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『賢者様、最近ご機嫌ですね。やはり異性の目があるのは大事です。ぼくも最近それに気がついたんですよ』


 この言葉を発したのは私ではない。パンの宅配にやってきた少年だ。


「お前から見た俺は、いつも不機嫌で態度が悪いのか?」

「いえいえ。まったくぜーんぜんこれっぽっちも、そんな事思ってませんよ?」


 彼には特に臆した様子もなく、良かった、良かったとにこやかに笑っている。


「そうだな。パンが二倍売れるからな」


 師匠はしっしっと少年を追い払う仕草を見せて、台所へ引っ込んでしまった。


 去り際に「焼き菓子を始めたので、後でおねだりしといてくださいね」とサンプルをくれた。ヨーゼフと一緒にそれを食べる。


「知ってる? さっきの子、昔この家に住んでたんだよ」

「知る訳ないでしょ……」


 昔はよく、森の入り口に捨て子がいたそうだ。

 片道の運賃だけ持たされ、列車に乗ってひとり、この終点までやってくる。そうして、森の魔物に食べられるか、野垂れ死ぬか、『どこかの優しい誰か』に拾われるかのどれか。


 奇跡的に『賢者』と巡り会えた子供たちは、読み書き計算根性論を叩き込まれて、それぞれの人生を再び歩み出す。そんな出来事が、何十回もあったのだと言う。


「だからちょっと子供っぽい家具があるのかぁ」


 やっと謎が解けた。元カノではなく、拾った子供たち用の部屋だったのだ。


「最近は、国の復興もだいぶ進んで孤児院にも余裕がある。大分少なくはなったな」


 ……つまるところ、私も似たようなものだと言うことだろうか。迷子を保護して、あるべきところへ返す。


「師匠は誰にでも優しいんですね」


「ちょっと鍛えて送り出してやれば、先生の名に恥じない様に頑張りますね、って馬車馬の様に働いてくれるんだ。家庭菜園より割のいい商売だと思わないか?」


「またまた……」


 野菜より人間の世話をする方が大変だって事ぐらい、私にも理解できる。


 お昼はチーズフォンデュだ。小さく切ったパンを、チーズの海に浸していく。ヨーゼフが私の太ももに前足を乗せておねだりしてくる。


「お前、いい加減毎回がっつくのはやめろ」

「えー、だって、リコしかおやつくれないんだもん」


 なんだか妙に、食事中は気まずかった。ヨーゼフがいなければ食欲がなくなっていたかもしれない。食後、温かいハーブティーを飲む。


「この後、何かすることないですか。お手伝いとか。私、やる事がないんですけど」

 師匠は少し、ためらってから口を開いた。


「ないな。書斎の本は好きに読んでいいぞ。……別に、好きにしていればいい。出かけたいなら王都まで送ってやる」


 師匠はテーブルの上の郵便物を回収して、自分の部屋に戻ってしまった。そう言えば、一度も入った事がない。


「持て余されてるね」

「ぐっ」


 書斎から本を持ってきて、パラパラとページをめくる。読めるけど、全く内容が頭に入ってこない。当然ながら師匠の大活躍が記されている本なんて、この家にあるわけもなく。


「師匠も何か、お話でもしてくれればいいのに」

「あんまり一緒にいたくないんじゃない?」


 仮にも、偽装婚約までした相手に対してそれはないでしょうよ。確かに穀潰しではあるけど。


「そんなはっきり言われると傷つくんだけど……」

「あ、違うって。照れてるんだよ、多分。多分だけど」


「慰めはいりません」


 ぼすん、とソファーに寝転がり、不貞腐れる。どのぐらいそうしていただろうか。ふいに、ヨーゼフがのそりと起き上がる気配がした。


「雨が降るよ」

 確かに、外はいつの間にかどんよりとした曇り空になっている。ちょうど、師匠が合羽を着て二階から降りてきた。


「どこかへ行くんですか?」

「ああ」


 私もついて言っていいですか、と尋ねると師匠は軽く頷いた。カゴを持たされ、後ろをついていく。


「雨の日にしか生えない草がある」

「そうなんですか」


 森の奥へ進んで行く。この前薬草を採った所より、もっとずっと奥だ。


「ここから先は、禁域だ」


 途中の、目印が何もない所で師匠はそう告げる。


「違いがよくわかりません……」

「明確な基準はない。俺が勝手に線引きしているだけだ」


 昔、この当たりに魔王城があったのだと言う。ただ森が広がるばかりで、あまり実感が湧かない。


「普段、ここを見張っているんですか?」

「別に必要な訳じゃないが、まあ、念のためだな。魔物もいるし」


「いつまで続けるんですか?」

「そりゃ、死ぬまでだろうな」


「……老化が遅いと、寿命も伸びるんですか」

「おそらくは」


「だから、結婚もしないで一人で暮らしているんですか?」

「犬がいるだろ」


「……それでいいんですか?」

「いいさ。俺は俺以外の人生に責任を持てない」


 師匠は無言で前に進む。木々の隙間に、背の低い草がこんもりと生えている箇所がある。目的の薬草だそうだ。


 丸い葉っぱに、水晶の様な透明な粒がびっしりついた草を、ぶちぶちと毟っていく。師匠は何も喋らない。なので、あっと言う間に作業は終わってしまった。


「帰るぞ」


「私、ずっとここにいたらダメですか?」

「……」


 雨が強くなり始めた。どこか遠くで、雷が鳴っている。それに負けないように、語気を強める。


「帰りたくないんです。元の世界に、戻りたくないんです。ここにいたいです。ダメなら近くの村でもいいです」


「いちゃダメなんですか。他の子みたいに、もっと長く居たら、ダメなんですか」


 発作的に、思っている事がどんどんこぼれ出してしまう。



「ダメだ」


「俺はお前を元の世界に戻す」


 じわ、と涙が溢れてくる。師匠は淡々と話を続ける。


「この森に縛られて生きるには、お前は世の中を知らなすぎるんだ。戻れる機会は一度しかない。一時の感情に流されると、後で後悔する事になる」


「でも、私、師匠の事……」

「言うな!」


 それははじめての、明確な拒絶だった。たったあと2つの音を口にするだけなのに、この人はそれすら駄目だと言うのだ。


「違うんだよ、それは。恋じゃない。依存だ」


「お前、父親がいないだろう」


 俺はお前の父親にはなってやれない。バラバラバラ、と広葉樹の葉が雨粒を弾く音がひどく響く。


「違う、とか、違わない、とか、そんなの、そっちが、決める事じゃ、ない、です」


 なんとか、声を絞り出す。それ以上のことは、上手く言えない。


 自分を無条件に守ってくれる大人が欲しいと言う下心が、確かにあった。それを否定することはできない。でも、それだけじゃない。


「……すまない」


「俺が馬鹿だった。あの時は、それが名案だと思ったんだ。お前の気持ちなんて、俺は全く想像していなかったんだよ。自分さえ良ければ、それで良かった」


 選択を間違えた。お前をこの森に留まらせた事を、ひどく後悔している。


 師匠は誰かに言い聞かせる様に、ゆっくりと私の心を突き放した。



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