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じゃあまた、ここで。

作者: 柚野 はな



決まって、この季節の雨には

思い出す人がいる。


君は今、どこにいるだろう。


君は今、幸せなんだろうか。


そうだったらいいと思ってしまうのは、





なんでなんだろう。







「湊。」


「んー?」


呼ばれて振り返ると、すでに準備を済ませた君が両手を前に広げていた。

この春から夢追いかけて上京する君は、隣の部屋から遠くのどこかの部屋へ引越しをするところだった。本当の出発は明日。

今日は、君と僕がここから一緒にどこかへ出かけられる最後の日。



「なに?」


本当は知ってる。

君のそれは、抱きしめての合図。


「んー。」


君は大概、言葉にしない。

恥ずかしがりの君は、両手を広げたままその場に立って足を2、3回踏んだ。

そんないじらしい君には、なんだかいつも少し意地悪をしたくなって、

けれど君は痺れが切れるのが早くて、

ほら、あと3秒。

1.2..



「ねーぇー!」


「ふはっ、今日はちょっと早いな。」


「え?」


とぼけた顔をする君に向かって「こっちの話。」と微笑んで、伸びる細い手首を掴んで引き寄せる。

少し驚いた顔をしながらふわりと舞って君は、僕の中に小さく収まる。


「ふふ。」


君のそんな満足そうな照れた笑い声も、

君の細くて柔らかい髪のくすぐったい感触も、

抱きしめた時の丁度いい肩の高さも、

全部、全部、これで最後。


「、、、本当に行くの?」


君の肩に顔を埋めて、

自分の声がくぐもって耳に届く。

外は雨が降っていた。

生温い気温と、君の体温を感じる。


「行くよ。だから昨日、湊とバイバイしたんだよ。」


温かい君の体温が、僕の喉のあたりをぎゅっと苦しめて、堪えようとして、また詰まる。

君の声がとても澄んでいたことが、僕の喉をさらに苦しくしていた。


「、、じゃあなんで、今日出かけようなんて言うの。」



「、、、。」



「奏。」


君の名前を呼ぶ。

呼ばれた君は、僕の中に入って答えない。

君のそういうところが、好きじゃないのに

君のそういうところに、何度もこの心を奪われた。

僕を抱く力がぎゅっとなるのがわかった。


本当は、君がどこか遠くに行くのは嫌だし、

遠くに行ったとしてもどこかに君がいる限り、僕は隣にいるつもりだった。

3年前。君が僕の隣に越してきて、

幾度と交わした挨拶も、たまに一緒になった駅からの帰り道も、君に分けた実家からの贈り物も、君がお礼だと持ってきた少し味の薄い肉じゃがも、作りすぎたカレーも、君に誘われていつか一緒に食べたお鍋も、その時間は全部、例えば女の子がバレンタインに好きな人へ届くように、チョコを机に隠すようなくすぐったい気持ちだった。

それが全部、ずっと続くと思っていた。

壁一枚。扉の向こう側。

越えられなかった世界にいつからか、君の待つ部屋に「ただいま」とつぶやくようになった。

それからここにきて、君が帰る部屋になり「おかえり」と言うようになった。



「、、なんで、」


行き場のない気持ちがやりきれずに、消化されるはずもなく、後味の残るコーヒーみたいに苦い記憶だけが残る。

君から「好きだ」と言われたことはないし、

君に「好きだ」と伝えたこともない。

だから昨日、

君から「別れよう」と言われた時に

ああやっぱり僕たちはそういう関係だったよね、と思ったし、

何人か友人に、恋人だと紹介した自分もやっと確信に変わった。

確信に変わってそして君は、恋人じゃなくなってしまったけれど。


「なんでって、それは大切なこと?」


「大切って言ったら?」


君はきっと、


「言わない。」


「うん、だろうね。」


大切なことほど、言葉にしない。

でも君は、言葉にしない代わりに行動にする。


「なんで泣くの。」


君が、泣いた。


僕のシャツを強く握るのが分かった。

だから僕も、この小さな体の微かな震えが止まるようにぎゅっと力を強めた。


「、、泣くなよ、泣くくらいならなんで、抱きしめてなんて言うんだよ。」


君が首を横に振る。

私はそんなこと言ってない、そう伝えるみたいに。

ぐりぐりと君の頭が僕の肩のあたりにこすれる感じが、君が僕を消そうとしてるみたいに感じて息ができなくなる。


「、、じゃあ、別れるなんて言わなきゃよかったろ。」


君は突然、僕の隣にやってきた。


「、、別れたのになんで、今日も、、」


そして突然、

今度は僕の隣から離れていこうとする。


泣かないで。

もう僕は君の涙を拭えない。


君の身体をゆっくりと離そうとする。

君が少し抵抗するのが分かって、涙が出そうになるのを必死で堪えた。


君は今日、この雨の中でも僕と一緒にどこかへ出かけて、何を思うつもりでいたんだろう。僕はもうここ最近、君のことばかり考えては首を横に振って、ため息を吐くばかりだった。


