その8 おれはオノレランドに帰ってきた。
その間も横山田は棒読み加減で、つらつらと言葉を発している。
「私共自治体が喫緊の課題として取り組んでおりますのは、少子高齢社会における生産世代の最大活用、健康保険料徴取の徹底と一体型年金の合理的債務化――」
「おい、クッキー」
おれは男剣士に声を掛けた。その間も横山田は機械仕掛けのように口から訳の分からんことを垂れ流している。クッキーバスターは一礼し、緋絨毯の上に軍靴を乗せておれに近づき、耳を近寄せた。
「こいつはなんだ」
クッキーバスターは戸惑った様子で
「よく分かりませんが……会話にならないところを見ると、オルティマの呪文を掛けられているのではないでしょうか」
「オルティマ?」
「お忘れですか? 自動化の魔法です。クエストで弱い敵が出た際、この魔法を使っていただきますと、我らが勝手に戦うという――」
「むろん、覚えている」
おれは語気強く言った。
「コイツは自分にそれを唱えたのか? それでこんな、軒付けのちょんがれみたいなことをぶっこいているのか?」
「軒付け? ちょんがれ?」
「もういい」
クッキーバスターは恐縮して下がり、再び緋絨毯の脇に立ち侍った。
それにしても、忌々しい。横山田を見ているとおれは不愉快だった。せっかく王国に帰って来て、長らく留守にした民草に自慢の善政を敷いてやろうと思っていたのに。この男ときたら、見た目はいかにも大人しそうだが、バックに国だの課だの法律だの、いかにも強力な後ろ盾がいることを誇るようにしている。ここはおれの国だ。おれの世界だ。わきまえろ。
しかし妙だ。さっきも言ったが、このご時世、王国に客が来るのは珍しい。予想だにしなかった。そういう可能性があることすら、忘れかけていたくらいである。――そりゃ、昔はあった。いくらでもあった。意気投合して一緒にクエストに出たこともあったし、結婚話をもちこまれたこともあった。とにかく人は多かったのである。しかしいまや存在するのはドット絵の民草ばかり。あとは地方都市の商店街のように寂れきって、閑散としている。無理も無い、メーカーのサポートは終了しているのだ。それでもおれは、王国を愛しているから再び敷居を跨いだ。おれたちの世代にはそういった偏執者がわんさといたではないか。
それなのに。
こんな七三眼鏡、邪魔なだけである。
だが、物珍しさについつい耳を傾けてしまう。なにしろ王国で自分の予期せぬ事態が襲来するケースはありえないからだ。おれは、全てのおれの時間を掌握している。それが破られるとはいかなることか。男の発する音読みだらけの言葉は、何一つおれの理解を現実と結びつける点がないが、好奇心が盛り上がるのは仕方がない。
しかし。
おれはついに、ある一節を耳にして、憤激した!
その一節は、こんなくだりであった。
「――というわけでございまして、私共にご連絡をいただければ、担当員がお宅にお伺いし、D群専用カリキュラムを提示いたします。主な内容は、関連法に基づくプログラムで、社会復帰、生活支援、各種救済措置、職業訓練――」
「職業訓練!」
おれはその単語を鸚鵡返しにした。
そう! 職業訓練!
おれはこの四文字熟語に、社会と決別するにふさわしい侮辱を感じるのだ。職業という言葉も、訓練という言葉も、どちらも嫌いだし、それを合体させた職業訓練ともなると、輪を掛けて大嫌いだ。おれは何を前提に職業や訓練を強いられているのか。この世で何を訓練されなければならないのか。そもそも彼奴らは、おれの尊厳をはなから下に見ていないか。おれを訓練して――職業とやらになじませて、どうしようというのか。
だいたい、おれを放逐したのは、お前たちの方ではないか。
おれは職業も訓練も、隷属すら一度は承服した。だが、そのおれを放逐したのは、お前たちの方ではないか。
どうやらおれは、カッとなって無意識のうちに声を荒げていたらしい。ふと目をやると、三人のしもべは唖然と玉座を見上げている。横山田の表情は光る眼鏡でうかがい知れないが、言葉を止めているところを見ると、口を噤むだけの理由がおれの言動の中にあったようだ。
おれは額に汗を浮かべていた。手先で前髪をはらうと、額の皮脂がねっちょりした。おれはその手を前に差し伸べ、手首を振って横山田に「下れ」と合図した。彼奴はそそと裾を直して背筋を伸ばすと回れ右した。その後、彼はゴールドマンに近づいてファイルを手渡した。クリアファイルに挟まれたA4用紙が、横山田のローブの裾からゴールドマンの手元に滑り込んだ。
「では、また」奴はそれだけ言って辞去した。
「それは何だ」
おれはゴールドマンの手元を見て尋ねた。じじいは表情を一つも変えず、おれの玉座に歩み寄り、黙ってファイルを手渡した。紙にはさっき横山田がつらつら述べていた内容がそのまま書き込まれていた。ただ違うのは、下部に連絡先が記入されていること。専用サイトURL、メールアドレス、電話番号。アクセスしてたまるか。さらにもう一つ、横山田の属するなんちゃらサポート係の個人票――王国専用のアカウント名だ。おれは憤慨した。大層なものをもってやがる。しかしよく考えたら、おれの面前にこうしてあらわれることができるということは、そもそも当然取得されていたわけである。
おれはじじいに紙を突き返すと、「頭が痛い」と言って顔をしかめた。じじいは小さな声で
「少々お休みになられては」
つまらん返しだ。なぜだろう。この賢明なはずの老人も、横山田の言っている事、おれの気持ち、疲れの正体を微塵も理解しえないようである。