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ロリからはじまるハーレムルート!?  作者: みのり
01 比内千鳥と三人の小学生
10/15

五章 『一転、それはどうしようもない別れの時』 《前》

 昨日のバイトは客が多く、俺は大変疲労していた。

「というわけで、俺は今日は家の中でゆっくり休もうと思います」

 そんな宣言に、信号カラーどもは当然のごとく文句をたれる。

 わあわあと、疲れてるって言ってんのに頭に響く騒音を発する子供たち。

 とりあえず寝たい。

「ええー、あーそーぼーうーよー!!」

「そんなこと言われてもなあ。もう俺の睡眠欲求値は限界に達してるからなあ」

「なんですか、睡眠欲求値って」

 とはいえ、俺の現在の寝床はリビングに鎮座するソファなので、ガキどもが起き出してくるとゆっくり眠るのはほぼ不可能である。

 最近の俺の生活が毎日六時半起きという超健康的なものなのはそれが原因である。

「そんなこと言うなら寝室で寝ればいいし」

「そんなことしたら余計に寝れないだろうが。お前ら毎日寝室でうるさくしやがって」

 早寝さんなアオイはともかく、アカネとキララはとにかく遅くまでうるさい。

 アオイはよくあの中で寝れるなと感心するほどだ。

「私は耳栓をして寝ていますです」

「そんなにうるさかった!?」

 自覚していなかったらしいキララが驚愕の声を上げる。

「毎朝お隣さんにそれとなく文句言われるんだからな」

「うう、ごめんなさいだし……」

 殊勝に謝っているが、多分改善はされないんだろうな。

 アカネに至ってはプリピュアが始まったからそっちに夢中だしな。

 謝られ甲斐のないことこの上ない。

「とにかく、俺は今日はてこでも動かねえからな。遊び相手が欲しいならコマちゃんにでも電話しろ」

「ええ~、あたしあの人好きくないし」

「贅沢言わないの」

 まったく。いい子なんだからな、コマちゃん。

 今どきあんな行儀のいい女子高生はそういないぞ。

「そういう問題じゃないし」

「じゃあどういう問題なのさ……」

「わかってるでしょ! ひーくんの浮気者!」

「言いがかりすぎる……」

 浮気も何も、俺はそもそもキララを相手にした覚えもないのだが。

 親が勝手に(ほとんどノリで)決めた婚約関係に、そんなにムキになられても困る。

「あんなのよりもあたしの方がよっぽどカワイイのに!」

「あんなのって言うな」

 いつか罰が当たるぞ、ほんとに。

 大体ガキ相手じゃ比べようがないだろうが。

「ガキじゃないし!」

「ああもううるさい! 俺は寝るの! いい加減にしないと一生口きいてやんねえぞ!」

 相変わらず『一生』という言葉に弱い小学生キララ。すぐに口を両手を塞ぎ、大人しくなる。

 それを確認し、俺は再びソファに身体を預けた。



「おはようございますです、千鳥さん」

「……おはようございます」

 ぴったり一時間後に起こされた。

 全然寝足んねえ……。

「なに、なんで起こされたの、俺」

「朝ごはんがまだです。このままでは三人とも飢えて野垂れ死んでしまいますです。そうなると千鳥さんは育児放棄、あるいは児童虐待ということに──」

「……」

 相変わらずよく口の回ることで。

 大体、パン焼くくらいなら自分たちでできるだろうが。

「わかりました、それではアーちゃんに頼むことにしますです。食べたいだけ焼いていいよ、と」

「わかった今焼くからちょっと待って……」

 最終兵器カネゴンの名を出されては動かないわけにはいかない。

 どうやら俺には休日であろうとゆっくり眠るなどという贅沢は許されていないようだ。

 ソファから身を起こし、のろのろとキッチンへ向かった。

「……って、パンがねえじゃねえか!」

「あ! ごめんなさい、アカネが食べたー」

「何やってんだお前!」

 アオイがゴーサインを出すまでもなくカネゴンは始動していたらしい。

 まさか、自立機能を持っていたとは……。

 なんて冗談を言っている場合ではなく、とりあえずアカネの朝飯は間に合っているにしても、キララとアオイの分を作らなくてはならない。

 しかしパンがないし、朝からメシを炊くのは大変面倒くさい。

 さて、どうしたものか。

「パン買ってくればいいじゃん」

「まだスーパー開いてないだろ」

「コンビニは二十四時間営業だし」

「コンビニはスーパーよりもお高いの」

 ただでさえガキを三人も面倒を見なきゃいけなくなって生活費がかさばっているのだ。

 多少ジジイから援助を受けているといっても、無駄遣いできるほどの余裕があるわけではない。できるだけ安く済ませるというのが基本である。

 さらに言えばスーパーの特売日かポイント増量日にまとめて買うのが理想だ。

「ケチくさー」

「黙れブルジョワ」

 高いものが食べたいなら荷物をまとめて実家に帰れ。

 さて、余ってる食材はハムと卵とレタスと──

「これじゃ目玉焼きとサラダが限界だなあ」

「主食がありませんです」

「アカネのせいでなー」

「うう~、ごめんなさいー」

 アニメが終わったおかげで殊勝な態度を見せるアカネ。

 コイツもコイツで反省しながら平気で再犯に及びそうだよな。

 本能しょくよくに抗わないタイプというか。

「お、うどんがあるじゃん」

「朝からうどんですか」

「バカ、健康的には朝しっかり食べるのが一番いいんだぞ」

「ひーくん、うどん好きだよね」

 まあな。作るのに手間もかからないし、寒い日は()()で身体を芯から温め、暑い日はざるで涼やかに済ませる、野菜や肉で栄養も整えられるし、完全食と言えるのではないだろうか。