「、、湊。」


君が僕の名前を呼びながら、体を離した。

まつげが少し濡れていて、それでも君は綺麗な顔をしていた。


「行こう。」


君はやっぱり、僕の問いには答えなくて

僕の手を取って、玄関に向かった。


敵わない。僕は結局こうして君の後ろを歩いて行ってしまう。


君が好きな黄色の傘を右手に一本差して、君が濡れないように傘を傾ける。

上からボツボツと肩に濡れる雨が、じんわりと温くて、びしょびしょになっていく空っぽの左腕が行き場がないようにただ歩く揺れに合わせてゆらゆらと彷徨っていた。

行き先は知らない。

君が歩く方へただ進む。



「ここ、」


君がしばらくして突然足を止めて、なんでもない交差点を指差す。


「湊が、ベビーカーにいた赤ちゃんに変な顔向けたり、笑ったりしてた。」


突然の君からの言葉に戸惑った。

戸惑ってそして、気づいた。

君の顔はとても穏やかだった。


そのベビーカーにいた子はもう、自分の二本の足で歩いてるよな。


「、、うん。」


「あのとき、ちょっと意外だなって思ったよ。」


君は思い出しようにクスッと笑ってまた歩き出した。


君が好きなパン屋の通りに差し掛かる。


「パン、食べようよ。」


君の言葉に頷いて、傘を畳んで扉を開けた。

甘いパンのいい匂いが鼻を包んで、君はお気に入りのメロンパンとりんごのデニッシュを選んで、僕は相変わらずメロンパンを選んだ。

温かい紅茶とカフェラテを注文して、ささやかながらあるイートインスペースで君と向かい合って座って食べる。


「、、ここのメロンパン、中の生地がふわっふわでおいしいよね。」


聞き飽きたそのフレーズは、今日だって変わらず聞き飽きていて、なのに切なく聞こえたのは、もう君から聞けないからとかではなくて、きっとそれは僕が、まだこの土地に慣れない君にオススメのパン屋さんがあると言って、おいしいのはメロンパンだと教えたときのものと同じだったことを思い出したせいだと思う。


