E-001 継続は力と言うけれど
長剣の腕は兄上に劣り、魔法の腕は姉上の足元にも及ばない。
古くから有能な軍人を世に送り出してきた我がオリガン家の次男として生まれた俺だが、少年期を終えるころになると屋敷で暮らしづらくなってきたことも確かだ。
そりゃあ、家族である両親や兄姉上は、今でも俺を可愛がってくれる。
だけど雇人である家人や周囲の人達が、なんとなく俺を気の毒そうな目で見ていることを近頃強く感じられるようになってきた。
「ヤアァ!」
気合と共に振りぬいた木剣は、軽い音を立てて秋の高い空に飛んで行ってしまった。
直ぐに、ピタリと俺の首に兄上の持つ木剣が添えられたことに気が付く。
「参りました」
ため息とともに吐き出すような俺の声に、兄上はさっきまでの厳しい表情とは異なり、笑みを浮かべて木剣を納めてくれた。
「だいぶ腕が上がったぞ。春と比べれば雲泥の差がある」
近寄って来た兄上が、俺の背を軽く叩いて耳元で告げてくれる。
緊張が解けたことでその場に膝を付いてしまったが、兄上は俺を笑うことはしなかった。弾き飛ばした木剣を拾ってくると俺の手に渡してくれる。
「どうだ。もう一度戦ってみるか?」
「今日は、これぐらいにします。やはり兄上は強いです!」
「褒めても何も出ないぞ。私にもまだまだ足りないところもあるようだ。部隊でも練習は欠かさないから、お前の相手が務まるのだと思っているよ」
練習だけで兄上の様な長剣の達人になれるなら、誰もが練習を欠かさずに行うことだろう。やはり兄上には、我がオリガン家の血が正しく伝わったに違いない。
5歳年上の兄上の名はヴェルハイム、今年20歳になるオリガン家の次期当主だ。16歳より王国の近衛兵として抜擢され、現在は1個中隊を率いるほどに軍内の階級を上げている。
古くから武を誇る我が家としては、兄上に益々期待したくなるところだ。
「また長期の休みが取れたなら、お前の相手をしたいところだ。次は私も本気を出さねばなるまい」
兄上は優しく慰めてくれるけど、どだい無理な話だと俺には分かっている。
やはり、兄上には天性の才能があるのだ。
こればっかりは努力して超えることはできない。努力しても努力しても、越えられないものがあることは兄上や姉上を見ればすぐに分かることだ。
「春に来られた時は、次は雪の降るころだと言っておられましたが?」
「そうだったか? 実は、私にも魔法の才能があるようなのだ。ライザに魔法を指導してもらうのが今回の目的さ」
「なら、私のことなどより……」
「ライザと話したら、それほど時間は必要ないと言われたよ。それより、お前を指導してくれないかとね」
そういうことか……。
姉上の名はライズベル、俺より3つ年上だ。俺と武の才能は俺とほとんど変わらない。だが、王国の至宝とまで言われるほどに魔法の才能に恵まれている。
すでに王都の魔道部隊に名を連ねてはいるのだが、魔法の研鑽を理由に王都の部隊に出向くのは一年に数回あるのみだ。
姉上は単なる魔導士ではなく、魔法の使い方を指導できる魔導師の資格を有している。
王国内で10人に満たないその資格を、15歳の時に得たんだから才媛、いや天才としか言えないよなぁ。
そうなると、兄上は魔法が付加された剣技を使えることになる。
羨ましくもあるけど、所詮俺には剣の腕が無いのだからそれ以前の問題だ。
どうにか一般兵士並と言えるまでに剣の腕を上げてくれた兄上に、感謝することはあれ羨むことなどもっての外だろう。
それに、俺にはちょっとした才能もある。
10年ほど前に銃というものが作られた。
火薬という粉を鉄の筒に仕込んで、指先ほどの鉛の球を筒の中に入れる。火薬に火を点けると轟音と共に鉛の球が飛んでいく代物だ。
王宮の錬金術師が、30年ほど前に偶然調合できた火薬を戦の道具として使えるまでには20年の月日が流れた。
至近距離で撃てばチェーンメイルを貫通するほどの威力を持つ銃を、辺境の守備隊に装備させたいと願うのは仕方のないことだろう。
問題があるとすれば、高価であること、発射するまでに時間が掛かること、狙いがそれほど正確ではないことがあげられる。
雑兵には過ぎた代物かもしれないが、狙いの不正確さは数で補えるということで、弓兵の一部を銃兵としているようだ。