 完全食の定義は知らんが。

「んじゃうどん茹でて卵落として、簡易月見うどんかな」

「安っぽい朝ごはんだし」

「だから高いもん食べたきゃ実家に帰れっつうの」

 文句を言いながらも、テーブルにつくキララ。アオイも続いて椅子に座る。

 一人朝食抜きとなったアカネはこちらの様子を羨ましそうに窺っていた──いや、お前の朝食が抜きなのは自業自得だからな。



 朝食も済ませ、さあもうひと眠りするかとソファに寝っ転がると、またしても邪魔が入った。

「おにーちゃーん、遊んでってばー!」

「お前らはなんだ、俺の健康を阻害するためにいるのか……?」

「昼間から惰眠をむさぼることが健康的とは思えませんが」

「精神的健康の話をしている」

 眠いのに眠れないというのは精神衛生上大変よろしくないと、個人的には思う。

 このままでは寝不足で精神を病んでしまうので、早急に睡眠をとる必要がある。

「じゃあおままごとね! あたしひーくんのお嫁さん役!」

 おい、なんか始まったぞ。

 俺付き合うなんて言ってないんだけど。

「キーちゃんがお嫁さんだったら、アカネはおにーちゃんの妹役ねー!」

 いつもと変わらないじゃねえか。

「それじゃあ私は特に関わりのないご近所さんということで──」

「アオちゃんはあたしとひーくんの子供ね!」

 さらっと逃げようとしていたアオイもさらっと巻き込まれ、なんだかよくわからない内にままごとが始まってしまった。

 俺は父親役ってところか……。

「じゃあ俺は休日のお父さんよろしくソファで昼寝ということで」

「おとーさんあそんでくださいですー」

 逃げの一手は死なば諸共とばかりに棒読みのアオイに封じられる。

 ちっ、上手いテだと思ったんだが。

「ひーくんお帰りなさい、ご飯にする? お風呂にする? それともあ・た・し?」

「いつも通りじゃねえか」

 というかアオイの子供役はともかく、アカネとキララの役はほんとに普段と大差ないんだよな。

 これはままごとと言えるのだろうか。

「おにーちゃん、おなかすいたー」

「お前はもうままごと飽きてきてないか……?」

 もはや演技をする気もないらしかった。

 つうか、パンひと袋分食ったくせにまだ腹減ってるのかよ。

「おとーさん、あそんでくださいですー」

「ひーくん、おやすみのチューしてー」

「おにーちゃん、ごはんー!」

「ああもう、ゆっくり休ませろって言ってんだろうが!!」

 休日だというのに、朝っぱらからひどく疲れた。

 今日はもう寝かせてください……。

「寝かせないよ、おにーちゃん!」

「寝かせないし、ひーくん!」

「寝かせませんですよ、千鳥さん」

「勘弁してくれえ……」


 といった感じで、俺の休日は大変無為に過ぎていったのだった。



 その日のバイトは、至って平和だった。

 客足まばらな古本屋のレジに立ち、ぼーっと店内を眺める。

 時刻は夕方の四時になろうとしている──いつもならば、そろそろガキどもが突撃してくる時間だ。

 初めてアイツらがこの店に来てから、奴らは俺のバイトが入っている日にはわりと頻繁に三人揃ってわいわい騒ぎながら入ってくることがあったのだが、今日はそういう気分じゃなかったのだろうか。