分かったよ、もう。

君は言葉にしない。

言葉にしない代わりに、行動にする。

君に惹かれる理由はそれだった。

だからもう、

聞いた問いには答えてくれなくても、君について行けば分かるから僕はまた、黄色い傘を差して雨の降る外へ出た。

けれど君が何をしようと分かってついて行くのはあまりにも苦しくて、雨が降っていてよかったと思ったのは傘がそれを隠してくれるからだ。


「この河川敷は穴場だって湊が案内してくれて、アパートのみんなで花火見たの、楽しかった。」


「それは、、よかったよ。」


君は知らないだろう、

今年の夏こそは、君と2人でここで見ようと思ってたこと。





「ここのコロッケ屋さん無くなっちゃったよね。」


「おいしかったのに、残念だよな。」


「よく帰り道に買って帰ろうとしてたんだけど、出来立てが食べたくて湊の分も食べちゃったことある。」


君を見るとお茶目な顔をして、イヒヒと笑う。


「ははっ、おい嘘だろー。俺はいつも買って帰って来てたぞ。」


君のその話は初めて聞いて、その食い意地はかわいいとさえ思えて可笑しかった。

シャッターの閉まったその店の張り紙は、もうぐしゃぐしゃになっていて、君が来てからの3年間、時間は変わらずに進んでいることを表していた。


「あー、駅だ。やっぱり歩くとちょっと距離あるよね。」


実際はアパートから徒歩で20分くらいのところで歩くといい運動なんだけど、僕はもっぱら自転車を使っていた。


「まだ越してきた始めの頃、よく湊の後ろ姿見送ってたんだ。自転車いいなぁーって。」


俺もよく後ろ姿を見かけては声をかけようか迷って結局いつもかけれなくて、言いようのない気持ちになってたことを思い出すよ。


「お世話になったなぁ、ここ。」


そう言うのは、君がバイトをしていた駅前の中華料理屋さんで、


「よく湊のこと接客させてもらった。」


それまで週一くらいだったのに、その頻度が上がったのは君のせいだとは言わないでおくよ。


「この人、部屋隣の人だよなってずっと思ってた。」


ごめん、

チキンすぎて君に挨拶できなかったんだよ。


「たまたまバイト上がりと湊の帰りが被って、一緒に帰ったよね。」


そのとき初めてちゃんと、君に挨拶した。


「あれからね、」


君が水たまりを踏んで、びしゃっと水が跳ねる。

君の続く言葉を待つ。


「今日は来るかなー、来なかったなー、また一緒に帰れたらいいなーとか、楽しみにしてたんだ。」


それは、知らなかったな。


「だって、あの帰り道、すごい楽しかったの。こんなに喋ってくれる人なんだ〜!って

笑いっぱなしで、あのアパートにしてよかったって。それから、湊がお隣さんでよかったって。」



もういい。



「だから、たまたま駅の改札で見かけたときはすごく嬉しくて、でも声は恥ずかしくてかけれないから気づいて欲しくて、わざと前通りかかったりしてたんだー。」



もういいよ、奏。



「湊が、ご実家からのお米お裾分けしてくれたときも、普段あんまり作んないのに肉じゃがとか作ったりして、」


味が薄かったのはそのせいだったんだね。


「カレーもわざとたくさん作ったりして。」


カレーなら日にち持つのに、君は僕に持ってきたからちょっと期待してもいいかなって思ったりしたよ。


「春は、湊と出会って、無愛想なのにすごく人に優しいところを何度も見かけて」


春は、君に出会って

その華奢で小さな姿に何度も目を奪われた。


「夏にはみんなで花火を見て、ベランダで一緒にアイス食べたり、、」


君のことが好きだと気づいた最初の夏。

君がもう当たり前みたいに僕の隣でアイスを頬張る2回目の夏。

どっちの君も最高に夏が似合っていた。


「秋は、よく栗ごはんたべたよね。」


君のつくる栗ごはんは、絶妙に甘くて香ばしくて世界で1番おいしいんだよ。


「冬になると、湊は外に出たがらなかった。」


寒がりの僕は、こたつの中で1日を過ごすのが好きだった。


「だから、湊に出会ってから映画が好きになったよ。」


だから休みの日は、DVDをレンタルしてきて、君が淹れるあったかいコーヒーを机に並べて、あったかいこたつの中で君の足がよく僕の足とケンカをしながら君と並んで映画を観た。


「どの映画が1番好きだった?」


雨音で君の声はよく聞こえないし、

傘の下で君は、どんな顔をしていたかなんて分からない。


「、、難しいなぁ。」


君が小さな声で呟く。

その答えに思わず微笑んでしまう。

そんな自分に、ああ僕はまだこんなにも君が好きだと気づいてしまった。

こんな気持ちは知らない。だからどうしたらいいかが分からない。

蛇口いっぱいに締めても止まらない水はどうしたって止められないみたいに、この行き場のないやるせなさが嫌だなんて、無限に雨を吸い込む道の中の金網を見ながらそんなことを考えた。


