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師匠は出かけてしまったので、私はヨーゼフと二人で留守番している。することは特にない。
この家で、今更私が手伝う事など特にないのだ。師匠はすでに1人で完成している。
「勉強も捗らないしな〜」
この世界では、魔法が使える人と使えない人ははっきり分かれているらしく、私は「使えない」方の人だった。残念。
もふもふの毛皮にもたれかかる。
「なんか……人間力が高まる方法ないかな?」
この状況はあまりにひどい。ダメ人間の見本みたいな状況だ。この数日、私がしたことと言ったら食べて、寝て、散歩して、拗ねて、甘えて、だ。客観的に見てロクなもんじゃない。
「人間じゃないから知らないな〜」
「このままだと、私やばくない?」
ヨーゼフは首だけをこちらに向けた。
「やばいって、何が?リコはちゃんと『オスカーの悪事の片棒を担いで帰りの切符を買う』って目標があるんでしょ。ゆっくりしてればいいんじゃないの?」
いきなり、当然の事を言われて言葉に詰まる。
「それは」
「違うの? こっちにずっといるの?」
「……」
正直、元の世界に帰れる、って実感が湧かない。そもそも、帰りたい……とも思っていない。
「だって、師匠が帰れって」
「僕はそう思わないけど」
「ちょっと、そこの所もっとわかりやすく」
「リコがどうしたいのかはっきりしないと何も言えな〜い」
ヨーゼフはごろりと床に寝転がった。腹黒そうな顔をしている。
「助言が欲しいなら、おやつで考えないこともないよ」
ヨーゼフは舌をぺろっと出した。こいつ……やっぱり悪の手先か。
「何かあるかな……」
賄賂を探すために立ち上がろうとするより先に、ヨーゼフがすっくと立ち上がる。
「わ、何」
「リコ、奥の部屋に隠れて。何か来る」
言い終わるか言い終わらないか、ぐらいのタイミングでヨーゼフがべしゃり、と伏せてしまった。と言うよりかは、見えない力で床に押し付けられている。
「え、何、どしたの?」
おろおろしていると、屋敷のドアがきい、と開く音がする。心臓が跳ねる。
しかし、私にはどうすることもできないので、じっと音のする方向を眺める。カツカツとヒールの音がして、ドアの向こうからオレンジ色の髪の女性が現れた。
「ごめんなさいねぇ、私は猫派なの」
「……あなたは?」
「あら。私の事、知らない?」
夕日色の髪の女性は頬に指を当てて微笑んだ。……自分の事を知っていて当然。そう思う様な人は……
「オリアーナさん?」
「せいかーい」
魔女はパチパチと拍手をした。
「鉄道会社の社長さん……でしたっけ」
確か、師匠の昔の仲間、のはず。駅が近くにあるんだから、関係が悪いわけではないよね?ヨーゼフが潰れているのが気にかかるけど。
「そうよ?」
「えっと、何か、師匠とお約束、してました?」
魔女はくすくすと笑い、私に白い紙袋を渡してきた。お菓子のようだ。
「用事なんて何もないわ。グラムウェルから話を聞いて、見学に来ただけよ」
「だって、面白そうじゃない? あのオスカーが、入れ込んでるって言うんですもの。是非とも調べて森の向こうまで広げないと」
「そう、ですか」
駅長さん、何を言ったんだろう。私たちに全く興味がないと思っていたのに。
とりあえずお茶を出す。ヨーゼフはクッキーを食べなかった。重力からは解放されたみたいだけど、無言のままソファーに伏せている。
「仲良くやっているのね。たまにはあの列車も、幸運を運んでくるものだわ」
「オリアーナさんがあれを動かしているのでは……?」
そんな、人ごとみたいな。
「異世界への移動については、私の管轄じゃないわ。無理やり『列車の形に当てはめて』いるけどね」
「そうなんですか」
「そうよ」
ふわふわしていて、捉え所がなくて、よくわからない人ではあるが、悪い人ではなさそうだ。悪役かと思って、スミマセン。
「師匠とは、旅の仲間なんですよね」