「誰かが風邪を引いたとかなんじゃないですか?」

 隣のコマちゃんが、心配そうな顔でこちらを見た。

 馬鹿が風邪を引くわけない──と、笑って返そうと思ったが、そんなことを言ったらコマちゃんに普通に怒られそうなので真面目に返すことにした。

「もし風邪を引いたんだとしても、残ったどっちかが連絡入れるだろ」

 我が家の置き電話の脇には、俺と学校の電話番号をメモした紙が貼ってある。

 それを見ながらボタンを押せばいいのだから連絡は容易なはずである。

「三人いっぺんに寝込んだんでもない限り、まあ大丈夫だろ」

「そう、ですか……」

 尚も心配そうな顔を崩さないコマちゃん。

 そんなに真剣に心配されると、俺も心配しなくてはいけないような気になってくる。

 ちょっとその可能性について考えてみよう。

 あの中で一番風邪を引きそうなのは、やはりアオイだろう。

 アカネは馬鹿──もとい風邪菌も寄せつけない元気っこなので、あまり風邪を引きそうなイメージはない。

 キララは親馬鹿な親が風邪予防教育を徹底していたらしく、帰ってきてからと食前の手洗いうがいを欠かさない。薄着気味なのが心配の種ではあるが、滅多なことでは体調を崩すということはないだろう。

 対して問題のアオイはというと、インドア派に見えて、あれでわりと外に出ることも多いのだ。

 まあ、外に出ても結局は本を読んでいるのだが──大学からの帰り際に、近所の公園のベンチに座って本を読むアオイの姿を見かけることが度々あった。だから、同じ公園を利用する子供やジジババなんかから風邪をもらってくることも、まあ考えられる。

「やっぱ一番ありそうなのはアオイかな」

「やっぱり風邪を引いてるんですか!?」

「可能性! 可能性の話だから!」

 心配しすぎではないだろうか。

 仲がいいのはいいのだが、ちょっと仲が良すぎて却って怖くなってくる。

 そのうち色々とチクるような間柄になってしまったりするのだろうか。

 その点でも一番心配なのはアオイである──アイツ、嬉々として根も葉もない俺の悪い噂をコマちゃんに流し始めるんじゃないだろうか。

 まったく目の離せないガキである。

 風邪でも引いて大人しくしてろ。

「先輩、なにか悪いこと考えてませんか?」

「べ、ベツニナニモ……」

 突き刺さるような視線から目を逸らす。この子の前では迂闊なことを考えられないな。

 しかし、風邪を引いているってことはないにしても、やっぱりこうなんの音沙汰もないのは薄気味悪いな。

 事故──にしたって、連絡はあるはずだし。

「休憩時間になったら、こっちから電話してみるか」

「それがいいですっ!」

 まだ真剣に風邪の心配をしているらしいコマちゃんが、食い気味で同意した。



「──って、出ねえし……」

 呼び出し音が十五回を超えたところで、俺はそっと通話中止ボタンを押した。

 続いて先日の迷子未遂を受けて聞いておいたキララのケータイの番号にかけるが、今度は『おかけになった電話番号は、現在電源が入っていないか電波の届かないところにあるため──』というアナウンスが耳元で流れるだけだった。

 なんだ、なんかよからぬことを企んでるんじゃないだろうな……?

