13
午後の昼下がり。この前の修羅場が嘘みたいに、私たちは淡々と過ごしている。
あのあと無言で帰って、三日ぐらいずっと必要最低限の会話しかなかった。ヨーゼフはどこかへ逃げた。犬とは思えない薄情ぶりだった。
四日目に、突然国王夫妻改め元勇者と聖女が訪ねてきたので、私たちはそのタイミングで普通に戻った、フリをした。そして何食わぬ顔でヨーゼフも戻ってきたのである。
私は居間で勉強している。今まで数学は全く好きではなかったが、はっきりとした答えが出るぶん、わかりやすくていいかもしれないと思う。
「『いんたーねっと』は本当に研究しがいがある」
妙にわざとらしい感じの師匠の言葉。この人はきっと、嘘をつく事にはそれほど慣れていないのだ。
時間は淡々と過ぎて行く。師匠のスタンスはずっと変わらない訳で、私だけがダダをこねている状態だ。
どうすればこの状況を打破出来るのか。表面上でしか理解できていない方程式のグラフを眺める。目が滑る。
正しい答えは出ない。私はシャープペンシルをテーブルに転がした。
子犬と遊ぼうかな。そう考えていると、師匠がスマホから顔を上げた。
「誰かが来た」
「なんだ、ナディア・ローレンスか。そう言えば何か約束をしたと言っていたな」
確かに、水晶玉に金髪の女性が写っている。帽子のつばが広すぎて顔が見えないけれど、この縦ロールは間違いない。私はヨーゼフを連れて出迎える事にした。
「ごきげんよう。本当に、賢者様の森にいましたのね」
「こんにちは」
『カレリアもいるよ』
正直、完全にノンアポである。まあ、連絡手段ないんだけどさ。それにしても、常にそのぬいぐるみとセットなのは何故なのだろう。
ナディアはヨーゼフを凝視している。やっぱり、この世界の人にとってはインパクトある見た目なんだろうか。もしかしなくても、セント・バーナードはこの世界にいないのかもしれない。
「触っても噛まないよ?」
「まあ、そうでしょうね」
「じゃ、行きましょう」
私は館に戻ろうとした。ナディアは立ち止まっている。
「……? あの?」
「わたくし、そちらに入っていいのかしら? 賢者様の許可が降りないと禁域までは行けないと聞くけれど」
「家のあたりは違うらしいよ」
そうなのか、とナディアは納得した顔だ。師匠の生態は意外と謎に包まれているらしい。
「賢者様。わたくしをこの森に迎えていただき、ありがとうございます」
「個人で来る分には問題ない。ま、今後のために仲良くやるといい」
出かけてくる。師匠はそう言って、さっさと居なくなってしまった。
ナディアは手土産を持ってきてくれていた。さくらんぼのパイだ。すでに一切れ無くなっているので不思議に思うと「森の入り口まで案内をするのに、猫の魔獣に対価を要求された」らしい。
ヨーゼフはあっと言う間に一切れ食べてしまった。
「もっと、もっとちょうだい」
口をパクパクさせていて可愛い。けどナディアにはヨーゼフのぶりっ子大作戦は不評だった。危険な生き物にしか見えないらしい。
スマホを操作して、動画サイトへ飛ぶ。ナディアもまた、魔法使いらしく興味深々と言った様子だ。
「わたしの世界で流行ってるのは、こんな感じ」
とりあえず、手当たり次第に流行りの動画を流していく。
ナディアは食い入る様に画面を見つめ、「これならわたくしにもできそうね」と言ってのけた。
縦ロールの中から、『カレリア』がひょこん、と飛び出してきた。
『ナディアはね、歌姫になりたいの』
「はあ、左様でございますか」
それはこの前も聞いた。どうしてこの状況で、夢に溢れた人の話を聞かなければいけないのだろう……と若干面倒臭くなったが、その後に聴こえてきた言葉に耳を疑う。
「だから、わたくしは向こうの世界へ行くつもりなの」
「……こっちの世界には、歌手って仕事ないの?」
