(10)
屋上へと続く階段はやけに長く感じられた。殺し合いが始まったときから今までの疲労がここででているのだろう。
階段を上がり始めて三十分、未だに屋上の扉は見えてこない。
(それにしても…)
私は妙な違和感を持ちながら歩いていた。階段が異様に長いことではない。階段を上っていても銃声や声が聞こえてこないことについてだ。
階段を上がる前、確かに様々な音が私の耳に届いていた。はっきりと聞こえていたのだ。それなのに今は全く聞こえない…静寂だけがこの場を支配しているのだ。
それだけではない。違和感は他にもある。
(加奈子さん、さっきから何も喋らなくなっちゃったけど…)
階段に到着してからというもの、加奈子とは全く会話をしていない。何かを考えているのか、ただ怖くて何も言えないのか…
(怖いといえば、加奈子さんのさっきの話し方)
加奈子に恐怖を感じたのは階段に到着する前、中沢と死闘を繰り広げたあの場所で会話した時だった。
「加奈子さん、そろそろ行きましょう。早く助けを呼ばないと」
私は加奈子に話しかけた。彼女はこちらを見つめてから、
「そうね」
一言だけそういって微笑み、立ち上がって中沢のとこへ歩み寄る。
それから彼女は中沢の背中からナイフを引き抜く。中沢の背中からはナイフを抜く勢いで若干血が流れた。それと同時に鉄臭いにおいが漂う。
「じゃあ、行こうか」
加奈子はナイフを持ちながらまた微笑んだ。
「あ、はい」
私はきっとぎこちない笑みを浮かべていたのだろう。加奈子は不思議そうに首を傾げて、
「どうかしたの?」
と、私に聞いてきた。私は「大丈夫ですから」とだけいって早足でその場を立ち去った。
「…」
加奈子は何も言わず、私の後ろからついて来た。
私はただ恐ろしかった、彼女の微笑みが。彼女の話し方が。
背筋がゾッとする感覚が、あのときのものと同じであった。
「ねぇ、青ちゃん。どうして普通の病院に404号室がないと思う?」
思考の海に溺れていた私の耳に加奈子の声が流れ込んできたことによって私は海から浮き上がることとなった。
「え、さぁ」
突然のことに追いつけなかった私はそう言うだけで精一杯だった。
「4というのは“し”と読めるでしょ?死と繋がってしまうことから、その場所で死人が出てしまうという考えがあったからなんだって」
加奈子は子守歌を歌うようにそう話した。
「へ、へぇ」
私は階段をあがりながら頷くだけだった。
「でも、どうしてここの病院は4がつく病室があるんだろうね?」
「さぁ、なんででしょうね」
私は平静を保ちながらそう言った。加奈子の声はどこか狂気を孕んでいたからだ。
「今回この殺し合いが始まったのも404号室だし、不思議なこともあるよね」
「そ、そうだね」
加奈子は今、どんな顔をしているのかは分からない。でも、どこか笑っているような気がした。
「あ、加奈子さん見てください。屋上の扉が見えましたよ」
目の前には灰色の扉が一つあった。
私は階段を上りきり、目の前の扉の取っ手に手をかけ開けようとした。そしてふと、気づいた。
(あれ?なんで加奈子さんがあんなこと知ってたんだ?)
気づけば私は屋上の扉を開けて倒れていた。
背中に激痛が走る。何かが刺さったような痛みだった。
どこからか笑い声が聞こえてくる。
「馬鹿だよね、青ちゃんてさ」
後ろに視線を移すと、加奈子が笑みをつくって立っていた。不気味な雰囲気が彼女の周りを漂っているように見えた。
「青ちゃんて、鋭いところもあったり鈍いとこもあったけど、意外と無意識の内に気づかないようにしてたのかな?」
意識が徐々に薄れていっているのを知ってか知らずか、加奈子は私に話しかける
「私のこと、実はちょっと疑ってたんじゃない?もしかしたら私が殺人者なんじゃないかって…まぁ、半分正解かな」
半分正解…嬉しいのか悲しいのか、分からない。けれど、私は自分があることに疑問に思っているのは分かった。
「じゃあ、もう半分は何って聞かれると結構困るなぁ。企業秘密みたいなものだからさ。ま、どうせ青ちゃんは気にしなくてもいいんだよ。だってもう…」
ーーーあなたは考える必要ないんだから
「あなたはこれからずっとここにいるんだからさ…さてじゃあ次はあなたの番だよ」
加奈子の顔はよく見えなかったが声だけはしっかりと私の耳に焼き付いた。
「殺人病棟へようこそ、殺人者さん」
意識が遠のいていく中、私は加奈子の方を見続けていた。
そこでふと、彼女の後ろに誰かがいることに気がついた。フードを被っているようで男なのか女なのかは判断できなかったが、表情でなんとなく悲しんでいるような気がした。
私は死んだらどうなるのだろうか。加奈子の言うとおり殺人者になるのだろう。
あぁ、もう何も考えられない。これが死ぬってやつなのかな。
「すまんな」
死ぬ間際に最後に耳に届いた言葉があった。なぜかそれはひどく心地良かった。
それが私が抱いた最初で最後の感覚だった。