第百一話 ワイトがいきなり ヒアルドンに 殺されかけた
「ここがマジッサ王国ですか。何にもない国ですね」
時刻は夕方。ワイトが辛らつに答えた。なぜならマジッサ王国の王都は本当に何もないのだから。
昔故郷のサマドゾ王国で読んだ図鑑には、二千年前の町並みを絵で描いてあった。
王都はまさにそれであった。上下水道もなく、汚物の臭いで鼻が曲がりそうになる。
住民たちも不潔な格好をしており、さすがのワイトの不快感を隠せずにいた。地獄が存在するならまさにここがそうであろう。とても人間の住める国ではないが、慣れと言うものは怖いものだ。感覚がマヒしているのだろう。
「バガニル義姉さんから聞いたけど、この国は理想的な国と呼ばれているわ。とある人種にとってマジッサはちゅうせいよーろっぱ風の世界を再現しているそうよ」
「ちゅうせいよーろっぱ……ですか? ナーロッパと響きが似ていますね」
「なんでも基本界と呼ばれる世界があるらしいわ。そこでは魔法は一切存在しないけど、キャコタ以上に卓越した科学の世界だそうよ。もっとも紛争や環境破壊がひどくて、閉塞した世界らしいけど」
サリョドの説明にワイトは納得した。基本界は神が生まれる世界である。別に母親のバガニルから教えてもらったわけではないが、なぜかそれを知っていた。ちゅうせいよーろっぱという言葉もなんとなく聞き覚えがある。だが具体的にどのようなものかはわかっていない。
ちなみにワイトは赤いバニースーツを着ていた。他の面々もマジッサ王国の服装とかけ離れている。
通りすがりの人々は物珍しそうに見ているだけで、騒ごうとしない。なぜならワイトたちはサーカスの一員と思われているからだ。サーカスなら奇抜なピエロのように奇抜な格好をしても誰も疑わないのである。
「ひひっ、ひひひひひ……。なんて不潔で野蛮な国なんだろう……。でもここの臭いが嫌いじゃない。糞尿と血の香りが風に乗って鼻をくすぐる……。ここは僕が思い描いた理想郷だよ」
キョワナが目をきょろきょろさせながらなぜか感動していた。不気味に笑いながら涎を垂らしており、ワイトたちは目を背ける。
ところでワイトたちはここに来る途中誰も文句を言われなかったし、誰にも襲われなかった。
ここは宰相ヒアルドン、魔女ドボチョンの記憶を受け継ぐもののホームグラウンドなのだ。
何の行動も起こさないなどありえない。いったいどういうことだろうか?
そこに犬耳少年のケダンと、犬耳少女のナイメヌが音もなく狼のように走ってきた。
「今王都を一周回って情報収集したけど、特に変わったことはなかったよ」
「兵士の募集はしていても、積極的に集めているわけではなかったです。ただ一般の方々では、イターリ様を火あぶりにした夢の話が広がっていますね。なんで自分たちはイターリ様を悪魔呼ばわりしたのか意味が分からないと悩んでいる人が多かったです」
「というかこの国は邪気が濃すぎだな。気を抜いたら中毒死しちまいそうだよ。みんなも気を付けてくれよ」
ケダンとナイメヌは自慢の脚力と聴覚で、王都内で人知れずに情報収集していたのだ。
兵士の話を聞いても特別村が襲われたとか、変わった情報は一切なかったらしい。
ケダンのいう通りこの国は他国と違って邪気が濃い。下手に気を抜けば邪気中毒となって息絶えるかもしれないのだ。冒険者は時折邪気の濃い場所に赴くので対処法は熟知しているが。
「フムフム。てっきり無理やり若者を招集して、殺していると思っていましタガ……。ヤコンマン台下の推測は的外れデシタネ?」
流れる黒髪が美しい神秘的な二十代後半の美女が答えた。エスロギだ。アジサイの刺繍を施された紫色の裾が開いたドレスを着ている。
「これは何もしないというより、何もする必要がないと判断したのではないでしょうか? そもそも宰相ヒアルドンの目的はキョワナさんです。マジッサ王国にキョワナさんを連れてきた時点で、ヒアルドンの勝利は確実になったと思いますから」
ワイトの答えに全員が納得した。だが肝心のキョワナは何もされていない。もっとも何か起きるかはわかったものではない。
問題は夜だ。イターリを殺した夢の世界へ取り込むことを考えているかもしれない。
だがその対処法はすでにできている。眠っていても自身を防衛する補助魔法をかけているからだ。
果たしてヒアルドンは何を仕掛けてくるのだろう。それは誰にも分らなかった。
「やぁ、よく来てくれましたね」
突如背後から声がした。ワイトが振り向いた瞬間、胸が槍のように貫かれた。
あまりの出来事にワイトは茫然としてしまった。口から鉄の味がする。血を吐いたのだ。
ワイトはそのまま仰向けのまま地面に倒れた。そこからだくだくと血が流れていく。
異常に気付いたのはナイメヌだった。彼女自身も衝撃を受けているが、すぐに目の前の光景にいち早く気づく。
「お父様たち!! 急いでワイト様の治療を!! エスロギ様はワイト様の身体から魂が抜けないようにしてください!!」
ナイメヌに言われて、サリョドとエスロギはワイトの治療に取り掛かる。エスロギの部下であるウシワカたちは彼女を守るように囲んだ。
そして茫然としていたケダンとパルホは、見る見るうちに顔が真っ赤になった。
「よくも、よくもワイトを!!」
「許さない!!」
ケダンは怒りを爆発させ、瞬時に狼の身体に変化した。パルホは収容呪文で刀を取り出し相手を探す。
赤い空の上に一人の男が空中に浮かんでいた。それは禿げ頭の中年親父であった。黒ぶちの丸眼鏡にちょび髭を生やしている。どこにでもいる冴えない親父だが、その表情は悪意に満ちていた。悪魔が実在したらまさに目の前の男だと確信している。
マジッサ王国の宰相ヒアルドンである。
「初めまして、わたしがこの国の宰相ヒアルドンです。皆さんは魔女ドボチョンと言った方が早いかな? さてこれからわたしは世界を壊します。その素晴らしい催しをあなたたちは間近で見られるのだから、幸運ですよ。あっはっはっは!!」
ヒアルドンは高笑いしながら、浮かんでいるのであった。背後には満月が浮かんでいる。まるで影絵のように不気味に見えた。




