E-010 魔族の襲来 (1)
屋根に上がると、擁壁から北を眺める。
半日の距離があると言っていたが、それは人が歩いて半日ということだ。
体力のある魔族にとっては、それほどの距離ではないんじゃないかな?
「まだ見えないね……」
リットンさんが隣の矢狭間から顔を出して外を眺めている。隣にナナちゃんもいるけど、背が足りないから木箱に乗って一緒に外を眺めている。
2コルム(2.4km)ほど先まで荒地が続き、その先は黒々とした森が見える。かなり深い森のようだな。
魔族の軍隊は、あの森の向こうにいるのだろうか?
擁壁から離れて休憩所に向かうと、数脚のベンチの1つにレイニーさんが腰を下ろしていた。
初夏だから、さすがに焚き火の傍から離れている。タルに乗せた板をテーブル代わりにしてお茶を飲んでいたようだけど、今はカップのの中をスプーンでくるくると回している。部下を預かる身だから、緊張しているのかもしれない。
「何も見えない。とりあえずこのままってことかな?」
「夜は1個分隊ごとに休ませるわ。私達は、この休憩所で仮眠になるわよ」
手を伸ばした先には、三角テントのような物が作られていた。北側には板が立て掛けられているから、寝ている時に矢を受けることは無いだろう。
テントの左右にはタルが置かれているのは火矢に対する備えということだろう。水を入れた桶まで置いてあった。
2個ずつ並べてあるから、あの後ろならナナちゃんが隠れるのに丁度良さそうだな。
俺のところにやってきたナナちゃんを連れて、緊急避難の練習をしてみる。
身を隠すことも出来るし、タルから半身を出せば矢も射ることができるようだ。
板をもう1枚使って即席の狭間を作ってあげた。普段は休憩所にいて、戦闘になったらタルの後ろに移動すれば、十分に俺をフォローしてくれるだろう。
「良いところを見付けたわね。矢も運んでおいた方が良いわよ」
レイニーさんの一言で、短弓の矢を一掴み掴んで桶に入れてあげた。
擁壁まで20ユーデの距離もない。梯子を上って来る魔族相手なら、ナナちゃんの弓でも十分だろう。
他の連中を見ると、屋根の付いた擁壁に予備の矢を運んでいるようだ。
「俺の使う矢もあるのかな?」
「ちゃんと準備してあるわよ。そっちにあるのがレオンの矢だから、分かる場所に置いておいた方が良いわ」
短弓の矢と比べて15cmほど長い矢だ。矢筒1個分の12本ずつ紐で束ねてある。
2束を解いて、ナナちゃんの矢が入っている隣の桶に入れておく。
「槍は擁壁の屋根の後ろに立て掛けてあるけど、休憩所にも3本置いてあるわ」
東側の屋根に立て掛けてあった槍を調べてみる。
穂先は15cmほどで細身だから突き差すことに特化した槍だ。長さは2mを少し超えたぐらいだから短槍の部類に入るのだろう。投げても良さそうだ。
「レオン! これはどこで使うにゃ?」
ヴァイスさん達が大きな弓を担いできた。
試してみたら150ユーデ以上飛んだからなあ。魔族が砦を取り囲んだら適当に放っても当たるんじゃないかな。矢が6本だけなのが残念だ。
「真ん中で良いんじゃないかな。ちょっと待ってくれ。丸太を使えば保持できるだろう」
丸太で作った三脚に革紐でしっかりと横にした弓を結び付けた。擁壁に三脚をしっかりと押し付けて、敵に落とすために用意されていた石でしっかりと押さえておく。
「魔族が吃驚するにゃ!」
「当たれば良いんだけどね。まあ、物は試しということかな」
中隊長がチェーンメイル姿で状況を確認しに来た。レイニーさんと俺で出迎えると、いつでも戦闘に入れることを報告する。
「あれが、例の奴だな? 飛距離は十分らしいから、射程内に入ったら放ってやれ」
そう言って笑い声を上げている。
あまり役立つとは思えないのだろう。俺だってそうだからねぇ。
「レオン、初陣だが、無茶はするなよ!」
「分かってます。ひたすら矢を射ることだけに専念するつもりです」
俺の言葉に頷くと、肩をポンと叩いて下に下りて行った。
心配してくれたんだろうか?
