E-136 火の玉を落とせ!
鋭い笛の音と背中を叩かれた痛みで目が覚めた。
いつの間にかテーブルに体を預けて寝入っていたようだな。
直ぐ隣にナナちゃんが弓を持って立っているのを見ると、あの弓で叩かれたに違いない。
「ありがとう。起きたからだいじょうぶだよ」
「少し明るくなってきたにゃ。松明が沢山こっちに動いているとさっき知らせがあったにゃ」
夜明けの奇襲ってことかな?
やはり高い場所に指揮所を作ったことで、状況が良く見えるようだ。
「ティーナさん達はどこに?」
「上に上がっていったにゃ」
「なら、俺達も急がないとね」
席の後ろに立て掛けたあった槍を手にして、ナナちゃんと指揮所を出る。厚手の毛皮の上着は腰ほどの丈があるから、早朝の寒さの中でも十分に暖かい。
ナナちゃんも同じような服装だけど、すでにベルトには矢筒が下がっている。
クロスボウも持っているんだけど、先ずは弓を使うってことのようだ。
指揮所の屋根に上ると、1個分隊の弓兵と軽装歩兵が待機していた。西の谷に面した擁壁に2つの鎧姿がある。ティーナさん達なんだろう。しっかりと槍を握って西を眺めている。
「遅れて申し訳ありません」
隣に立って、とりあえず詫びを言っておこう。後々の笑い者にはなりたくないからね。
「さすがは、レオン殿。戦場でイビキをかいて寝入るとは父上にもまねが出来まい」
「もともと寝起きが悪いんです。ナナちゃんにいつも苦労を掛けているのを恥じ入るばかりです」
「ハハハ……。だが、部下はそうは思っていないようだぞ。豪胆な人物として見られるのだから良いことには違いない。それより、あれをどう見る?」
2つ先の尾根から、次々と松明が東の谷に向かって降りていく。
全員が松明を持っているとは思えないから、その10倍以上の魔族が移動しているに違いない。
「来ますね……。やはり大隊規模ですよ。槍の穂先は研いでいますが、最後は長剣になりそうです」
「やはりそう見るか。ユリアン、思う存分長剣を振るえるぞ!」
「予備の長剣も用意してますよ。後ろの見張り台前のテーブルに置いてありますからね」
呆れた人物だな。確かに長剣を長く使えば刃先が鈍ってしまう。兄上は長剣の2つの刃を上手く使えと教えてくれたんだが、それは長剣の2つある刃が片方は鋭角であるのに対してもう片方は鈍角であることを教えてくれたようにも思える。
数人を相手にするなら鋭角でも良いのだろうが、多人数なら鈍角の方が切れ味を長く維持できるらしいのだが……。生憎と俺の長剣は片刃だからね。あまり武技を誇れないから、背中に背負っているぐらいがちょうど良い。
後方に目を向けると、テーブルの前に盾がおいてある。あれならテーブルの後ろにナナちゃんを置いても安心できそうだな。矢が飛んできても、テーブルの下なら矢を防げるだろうし、位置的にも俺達を後方から援護して貰えそうだ。
「ナナちゃん。戦が始まったら、あのテーブルの後ろで俺達を援護してくれないかな。それと、熱いお茶をお願いしたいんだが」
「分かったにゃ。お茶はあのテーブルの後ろにコンロにポットが乗ってるにゃ。今用意するにゃ。ティーナお姉さんも飲むかにゃ?」
「ありがとう。ユリアンの分もお願いする」
ナナちゃんが後ろに向かっていったけど、いつの間にか自分を姉さんと呼ばせているようだ。案外年下の妹が欲しかったのかな?
ナナちゃんが姉さんと呼ぶ人物は結構多いように思える。
母上も自分の子供の様に接しているからなぁ。この間もエディンさん経由で、姉上が子供時代に着ていた服を取り寄せてマリアンと一緒に手直しをしていたぐらいだ。
「魔族は一気に攻めて来るのだろうか?」
「砦時代での戦は力攻めでした。集結して一気に押し寄せてきます。先ずはゴブリンですね。それこそ数で押してきます。防備が崩れると今度はオーガやホブゴブリン達の出番になります」
「弓兵もいるのだろう?」
「もちろんいますよ。ですが数は多くありませんし矢の有効射程が50ユーデほどですからね。矢の雨を降らせるのが目的ではなく、火矢を撃ちこむのが目的の様に思えます」
「それで、水樽をいくつか用意してるのか。となれば矢はあまり気にせずともよいな」
「そうでもありません。いつ飛んでくるかわかりませんよ。なるべく擁壁から離れて槍を使ってください。擁壁の上の柵を越えたならよろしくお願いしますよ」
ティーナさんが笑みを浮かべて俺の肩をポンと叩いた。
鉄の籠手を着けているからかなり痛かったぞ。戦の前に怪我をしたなんてことになったら、兄上が腹を抱えて笑い転げるかもしれない。
ナナちゃんが用意してくれたお茶を飲みながらパイプを楽しむ。少し苦いお茶だけど、頭がだんだんと冴えてくるのが分かる。
もうすぐ太陽が昇るのだろう。だいぶ東の空が明るくなってきた。
望遠鏡を取り出して西の終えの先を眺めると、まだまだ魔族が尾根を下りている。
1個大隊を越えているのかもしれないな。
とはいえ、防衛部隊をこれ以上増やすこともできないだろう。俺達には爆弾があると言っても数が限られているからなあ。
苦戦を免れることは出来ないようだ。
「向こうの尾根にもだいぶ魔族の姿が見えるな」
「あの尾根はなだらかなようです。結構尾根の先が見えますよね。魔族の終結には都合が良いのでしょうが、俺達を攻めるには谷に下りてこの尾根の急斜面を上らないといけません」
「地形も味方ということか? 確かに急だな。それに立木がほとんどない」
「斜面の上半分ほどの立木を伐採したんです。おかげで遮蔽物がありませんし、武器を持って昇るのに苦労するはずです」
尾根自体が巨大な土塁になっている。切り倒した木の幹で柵を作り、先端部分はまとめて逆茂木となるよう斜面に杭で固定している。
切り倒してから年数が経っているから、今は枝だけだけど役に立ってくれるだろう。
火矢や火の玉が転がって火が付くかもしれないが、それはそれで敵を近づけない防壁になる。
「さすがに下の谷で体制を整えようとはしないでしょう。一度手痛い目に合ってますからね」
「それで尾根の上ということか……。だが、あそこから攻めるとなれば体力が続かんだろうに」
魔族は俺達と同じような体をしているのだろうか?
