わたしが異世界転生された理由
生まれた時から病弱だったわたしにとってこの部屋が世界の全てだった。
同い年の子が学校に通うような年齢になっても、ずっとわたしは部屋から出る事も出来ず多くの時間をベッドの上で過ごした。
どうして神様はわたしに辛い人生を押し付けたのだろう。
わたしだって他の子と同じように外で元気に遊んだり、学校に行って友達を作ったりしたかった。
ああ、神様。
どうしてですか。
どうしてわたしばかりこんなに辛いのですか。
神様、神様――。
「ねぇ、ケニー。どうしてわたしばっかりこんなに辛いのかな」
わたしは手に持ったうさぎの縫いぐるみに話しかける。
「シルフィ元気出して、いつかシルフィの病気もきっとよくなるよ」
「そうなのかな」
「きっとそうだよ。きっと神様もシルフィの事をみていてくれるよ」
「そうだよね」
「そうだよ。だからシルフィ頑張ろう」
「うん、わかったよケニー」
そこまで話してわたしははぁとため息をつく。
うさぎの縫いぐるみのケニーはわたしが一歳の誕生日にお母さんが買ってくれたプレゼントだった。ケニーは部屋から出る事が出来なかったわたしの唯一の友達。もうすごく汚れていて所々糸がほつれてしまっている。
それでもケニーはわたしにとって大切な友達であり話し相手だった。
いや、わかってる。
ケニーが喋っているのではなくわたしが喋っているのだ。
だってケニーはただの縫いぐるみなのだから。
それでもわたしはケニーと話す事で救われていた。
そのような事は他にもあった。
わたしはよく絵本を描いていた。
部屋から出る事が出来ないわたしにとっては数少ない楽しみ。
話の内容は単純で、神様に愛された女の子がただ幸せに暮らすだけの物語。
事件も何もなくてただ女の子が幸せに暮らしている。
つまらない話だという事はわかっている。
でも、わたしはそんな女の子の話を描き続けた。
いつかこの絵本の女の子みたいにわたしの所にも神様が来てくれたらいいのに。
そう思いながら。
「シルフィ、具合はどう?」
ガチャリと部屋の扉が開く。
お母さんが心配そうな面持ちで食事を持って部屋に入って来る。
「お母さん……」
わたしは慌ててケニーを布団の中に隠すと、顔だけを入り口に向ける。
「まだ具合が悪そうね」
「うん」
「大丈夫、すぐよくなるわ」
そう言うと、お母さんはわたしのベッドの隣に座ると持ってきたスープを匙で掬うとわたしの口に運ぶ。
わたしはそれを口に含むとゆっくりと飲み下す。
「うん……」
お母さんはそう言うけれど、わたしの状態は日に日に悪くなっていくばかりだった。少し前までなら短い時間なら起き上がって両親と一緒にご飯を食べるくらいの事は出来たのに、今はもうそれすらも出来なくなっている。
お母さんはよくなるよくなるって言ってくれるけど、全然よくなる気配すらない。
この間、お母さんとお父さんがお医者様と話しているのを聞いてしまった。
もうわたしは駄目だって、もう長くはないだろうって。
「そうだ、シルフィまたあなたのお洋服を買ってきたのよ」
思い出したようにお母さんが一着の洋服を取り出す。
パステルカラーの可愛らしいドレスだ。
「可愛い……」
「そうでしょう。絶対にシルフィに似合うと思って買ってきたの。体がよくなったらこれをきて家族みんなでピクニックに行きましょう」
「うん……、そうだね」
本当にそんな事が出来たらいい。
「じゃあ、これはしまっておくわね」
お母さんはそう言うと、ドレスをクローゼットの中にしまう。クローゼットの中には他に可愛らしいドレスが沢山入っている。
でも、どれも着た事がない。
よくなったら、これを着てお出かけしようっていつも言うけど、わたしが全然よくならないからだ。
きっとお母さんはわたしにドレスを着て欲しいと思っている。
でも、わたしではその想いに応える事が出来ない。
「じゃあ、お休みなさい」
食事を終えて、わたしの額にキスをするとお母さんが部屋から出て行った。
それを見送りながら、涙で視界が滲む。
お母さんもお父さんも生まれてきたのがわたしみたいな子じゃなかったら、普通の家族みたいにピクニックに行ったり、一緒に遊んだり、買ってきた服を着てあげられたり出来たのに。
わたしが普通の元気な子供だったら、きっとお母さんとお父さんももっと幸せになる事が出来たのに。
わたしはもう死んだって構わない。むしろ早くお母さんとお父さんをわたしから解放してあげたいとすら思う。
でも、わたしが死んでしまったら二人はきっと悲しむだろう。
だから死にたくない。
ああ、神様。
わたしはもういいんです。
でも、せめてお母さんとお父さんが悲しまないようにしてください。
神様、神様――。
「それ、本当にそう思ってるの?」
不意に声が聞こえてきた。
それは布団の中からだった。
「本当にそう思ってるなら叶えてあげられるかも」
