第七十七話 トアル王国の出来事
「聞いたか? キャコタ王国で、ワイト・サマドゾと双子の妹パルホが、花級の冒険者になったそうだ」
墨のように黒い闇に覆われた夜、とあるボロボロで黴臭い酒場で、汗臭いひげもじゃの男たちが木製のジョッキに満たしたエールを飲みながらしゃべっている。
周囲にはあられのない姿の女も混じっていた。下は十代から、上は老女まで様々だ。全員娼婦であり、わずかな小銭で花を売るのが仕事である。
ここはトアル王国といい、ピロッキ王国の国境付近にある西部の国である。ろくな産業もなく、魔獣だけはやたらと強いという最悪な環境であった。キャコタ王国がこの地に工場を建てる計画を立案したが、国王は変化を忌み嫌い、キャコタの商人は出入り禁止にされていた。
そのおかげで国はどんどん貧しくなるが、国王は自分の財産を守ることに必死で、国民の生活を顧みなかった。近いうちに侯爵辺りが革命を起こすだろうと噂されている。
しかし市井に暮らす者にとって国の事情など関係ない。仕事を終えた後に飲む一杯が格別なのだ。
男たちは塩漬けの魚とソーセージを肴に、エールを流し込んでいる。
「キャコタって伝統を無視しまくる糞みたいな国だろう? あんな国がどうなろうと知ったこっちゃないぜ」
「それにワイトって誰だ? 花級になったってことは相当な冒険者なんだろうな」
「そいつはサマドゾ王国の王子様に王女様と来たもんだ。しかも推薦人は100人だって話だぜ」
男たちは一斉に笑った。酒が入っているのか声が野獣のように耳につく。
「きっと冗談だろう!! 貴族様が花級になれるわけないもんな!!」
「絶対に袖の下を渡しているに違いないぜ!! 前にこの国に花級の冒険者が来たが、ふんどし一丁の貧乏人だったからなぁ!!」
「まったく冒険者ってのは頭のおかしい連中ばかりだぜ!! ひゃっはっはっは!!」
男たちはゲラゲラ笑っていた。それは酒場の中に伝染し、客も娼婦もワイトの事を馬鹿にしている。
彼等は現実を知らない愚者であった。未来よりもその日暮らしを愛していた。将来を見据える人間を屑と見下し、美女くするのが大好きなのだ。
そんな中カウンターの近くにいた二十代前半の娼婦が酒場を出ていった。手には酒瓶を二本ほど持っている。黒髪のボサボサ髪の女だ。
☆
女は月明かりを頼りに森の中にあるあばら家にたどり着いた。普通ならば盗賊が出てもおかしくはないが、運よく彼女は目的地にたどり着くことが出来た。
そして扉をコンコンとノックすると、扉が開いた。
中からは赤毛のそばかすだらけの少女が出てきた。顔中垢だらけで少年と言われても納得できるだろう。
「おかえりトスラ。今日の収穫はなんだった?」
赤毛の少女が訊ねると、トスラと呼ばれた女は酒瓶を二本差しだした。
「今日は葡萄酒が二本手に入ったわ。ところでスラー、ドイラプは元気かしら?」
「元気じゃないよ。死んでいるね。わかりきったことだよ」
そう言ってトスラは家の中に入った。中は家畜の体臭と糞の臭いが充満していた。元は家畜小屋だったようだ。今は身体を休める家畜たちの姿はなく、薄汚れた放浪者たちの宿と化していた。
家の中には藁が敷かれてあった。寝床の代わりだろう。部屋の片隅には悪臭を放つ壺が置かれていた。便所の代わりである。
藁の山には三人の男たちが豚のように寝っ転がっていた。
一人は牛のような巨体の男に、もう一人は赤毛の男で剣を片手に抱いていた。最後は少年だが異質であった。
身体中傷痕だらけで右目は隻眼、髪の毛は白く、亡者のような雰囲気がある。
「ドイラプ、起きて頂戴。私酒場でとんでもない話を聞いてしまったのよ」
トスラが話しかけた。するとドイラプはむくりと起きだす。残った左目は爛爛と赤く光っていた。