少しは銃を知りたいと、出入りの商人に頼んで1丁手に入れて練習を始めたんだが、直ぐに大きな銃声に驚いた侍女達から注意されてしまった。
館から離れた場所に練習場を作って、弓練習の合間に銃の練習を行っている。
俺の練習を見ていた父上が、それほど当たるものなのかと興味を示して、何度か銃を使ってみたのだが、50ユーデ(45m)先の2フィルト(60cm)四方の板に描いた直径1フィルトの的どころか板にも当たっていなかった。
「お前には変わった才能があるようだな。弓と銃なら確かに一人前だ」
大きな手で頭をガシガシと撫でられたけど、あまりうれしそうな表情ではなかったな。
貴族の子弟であるなら、それなりの立場というものがある。
成人して軍に志願するなら、一般兵士ではなく最初から准尉という最下級の士官になれるのだ。
かつての騎士階級が現在の軍では士官ということになるからだと、父上が話してくれた。
武芸に秀でているなら、兄上や姉上のように少尉として遇されることもあるだろう。
弓や銃の腕だけは遥かに兄を凌ぐのだが、騎士が弓や銃を持って戦うなど聞いたこともないからなぁ。
「それはそれで、お前には役立つだろう」と兄上は言ってくれたけど、オリガン家の名を持つ者としては微妙な才能には違いない。
「そろそろ、昼食かな。顔を洗って食堂に行こうじゃないか!」
兄上に背中を押されながら、館の裏手にある井戸に向かう。
つるべ井戸から水を汲み上げ、濡らした布で体を拭く。
筋肉質の兄上の体は男の俺見ても惚れ惚れするほどだ。それにひきかえ、俺の体はどうにか腹筋が見えるぐらいだ。このまま練習を続ければ兄上のような体を作れるんだろうか?
「だいぶ、筋肉も付いてきたな。長剣は結構重いから、全ての筋肉を鍛えねばならないぞ」
「夕食前に1回。寝る前にもう1回と、教えて頂いた練習は欠かしません」
「なら5年後には私と同じ体になるな。長剣に振り回される兵士も多いのだ。あれでは、討ち取ってくれと言っているようなものだ」
12歳までは両手でどうにか持てた長剣も、今では片手でも使うことができる。だが、長時間切り合えば疲労で持つことも出来なくなるだろう。長剣は両手で使う物とは父上の言葉だったが、まさしくその通りだ。
食堂には、両親達がすでに席に着いていた。皆に頭を下げると、末席である自分の席に着く。
父上が軽く手を叩くと、侍女達がいつものように食事を運んできた。
「そんなに汗をかいて……。少し練習を減らしたら良いでしょうに?」
「兄上の技量に追い付くには、練習を減らすことなどできません。できれば午後も長剣を振りたいところです」
母上の言葉に思うところを述べたつもりだが、父上は小さく頭を横に振っていた。
やはり才能が無い者は、努力だけでは無理だと思っているのだろう。
姉上の表情もすぐれない。兄上だけは俺に向かって頷いている。努力は無駄ではないと思ってくれているだけでもありがたいところだ。
「確かに継続は力という家訓もある。努力は無駄にならないと私も思っているが……。
ところで、レオンは来月に16歳を迎える。本来ならこのままオリガン家で面倒を見てあげたいところだが、16歳を迎えたお前は家を出なければならん。
兄や姉のように、近衛の軍にお前を推薦することも可能ではあるが、兄達と比べられるのも気の毒だ。
私の叔父上であるカーバイン殿が兵を募集している。お前も会ったことがある人物だ。カーバイン殿の元で手柄を立てる気はないか?」
父上の言葉に、兄と姉が食事を取る手を休めて父上に視線を向けた。
王国北部の東西に3つ並んだ砦があるおかげで、王国の民は魔族から守られ、平穏な暮らしができる。
カーバイン殿は王国の西の守り手として、王都北西部の砦を維持している大貴族だ。
辺境の軍務に3年就いて命を長らえた者は王国軍の小隊長になれる、とまで言われているぐらいの激戦地でもある。
噂では、新兵の三分の一がその年に死んでいくとも言われるぐらいだが、2倍の給与に引かれて毎年多くの若者が募集に応じているらしい。
「父上の推薦であれば、どこにでも行く所存です。いつ出立すればよろしいのでしょうか?」
