その5 おれはオノレランドに帰ってきた。
だっておれは――選ばれなかったのだ。
いやいや、悲観することは無い。方舟に乗れる者は、実に、実に実に実に、ごく一部の富裕層だけなのだから。乗れないで当たり前なのである。
学校を卒業後、おれは社会に出た。父母は相変わらず、おれの生活の大きな柱であった。しかしそれは随分乾ききった老木に見えた。おれは考えた。彼らは自分が世に出る時に被った仮面を、そのまま疑うことなく、もはや自分の面皮だと思っているに違いない。彼らは自動化された人間であり、父母であり、男女であった。彼らは悪くない。全ては社会がいたずらに孕んだ、孕み過ぎた結果なのだ。
ノストラダムスの大予言が外れたと思しき頃、世間は人知れず、方舟に乗る人間を判別し始めていた。格差というものが広がって、いろいろなシーンで浮き彫りになっていた。父母の若かりし頃には、そんなものは無かっただろう――いや、全然無くは無かったが、そう大きくなかったはずだ。だが今はどうだ。それはもう半端なく蔓延している。そして彼らはそのあやうさ、おそろしさを、いくら喧伝されようと真に受けることはなかった。彼らの情報源は、彼らの鏡だった。年輪を経た彼らは、自分の顔面を這う皺を、全き必然、功徳の証として、露とも疑わなかった。その皺を指先でなぞれば、神話の妙なる音楽が流れてくるように思っていた。まるで古いレコードだ。小学生雑誌の付録のような!
案の定、おれが就職試験をことごとく落ちたことに、彼らは合点がいかなかったようである。そこで彼らはおれを疑い、叱り飛ばせばよかった。が、それをしなかった。普通の親なら、時代を勘案しつつも、「面接で陰部でも出したんじゃないの?」と息子の言動をいぶかしがるものである。しかし彼らはおれの過去を金の蔦でも手繰るように、ちぎれないように丁寧に扱った。小学生の頃の火炎魔法事件、転校、年上の同級生との破廉恥な交友、父の変節、母の病気――! 彼らは神を信じていた。おれのとぼけた顔を見て、こんなに無垢な我が子が、酷い目に合うはずがない。そう思っていた。おれはここでキーナらにヨブの話もするべきだろうか。とにかく彼らは、おれに神の愛が注がれていることを疑わず、極論、タダメシを喰わせ続けた。たぶんこのことが、彼らの罪のはじまりであり、おれの煩悶のはじまりとなった。つまり、おれの家族は一つ屋根に暮らしておきながら、父母は時代に間に合い、方舟に乗れた。が、おれは方舟に乗れなかったのである。
ああ、息つく間もなく語った。ここから先を語るには、今のおれには体力が足りない。そんな具合が顔に出たのか、三人のしもべたちは目礼して前を去った。ありがとう諸君。留守の間のことも感謝している。やはり王国は、おれの安らぎの場である。安穏、安穏。おれは玉座に独りになった。