君の足が止まる。

それに合わせて僕の足も止まる。


「.....」


君は何も言わない。

代わりに僕の顔を見上げた君は、その目に涙を溜め込んでいた。その憂いた顔に息を呑んだ。

君は僕の隣を歩きながらどんな日々を思い出していたのだろうか。

君の好きな黄色い傘は、不本意にも僕たち2人だけの空間を作り、その色はあまりにも僕たちの気持ちに不釣合いで目には眩しく見えた。


君がゆっくりと息を吐いて、少ししてからその口から言葉を発した。


「あのね、」


気づいたよ、君が僕に伝えたかったこと。

君が僕に読んでくれようとしたほんの短い物語。


「こんな形になってごめんね。」


その時、謝るのは君じゃない気がした。


「それから勝手に決めてごめん。」


君と出会って、君を大事にしたいと思えた日々がこんなに幸せだったから。


僕を見る君の目からは涙が止まらなくなっていた。


「、、っ、ごめん。」


ごめんね、奏。

最後まで君について行くばかりで

気持ちよく背中を押してもあげれなかった。

謝るのは君じゃないよ。



「奏。」


名前を呼んだ。

僕にも聞いてほしい話がある。

君と歩いて来た道には全部、もうきっとこれ以上ないくらい愛しい時間で溢れていた。



「僕は毎日手紙なんて書けないよ。」


それは、募る気持ちを上手く言葉に表せないから。


「行くな、ともやっぱり言えそうにない。」


それは、君が行くと決めた先を阻みたい訳じゃないから。


「何でなんてもう駄々もこねないし、遠くから応援するつもりもないよ。」


君が会いたいとき、助けが欲しいとき、

そばにいてあげれないくらいなら、それは僕だって苦しいし、君を大事に思う新しい誰かがそばにいるべきだと思うから。


「ごめんな、奏。」


「なんで謝るの?」


「最後まで、大事にしてあげられなかったなって思ったんだ。」


君がゆっくりと首を横に振る。


「これは、私の勝手なんだよ。」


「でも止めるのも、追いかけるのも、俺の勝手だよ。」


だけどそのどちらも、僕は選択しないから。


「そんなっ、、追いかけて欲しくて今日を過ごしたわけじゃないよ。」


そんなこと、知ってるよ。

だって君が、

こんなに僕を好きだと伝えてくれた。


「だからあなたは、、いいの、謝らなくて。」


君と目が合う。

右手を塞ぐ傘が、邪魔だと思った。



「奏。ごめん、濡れるよ。」


涙が止まらなくなった君を抱きしめた。

こんな寂れた街の雨が降る駅前で。

なんだっていい、君が今ここにいる。

それで十分だと気づくには遅すぎたけど、

こうして別れて後悔するよりはいいと思ったんだ。


「今更遅れてごめん、、ずっと伝えてなかった。」


どうか最後に君に、

届くように。


「好きだ。もうずっと前から。」



雨音がうるさくて、君の泣き声が聞こえない。君の震える肩だけが僕に届く。



「、、、やめてよ。」


小さく聞こえた声と、離れようとする君。

長く感じた一瞬の間があって、それは君と出会ってから初めて聞いた言葉。



「もっと好きになっちゃうから。」



困るよ、



雨に隠れて聞こえた掠れ声は、僕の気持ちと同じだった。



「なってよ、もっと好きに。」



この街で君と出逢って、この街で君と別れた。

それはもう変わらない事実だけど、繰り返す同じ季節はきっとその度に君を思い出す。


地面に倒れた傘を君が拾った。

持ち上がるのと一緒に重力に引かれて水が弧を描いて、再び世界は、僕らだけになる。


「それは涙?」


僕の頬を伝うそれを彼女は見つめる。


「雨だよ。」


「...相変わらずだなぁ。」


君がまた歩き出したのに続いて、僕もまた歩き出す。

再び歩いて来た来た道を戻っていく。

君に伝えたい話ばかりが浮かんで来た。

部屋に着くまで、僕は思いつく限りの話をした。



「、、ばか。」



隣同士の扉を互いにくぐる時、君は濡れた髪を揺らしながらそんなことを呟いた。

閉まった扉は、思ったよりも雨の音を消さなかった。






長い夜が終わり、よく晴れた次の日。

君は朝早くに旅立つ準備をしていた。

荷物は後で業者がまとめて届けるらしく、最小限の荷物を持った彼女は先に電車で向かうと言う。



君に遅れて家を出て、黄色い傘を見つけた。

それを持って自転車に跨る。

君に追い付いて、声をかけずに抜かして、君が来るのを駅で待った。


「これ。」


「あ、忘れてた。ありがとう。」


青い空と君の明るい声色が昨日のことを夢みたいに錯覚させた。


「行くね。」


君が乗る電車の時間は決まっていた。

ありがとうとか、ごめんとか、好きだとか、頑張れだとか、君に伝えたい言葉はいくつもあって何を伝えようかなんて決まらなかった。


「うん。」


君を引き止めないし、追いかけもしない。

追いかけた君の後ろ姿は、凛としていて相変わらず綺麗だった。

君が少し僕を見つめた後に微笑んではくるっと回って、改札をくぐった。

振り返らない。それでいい。

僕はきっと、君の後ろ姿に惹かれたんだ。



君に伝えなかったことがある。


いつか、



じゃあ、またここで。

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