「まあね。あ、安心して? 旅の仲間だからと言って、過去にも未来にも何もないから」
「うぐ……」
ちょっと嫉妬してたのがバレてしまった? 絶対にうまく隠せていると思ったのに。
「師匠の話、聞いてもいいですか」
「私が知っているような事は、本に全部書いてあるわよ」
「そんな……」
私の少し不満げな視線に応えるように、魔女は視線を宙に彷徨わせた。何か思い出そうとしてくれるらしい。
「そうねえ。彼の師匠の事、ご存知?『隠者』とだけ伝わっているんだけど」
私はふるふると首を振る。
「最初に仲間に誘った時、ご師匠の寿命がもう長くないから、って断られたのよ」
「結局、合流してくれたんだけれど。そのせいでその方の死に目にお会いできなかったのよ。ちょうど今時期だったと思うわ」
あの日、師匠はどこかへ行こうとしていた……もしかして、お墓参りの邪魔をしたかな。
「さて、もう戻るわ。新婚の夫が待っているの」
「あ、はい」
オリアーナさんが結婚したから、師匠も玉突きで結婚しろとせっつかれていたのだろうか。
「まあ、バツ8なんだけどね。頑張るわ」
そう言って、魔女は去っていった。思ったより忙しない出会いだった。社長は忙しいのだろう。ほぼ入れ違いに、師匠が帰ってきた。
「さっき、オリアーナが来ただろう」
「知ってるなら言ってくださいよ! びっくりしたじゃないですか」
「知るもんか。気配だ。ヨーゼフ、その様子だと番犬の意味がなかったようだな」
「だって怖いんだもん」
「お前が杖で殴られたのはミレーネだろ?」
「魔女も聖女も一緒!」
ヨーゼフは、昔勇者一行にボコられた事が未だにトラウマなのだそうだ。
「あの……すみません。師匠の師匠の話、聞いちゃいました」
「あいつが知っていて、知られて困るような事は何もないが」
「師匠の生まれ故郷って、どこにあるんですか」
「王都で列車を乗り継いで、半日ぐらいのところだ」
「お墓参り、邪魔しちゃってごめんなさい」
「そうでもないさ」
やっぱりそうだった。でも、そうでもないんだ。ちょっと嬉しい。
今日は、どこへ行っていたんですか。そう言いかけて、口をつぐむ。重い女だと思われたくないのだ。ただでさえ、めんどくさいのはバレている訳だし。
手持ち無沙汰に、頬にかかった髪をくるくると弄る。師匠は私を観察しているらしく、視線を感じる。
「俺がどこに行っていたか知りたいか?」
「まあ、多少は……」
「これを買ってきた」
ローブのポケットから出てきたのは、青いビロードの、立派な小箱だ。パチリと開けてみると、びっくりするほど輝きを放つダイヤモンドの指輪が収まっていた。
「へっ」
これは……これは、その。あれだ。
「偽装工作用に、当日はそれをつけて行けよ。終わったら記念にやる」
「わ、わわわわ私にくれるんですか、これ」
「普通の既製品だぞ。合うかどうかはめてみろ。ダメだったら返品しなきゃならん」
指輪は、窓からの日を浴びてうるうると輝いている。中心が大きなダイヤモンドで、縁もぐるりと小さなダイヤモンドで囲まれている。サイズはぴったりだ。
高級感はあるけれど、私がつけるとおばあちゃんの指輪を借りてきた人みたいになった。
「えへへ。師匠、ありがとうございます。男の人からプレゼントをもらったの、初めてです」
「無くすなよ」
その後はずっと気持ちがふわふわしていて、あっと言う間に寝る時間になった。
しかし、全く眠れる気配がない。ごそごそと起き上がって、そっと指輪を取り出して明かりにかざしてみる。
複雑にカットされた石が光をとりこんで、虹色に輝いている。昼と夜では、同じ指輪でも全く違うのだ。
軽く手を動かすと、キラキラと、青、緑、オレンジの光が夜景みたいに瞬く。中央の大きなダイヤモンドが、ぴかっと反射して星みたいに光った。
夢みたいに綺麗、とはこう言う時に使うんだろうな、と思う。
「へへへ」
「へへへへへへ……」
ただの小道具にしか過ぎないのだろうけれど。自分でもびっくりするぐらい、心臓の高鳴りを感じた。