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陽の光が眩しくて目が覚める。半日以上、ずっと眠っていたらしい。
窓から顔を出すと、ハーブ園のような所で師匠が作業しているのが見えた。
「起きたか」
声をかけていないのに、気配でわかったらしい。寝癖がついてるし、顔はむくんでるしでめちゃくちゃ恥ずかしい。
「風呂が沸いているぞ」
「あ、ありがとうございます……」
浴室へ行くと、どういう原理かはわからないけどお風呂にお湯がはられていた。小さい布の袋が入っていて、揉むとハーブの香りがする。
洗面台には、石鹸も、タオルも、替えのパジャマも、歯ブラシも、保湿用のクリームも、ヘアブラシも、飲み物まである。
「女子力高っ」
男の人は生活力がない。
というのは嘘で、世の中の一人暮らしのおじさんはこのぐらい気が回るものなんだろうか、と湯船につかりながら考える。
下着を揉み洗いして、さてこれをどうしようかな、と思っているとドアの近くに扇風機っぽいものと、小さな物干しスタンドがある事に気がついた。
おそるおそるボタンらしきものを押してみると、まさしく扇風機であった。これならすぐに乾きそうだ、と胸を撫で下ろす。流石にノーブラノーパンは避けたい。
「確かに、一人でこれだけできるならお嫁さんが欲しいとか、思わなさそう……」
ラノベ だと『天才だけど生活力が皆無』みたいなキャラが結構いるけど、ちゃんとしてる人はちゃんとしてるんだよなぁ……としみじみ思う。
「何か食べたいものはあるか?」
お風呂から上がってきた私に、師匠はそう問いかける。居候の私にそこまでしてくれちゃうなんて、後が怖いんですけど。
「余り物で大丈夫です……」
「そうか。なら、座って待っていろ」
テーブルの上には水差しと、コップと、クッキーが置いてあった。食べようとするとヨーゼフが近寄ってきた。
「ちょーだい」
「勝手に食べればいいんじゃないの?」
何せ、喋る犬だもの。椅子に登ってお菓子を食べるぐらいは簡単にできそうだけれど。
「そこはまあ主従関係として、線引きってやつ?」
そんなもんかなあ……と思いつつ、かねてからやってみたかった『犬の鼻におやつを乗せる』をやってみた。ヨーゼフは文句も言わず付き合ってくれる。
『鼻パク』に夢中になっている間に、どんどん食べ物が運ばれて来た。
「できたぞ」
「ありがとうございます」
ほぼ1日寝ていて、胃の中は空っぽだ。
ローストビーフサラダと、スクランブルエッグ、チーズを練り込んだパン。デザートのグレープフルーツ。食べ物は、異世界でもそこまで変わらないようだ。
「パンは師匠が焼いているんですか?」
「そんなマメな事してられるか。配達だ」
配達って、駅の周りには何もなかったけど。それも魔法か何かで何とかなるものなんだろうか。
「美味しいです」
「焼いただけだ」
師匠は向かいに座って、今日の予定を説明してくれた。
「この後王都へ移動して、お前の着替えを調達するついでにお披露目用のドレスを作る。城で開かれるパーティは9日後だ」
師匠曰く、王都はこれから社交界シーズンに入る。
そこで先手を打って『婚約者』をお披露目しておくのだ。そうすれば、友人たちによる『お見合い大作戦』から逃れられる、と言う寸法だ。
「ドレスを作る、ってまさかオーダーメイドなんですか?」
「既製品でもいいが、そこはお前の趣味と店主の判断に任せる」
「私の趣味で選んじゃっていいんですか?」
「店頭の商品なら、どれでも。別に、洒落者で通っている訳でもなし」
「予算は……」
「そんな事を気にする必要はない」
師匠は、本気で金額に興味がなさそうだったので、もうこの話は打ち切る事にする。
「そういえば、昨日はどこへ行くつもりだったんですか」
「野暮用だよ。誰だって、街をふらふらしたい時があるだろう」
私は電車の時間が来るまで、思いつく限りの質問を繰り返した。師匠はその一つ一つに、ざっくりと、しかし嫌な顔をせずに答えてくれた。
「そろそろ時間だ。昨日の服に着替えてこい」
制服に着替えると、師匠はローブを貸してくれた。男性用だから大きいのかな、と思ったけれど、着てみると丈がぴったりだった。
「出かける時は、基本的にそれを羽織っていろ」
「このローブ、透明になれたりしますか?」
「ならない」
ワクワクしながら訪ねてみたけれど、すごい効果はないらしい……。
「リコ、いいの貰ったね」
少しがっかりしていると、ヨーゼフがフンフンと鼻を鳴らして近づいて来た。
「そうなの?確かに丈夫そうな生地だけど」
「賢者のローブ、そのへんの魔獣の牙は通さない」
そう言って、ヨーゼフはローブの袖にかじりついた。そのまま思いっきり引っ張られる。
「や、やめ、やめやめやめて破れる」
抵抗虚しく、居間を引き摺り回されていると玄関から師匠の「早く来い」とお叱りの言葉が飛んできた。その声を聞いて、ヨーゼフはパッと口を離す。
「ね?破れてないでしょ」
「そもそも服を破ろうと思った事が人生で一度もないんだけど……」
大型犬、怖っ。無邪気な残酷さがある。
「遊んでいる場合じゃない。行くぞ」
師匠の声がどんどん近づいてきて、私は慌てて駆け出した。