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その6 おれはオノレランドに帰ってきた。

   ◆


 おれはあちこち軋むパイプ製の寝台の上にあぐらをかいていた。立膝をして、手の平を膝がしらにこすり合わせる。汚れが消しゴムのカスのように固まって、おれの手相を埋めていく。極薄の生活線から消えていく。生命線ならよかったのに。


「おれは孤独ではない、孤高なのだ」


 おれはそっと呟いた。いや、実際に音にしたかどうかは分からない。頭の中で言っただけかもしれない。とにかくこのフレーズを、毎日自分に言い聞かせている。これは日課である。習慣である。服薬である。重大な義務である。


 孤独は蠱毒だ。閾値を超えれば自ら中毒する。一人を拗らせてその時だけ幸福になるのはたやすいことだ。しかし人は分かっていて裸の王様になれるものだろうか? いっぽう、孤高はそうではない。孤高は虎口。まずそこに入らずんば、何事もはじまらない。とはいえ、それは苦しい戦いである。敵は誰か――おのれのような、おのれでないような。明確に対峙したことは無いが、なにか黒くもやもやしたものが存在することをおれはつきとめている。鏡で自分の顔を写してみると、ほんの一瞬、おれの後頭部のあたりをスゥウッと抜けていく影がある。あれがそうなんじゃないかと思っている。


 孤高であるところのおれは、内面的には向かうところ敵なしだ。それはおそらく死ぬまでそうだろう。死んでしまえば、怖いものなど何もなくなる。くだんの黒い影からも逃げ切ることができる。いっそ死ぬのもいいだろう。しかし――それはそれで面倒だし、不安もある。なにより、おれはまだ人生の開幕を宣言していない。宣言しないからには、はじまってもいないわけで、死を持って終わりに出来ないはずである。


 あの三人には語りはしないが、実はおれは、夜を怖れている。

 夜は孤高が――さすがの孤高も、少しの眠りにつくのである。

 残されたおれは、孤高が目を醒ますまでの間、びくびくして耐えるほかない。


 夜、おれは、明かりを消して、部屋の隅の寝台にあぐらをかいている。首筋に影を感じつつ手鏡をする。色の悪い十指、肉々した関節の一節々々が、虚空を掴むように先端を内側に曲げ、おれの方を向いている。おれはそれを、ほとんど真っ暗な空間――かすかな光源といえば、窓の外から青白く漏れる靄がかった街灯の薄明かり――の中で、何時間でも見つめている。


 あれが、来る。

 気配を感じる。


 来たら抗う術はない。ただひたすら耐えるしかない。


 突然、見えない手がおれの首を絞めつける――そら来た! ほら来た! 激痛! 左右のアバラが見えない圧力に潰されそうになる。胸を圧されて肺の空気が全て抜けてしまう。息が、息ができない。体幹の芯部、みぞおちの真ん中あたりに縦に真っ直ぐ何か固いものが塞がり、そいつがおれの呼吸を苦しくしている。その間、おれの手首から生えた腐った十本のソーセージは、頭の鉢を必死に抑えている。脳みそが爆発してふきとばないようにしっかり締め付けている。その格好のまま、おれはくたった毛布に頭を突っ込み、声ならぬ声を発し、寝台の上で朝を待つ。孤高が目を醒ますまで耐えなければならない。悶絶は続く。嘘では無い。嘘では無い。おれはそうやって、朝まで待っている。夜は孤高の神通力が通用しない。おれは蠱毒に犯され、微かな瞬間に現実を――いまわしい社会との記憶を――思い出している。自分の過去と「いま」。もう取り戻せないおびただしい時間――惜別の詠唱から延々と逃げ続けているのである。いつか決着はつくだろう。それはおれの最期かもしれないし、おれを取り囲む様々なものが崩壊し、どこかの救い主が、おれの部屋の閉ざされた扉を光と共に開け放つ時かもしれない。ひげのゴールドマンが洞窟のクエストでよく使っていた、開錠の魔法さながらに。しかしその線の期待は薄い。まさかそんなことは起こらないだろう。あろうはずがない。おれの知る限りでは――ああ、何もかも馬鹿らしい! 現実から逃げ続けるおれは、こんな時に限ってやけに現実的な諦観を思い抱くのだ。そんな時はもうだいたい朝だ。薄手のカーテン越しに差し込む東の陽射しは、おれの記憶を光で浄化し、同時に孤高の眠りを覚ます。先程までの苦しみがうそのように遠のくのを感じて、いくらか生に対し強気になる。


 今日もまたアクセスしようじゃないか、おれの王国に。

 扉の向こうで小さくガシャリと音がした。盆と食器の置かれる音。


 おれの腹がグウと鳴った。


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