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「……死?」
「そうだ。お前は死んでいる……いや、すまん、違うな。魂が抜けかけているが、まだ向こうの世界と繋がっている様だ」
オスカー先輩は、私のおでこに手をかざしたが、正直何をされているのかさっぱりわからない。
「世界を行き来するには、肉体は枷となる。おおかた、事故か何かで半死半生、もうすぐ時間切れ、って所だな」
「そんな……電車に乗ってただけなんですけど?」
「俺が知るか」
自分の掌をくるくる回したり、髪の毛を引っ張ってみる。死んだとは思えない。痛覚はある。そもそも、あの世じゃなくて不思議の国に転移って。
……でも、まあ、いいか。
「死んじゃったのなら、仕方がないですね」
「まだ間に合わなくもないと思うぞ」
「いいですよ、もう。……別に、生きてる意味、ないですし……」
死ぬのが怖いから生きているだけだ。別に、私がいてもいなくても、何も変わらない。むしろいない方がいい、まである。
「いかにも暇人のガキが言いそうなセリフだ」
オスカー先輩は、心底馬鹿にした様な顔で笑った。漢字で表現するなら、『嗤った』かもしれない。
「そんな奴に限って、魔物が出たら真っ先に逃げ出すもんだ。一回、雪山で雪崩にでも巻き込まれてみろ。人生観変わるぞ?」
「そうかもしれないですけど……」
言われている事は全くの正論なので、私はろくに言い返すことができない。自分だって同じ位の歳のくせに。
「お前、行く所がないんだろう? ついて来い。両替と、茶ぐらいは出してやる」
「知らない人にはついて行くなって言われているんですけど」
いくら先輩風を吹かせているとはいえ、出会ったばかりの男性、しかも異世界人である。本当に信じていいものだろうか。
「線路沿いに他の町に行くなら止めはしないが、お前の見た目だと、あっと言う間に捕まるだろうな」
「……捕まると、どうなるんですか」
「そりゃ、奴隷にでもされるんじゃないのか。異世界人は珍しいし、色々使い道がある」
「それは、困ります」
ぽっくり死ぬだけならまだしも、奴隷になるのは嫌だ。
「死んだからどうでもいいんじゃなかったのか?」
からかうような声がして、さすがにムッとする。でも喉が渇いたし、お金もないのでついていくしかないのかな。
「うう」
悩んでいると、オスカー先輩はホームから地上へすっと飛び降りた。
「いいからついてこい。この辺りで、俺の助言を素直に聞かないのはお前ぐらいだぞ」
誰もいないじゃん。そう言いたいのはやまやまだが、この態度を見る限り本当に偉い人なのかもしれない。雰囲気がなんだか、大物っぽいのだ。
ホームを降り、後ろに見えていた森まで歩く。
「犬がいるが、無害だから驚くんじゃないぞ」
私は犬が好きだ。いつかは飼ってみたいと思っているけれど、とても言い出せる環境じゃないので我慢している。
「わたし、犬、好きですよ」
「そりゃ幸先が良いことだ」
森の中には軽自動車が一台通れそうなぐらいの道があり、そこを5分ほど進むと二階建ての大きな洋館が現れた。
玄関前に、大きな犬が伏せている。こちらを確認すると、がばりと起き上がり、駆け寄ってくる。
「わあ、可愛い! お迎えに来た!」
「……あれ、可愛いか?」
先輩は私の反応が意外な様だった。どう見てもアニメで見て憧れた、セントバーナードそのものだ。
「わ〜、初めて見た!」
しゃがみ込み、頭を撫でてやる。大人しくて優しそうな犬だ。首都圏の小さな家じゃ、とてもこんな大型犬は飼えやしない。
オスカー先輩は首をひねりながら屋敷の中に入っていった。後を追うと、ワンちゃんも一緒についてきた。
室内は、物は多いけど清潔で、ハーブの良い匂いがする。
薄黄色のハーブティーみたいなお茶とお菓子が出てきたので、ありがたくいただく。冷蔵庫は見当たらないけれど、ちゃんと氷が入っている。
「ところで、お前の名前は?」
「リコ、です」
「結婚はしているか?」
「しているわけないじゃないですか」
「歳は?」
「17です」
「チビだが、逆にちょうどいいな」
オスカー先輩は私の周りをぐるぐる周りながら、そんな事を呟く。
自分だって、どっちかと言うとチビのくせに、とは言わないでおこう。
「オスカー、その子を使うつもりなの?」
大きなセントバーナードが喋りだした。まあ、猫が喋るんだから今更だよね。
「まあな」
「使う、って何にですか」
「さっき言っただろう。異世界人は使い道がある」
やっぱり騙された?とりあえず、クッキーをもっと食べておこう。
「ええと……つまり、私はオスカー先輩の奴隷なんでしょうか……」
「嫌なら他の奴を紹介してやるぞ」
他の人を紹介してくれるんだ。ぶっきらぼうだけど、やっぱり親切な人かもしれない?
「別に奴隷になれって話じゃないぞ。ただ、手伝って欲しい事があるだけだ」
「業務内容にもよります……」
怪しい薬の人体実験とかなら、できるんだけど。怪しい葉っぱの売人になれ、と言われたらどうしよう。
「1ヶ月の間、俺の指示通りに動いたら帰りの切符を買ってやる。生活費と、身の安全の保証もしてやる」
「高いんですよね?」
私と同じくらいの歳なのに、そんなの払えるんだろうか。払えたとして、私はそのかわりに何をさせられるんだろう。
「俺を誰だと思ってる?」
何を馬鹿な事を、とでも言いたげにオスカー先輩は笑った。
「すみません、私、先輩の事良く知らなくて」
「言われてみればそうだったな」
オスカー先輩は、気まずそうにごほんと咳をした。
「お願いしたいのはやまやまなんですけど、何をすればいいんでしょう?」
「俺と結婚してもらう」