E-130 エクドラル王国の大使がやってきた
マーベル協和国がいくら北の地であっても、盛夏の暑さはかなりなものだ。
仕事は朝夕に行い、日中はなるべく木陰で体を休めることになる。
少年達は暑さをものともせずに荷車で石を運んでくれてるから、俺達も頑張らないといけないんだけどなぁ……。
「だいぶ石積が進んだと聞きましたよ。俺達も少し西に移動すべきかもしれませんね」
「ですねぇ……。それだけ子供達が石を運ぶ距離が短くて済むんですから」
少年達の運ぶ荷車が遠ざかるのを見ながら、俺達は木陰で一服を楽しむ。
休憩ばかりのような気もするけど、他にもう1か所石を積み込む場所があるからあまり頑張らなくてもだいじょうぶのようだ。
それよりも炎天下で石を積み上げている連中が気の毒に思える。
あっちは、日差しを避ける場所もないんじゃないかな?
ナナちゃん達は、朝夕だけ空堀の掘削を進めているようだが、秋前には終わると姉上が教えてくれた。
その後は尾根に向かって土塁を作ると言っていたが、初雪が降るころには尾根の南に作る見張り台の基礎ができそうだ。
西の尾根に作っている石垣も順調に南に延びているらしい。
俺達の国を囲む城壁は、来年には完成するかもしれないな。
「おや! あれは伝令じゃないのか? ……レオン殿、何かあったようですぞ!」
仲間の声に、町に向かう道に目を剥けると、確かに少年が走ってくる。頭に黄色のハチマキだから間違いなく伝令だな。
切り株から腰を上げると、緩やかな下り坂を歩き出した。
「レイニー殿からの伝令です。『来客あり、すぐに戻るように』とのことです」
「了解したと伝えてくれ。……そんなわけで、戻ります。皆さんも暑いですからあまり根を詰めないようにしてくださいね」
少年が踵を返して走り去ると、仲間に向かって先に戻ることを伝える。
数人が片手を上げてくれたから、軽く頭を下げると採石所から指揮所へと歩き出した。
この時期の客人と言うとエディンさんではなく、オビールさんだな。
南の町からレンジャー達への依頼をギルドの支店に届けに来てくれたのかもしれない。ついでにエクドラさんが依頼した品物を届けてくれるのだろう。
サドリナス領内の状況を聞くにも都合が良い。
あの王子の事だから、先ずは住民の懐柔策に取り掛かっているはずだ。暮らしは旧サドリナス王国時代より遥かに良くなっていると思うんだけどなあ。
指揮所の扉を軽くノックして中に入ると、見知らぬ男性達がテーブルに着いていた。
いつものようにレイニーさんの隣に腰を下ろすと、ナナちゃんが俺にお茶のカップを渡してくれる。
笑みを浮かべて受け取ると、嬉しそうな表情をして小さく頷いてくれた。
さて何の話なんだろう?
隣レイニーさんに顔を向けると、手元の書状をすいっと俺の前に送ってくれた。
これが問題だったわけだな。
どんな内容なんだ?
「これって、例の大使ってことですか?」
「約束ですから、迎えることになるんでしょうけど……。3人だけ、しかも一般住民と同じ家で十分とあるんです。それではいくら何でも……」
中々考えてくれたようだな。
確か後見人の娘さんだと言っていたから、案外軍人なのかもしれない。
親善大使というよりは俺達の監視が目的なんだろう。身の回りの世話をする侍女を2人付けるだけで十分と言うのであれば、それなりの武人なのかもしれないな。
「波風を立てない人物なら問題ありませんよ。そもそも獣人族は正直者ばかりですからね。1つ気になるのはこの国に到着予定の日付が掛かれていないことなんですが……」
「それは、俺が補足しよう。すでに大使殿はここに向かっている。明後日には到着するはずだ。俺達は先にこの書状を持って知らせに来た」
俺達の話に、男性の1人が教えてくれた。
どうやらレンジャーを先行させて知らせてくれたらしい。
男達の姿をよく見るとオビールさん達のような姿だ。入り口近くに彼らの装備なのだろう短槍と弓が置かれていた。
「知らせて頂きありがとうございます。このお礼は……」
「オビール殿から頂くことになっている。ギルドを介しての正式な依頼はオビール殿が受けたが、その仕事の一部を俺達が請け負ったのだ。俺達の仕事はその書状を届けることなのだが、依頼は達成できたということでよろしいか?」
「十分です。可能であれば『お待ちしております』と伝えて頂きたい」
「了解だ。それでは失礼する!」
俺達に確認ができたところで、彼らの仕事は終わるのだろう。
直ぐに指揮を出て行ったのは、後からやってくるオビールさん達に速く合流したいためか、それとも途中で獣の群れでも見たのだろうか。
帰る途中で獲物を狩るのは、ちょっとした仕事の余禄なのかもしれないな。
「長屋でも良いということですが、長屋と迎賓館の両方を使えるようにしてあります。貴族でしょうし、レオンさんのお母さんのような人ばかりではありませんから」
「そういう意味では、オリガン家が特別なのかもしれませんが、案外王都から離れた領地を持つ貴族はそうかもしれませんよ。金のかかる付き合いよりも領民の暮らしを重視しているはずです」
