その3 おれはオノレランドに帰ってきた。
といっても、よく考えたらこれ以上とりたてて王政について語ることは無いような気がする。今いったように、政治全般はゴールドマンが行っているようだった。口出ししようにも、何がどうなっているのか分からないし、口出しすべき不満も無い。
全てのクエストを終えたおれは、自分の存在意義に虚しさを覚え、あまり王座に出なくなった。一日おきになり、二日にいっぺんになり、やがて五日にいっぺん、週にいっぺん……と言う風に。それにしても、おれが久しぶりに出てきても、ゴールドマンもキーナも「どうされたのですか?」「お加減でも悪いのですか?」と聞いたりしない。たぶん「聞いてはいけない」「失礼にあたる」と思っているのかもしれない。遠慮することは無いのに……むしろ聞いてくれた方がよかった。案の定おれは孤独になった。またあの、危ない時間がやってくる――おれは恐れた。それだけは阻止したい。
それで、おれは、自分の意図を彼らの思考に注入し、彼らの声をもって孤独を埋め合わせるようになった。ああ、この麻薬のような行為。危ないと分かっていても、おれはそうしなければ、精神を患ってしまいかねない。その結果、おれの前に居並ぶ三人は、裏返ったような、それでいて抑揚のない声で、おれの用意したセリフを読み上げた。それに対し、おれはいかにも初めて問われたかのように、鷹揚に答える。別に変じゃなかろう。昔の諸子百家だって、似たような対談集を腐るほど書いているではないか。
はじめにキーナが問うた。
『大君はどのような幼少期を過ごされたのでっすか』
良い質問だ。
とりあえずおれは、おれに向けられる全ての質問に対してこう答えることにしている。全ておれに向けられる関心は、それが善意によるものであるなら、良きことに違い無いからである。
まずおれの幼少期は、比較的安定していた。前にも述べた日曜日に川釣りにいく親父は、固い仕事をしていて、本当は川釣りなどしゃれたことをするのも近所にはひた隠しにしていたのである。――いや、実を言うと、そっとばれて耳打ちされたがっていた。『おたく、これをやるんですか』。相手は重ねた握り拳をクイッと引き上げる仕草をする。そうして親父はニンマリと笑うのである。彼は学校の教師だった。中でも偉い方であった。おれは彼の統治する学校の一児童だった。とにかく権威が一番の世界で、おれは親父の息子だということだけで、大事にされたものだ。勉強ができなくても、宿題をやってこなくても、咎められなかった。ただ冷酷無比なのは女子である。女子は足の速い男が好きである。ああ、瞬足。それは男のおれから見ても、確かに憧れた。この肉太った足を切り落とし、馬のようにほっそりとたくましい足であったなら。だが彼女らが責めたのは、おれが鈍足だったことだけではない。彼女らは人差し指を反らしておれを訴追した。「まさきくん、くさい!」。子供の世界には遠慮も糞も無い。男子は女子のいいなりにはならないが、女子の意見には追従する。ほんと、小学生の男子なんて、いくらか賢い猿のようなものなのだ。やつらは脳みそを空っぽにして唱和した。「まさき、くっさー!」。おれは考えた。確かにおれは彼らの苦情をまっすぐにとらえるべきかもしれない。しかしこの苦情は熱を持っていた。あからさまに熱かった。おれはその熱のために、毎日みみたぶが焼け落ちるのではないかと思うくらい焼け焦げた。毒には毒、熱には熱。おれは感情の高まりを、のちにキーナの得意とする熱組成の黒魔術によって放散し、同級生の歪んだジャーナリズムを焼き尽くすことにした。
それにより、確かにいくつかの級友が天に召命された。おれの腐臭への苦情は、天意によって二度と口外されないだろう。いやしかし、その後と言ったら! おやじはおれを見て、何かを言いかけては口を噤み、母親と言い争いをする毎日。悪鬼の如き目を黄色くして、何度かガスの元栓を捻りかけた。母はそれを押しとどめた。二人の仲はめちゃくちゃだった。そんな中、おれが学校に行こうとすると、二人はその時ばかりは一緒になっておれの肩を抱きとめ、「なぜ分からないの」と忠告した。ああ、彼らは何をどれだけ知っているつもりでいるのだろう。私が何を分からずにいるのか本当に分かっていたのだろうか。それから間もなくおれの家は引っ越した。前の学校からずっと遠くに。おれの運命は翻弄されている。このへんのエピソードはおれが王座につくにあたり、いかに苦難を乗り越えてここに至ったか、物語の序章として文学的ですらあると思っている。あの炎の術はあれ以来使っていない。だって、今はキーナがいるから。
『嗚呼、嘆かわしい民草――』
キーナはおれの話を聞いて涙を浮かべている。泣いてくれるな、我が剣士。彼女はさらに訊ねた。
『偉大な人は誰しも幼少の頃から違うと申します。大君はその典型です。しかしその後、大君はどうなったのでっすか』
良い質問だ。