(8)
思考停止していた私の目の前には、血の池があった。
赤黒いそれは背中から流れ出ており、そこにはナイフが奥まで突き刺さっている。今抜けば確実に男を殺せるだろう。しかし抜かなかったとしても、彼はもう長くは持たないことは出血の量からすぐにわかることであった。
「青ちゃん!」
加奈子が心配そうな表情で私のところに駆け寄る。駆け寄り、そっと私の腕にふれた彼女の手は若干震えていた。余程怖かったのだろう。その恐怖がこの男に対してなのか、はたまた私が死ぬことに対してなのかは判断しかねるが。
「大丈夫ですよ、加奈子さん」
私は私の腕を掴んでいた彼女の手に優しく触れ、ゆっくりと私の腕から引き離し、それから力強く握った。
「ね?私はちゃんとここにいますよ」
私は優しく加奈子に話しかけた。なぜかはわからないが彼女の顔を見ると不思議と安心する…だからこそこの危険な状況下でもこうして優しく笑えるのかもしれない…私はそう思った。
「…うん」
加奈子は力無く頷いた。よくよく見ると彼女の目には涙がたまっていた。
私は彼女の涙を指でそっとふき取る。
すると、先程まで気絶していたであろう男の方から何かが吐き出される音が聞こえた。
「うぅ…」
男は呻き声を上げる。
私は彼女の手を離すと、男の近くまで行き、その場でしゃがみ込む。
「あんたに一つ、聞きたいことがあるの」
私は冷めた声で男に話しかける。男の方からはまた血を吐く音が聞こえる。
「…手短にな」
男は辛そうにそう言った。
「あんたはどうしてここに?ここは一体何なの?」
「……二つ質問してるぞ、糞ガキ」
男は痛みを堪えるように息を吐く。それから男は私の質問にゆっくりと答えた。
「俺は元々、軍隊に属していた…」
「軍隊に属して五年、俺はある病にかかった。体が徐々に動かなくなる病気だ。最初俺は絶望した。もう、軍隊で働くことができないのかってな…それでかれこれ三週間、俺は毎日のように病院へ通った。そこでこの殺し合いの主催者に出会った。俺はなぜか、無性に殺したくなった。近々退院できるんだと話した彼女を、俺は許せなかった。ただただ憎かった、だから、俺はその日、彼女の病室へ、鋸をもって、殺しにいって、そして…殺した。まだ若かった彼女を、殺したんだ。それからタガが外れたように俺は人を殺しまくった。殺して、殺して、殺しまくった。それでバチがあたったん、だろうな。俺の病気は悪化し、そのままあの子と同じ病室へ入院した、そしてある夜、彼女が俺の横にいた。哀れだと言うように俺を見ていた、そ、れで、俺は、彼女に、殺された」
男はここでまた血を吐き出した。それでもまだ男は語る。
「ここ、がどこ、なのかは、俺もよく、知らない。だが、屋上へ、行けば、てめぇはきっと、助かる、屋上へ、早く行って助けを……」
男の呼吸は徐々に早くなる。私は彼が死ぬ前にもう一つ聞きたいことがあった。
「…死ぬ前に、あんたの名前、教えてよ。いつかこの殺し合いの主催者に会ったときに、あんたの事、聞きたいからさ」
私は今にも死にそうな男に無表情で尋ねた。
「………中沢、悟」
男、中沢は呼吸を荒くしながら私の方に手を伸ばしてくる。
「最後に、もし彼女にあったら、殺してしまったこと、悪かったと…謝ってすむ話じゃないが、どうか、彼女に、そう…………」
中沢の伸ばした手が、力無くその場に倒れる。男の目はどこか遠くの方を見ていた。
「………馬鹿じゃないの」
私はそれだけ言うと中沢の方に手を伸ばし、彼の両目をゆっくりと閉ざした。