声の主を取り出すと、それはうさぎの縫いぐるみのケニーから発せられていたものだった。
「え、ケニーが喋ってるの?」
ケニーは普通の縫いぐるみだ。普段はわたしがケニーの声をやっているだけであってあくまでも独り言だった。でも、これはわたしが喋っているわけではない。
「そんなに驚かなくてもいいじゃない、シルフィはずっとボクの事を呼んでいたでしょ」
「もしかして……神様?」
「そんなようなものかな」
そう言うと、ケニーの姿をした神様は笑い声をあげた。
「今言っていた事が本当に君が望んでいる事なら、ボクは君の願いを叶えてあげられるかもしれないよ。ボクが君の病気を治してあげる」
「ほ、ほんとに?」
わたしが息を飲みながら訊ねる。
「でも、それには対価が必要だ」
「対価……」
「そう対価だ」
ケニーの姿をした神様は頷くと、
「君の病気はとても重たい。君の病気を治すという事は君の死をなかった事にするくらいの大きな事だ。だから君の病気を治す対価として君の命が欲しいんだ」
「どういう……事?」
「簡単な事だ。君の病気を治す代わりに君にはいなくなってもらう」
言っている事の意味がわからなかった。わたしの病気を治してもらったら対価としてわたしがいなくなってしまう。それじゃ何も解決していない。
「そんなの意味ないよ」
「意味ならあるさ。君はさっき言っていたじゃないか。君がいなくなっても君のご両親が悲しまなければいいんだろ。じゃあ、もう少し具体的に説明しよう」
そう言うと、ケニーの姿をした神様は続けた。
「結論から言うと、君がいなくなってもシルフィという存在は消えないんだ。君がいなくなった後に違う世界の人がシルフィの中に入る事になる。だからシルフィという存在は続く」
「他の世界の人がわたしの中に……?」
「より正確に言うと、君の体の中にだ。ボク達はこれを異世界転生と呼んでいるよ」
「異世界……転生?」
「そうだよ。君がいなくなっても新しく入った人がシルフィを続けてくれる。これなら君のご両親も悲しまなくて済むだろう。だってシルフィはいるんだから」
「そんなの……」
思わず言葉に詰まるしかなかった。
つまりわたしは死ぬ、でも他の誰かがシルフィを続けてくれる。
でも、それじゃ――。
「別にいいんだよ。君が願わないというならボクはこのまま消えるだけさ。でも、どのみち君の命はもう長くないんだろう。それならせめてご両親は悲しませたくない。それが君の願いだったんじゃないのかな」
「それは……そうだけど」
言葉に詰まる。
「君がいなくなった後、シルフィの中に入る人はとても優秀な明るい女性にするつもりだよ。病気も治って元気で優秀なシルフィになるんだ。ご両親もきっと喜ぶよ」
「お母さんとお父さんが……喜ぶ?」
「当たり前じゃないか。親というものは元気で頭のいい子が大好きだからね。君がシルフィをやっているよりもずっと喜んでくれるはずだよ」
「わたしがシルフィをやっているよりも喜んでくれる……」
そうかも知れない。いや、その通りだった。
お母さんもお父さんもこんなわたしみたいなのが生まれてきてしまって、ずっと苦労して。一緒にピクニックに行く事すら出来ない。こんなつまらなくて可哀そうな、もっと楽しい生まれてくる子供との生活が彼らにはあったはずなのだ。
なのに、わたしのせいで彼らのそんな生活を奪ってしまった。
「わかった」
どうせわたしは死ぬのだ。
だからせめてこんなわたしを今まで育ててくれた両親に最後のプレゼントとして、健康で元気で優秀なシルフィをあげよう。
「じゃあ、本当にいいのかい?」
「神様、お願いします」
「契約は成立だ。君の病気を治そう」
ケニーの縫いぐるみがぱぁっと光を放つ。
すると、今までずっと苦しかった体が嘘のように軽くなっていた。
「病気が……治ってる」
「君が願ったんだから、当たり前じゃないか」
本当に体が綿毛のように軽かった。すぐにベッドを飛び出してお外を駆け回りたいくらい。しかし、それは出来ないのだ。
「じゃあ、対価を貰おうか」
ケニーの姿をした神様が言うと、今度はすぅっと血の気が引いていくように冷たい感覚が体の中を満たしていく。
寒かった。
怖かった。
わたしがわたしの中でどんどん消えていく。
わたし、死んじゃう。
一生懸命に恐怖を紛らわせる為にわたしはケニーを抱きしめる。
意識がだんだん遠くなる。
消えゆく意識の中で、わたしの代わりにシルフィになってくれる人はどんな人だろうと考える。
優しい人だったらいいな。
ケニーの事を大切にしてくれたら嬉しい。
わたしが着れなかったドレスをお母さんとお父さんに着せてみせてあげて欲しい。
あと、絵本の続きも描いてくれたら。ってこれはちょっと高望みしすぎかな。
「うっ……」
もう駄目……。
わたしはそんな事を思いながら――。
暗い暗い意識の中に落ちていった。