「あるわ。でも、ここにいる限り、わたくしは『ナディア・ローレンス』だから」
「失礼な事を聞いていい?」
「どうぞ。とは言っても、わたくしのあだ名の事でしょう?」
「あ、うん」
はみ出しもの、と呼ばれていた。ナディアは静かに自分の過去を語り始めた。
「歌手になりたいって言うのは、子供の頃の夢ね。まあ、今でも諦めていないと言えば、そうなのだけれど。本当の目的は別にあるの」
「わたくしは罪を犯したの。そして、さらに罪を重ねるために、異世界へ逃げるつもりなの」
「……? 逃走する、って事?」
「この子、カレリアは元々人間だったの。死んでしまう直前、魂だけをこのぬいぐるみに封じ込めたの」
「はい?」
この人はいきなり何を言い出すのだろう。常識があるのか、ないのかさっぱりわからない。
ナディアの言うことには、ローレンス家は魔術の名門。ふたりは使用人と主人の子と言う関係を超え、仲良くしていたが、ある日カレリアが暴漢からナディアをかばって、瀕死の重傷を負ってしまう。
「死にたくない」
ナディアは、カレリアのその願いを何とか叶えようとした。回復魔法の適正はない。そして、ほんのわずかな逡巡のあと、禁術に手を出した。ローレンス一族が、「禁術」として記録し保護していた「降霊術」を使ったのだ。
不確かな術は、中途半端に成功した。『カレリア』の魂は記憶を持ったまま、ぬいぐるみに乗り移った。
ナディアは、一族からも、傍系からも認められる後継ぎであったが、この事件を起こしたことにより、相続権を剥奪された。家族はまだナディアに対して愛情深く接してくれるが、貴族社会からは爪弾きにされた。
「そうして、今のはみだし者、のわたくしがいるってわけ」
カレリアは昼寝をしているヨーゼフの胴体の上をよちよち歩いている。
「彼女はずっと子供のまま。わたくしには、本当のカレリアの魂なのか、私が作り出した幻影なのかどうか、わからないの」
こちらの世界で、これ以上の研究をすると家族にまで累が及ぶ。だから、ナディアは異世界へ渡り、カレリアの新しい体を探すのだ。
「……わたくしは、世間一般の令嬢としての道からは外れてしまったけど、後悔はしていないの。生きている間は、やれる事は全部やるわ」
自分が間違っているなら、新たな肉体を得て成長したカレリアが自分を裁くだろう。もし許されるならば、その時は、子供の頃の夢をもう一度、新しい世界で追いかけるのもいいだろう、と彼女は締めくくった。
「ごめんなさいね、いきなりこんな話をして。返答に困るでしょう」
『カレリアは怒ってないよ?だって死にたくなかったのは本当だもん。ナディアにはいまいちそれが伝わんないんだよね。カレリアはカレリアのままなのにさ』
確かに、返答に困る内容ではあった。
私は……どうだろう。自分の求めるもののために、嫌われたり、居場所を失ったり、「罪」とされている事に手を出すだろうか?
答えが出ない。人生を賭けるほどの望みが、私にはあるだろうか?
「一応、お父様には話してあるのよ。切符が買えるだけの資金を贈与してもらったわ。手切れ金とも言うわね」
「じゃあ、列車に乗るときは一緒だね」
師匠が言っていた『今後のため』ってこう言う意味か、と納得する。
「え? あなたは賢者様に嫁いだのではなかったの?」
ナディアがわたしの指を見て、困惑した表情を見せる。今日は指輪をつけていない。
「え、えっと……偽装ってか、そんな感じ……」
「そうでしたの……安心なさって、他言はしませんわ」
うっかり普通に話してしまったが、まあこんなシリアスな話をしてくるぐらいの人だ、こっちもぶっちゃけたっていいだろう。
『ナディア、歌って〜』
カレリアが、明るい声で歌を聞かせてくれとねだる。私たちは、最終の列車の時間まで内緒話をしたり、音楽を聴いて過ごした。
当初の予定より短くなり、あと5、6話?の予定です。