「まてまて、そんなに焦ることもなかろう。お前をこの家から出す以上、色々と手続きも必要になる。来年の春分の日に出立すればいい。その間に私と伯爵の間で何度か文を交わさねばなるまい」
父上の最後の言葉は母上に向けての言葉のようだ。
俺の扱い、いや俺が亡くなった場合の責任の度合いを、前もって確認するということに違いない。
初年兵の死亡率が3割という場所に送りこむ以上、父上としてもオリガン家の名を辱めぬようにしなければならないのだろう。
「レオン。本当に行くの?」
「はい。長剣や魔法はからっきしですけど、弓ならそこそこの腕があります。砦の防衛であるなら、俺の弓が役に立つかもしれません」
「レオンは30ユーデ(27m)先に置いたリンゴに、矢を当てることができるんだったな。だが、長剣は持って行くんだぞ」
兄上が俺の力量を思い出して笑みを浮かべている。姉上の心配そうな表情と対照的だ。
俺の唯一の自慢だ。その距離で小さなリンゴに矢を当てることができる者は、王国にあまりいないんじゃないか?
俺の弓の腕にはちょっとした理由があるんだが、いまだに誰にもそれを告げたことが無い。信じて貰えそうもないし、異端だと思われかねない。
銃弾が的に当たるのも多分同じ理由なんだろう。
その理由はこのまま墓の中に持って行くことになるんだろうが、命に係わる事態なら使うことにためらうことはない。
「お前は……、オリガン家の名を辱めずに暮らすことができるか?」
突然の父上の言葉に、家族どころか侍女までもが俺に視線を向けた。
16歳というのが、この世界の成人年齢だ。一人前の男子として親の庇護を受けずに暮らすことができる。
それ以上の歳になっても、生家で世話になる者達がいないことはない。だが、そんな連中は裕福な貴族に限定されるのだ。
代々に渡って王国軍を支えてきたオリガン家は貴族ではあるのだが、地位は下級貴族というところだ。
俺がこのままこの家で暮らすようでは、父上や兄上達に恥をかかせることになってしまうだろう。それは何としても避けたいところだ。
だが、父上の言葉の意味は……。
「兄上達には及びもしませんが、獣や魔族相手なら何とかなりそうです。砦の暮らしが辛くとも逃げることはしません」
俺の言葉に兄上達は安堵した表情をしているが、母上は顔色を失っている。父上は半ば諦めた表情だな。
「武門の家系であることを自らが誇れるのなら、大成するやもしれん。だが万が一にも大罪を犯したなら、我が眷属を含めてお前の討伐に向かうことを心に刻んでおくのだぞ。食事を終えたなら私の部屋に来るのだ。よいな」
いつになく強い口調だな。
言外に逃げることなく砦と運命を共にすると伝えたつもりだったが、上手く伝わらなかったのかもしれない。
昼食を終えたところで自室に戻り、着替えをしたところで父上の執務室に向かう。
オリガン家は王国内では下から2番目の男爵位だ。この下は、貴族とは名ばかりの準爵になる。
その違いは領地を持つか、王国から毎年の俸給が出るかの違いでしかない。
そんなことだから、常に身だしなみには気を使えと厳しくしつけられた。
父上の執務室の前に着くと、軽く扉を叩く。
「入れ!」という返事を待って扉を開いた。父上は窓辺を背にした大きな机で書類を見ている。武門の家系であっても、書類仕事はあるようだ。
「来たか。椅子を持って私の前に来るがいい。少し話をせねばならん」
軽く頭を下げると、近くの椅子を手に持って父上の机の前に座る。
父上が書類を脇に押しやると、俺の顔に視線を向けた。
「兄と姉をいつも見ているのは辛かろう。王都周辺の軍に入れることは、他の貴族の手前控えねばなるまい。
北の砦は、魔族や蛮族相手に毎年のように戦が起きる砦だ。そんな砦で3年も暮らせば、世間もお前を見る目が変わるかもしれないと思ってな」
運よく生き残っていたなら、北の軍務をこなしたということで世間にも顔向けできるということなんだろう。
「食堂でのお前の言葉だが、嬉しく思ったことも確かだ。だが、悲しくもある。
良いか……。万が一、砦が落ちる時には……、指揮官が死ぬか逃げるかしたら、後を見ずに逃げるのだ。
命があれば何とでもなる。我がオリガン家の玄関からは入れずとも、勝手口は閉ざしたことがない」
オリガン家の名を捨てて生きよ! ということなんだろうか?
