か起こったんだろうか?
後方の盾に隠れて槍を握っていた少年を呼び寄せ、北の待機所で何があったかを確認させる。
あの匂いと共にゴブリンの勢いが弱まった感じもするんだが、まだまだ上って来る。
原因は分からないけど、俺達にとって都合が良いことは確かだ。
「報告します! あの匂いの正体は爆弾のようです。古い火薬の有効利用と言ってました」
「火薬だって? ああ……、そういう事か!」
確かに硫黄の匂いだ。どうやら調合比率を間違えた火薬を爆弾にしたってことか。
爆発というより空隙燃焼という感じだったに違いないが、硫黄のガスは確か毒じゃなかったか?
尾根の上にまで匂うということは、谷底ではさぞかし悲惨な状態なんじゃないかな。
道理で、ゴブリン達に勢いがなくなったわけだ。
「たまたまって事だな。次は無いかもしれないが今回は助かった感じだ」
「あの匂いの正体が分かったのか?」
「火薬の調合失敗の産物です。硫黄が勢いよく燃えた感じですね。硫黄が燃えると、場合によっては体に有害なガスになります。ゴブリンの勢いが弱まったのはそのせいでしょう」
「火薬作りをしているのか! まあ、爆弾も銃も火薬を使うのだから、それぐらいは出来るのだろう。だが、個々にいても匂うようだ。我等にも害が出ることはないのか?」
尾根の上だからなぁ。それなりに風が吹いているから拡散してしまうだろう。
それにこの高さまで毒ガスが昇ることは無いはずだ。
尾根にいるなら心配は無いと周囲の連中に大声で知らせる。
さて、また槍を振るうか……。
「どうした? 首を傾げて」
ちょっと違和感を覚える……。
何か物足りない気がするのだが、それは何だ?
そんな俺の姿を見ていたのだろう。ティーナさんが問いかけてきた。
「何か物足りない気がしてるんですが、それが何かと……」
「ゴブリンはまだまだ上って来るぞ。物足りないというのは、それだけレオン殿に余裕があるのだろう」
そうなのか?
いや、そんなことは無いと思うんだけどなぁ……。
ゴブリンに槍を鋭く突き刺し、素早く槍を引く。
直ぐに引き戻さないと、ゴブリンの腹筋で穂先が押えこまれる。そうなると、力任せに槍を引き抜くことになるから体力が持たない。
とはいえ、だいぶ穂先が鈍ってしまった。
今は力任せに突きさしている感じだから、戦が終わる前に俺の体力が尽きてしまいそうだ。
槍を持って、後方に下がる。
テーブルの上に載せられた、お茶の入ったカップを一気に飲み干す。
かなり温いからなぁ。熱かったらこんなことは出来ないだろう。
そんなことを考えていた時に、いきなり俺の違和感の原因が分かった。
とっくにやってきても良いはずの魔族の姿が見えないのだ。
「オーガが見えるか?」
見張り台の上に大声で尋ねる。
ネコ族のお姉さんが2人、斜面や谷を眺め始めたが、やがて帰ってきた返事は「どこにもいないにゃ!」というものだった。
確かにいたはずだ。
となると、南北どちらかの待機所に向かったということだろうか?
「オーガがいないだと?」
「向こうの尾根に魔族が終結した時には確かにいました。となると……」
「これは陽動かもしれんな。本隊は南に向かったと考えるべきだろう」
陽動といっても、かなりの数のゴブリンだぞ。
それを陽動に使ったなら、終結した魔族の総数は2個大隊近くに達していたんじゃないか?
「向かった先は、新たな砦で間違いなさそうだな。熾烈な戦が明日には始まるだろう。一度、王都に戻り軍の配置を考えねばなるまい」
「その前に、このゴブリン達を何とかしましょう。次の戦が少しは楽になるかもしれませんよ」
「まったく、その通り……」
再び数との戦いが始まる。
次の戦には槍をもう1つ用意しておこう。いったいどれぐらい倒したか分からないが、穂先が鈍るとは思わなかったなあ。




