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俺と結婚してもらう。
でも、直前に、元の世界に戻る切符を買ってくれると言ったばかりではないか。どっちなんだろう。
「結婚して、1ヶ月で離婚するんですか?」
それともオスカー先輩も異世界……現実へ来るつもりなのだろうか?
「安心しろ、何もしなくていい。俺はこう見えてもお前の親ぐらいの年齢だからな。今更だ」
「え……」
童顔すぎる、ってやつだろうか。思ったよりもずっとおじさんらしい。なんだかちょっとショックだ。せめて200歳とか、もっとぶっ飛んだ設定ならよかったのに。
「最近、昔の知り合いに身を固めろと、やんややんや言われて辟易してるんだ。奴ら、権力を行使してお見合いパーティなんぞを始める始末だ」
それを体良く断るために、期間限定で偽装工作に付き合え、と言う話だった。
「そんな事していいんでしょうか?みなさん、心配してそう言っているのでは?」
オスカー先輩は心底嫌そうな顔で私を見た。
「余計なお節介もいいところだ。いやいや結婚したところで、誰も幸せにならないだろう?」
そうなのかな。お見合いぐらいしてみたら、もしかして気の合う人が居るかもしれないのに。と思ったが、私にとってはラッキーな話だ。
「はい、わかりました。よろしくお願いします」
当面の生活のために、私はその作戦に乗る事にした。まあ、正直元の家に戻れなくても構わないんだけれど……。
「ああ」
それきり、先輩は黙ってしまった。何か考え事をしているのだろう。
「オスカー、もっとちゃんと説明しなよ。『賢者』が聞いてあきれる」
ワンちゃんがフォローに入ってくれた。賢者、なんか凄そうな響きだ。魔法使いか何かなのかな。
「……俺は探し物をしてくる。ヨーゼフ、お前が説明しろ」
「え、何を? 人間の事なんて知らないよ」
本当にヨーゼフって名前なんだ、とちょっと感動してしまう。
それだけ言うと、先輩はどこか他の部屋に行ってしまった。大きな体が、トコトコと私の足元に近づいて来て、お座りをする。もふもふ感がすごい。
「……あのさ」
「うん」
「結局、私、どうすればいいのかな?」
「さあ?わかんない」
自分で言っておいて、そっちも説明してくれないんじゃん……と、不満げな様子を察知したのか、ヨーゼフは窓の外を眺めて、それから小首を傾げた。
「多分ねー、着替えを探しに行ったと思う。リコ、この後すっごい眠くなるから」
「起きたばっかなんだけど」
「絶対魔力酔いするよー。だって、魔力ナシだもんね」
「魔力ナシ……」
異世界に転移しても、魔法が使えるようにはならないらしい。ヨーゼフが床に転がってお腹を見せてきたので、ありがたく撫でさせてもらった。
「魔力酔い、って何?これから何か起きるの?」
私の問いに、喋る犬は答えない。猫もそうだけど、ちょっと異種族との付き合い方がわかんない。
「魔力の濃い所に長時間留まると、倦怠感や眠気に襲われる事がある」
振り向くと、手に何やら服らしきものを持ったオスカー先輩が立っていた。本当に、着るものを探してくれていたらしい。
「一度も袖を通さないでずっと放置していただけなのに、新品って言っていいのかなぁ〜」
「着古したやつよりはマシだろう」
渡されたのは、つるつるした素材のパジャマだった。シルクのパジャマ、ってやつかな。
「体がこちらになじんでいないので、今日は買い物に行くのは無理だ。ひとまずこれで我慢しろ」
「ありがとうございます」
着るものがないより、パジャマでも着替えがあった方がマシだ。私は浴室でパジャマに着替えた。ぶかぶかだけど、仕方がない。
……しかしまあ、お腹が空いたな。この世界の事とか、偽装婚約の事とか、聞きたい事は結構あるんだけど、居候の身でご飯を催促するのもなあ、と気がひける。