「先輩、もうちょっとあの子たちを心配してあげてくださいよ……」

「いやあ、そこはもう日頃の行いの結果としか言えないけど」

 腹にタックルかましてきたり冷蔵庫のもの勝手に食ったり(アカネ)、高いもん買ってきたり俺が寝てるところに潜り込んできたリ(キララ)、脅迫してきたリロリコン呼ばわりしてきたリ(アオイ)。

 これまでろくなことをされてこなかったので、ここぞというときに心配してやることができない。

 リアル狼少年ってやつだ。

「良い子たちですよ?」

「ですよ? って言われてもなあ」

 こればっかりは、一緒に暮らしていないとわからないかもしれない。

 腹タックルとか寝床潜入とかロリコン呼ばわりとかは、相手が俺だからこその所業だろうし。

 ううん、舐められてんのかな、俺。

「そういうのは、懐かれてるって言うんですよ」

「ええ? いや、どうだろうか……」

「心理的な壁がないからこそ、好きなだけわがままが言えるんじゃないでしょうか」

「んん、まあ……そうなのかね」

 たしかに、うちに来たばかりの頃のアカネは腹にタックルしてこなかったしな──キララとアオイは、わりと最初からあんな感じだった気がするけど。

 アオイなんて、初対面でロリコン呼ばわりだったもんな。

 ああいう子供になってしまったのはけっして俺のせいではないはず。

「今からなら、更生の余地もあるかな……」

「どこから目線なんですか……」

 遠い目をする俺に、コマちゃんが呆れ顔でツッコミを入れた。

 そうだな、とりあえず腹タックルしない、変に媚びない、脅迫しないをスローガンにしていきたい。

 当たり前のことのはずなのだが。

「でも、寂しくないですか? そういうのがなくなったら」

「俺、別にMっ気とかないんだけど」

 俺は男なので腹を痛めて悦ぶような感性は持ち合わせていない。

 あの腹タックルがなくなったらそりゃもう盛大にアカネのことを褒めちぎってやるぞ。

「まあ、そういうことにしておいてあげます」

「ちょっとその納得のされ方は釈然としないんですが……」

 コマちゃんの中で俺はどういう奴だと思われているのだろうか。

 甚だ心配である。

「比内くん、ちょっとレジのヘルプおねがーい」

「あ、はーい!」

 先輩に呼ばれ、俺の休憩時間はそこまでとなった。

 ……まあ、バイトが終わったら、できるだけ早く帰ってやるか。

 やっぱりなんか企んでないか心配だしな。



「妹ちゃんたち? 今日は見てないねえ」

 帰り際、晩飯の食材を調達するために寄ったいつもの肉屋でそれとなくガキどもを見ていないか訊くと、そんな答えが返ってきた。

 三人はこの商店街で遊ぶことも多いらしいので(そのせいで商店街の人たちの間でちょっとした有名人になっているらしい。一緒にいるとめちゃくちゃ話しかけられる)今日もそうなのかと思っていたが、どうやら違ったらしい。

 途中で公園を覗いても姿は見えなかったし、嘉鳥先生に連絡したところ学校に残っているわけでもないらしい──こうなると、いよいよ行方不明といった感じだ。

「……まさか、本当に三人揃って寝込んでんじゃないだろうな」

「ありゃま、そりゃ大変」

「あ、いや、まだそうと決まったわけじゃないんで」

 とりあえず風邪に効く料理でも作ってやろうと、鶏肉を買うことにした。

 野菜も買い込んで鍋でも作るか。

「あ、そういえば聞いた?」

「はい?」

 会計を済ませたところで、肉屋の女将さんがそんなことを言ってきた。

「なんか坂下の方にね、黒塗りの怪しげな車が停まってたって、噂になってるんだよ」

「怪しい車……」

 坂下というのは、名前の通りこの商店街から北に外れて坂を下った辺りのことであり、俺の住むマンションはそこに建っている。

 だからって、その怪しげな車とやらがウチに用があるとは限らないのだが──誘拐、という言葉が頭を過った。

 この間新宿でアカネとキララが迷子になりかけたときにもその可能性は考えたことがあったが、アカネとアオイはともかく、キララは大会社の社長のひとり娘である。その身柄を狙おうという不逞の輩も、存在しないことはないだろう──いや、アカネにしたって、一応比内グループ会長(じじい)の娘なのだ。