「……とんでもない話だって?」
「ええ、そうよ。遠い国キャコタ王国で、ワイトとパルホという人が花級の冒険者になったというの。それも100人近い人が推薦したって話よ」
すると巨体の男は反応して起き上がった。顔つきは精悍だが目つきは濁り切っている。
「なんだって? 俺たちが求めてやまなかったものを、そいつらはあっさりと手に入れたというのか?」
男の問いにトスラは首を縦に振った。すると男の顔に血管が蚯蚓腫れのように広がった。
「へへへ……。気に入らねぇなぁ。俺たちは犬畜生のように石つぶてを投げられて追われていたってのに、そいつらは金持ちの国でぬくぬく暮らしていたというわけか……」
赤毛の男も起きだして、理不尽な怒りを口にした。
「スゥロスもヴィーエンも落ち着いて。僕だって許せないんだから。さっそくそいつらを殺しに行こう。そいつらを生かしておくと、僕たちの活躍が目立たなくなってしまうからね」
ドイラプと呼ばれた少年は全身に怒りを露わにしていた。彼等の場合は嫉妬による逆恨みなのだが、それを一切自覚していない。無邪気な虫を殺して遊ぶ子供のように、ひたすら純粋で残酷なのである。
「でも僕たちにはどうしようもないよ。キャコタ王国は遠いし、何よりキャコタと息のある国は僕たちをお尋ね者扱いしているんだよ?」
スラーがあきらめ気味に答えた。彼等は冒険者であったが今は冒険者ギルドに追われている身だ。
トアル王国では冒険者ギルドはない。酒場の連中も他国から来た冒険者の話を聞いただけだ。
なので彼等の顔は知られていないが、他国からの冒険者が彼等を探し出し、捕縛する可能性もあった。
「その件なら私が何とかしてあげましょう」
突如、男の声がした。それは赤い服を着た禿げ頭の中年親父であった。まるで蜃気楼のように唐突に浮き出てきたように見える。
「なっ、なんなのさあんたは!!」
スラーが驚くが、男は石像を相手にするが如く無視した。
「私はワイトとパルホに恨みを抱く者です。あなた方ドイラプチームは世界最高の冒険者でした。なのに無実の罪で咎人に陥れられた。それも花級と花びら級の冒険者たちによってね」
それを聞くと室内にいた五人の顔が曇る。彼等は本来輝かしい栄光の道を歩んでいると思い込んでいる夢想家たちであった。実力はあるが他者の気持ちなど毛ほども考えないため、他者に意味なく嫌われていると被害妄想に陥っていたのである。
「私にはあなたたちをキャコタ王国へ瞬時に移動できる術を持っています。どうかあなたたちにはキャコタ王国にワイトとパルホを粛清していただきたい。あの国とあの双子がいたら私は困るのですよ」
男は慇懃無礼な態度で接しているが、ドイラプたちは気づいていなかった。なんでワイトとパルホが双子であることを知っているのかと問える人間はいなかった。というか全員は驢馬のように頭の回転が鈍く、妄想の世界に片足を突っ込んだ廃人だからだ。
「さぁ、私と共に邪悪な双子を殺しに行きましょう。ついでに世界の富を独占するキャコタ王国も灰に化してやりなさい。あなたたちはそれを行う権利を持っているのだから」
普通なら初対面の男に甘言を述べられても胡散臭いと思うだろうが、彼等にとって玉虫色に耳障りの良い言葉に聞こえていた。
目はうっとりとしており、口からだらしなく涎を垂らしている。
彼等は目の前にいる人の皮を被った悪魔の口車にまんまと乗せられたのだった。
「あなたの、ご尊名はなんですか?」
ドイラプが訊ねると悪魔は答えた。
「私の名前はヒアルドンです」
今回はマジッサ王国の話は書きませんでした。代わりに別の話を書いたのです。
イターリの末路はお楽しみに。