『ねえオスカー、お腹すいたよ』
ドアの向こうで、ヨーゼフが私の心の声を代弁してくれている。グッジョブ。私もだよ。
『朝は食っただろ。元々居ない予定だったんだから自分で何とかしろ』
『どうせあの子が寝る前に何か作るんでしょ?』
「あの……私も、お腹が空きました……」
この機を逃すまいと、ヨーゼフに加勢する。
「なら、少し早いが食事にするか。何か食べられないものはあるか?」
「ない……です」
多分。ファンタジー世界の食べ物はわからないけど。なんかすっごいのが出てきたらどうしよう、緑のタコとか、マンドラゴラとか。
「料理はできるか?」
「できないです……」
ちょっとしたものは作れるけど、人に振る舞う様なものは、とても。友達が貸してくれるラノベ ではヒロインはみんな料理ができたけれど、私は主人公じゃないからなあ。
「そうか。ならそこにいろ」
またどこかへ行ってしまったので、ヨーゼフのアゴの下をもふもふしながら過ごした。部屋の中には、干した草や、植木鉢や、本などが雑多に並べられている。
「このあたりのものは触っても怒られないと思うよ?」
「そうなの?」
本を1冊手にとってみたが、さっぱりわからなかった。全く知らない文字なのだ。言葉が通じるだけ、有難いと思うべきなのかもしれない。
「出来たぞ。取りに来い」
声のする方に向かうと、台所があって、じゅうじゅうと何かが焼ける音がしていた。後ろからひょいと覗くと、かたまり肉が焼かれていた。
「肉食なんですか?」
「まさか森に住んでいるから菜食主義者だろう、なんて安易な発想じゃないだろうな」
その通りです。私は返事をせずに、指示をされた位置から皿を取り出した。
「カゴから好きなパンを取って、鉄板の端で温めろ」
「はい」
その後も、指示されたとおりに食卓の用意をした。
昼からステーキだ。豪勢だなあ。ちゃんと付け合わせの野菜もあるし、スープもサラダもある。栄養バランスが取れてる。
「オスカー、ごは〜ん」
「犬のくせに俺より先に食おうとするな」
冷蔵庫っぽいところから、一瞬米袋と間違うくらいの肉の塊が出てきて、それをヨーゼフが顎の力だけで運んでいったので若干驚いた。大型犬すごい。
「いただきます」
何の肉かわからないので若干ドキドキしたが、味は牛肉だった。普通よりもだいぶ美味しく感じる。肉の脂が体に染み渡る。
「足りるか?」
「大丈夫です」
「美味いか?」
「おいしいです」
「果物いるか?」
「ちょっとだけ」
……この人、超親切だ。私は感謝の意を込めて、せめて皿は洗わせてくれと頼みこんだ。
皿を洗い終わって、食休みしていると猛烈に眠くなってきた。これが魔力酔い、かな。
「眠くなってきました」
「だろうな。空いている部屋はたくさんあるんだが……」
階段を上がるといくつかのドアがあり、オスカー先輩はそのうちの一つを開けた。
「使っていないから、どこもほこりっぽいな」
通された部屋は、ちょっとカントリー風の可愛い部屋だった。カーテンが花柄で、ベッドが白いアイアンなのだ。
「明日何とかするから、今日はここで我慢しろ」
「大丈夫です。先輩、何から何まで、ありがとうございます」
あ、先輩って口に出して言っちゃった。まあいいや。
実際はだいぶ年上らしいけど、見た目が若いので何かしっくりこないのだ。普通にオスカーさん、でいいのかもしれないけど、何か違うんだよなあ。
「……学校じゃあるまいし。俺の事は、先輩ではなくて『師匠』と呼べ」
師匠。……確かに、何か、しっくりくる。
「はい、師匠。わかりました。これから師匠と呼ばせていただきます」
オスカー先輩改め、師匠は小さなため息をついた。よっぽど私がバカそうに見えるのだと思う。いや、実際馬鹿なんだけど。眠いし。
「枕が合わなかったら言えよ」
師匠はそう言い残して、静かに扉を閉めた。