中隊長が見えなくなると、小隊の連中が待機場所に腰を下ろして休み始めた。中には焚き火の火でパイプを点ける者もいるようだ。
戦前だからだろう。自由に時間を潰しているようだ。
「何か、だらけているように見えるんですけど?」
「分隊ごとに2人は見張りをしているはずよ。急にハシゴが現れて魔族と白兵戦になるようなことにはならないわ」
そんなものかな?
まあ、俺よりは戦慣れしている人達の筈だから、ここは真摯に聞いておこう。
ナナちゃんはレイニーさんの横にちょこんと座って、お菓子を2人で食べている。
臨戦態勢では、食事は朝夕の2回だけらしい。
お茶を飲みながら干し肉を齧る。
本当に来るんだろうか?
指揮官も同じことを考えたのだろう、5騎が北に向かって駆けていくのが見えた。
「何騎戻るか心配です」
「偵察だろう? 魔族の本体に近付くとは思えないけど?」
「魔族にも騎兵がいるんです。グルーパーと呼ばれる魔犬を馬代わりにしてるんですが、大きさはイノシシの2倍ほどあるんですよ」
馬では逃げ切れないということか……。
彼等が無事に戻ることを祈るしかないな。
「帰ってきたにゃ!」
「何騎!」
「1、2……、3騎にゃ!」
レイニーさんの問いに、ヴァイスさんが大声で答えてくれた。2騎食われたということなんだろう。やはり魔族相手の偵察は命懸けだ。
「いるってことね。夜の見張りを増やすことになりそう……」
「今夜来ると?」
「可能性は高いわ」
ちらりと槍を見る。
手に取って穂先を見ると少し錆びついている。
イヌ族の弓兵が通りかかったから砥石を取ってきてもらい、穂先を研いで時間を潰す。
ゴォォ~ンと鐘が鳴った。
エルドさんが5人の部下を連れて屋根を下りていく。
後ろ姿を見ていた俺に、ヴァイスさんが「夕飯を貰いに行ったにゃ!」と教えてくれた。
分隊長は休憩所で取るようだ。リットンさんもトコトコと歩いてくる。
夕食は分隊ごとに取っている。俺達5人は指揮所で取るんだけど、カップからこぼれそうな具沢山のスープに丸いパンが2つだ。それに、一掴みの干しアンズが添えられている。
パン1つは夜食に残しておこう。
スープだけでもお腹がいっぱいになりそうだ。ナナちゃんは最初から2つのパンをバッグに入れている。
「ナナちゃんは、ここにいて頂戴。戦が始まったら、タルの後ろに隠れてるのよ」
「分かったにゃ! ちゃんと弓と矢を置いてあるにゃ」
レイニーさんの言い付けに、ナナちゃんが答えるとヴァイスさんが頭を撫でてあげている。
「私と一緒でもだいじょうぶにゃ。でもレオンの従者だから、レオンの後ろにいるにゃ」
そんなことをナナちゃんに言ってるけど、ヴァイスさんって強いんだろうか?
弓はまあまあなんだけど、かなり湾曲した片手剣を下げてるんだよなぁ。
「なるべく白兵戦にはなってほしくないんだけど……」
「向こうの都合もあるにゃ。槍を繰り出して、ダメならこれにゃ」
ヴァイスさんがレイニーさんに向かって、腰の剣を叩いている。苦笑いを浮かべているリットンさんは最後まで弓を使うのかな?