 いっそひとまとめに誘拐されたなんてことも──いやいや、だから、別にその怪しい車がウチに用があるとは限らないって。

 ここらには有名俳優が住んでるって噂もあるし、そっち関係かもしれないじゃないか。

 そう自分に言い聞かせながら、肉屋を出た俺は、続いて八百屋に行くのも忘れ、足早に帰路をたどっていた。


「ただいま!」

 知らず、玄関の扉を開ける動作が乱暴になってしまった。

 すぐに確認するのは、玄関に並んでいる靴の数。

 基本的にガキどもは(俺も)普段使いの靴を下駄箱にしまったりする習慣はないので、普通ならばここには三つの子供靴が並んでいるはずだった。

 が。

「……いない、のか?」

 沓脱は、空っぽだった。

 もちろん今日に限って下駄箱にしまってあるなんてこともなく。

「アカネー、キララー?」

 呼びながら、靴を脱いでまずリビングに向かう。

「アオイも、いないのかー?」

 しかし、これだけ静まっていると、探すまでもなくここにあの騒がしい子供たちがいないことは、予想がついた、

「……寝てるわけでも、ないよな」

 かつては自分で使っていた寝室の扉を開いても、そこには誰もいない。

 端的に言って、この家の中にガキどもはいないらしかった。

 『おかえりなさい』のない『ただいま』は、思えば随分と久しぶりだったかもしれない。



 気が付くと、とっくに日が暮れていた。

 電気をつけるのも忘れ、部屋の中は誰もいないかのように暗い。

 俺は、リビングのソファに寝っ転がり、ただただ呆然としていた。

 部屋とは対照的に、頭の中は真っ白だった。

 真っ白になった頭で、ぐるぐると思考にもならない思考を続ける。

 三人は──アカネとキララとアオイは、一体どこに行ったのだろうか。

 本当に誘拐だとしたら、こんなことをしてないでまず警察に連絡するべきだし、たとえ誘拐じゃなくたってこんな時間まで小学生が帰ってこないのだから、場合によっては通報するべきなのだが、そんな気にはなれなかった。

「……そうだ、晩飯作らないと」

 空腹に気づき、ソファから身体を起こす。

 鍋を予定していたが、一人で鍋は食べられない。

「……コンビニで、なんか買ってくるか」

 コンビニ飯というのも思えば久々だ。アカネがウチに来た日から、出来合いで済ませた日なんて一度もなかった気がする。

 まあ、今日くらいはいいか。

 ガキどもがいないんだから、栄養に気を遣う必要もあるまい。

 何を食べようか、久々だから新商品がいくつも出てるかもしれない、面倒だしカップ麺でいいか──なんてことをつらつらと考えながら、サンダルをつっかけ、ドアノブに手をかける。

「……あ、財布忘れた」

 すんでのところでそれに気づく。

 まったく、どれだけぼーっとしているのだ。

 サンダルを脱ぎ、財布を取りにリビングに戻る。

 バイト中カバンに入れてそのままにしていた財布を取り出したところで、電話が鳴った。

「………」

 上手く働かない頭に、けたたましい呼び出し音が響く。

 正直出るのも面倒だったが、もしかしたら三人を風邪かもしれないと心配したコマちゃんがかけてきたのかもしれないと、思い直して電話を取る。

 あとから思えば、コマちゃんだったらケータイの方にかけてきたはずで、そんなことにも気づかなかったということはそれだけ思考能力が低下していたということなのだろうが、そんな朦朧とした意識の中で、電話を通して耳朶を打ったのは、

『久しぶりだな、千鳥』

 重々しく、静かだが相手を威圧する、低い声だった。

 その声を聞いて、古い記憶が脳裏を過った。

 床に落ち、無惨に散らばった夕食──そのすぐ傍に立つ『その人』は、こちらを軽蔑するような、冷酷な目をしていた。

「……大吉、兄さん」

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