終章 『主人公、それは得難い日々を望む者』
翌、日曜日。
ソファで惰眠をむさぼっていた俺は、騒がしい声に覚醒を余儀なくされた。
「あー! アーちゃんがまた食パン食べちゃってるし!」
「だ、だっておなか空いたんだもん!」
「せめてトーストするとかできないですか……?」
……ああ、なんかすっごく起きたくないぞ。
朝飯どうしようかなあ……。
「ひーくん! 起きて! パンが大変!」
「いやだよう……起こすなよう……」
「そんなこと言ってる場合じゃないです。このままでは全員飢え死にです」
「調べたけど、水さえあれば人間なにも食べなくても一週間は死なないってよ」
「わざわざ調べたんですか……」
まあ、そういうわけにもいかないので、仕方なく俺は身体を起こす。
寝ぼけ眼で部屋を見渡すと、やいのやいのと騒ぐ子供たちの姿が目に入った。
頬に食べかすをつけておろおろしているアカネ。
そのアカネをしょうがないなぁとなだめているキララ。
すでに興味がなくなったのかうつらうつらしはじめているアオイ。
その姿を見て、俺は小さく溜息を吐く。
もしかしたら、口許には笑みが浮かんでいたかもしれない。
「さて……まあ、日曜だし。飯を炊く時間くらいはあるか」
立ち上がり、最後の抵抗とばかりにのろのろとした足取りでキッチンに向かった。
*
さて、ことの顛末を説明しなければなるまい。
アオイの手を取り、俺はアカネとキララの下に向かった。
「アーちゃんとキーちゃん、どこにいるかわかってるですか?」
「……ええと」
早速足が止まる。
そういえばどこにいるんだ?
送別会では姿を見なかったしな……。
「まったく、千鳥さんは相変わらずダメダメですね」
「お前は相変わらず手厳しいな……」
「千鳥さんは相変わらずろりこんさんですね」
「ロリコンじゃねえよ! つうかいまそれ関係ないだろ!」
言い合いながら、ホテルの中を歩きまわる。
とりあえず、この階にはいると思うんだが。
「あら、誰をお探し?」
不意に、背後から声をかけられた。
振り返ると、壁に背中を預けてこちらを見る菜々海さんの姿が。
なんかすごい、『ピンチに駆け付けたかつてのライバル』っぽい。
「茜さんと黄星々さんだったら、親族用の控室にいるわ。806号室、わかる?」
「……! ありがとうございます!」
一言だけ礼を言って、再び走り出す。
806号室。
そこの角を曲がれば、すぐそこにあるはずだ。
「アカネ、キララ!」
「ひーくん?」
「おにーちゃん!」
勢いよく扉を開くと、アカネとキララが二人で遊んでいた。
塗り絵をしていたらしく、テーブルの上に使用した色鉛筆が散乱している。
室内を見渡すが、二人以外に人影は見当たらない。
誰かしら見張りでもつけているかと思ったが、特にそういうことはないらしい。
これではまるで、ただ遊ばせているだけのように見えるが……。
「ひーくん、やっと会えたし!」
「おにーちゃああああん!!!」
「ぐおっ」
キララが目を輝かせたと思うと、次の瞬間には怪獣カネゴンの腹タックルが炸裂していた。
久々の胃への衝撃に、俺は膝を折ってうずくまる。
「お、前……久々だってのにコレはないだろ……」
「おにーちゃああああん!!!」
「聞けよ! 痛いっつうの!!」
腹に頭を押し付けるアカネを強引に引っぺがす。
その顔を見ると、流れ出す涙でどろっどろになっていた。
「……悪かったな、寂しい思いをさせて」
「うあああぁぁ」
言語機能が著しく低下している……。
ぽんぽんと頭を撫でて、俺はアカネから目を離し、キララを見る。
「キララも、ごめんな。寂しかったよな」
「ほんとだし……遅いしぃ……」
キララも涙で整った顔をぐちゃぐちゃにしている。
それを見て、アオイも釣られて泣いていた──いや、本当はアオイも、ずっと泣きたかったのだろう。