エルドさんも少しは腕に覚えがあるんだろう。ヴァイスさんの言葉に頷いている。
お茶を飲んでいると、すっかり辺りが暗くなってしまった。
数個の光球が頭上に上がったから、屋根の上はそれなりに見ることができる。
席を立って北の擁壁に歩いて行くと、かなり離れた場所が少し明るく見えている。魔族の焚き火ということなんだろう。
やはり近くまで来ているようだ。
「まだ距離があるにゃ。やはり明け方が怪しいにゃ」
「見張りは1個分隊にしましょう。リットンからで良いわね?」
ヴァイスさんの呟きで、レイニーさんが臨戦状態から落としたみたいだな。
そういうことなら、少し休ませてもらおう。
「上弦が隠れたら起こしてください」
「了解。その後は私で良いわね」
ナナちゃんとテントに潜り込む。
良い風が入って来るから直ぐに眠れそうだ……。
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ナナちゃんに体を揺すられて起こされる。
あくびをしながらベンチに向かうと、レイニーさんが笑みを浮かべて立ち上がった。
「状況に変化なし。後を頼むわ」
「了解です。おやすみなさい」
俺に手を振ってテントの中に入っていく。
ナナちゃんが危なっかしい手つきで入れてくれたお茶のカップを貰って一口飲みながら、ナナちゃんの頭を撫でてあげた。
「ありがとう。目が覚めたよ。パンが残っているから、半分あげようか?」
「1つ残ってるにゃ。焼いて来るにゃ!」
俺からパンを受け取ると、小さな焚き火を囲む石の上に乗せている。
確かに焼いたら美味しそうだな。
擁壁に近寄ると、リットンさんが北に腕を伸ばした。
日が落ちたばかりの頃には、所々が明るかっただけなんだが、今ははっきりと炎のきらめきが見える。
「森から出てきたってことか?」
「そんな感じ。でも、明かりが少しずつ増えてるの」
森を出たところで集結を図っているのだろうか?
レイニーさんが寝たばかりだから、2時間は眠らせてあげたいところだ。
「魔族は直ぐに動くのかな?」
「薄明前が多かったけど、昼間の時もあったよ」
深夜もあったということだろう。だが、一番多いのは薄明前だとするなら、まだかなりの裕度がありそうだ。
「矢筒の矢と予備の矢をもう一度確認させてくれ。それと槍を直ぐに使えるようにだ」
「さっき確認させたよ。定数12本と屋根の下に桶を運んで予備の矢を入れてある」
戦慣れしてるだけのことはある。
すでに全員が革の帽子を被っているぐらいだ。
ナナちゃんにも被せておこう。矢は防げなくとも、火炎弾の炸裂に髪を焼くことは無いはずだ。
休憩所に戻って、パンをかじりながらナナちゃんの頭に革の帽子を被せてあげた。
それが終わったところで、俺も帽子を被り、右腕に特製の小手を取り付けた。
太い釘が4本取り付けてある。長剣でも断ち切ることはできないだろう。
「ナナちゃん。暑いけど、手袋を着けといた方が良いよ。右手だけで十分だ」
「これにゃ? 手袋をすると弦を引くのが痛くないにゃ」
アーチェリーのタブ代りだからね。俺の手袋も厚手の革を縫い付けてある。
背中の剣を握ってみたが、特に違和感がないのが嬉しいところだ。
炎が小さくなった焚き火に、焚き木を注ぎ足してお茶のポットを近くに置いた。
直ぐに沸いてくれるだろう。
しばらくして再度擁壁から北を見ると、明かりがさらに増えているようだ。
魔族の集団は予想よりも多いんじゃないか?
とはいえ、ここまで来たなら覚悟は決めないといけないだろう。魔族は砦を蹂躙することはあっても、占拠をすることがないらしい。
その辺りが理解できないんだけど、魔族の考えが理解できる者なんていないだろうからね。
魔族の南下を防ぐ努力をすることに、俺達の意義があるのだろう。