少なくとも俺達よりは寒さに強いようだけど、獣などを焼いて食べる様子も見たことがある。
同じような食事を取るとなれば、肉体は似ていると思うんだが魔族を相手に戦うときは、息切れするのが俺達の方が早いように思える。
となれば、奴らの持久力は俺達を凌ぐということになるのかもしれない。
そうだとすれば、あまりうれしくないな。
「ゴブリンは体力は俺達より劣るかもしれませんが、持久力はあるかもしれません。斜面を上がってくるときは両手を使って上ってきますので、弓の良い的なんですけどね」
「やはり弓の練習をしておくか……。長剣に槍、その上に弓まで使えるようになるなら、父上も喜ぶに違いない」
そんなティーナさんの呟きに、苦笑いを浮かべてしまう。
遠距離、中距離、近距離の武器が1人で使えるなら騎士として誰もが目を見張るに違いないけど、嫁さんに欲しがる者がいなくなるんじゃないかな。
料理や手芸を少しはたしなんだ方が良いと思うんだけどねぇ……。
「うむ? だいぶ魔族の動きが鈍ってきたように思えるのだが」
ティーナさんの言葉に望遠鏡を向けると、どうやら移動が終わりつつあるようだ。
前列はゴブリンだな。総勢で数千はいるんじゃないか?
後列のいるのは……、やはりオーガを投入してきたか。1個小隊には満たないが、数十ともなると面倒だな。
トラ族の兵士はウーメラの練習をちゃんとしているかな?
あれならオーガでも倒せると思うんだが……。
「オーガがかなりいますよ。ホブゴブリンの姿は見えませんが、いると思った方が間違いないでしょうね。弓兵は見えませんが、ホブと同じく後方にいるのかもしれません」
「先ずはゴブリン、それにオーガが混じると思えば良いな。ユリアン、助太刀無用だぞ!」
「危ないようなら、直ぐに槍を使いますよ。でも、まあ……、オーガを相手に1人で立ち向かったなら、オルバス卿も笑みを浮かべるとは思いますが」
「兄上の残念がる顔が目に浮かぶ」
笑みを浮かべて舌なめずりをしているんだよなぁ。そんな俺達のところに、平たいパンに焼肉と野菜を挟んだ朝食が届けられた。
先ずは腹ごしらえってことかな?
擁壁に寄り掛かって西を眺めながら朝食を取る。
向こうは朝食を取ってはいないだろうな。ひょっとして、俺達が朝食ってことになるのか?
それはちょっと遠慮したいところなんだが……。
朝食を終えて、パイプを咥えながら西を眺める。
ゴブリン達が尾根に一列に並んで、何やら叫んでいるようだ。
北の山脈から吹き下ろす風で声が流れているのか、ここでは全く聞こえないな。
さて、俺も準備をするか。
テーブルに槍を立て掛けて、バッグの中の魔法の袋から自分の弓と矢筒を取り出す。
俺の矢は少し長いから、ヴァイスさん達の矢と共有することができない。予備は20本ほどあるが、矢が無くなったら後は槍を振るうだけになる。
ナナちゃんはどこにいるのかな? 辺りを探したら、テーブルの下で御菓子を食べていた。
手元に弓が置いてあるからすでに準備完了ということだろう。
「頑張ってね!」と声を掛けると、小さく頷いてくれた。口の中にお菓子が入ってるんだろうな。
笑みを浮かべて、その場を離れ西の擁壁に体を向けた時だ。
見張り台の上から鋭い笛の音が、何度も聞こえてくる。
「まるで滝のように尾根を下りてきます!」
「了解だ。……籠に油を掛けろ。まだ火は点けるなよ!」
火の玉が転がれば、それを合図にカタパルトが爆弾を飛ばすはずだ。
谷にゴブリンが溢れる頃合いを狙えば効果的だろう。
ツボから粗朶をたっぷりと詰め込んだ籠に油が注がれる。
松明を持った兵士と片手剣を持った兵士が待機しているから、俺の号令次第で火の玉が転がり落ちるはずだ。
擁壁に近づき谷を眺めると、すでに斜面を登り始めたゴブリンが見えた。
頃合いかな?
「火を点けろ! まだ落とすなよ!」
油が十分に詰め込んだ粗朶に浸み込んでいるんだろう。たちまち大きな火の球になった。
「落とせ!」
片手剣が振るわれ、籠を釣り上げていたロープが切られる。
火の粉を撒き散らしながら、火の玉が斜面を下ると同時に、空にいくつもの火の玉が飛んでいくのが見える。
カタパルトで、火の付いた籠を放ったのだろう。重さは爆弾と同じにしてあるはずだから、飛距離がこれで分かるはずだ。