そんな貴族はブリガンディ王国にいくつかあったに違いない。近ければオリガン領に避難できたかもしれないけど、離れているとなれば王宮の政策に反対しようがないだろうからなぁ。領内の獣人族をひそかに逃がすことが出来れば良いのだが……。
「エクドラル王国との付き合いが出来るとなると、ブリガンディが気になりますね。オリガン領は父上と兄上がいる限り安心はできますが、状況が変わらないとなれば、父上達の今後の対応が気になります」
「魔族の蹂躙を避ける民に全軍をオリガン領に向けることは出来ないでしょう。そうなると……、睨み合いが続いているということになるんでしょうか?」
「何度か、小競り合いをしているようです。このまま行けばオリガン家はブリガンディ王国の貴族籍を剥奪されることになるでしょう。もっとも、その時には父上が国王を名乗りかねません。それはそれで、問題があると思っています」
国家を維持するための必要なのは、経済力と軍事力になるんだろう。
漁港と豊かな土地があるから自足自給が可能だ。魚は干物に加工すればエクドラル王国の貿易港に運んで来れるだろう。領地がそれほど大きくないから軍隊の数も2個中隊程で十分に思える。案外今頃は将来を見据えて農民の訓練しているのかもしれないな。
とはいえ小さな王国だ。父上の事だから、エクドラル王国と関係を結び、辺境伯として現在の領地を治めることも考えてはいるだろう。
ブリガンディ王国建国より多大な影響を与えた先祖達を考えると、エクドラル王国の軍門に下るのも考えてしまうだろうが、ブリガンディ王国の施策に義が全く無いんだから、案外見捨てるということも考えられる。
その辺りの状況が分かれば良いのだが……。
どんな人物がやって来るのかと、着任当日はレイニーさんと指揮所で待つことにした。心配しながら大使がやってくるのを待っていると、昼をだいぶ過ぎた頃に伝令の少年が指揮所に駆け込んできた。
「エルド殿から連絡です。『大使の御一行が見えた。騎馬が2騎に馬車が2台』以上で
す」
「了解した。ご苦労様。迎賓館のエクドラさんにも知らせてくれないか」
「了解です!」
伝令の少年が、指揮所を出て行ったのを見送って、席を立つとレイニーさんのカップに新しいお茶を注ぐ。
もうそろそろナナちゃんも帰ってくるだろう。
パイプを楽しみながら、待つことにするか……。
「ここで待てば良いのでしょうか?」
「それで十分だと思いますよ。着任の挨拶に来るはずですから、『ご苦労様』ぐらいの労いはお願いします」
「それくらいは大丈夫ですよ。獣人族で、娘さんなんですよね……」
いろんな種族がいるからなぁ。王子の後見人の娘さんだろうから、案外甘やかされて育っているかもしれないな。あまり無茶が過ぎるようなら、帰ってもらうしかないだろう。だが、そうなるとエクドラル王国と波風が立つ感じもする。
……段々心配になって来たぞ。
それほど時間が無いんだから、ここは穏やかな水面のような心境でいよう。
トントンと扉が叩かれたから、いよいよやって来たかと居住まいを正しているとナナちゃんが籠を下げて帰って来た。
何が入っているのかと思って覗いてみたら、焼くだけになった串に差した魚が3匹入っていた。
小さいのを貰って来たのかな。
思わず笑みを浮かべて、ナナちゃんの頭を撫でてあげる。
レイニーさんもしばらくぶりに魚が食べられそうだと知って笑みを浮かべているけど……。もう直ぐ客が来るんだよなぁ。
「ナナちゃん。もう直ぐ大事なお客が来るんだ。焼くのはその後にしてくれないかな」
「知ってるにゃ。エクドラルの偉い人が来るとヴァイス姉さんが言ってたにゃ。部屋で冷やしておくにゃ」
ガラハウさんが作ってくれた銅板で内張りされた木箱に、水魔法で作った氷を入れておくと結構鮮度を長く保てるらしい。
大型のものは食堂にあるらしいけど、俺の部屋になるのは半ユーデ四方も無い木箱だ。夏場である今の季節にはお茶を冷やすのに重宝しているんだよね。
ナナちゃんが部屋に行ってガタゴトやっているから、ちゃんと木箱に入れたようだな。
さて、そろそろやってくるに違いない。
駆けてくる足音が聞こえてくると、指揮所の前でピタリと止まった。
軽いノックの音に続いて扉が開き、銃兵のお姉さんが入ってきた。
「報告します。騎士2名に馬車と荷馬車が1台ずつ。馬車の乗客は2名で、御者は馬車荷馬車共に2名です。ここまでの案内人はオビール殿のようです」
「東の楼門に着いたということだね。ならもう少しで来るはずだ。ありがとう」
「失礼します!」と言い残して銃兵のお姉さんは出て行った。
いよいよだな。
ナナちゃんも、俺の隣に座って神妙にしている。
従者だからね。ちゃんと座っていてくれよ。
ガラガラと馬車の車輪の音が聞こえてきた。
指揮所の前で音が止まり、やがて扉を叩く音が聞こえた。それを合図に俺達3人が席を立つ。
一呼吸置いたところで扉が開かれ、エニルの後についてオビールさんが入ってきた。
オビールさんの後に続いたのは、姉上よりも年上に見えるトラ族の騎士が2人。そしてマリアンより少し若く見えるネコ族の御夫人だった。
まさか、このご婦人ってことは無いよな?
2人の騎士より一歩下がっているところを見ると、侍女に違いない。
騎士は2人とも女性なんだが、果たしてどちらが大使なんだろう。