その時には領民としての暮らしはできないだろうな。レンジャーとして森の中で生活することになるのかもしれないけど、家族は俺を見捨てないということになるのか……。
「だが、1つだけ約束してくれ。野に下る時には、神官を仲間にするのだ。神官であれば罪を常に意識する行動をとるだろう。お前が悪に染まるのを未然に防げる。もしもお前が大罪を犯したなら、我等はお前を倒さねばならん」
「神官ですか……。砦には神官がいるのでしょうか?」
俺の言葉に、父上は豪快に笑いだした。そんなおかしな言葉は言ってないんだが。
「少なくとも数人はいるだろう。生と死の狭間である場所であるなら、4つの神殿のどれかが神官を派遣するだろうからな。
母上は心配しているようだが、我が家系は武門を誇って来た。お前の腕は私から見ても未熟となるが、長剣2級には達している。少しは長剣を使う時もあるだろう」
父上が黙って席を立つと、部屋の片隅にあるクローゼットを開ける。中から取り出したのは、真新しい片手剣だった。
長剣2級というのは、一般兵士ということになる。初級者である4級、初年兵技量の3級の上にはなるのだが、上には上がある。
1級の上にB級、A級がありその上にあるのはS級と呼ばれる資格だ。
20歳でS級を認められた兄上の技量を思うと、恥じ入るばかりだ。
「私からの餞別だ。それとこれを持って行くがいい」
机の引き出しを開けると、小さな革袋を取り出した。受けとるとかなりの重さがある。銀貨だとすれば一財産だ。
「ありがたく頂きます。少しは小遣いを貯めていたのですが、装備にはそれなりの資金が必要ですから」
「装備を買い込むのは少し待った方が良いぞ。たぶんお前の兄達も何か考えているはずだからな」
父上は嬉しそうな顔をして教えてくれた。たぶん食事の後で兄達と話し合ったのかもしれない。
ブーツと帽子ぐらいは貰えるのかもしれないな。辺境に向かうとなれば、かなりの物入りらしいから、ちょっとした装備だけでもありがたいところだ。
※※ 補足 ※※
長さの単位:
イルム :2.5cm
フィルト: 30cm (12イルム)
ユーデ : 90cm (3フィルト)
コルム :1.2km
光の神殿の神像を元にして作られた単位らしいが、コルムだけは、歩兵が1時間に歩く距離の四分の一を単位としている。
検定制度:
長剣の技量を現す評価基準。上位者による見掛けの評価だが、1つ上の資格を持った者3人が同一判定以上である必要がある。S級は名誉判定に近く、国王が評価する。
魔導士:
中級魔法以上の魔法が使える者の総称。
深手の治療や、攻撃魔法を駆使できることから、魔導士だけの部隊も存在する。
魔導師:
魔導士に魔法を授けることができる存在。他の魔法と組み合わせた複合魔法の研究や、
魔道具の製作等も魔導師の仕事でもある。
数が少なく戦に出ることは無いが、その技量は魔導士10人を凌ぐとも言われている。
レンジャー:
レンジャーギルドに所属する仕事請負人。
薬草採取から傭兵まで仕事を請け負うが、当人の能力を4種類(白、黒、青、赤)の
色毎の10段階の評価で示すカードを所持している。
赤の階級は、主に薬草採取や町の雑用を行う。
青の階級は、赤の階級の請負事以外に狩猟を行う。
黒の階級は、青の階級の請負事以外に護衛を行う。
白の階級は、黒の階級の請負事以外に犯罪者の討伐を行う。
白の上に金という名誉階級が存在するが、階級認可はギルドではなく国王が行う。