俺の前では我慢していた涙が、アカネとキララと顔を合わせたことで、我慢できなくなったのだ。
三人ともに、つらい思いをさせてしまった。
「ったく、保護者失格だな、俺は……」
コイツらがこんなにも泣き崩れているのに、俺は最初、俺のところにいるよりも幸せになれる、なんて言っていたのだ──本当に、馬鹿でしかなかった。
コイツらを前にしたら、とてもそんなことは言えない。
「……あーあ、お前らのこと、いつの間にか大好きになっちゃってたんだなあ」
つい、そんな呟きが漏れた。
その瞬間、ぎゅいん!! とキララが涙を止めてこちらに顔を向ける。
「いま! ひーくんがあたしのこと大好きって言った!! これはもう今すぐケッコンするしかないし!!」
「違う! そういう意味じゃない!!」
「あ、キーちゃんずるい! アーカーネーもー!!」
「あーもう、頭ぐりぐりすんな! つーか鼻水つけんな! この礼服高いんだぞ!」
「私たちのことが大好きなんて、千鳥さんはろりこん全開ですね」
「『お前ら』って言っただけで、そこにアオイも入ってるとは言ってないんだけどなあ」
「なっ……!?」
「冗談冗談、お前のことも大好きだぞー」
アオイの涙の量が多くなったので、俺は慌ててなだめにかかる。
本当に相変わらずだな、コイツら。
「……それで、どうするつもりだ」
背後、開けっ放しの扉の方向から、声がした。
振り返るまでもなく、そこにいるのは、比内大吉だ。
仁王立ちでこちらを睥睨するその姿は、まさにラスボス。
しかし子供たちの前で、格好悪いところを見せるわけにはいかない。俺は、目を逸らさずに大吉を睨み返した。
「決まってるよ。俺は、コイツらと一緒に暮らす」
「……覚悟は、あるのか? 三人の人生に、責任を持つということの」
「ああ──もちろん」
ここに至るまでに、それは散々考えてきた。
俺は金持ちというわけでもないし、子供たちの扱いに慣れているわけでもない──けれど、そんなことは関係ないのだ。
大事なのは、俺の──そして子供たちの、気持ち。
子供たちの気持ちは、先ほどのやり取りで痛いほどわかった。
あとは、俺の気持ちを表明するだけだ。
俺の、覚悟を表明するだけだ。
「俺が、コイツらの面倒を見る──俺が、コイツらを」
幸せにしてみせる。
身を寄せる子供たちをそっと抱き返し、俺ははっきりとそう言い放った。
*
「いっただきまーっす!!」
「お前、パン食べたのにまだ食べるのか……?」
元気に食卓の前で手を合わせるアカネに、俺は呆れてそう言う。
コイツの食欲だけは、どうにかならないのかなあ。生活費の半分はコイツの食費に消えている気がする。
「……ほんと、大吉に感謝だな」
これまでジジイによって多少の支援をされていた子供たちの養育費は、大吉が引き継いで送ってくれることになっていた。
本人は菜々海さんの要望だ、と言っていたが、元々そういうつもりだったのだと俺は睨んでいる。
俺がどれだけアオイの相手をしていると思っているのだ。ツンデレの攻略法はマスター済みである。
多分、ジジイは子供たちを取り上げられた俺がどう動くのか予想していたのだ。
おそらく流れとしてはこんな感じだろう。
ジジイは、自分が死んだらアオイは俺のところに置いておけなくなると知っていた。元々ジジイが無理を通して俺に預けていたのだ、ジジイが死ねば、その無理は通らなくなる。
アカネやキララまで引き離したのは、多分、俺に余裕を与えないためだったのだろう。実際、いなくなったのがアオイだけならば、俺はある程度余裕をもってことの解決に臨んでいたと思う。
けれど、時間をかければその分、アオイには寂しい思いをさせてしまうことになる。
普段は大人ぶっているけれど、やはりアオイが一番子供なのだ。
ともあれ、ジジイは大吉やキララの父親にあらかじめ根回しして、アカネとキララを俺から引き離した。
