その7 おれはオノレランドに帰ってきた。
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全てのクエストはクリアされている。世界中の財宝も、世に遍く跋扈した魔獣悪霊の類いも全て退治されている。この古い王国に闖入者は無い。いまさらない。あるわけがない。おれの王政は永遠を約束されたも同然だが、裏を返せば無限の無目的ともいえる。それが破られるとすれば、天啓――いや、そこまで行かずとも――、外界の意思が流入してくる時である。そんなことは滅多になく、可能性たるや微々たるものだ。無い。無い。おれは断言する。
ところがだ。
「大君、来客でございます」
キーナの言葉に、おれは自分の耳を疑った。キーナはおれの目を見ている。人間の亜種である彼女の尖った耳先がひくひくした。彼女の耳先は、犬で言えば尻尾である。これを通して彼女の心の動きは丸わかりだ。いまおれは、キーナが好奇心を高ぶらせているのを知った。おれが来客に会うかどうか。それを決断する際のおれの表情はどんなか。会うにあたってどんな指示を出すのか。逐一気にしているのである。キーナは両手でさっと耳を隠す。おれの黒目の動きを察知したようだ。心を読まれたくないなら、キャップでもかぶればいい。おれは以前に彼女に直接そう言ったような気もするが、もしかしたら頭の中で思っただけかもしれない。
「来客とは」おれは尋ねた。「来客とは誰なのか」
キーナは大きな目を音がするほど瞬きし
「よく分かりません」
あっけらかんと答える。
「よくもまあしゃあしゃあと」
いつの間にかクッキーバスターがいる。
「子供の留守番じゃあるまいし、『どちらさまですか?』『どのようなご用件ですか』くらい訊けないのかよ」
「馬鹿にしないでよ」
キーナは口を尖らせた。
「聞いたけど教えてくれなかったのよ」
「そんな奴を取り次ぐ必要はないだろ」
「ああ、よせよせ」
不意にあらわれたゴールドマンが二人を分けた。
「大君の面前であるぞ。慎まぬか……さて、大君、どういたしましょう」
どういたしましょうったって、どこの誰だか分からない奴と会うのはどうも――。おれは躊躇した。だって、久しぶりに王国に帰ってきたこのおれに、ルーティン的なクエストでもサブゲームのポーカーでもなく、リアルな外交折衝をやれなんて、土台無理な話である。
「少なくとも、どんな奴か、くらい、分からない、もん、か」
おれは尋ねた。
キーナは黒目を上まぶたにうーんとめりこませ
「悪い人じゃなさそうです」
「はあ」
「アバターは神職のおじいさんで、言葉遣いも物腰も丁寧です」
「アバター?」
「まあ、大君たら」
キーナは口元を隠す。
「で、お会いになるんですか?」
おれはクッキーバスターとゴールドマンを見た。二人は黙ってうなずいた。クッキーバスターは腰の刀の柄にポンポンと手を掛ける。ゴールドマンは穏やかな表情で、白髭をしごいている。
「会おう」
三人のわがしもべは、王座の左右に移動して立ち侍った。玉座向かいの大扉が開き、向こうから一人の人影があらわれた。謁見の間に一直線に敷かれている緋色のカーペットは彼奴の足音を吸い取った。真空の中を進むように、玉座に近づいてくる。なるほどキーナの言う通り、神職のいで立ちである。フード付きの白いローブを頭からすっぽりかぶっている。顔は見えないが、姿勢が良く、足取りはきびきびしている。これはきっと、おじいさんではないだろう。若々しく、機敏で、しかも――自信にあふれている。この人物は何らかの命を帯びてきていると、おれは直感した。おれは玉座から腰を上げた。神職は玉座から十歩ほど離れたところで足を止めた。そうして右手をぬっと差し伸ばし、額の前あたりに垂れているフードの先っちょをつまむと、後ろへたくしこんだ。
――あ。
あらわれた頭は、何とも珍妙な、三文戯画のようだった。襟足を刈り上げられた黒髪が七三に分けられ、こってりと油で固められている。顔はしゅっとして、色は白い。ひげは世界観に似合わずきれいさっぱり剃られており、頬はうっすらと青みを帯びている。小鼻の下に、わりかし存在感のあるほくろがある。
それよりなにより、目を引くのは眼鏡である。黒縁の大きな眼鏡。レンズはどこからか注ぐ光をためて真っ白に照り返し、目を隠している。
おじいさんどころか、おっさんじゃないか。
「このたびは突然のメッセージ、失礼いたします」
男はまったくの棒読みでそう言った。声は高くも無く低くも無く、聞いたそばから声音を忘れるほどに無個性だった。
「私は生活支援課生活支援室生活支援サポート係の横山田と申します。このたび私共サポート係は、行政委託をうけ、王国にアクセスする皆様方の中から特にD群に属する方々を選び出し、関連法の定める範疇でご案内をいたしております」
「はあ?」
おれは玉座下に目を遣った。三人のしもべたちは、この横山田なる小役人的人物に奇異の目を向けている。夢中になって、おれの目配せには気付かない。キーナなんぞは口を開け放って間抜けそのものである。
その間も横山田は棒読み加減で、つらつらと言葉を発している。