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寝過ごしてしまった電車を降りると、そこには何もなかった。正しく言うと、ホームの周りには森と草原が広がっている。
「ここどこ?」
私は間違いなく、池袋駅から電車に乗ったはずだ。ここはどこなんだろう。駅名を示すものは何もない。
スマホの位置情報もバグっている。そもそも夜だったはずなのに。
車内で寝ているうちに朝になってしまうとか、そんな事あり得るのだろうか?後ろを振りむくと、乗っていたはずの列車は音もなく消え去っていた。
「とりあえず、叔母さんに連絡しなきゃ」
そう思い、メッセージを送信しようとしたが、圏外だった。
いくらなんでも、埼玉県でそれはないと思うんだけど。一応駅だし。それにしても風が爽やかだ。電車に乗る前の憂鬱な気持ちが嘘みたい。
『どこだ?ここ』
『おい、車掌を出せ!』
『乗り過ごした!』
私の他にも人がいる。どうやら、心霊体験の類ではなさそうで一安心。
でも、ここはいかにも地方の無人駅っぽい。店が一軒もないし。
ぼんやりしていると、丸っこい黒白ブチ模様の猫がこちらに歩いて来るのが見えた。頭に車掌さんみたいな帽子を乗せている。
「ようこそにゃん」
猫が喋った。でも皆スマホをいじるのに一生懸命で、猫が喋った事に気がついていない。
「ここは何駅ですか?」
「異世界同士を繋ぐ列車の停車駅ですにゃん。普段は『魔の森前』」
「はあ……そうですか。駅員さんって、どこにいますか?」
まさかしゃべる猫しかいないってことはないだろう。
「私がここの駅長ですにゃん」
確かに、田舎だとそういう所、あるよね。と納得しそうになった。
「……ところで、どうして喋れるんですか?」
「そちらの世界とは、勝手が違いますにゃん」
『ふざけんな!帰りの電車はいつだ!』
誰も聞いていないと思ったら、いつの間にか私と駅長さんの周りに人だかりができていた。
「反対側のホームですにゃん」
前足が指し示す先には、小さめのホームがもう一つあった。
「発車は1ヶ月後のこの時間ですにゃん。切符がないと乗れません」
「券売機はどこですか?」
このあたりにあるのは、ホームとベンチだけだ。券売機はおろか、改札も見当たらない。
「ないですにゃん。販売前」
「販売前?」
指定席券がないと乗れないのだろうか?
『意味わかんねえ』
『クソ、圏外だ』
他の人がピリピリしているのを肌で感じる。私はこの感覚をよく知っている。嫌だなあ。
『おい、街はどっちの方角だ?』
「線路沿いに行けば歩いて1時間ほどですにゃ」
猫駅長さんの説明もほどほどに、大人たちは線路沿いに歩いて行ってしまった。
「あ、皆行っちゃった」
まあ、知らない人たちだし、イライラしていて怖いから別にいいか。
「切符の説明をまだしていないにゃ……」
「いつから販売ですか?」
「発車の三日前だから、えーと。大体そのぐらい。王都のオークションハウスで購入します」
駅長さんが前脚をぺろぺろししながら答えてくれた。
「いくらですか?」
「時価」
時価って、その時々によって値段が変わる、って意味だったはず。
私の手持ちで足りるのだろうか。不安になり、言葉が出なくなる。
「言ったでしょう。異世界と異世界を繋ぐ電車。乗りたい人、たくさんいると思いませんかにゃ?」
「うーん……そうですか?」
少なくとも私は違う世界に行きたいと思ったことはない。ただ、あの家にずっと居たいとも思わないけれど。
駅長さんがゴロリとお腹を見せて転がったので、とりあえず写真を撮って、もふもふしておいた。
「どうしよう……」
知らぬ間に異世界に来てしまったし、帰るにはいくらかわからないけどお金が必要で、しかも1ヶ月後ときた。
そんなに休んだら、高校留年しちゃわないかな。まあ、どうせ夢だろうから真剣に考えなくてもいいか。
「肉球も触っていいにゃ」
「ありがとうございます」
ピンクの肉球をふにふにしていると、後ろから声がした。
「呑気なもんだ。相当平和ボケした国から来たと見える」
振り向くと、同じぐらいか、もう少し上……ぐらいの男の子が立っていた。
白いローブを着て、木でできた杖を持っている。足元には古ぼけたトランクがあって、いかにも魔法使いって感じの見た目。
「電車は1ヶ月後みたいですよ?」
「俺が知らないとでも思ってるのか?」
その時、ぽー、と汽笛の様な音が聞こえ、遠くから電車が向かってくるのが見えた。
「あれ?電車が来た」
「グラムウェルから聞かなかったのか?まったく、ろくに仕事をする奴もいないときた。世も末だ」
お兄さんが杖の先で駅長さんをつん、とつつくと、猫はむくりと起き上がってホームの先端へ走って行ってしまった。
「まったく……」
猫よりもこの状況に詳しそうな人が来たので、折角だから質問してみる事にした。
「あの……すいません。先輩、ちょっといいですか?」
「お前は俺の後輩なのか?」
「なんとお呼びすればいいのかわからなかったもので……」
「俺はオスカーだ。この駅の隣の森に住んでいる」
「あ、そうなんですね。うちも線路沿いにあるんで、たまに音が気になっちゃいます」
「それで、用件はなんだ?俺はあの電車に乗ろうと思ってるんだが」
干し草色の瞳と目が合った。私の目は真っ黒なので色素の薄い目が羨ましい。
「あの、私、池袋から間違えてこっちに来てしまったみたいなんですけど、猫さんは次の電車は1ヶ月後で、切符は高額だって言うんですけど」
「合っているぞ」
「……じゃあ本当に異世界なんですか?」
「お前の服や持ち物を見る限り、そうだろうな」
電車が来た。電車というよりは、汽車?ずいぶんレトロな感じの乗り物だ。
「これに乗ると、どこまで行くんですか?」
「いくつかの街を通って王都に着く。乗り換えれば他の所にも行ける」
「はあ」
……どうしようかな。でも、ほんとに異世界だったら手持ちのお金、使えるんだろうか。金とかじゃないし、電子マネーも通用するとは思えない。
「あの、こっちでこのお金、使えますか?」
財布から1000円札を出すと、青年は物珍しそうに裏表にしたり、日に透かしたり、目を近づけて観察し始めた。この感じだと、無理っぽい。
「これは面白い。他にはないのか」
「あの、電車……」
お札に熱中している間に、電車は行ってしまった。降りる人も、乗る人もいない。
「次は3時間後だな。1日4本だ」
田舎だなー……と思ったけど、午後にもチャンスがあるなら、いいのかな。忙しそうでもないし。というか、喉が乾いてきた。
「あの、結局これ、使えます?」
「使えない」
やはりか。なら、交換してもらうしかないか。
「このお金、えーと、りんご8個分くらい……の価値なんですけど、これを交換して欲しいんですが……あと、どこか飲み物が買えるところありませんか」
「交換するのはいいが、このあたりに店はないぞ」
「ですよねー……」
何せ、見渡す限りの草原、そして森。あと線路。
後3時間かあ、まあ何とかなるかあ……とぼんやりしていると、呆れたような声が飛んできた。
「お前、自分が死んだ事に気がついていないのか?」