そして俺が子供たちの面倒を見ると覚悟したときに、改めて俺を三人の保護者と認定するということにしたのだ。
ちなみにアオイは、大吉が新たなる『比内グループ会長』としての権力を振りかざし、保証人となってくれたことで養護施設から出ることができた。
アカネは引き続き俺の妹として──キララも、残念ながら俺の婚約者として、この家に置いておけることとなった。
結局、一番世話になったのは、大吉ということになる。
……もしかしたら彼も、ジジイの話を聞いて、俺の家族になろうとしてくれていたのかもしれない。
少なくとも、アオイの保証人となってくれると言ったとき、子供たちの養育費を工面してくれると話していたときの彼の目は、幼い俺に向けていた、冷たいものとは違った。
「……家族なんだもんな、あのひとも」
ならば、素直に感謝しないとな。
「おにーちゃん、おかわりー!」
「アーちゃん、どんだけ食べんの!?」
「見てるだけでおなかいっぱいです……」
「……本当にそうなってくれれば、食費が浮いていいんだけどな」
驚くなかれ、いまので三杯目のおかわりである。
これ朝飯なんだけど、一日でどれだけ食べるつもりなんだろうか。
「ところで、ひーくん」
「あん?」
アカネと違いごはん一杯で「ごちそうさま」をしたのでさっさと食卓を離れたキララが、ソファで二度寝をしようとしている俺のところに来て声をかけてきた。
その顔は、心なし期待に満ちている。
……なんだ、何を期待してるんだ。
「あたし、いま、食器洗ってきたんだけど」
「ほう」
そういえば、たしかにテーブルにキララの食べ終えた食器が残っていない。
「……シンクに下げただけなんじゃねえの?」
「もうちょっとあたしのこと信用してし!」
「えぇ~」
大体、それをアピールすることで俺にどうしてほしいんだよ。
褒めてほしいの?
「ん!」
「……ん?」
キララは「ん!」ともう一度言って、頭をこちらに近づけてくる。
……ええと?
「撫でて! そんで褒めて!」
「褒めてほしいのか……」
たしかにウチに来たばかりの頃はなかなか自分から食器を洗おうとしなかったからそういうご褒美を提示してやらせたりはしてたけど、最近はわりと自分からやるようになってたじゃん。
なんで今さらそんなこと言い出すんだよ。
「いいじゃん! 久々に撫でてほしいの!」
「ええ……」
どんだけ甘えたいんだよ、お前。
くそう、婚約が復活したからって調子に乗りやがって。
……まあ、頭撫でるくらいなら、別にいいか。
「へいへい、これでいいかね」
「なんか雑だし……」
もういいでしょ、俺は二度寝したいんです。
寝返りを打って、目を閉じる。
が、背中に視線を感じて眠れない。
「あーもう、しつこいぞキララ!」
「キーちゃんじゃないです」
「うおっ」
振り向くと、アオイの眠そうなジト目がすぐ近くにあった。
びっくりしたぁ……。
「……なに? アオイも撫でてほしいの?」
「そ、そんなことないです! 私をなんだと思ってるですか!」
「じゃあ俺は寝るぞ」
「うっ……べ、別に撫でてほしいんじゃないですけど、私もちゃんと食器を洗ったことを報告しておきますです」
「撫でてほしいんじゃねえか」
はいはい、なでなでー。
じゃあおやすみー。
「おにーちゃん! アカネも洗ったー!!」
「あああもう! これでいいかー!!」
ほとんどやけくそになって、三人まとめて頭を撫でにかかる。
すると、三人は嬉しそうに、撫でる手に頭を預けてきた。
その顔を見て、俺はまた溜息を吐いた。
なんとなく、帰ってきたな、という感じがした。
元気で奔放なアカネ。
おませでわがままなキララ。
素直になれずに毒舌を吐くアオイ。
そして、やれやれと溜息を吐きながら、三人に振り回される俺。
これが、俺の望んでいた日常だった。
俺は、望んでいた日常を、ようやく取り戻すことができたのだった。
感想待ってます。




