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異世界及びゴリラ生活三日目。
昨日も松明もどきがベストフレンドになったりうさぎさんが仲間になったりカバと死闘したりと濃い一日だった。
水浴びと日向ぼっこの後は、尻拭き用の柔らかい葉っぱを集めて仮ホームにちょっとしたベッドを作ったので今日は非常に良い目覚めだ。大きく伸びをして、松明もどきを片手に朝でも昼でも夜でも暗い洞窟を出る。
洞窟を出てすぐの所で、うさぎさんが待っていた。
「ウホ(おはよう)」
「キキ!」
ちょこんと頭を下げたうさぎさんに、しゃがんで頭を撫でた後腹ごしらえに食べ物探しを始める。
うさぎさんの知識のお陰で、森には食べられるものがたくさんあるとわかった。俺は探索にそう時間を掛ける事も無くすぐ満腹となる。
「ウッホ?(うさぎさんはご飯は?)」
ふるふると頭を横に振るうさぎさんは、やっぱり俺の前でご飯を食べてくれる気は無いらしい。見るからに元気だし痩せてもいないし、食べられないの意味では無いだろうしな。俺もうさぎさんの意思を尊重し、特に意見する気は無い。
俺は昨日のカバさんの一件で懲りたので、今日は警戒を完全には解かないようにしながら森のさらなる探索をする事にした。
洞窟や綺麗な方の川付近だけで過ごすのは安全かもしれないが、それでは他のゴリラ(特に雌)は見つからない。参謀ポジションな仲間も欲しいが、一番はやっぱりつがいを見つけたいって気持ちがある。
本日は前世の印象よりはかなり小さめなサイズだったとはいえ、それでもゴリラからしてみれば十二分に大きいゾウに遭遇した。
だが、カバさんの時の反省を活かし遠方から発見した俺は即座に逃走し事無きを得た。この森には俺より強い生物が多過ぎて、俺が余裕を持つ日は来なそうだ。
「ウッホホ(帰ったら仮ホームの壁に欠け石か何かで森のマップ描くか)」
食べ物の場所はもちろんだが、何よりカバさんと会った場所とゾウと会った場所は命を大切にする意味で書き記しておかねばならない。
俺は一度仮ホームに帰ろうと歩き出した。
十歩程歩いた所で、俺は違和感を覚えて立ち止まる。振り返ると、足音がしないなと思ったらやっぱりうさぎさんが立ち止まっていた。
後ろ足で立ち上がり、耳をピンと上に立ち上げ細かく動かしている。
「…ウホ?(…何かあった?)」
俺が声を掛けると、うさぎさんは俺の方を向く。すっと前足を下ろし、何事も無かったかのように俺の足下までぴょこぴょこ走って来た。
「ウッホ?(大丈夫なの?)」
「キ」
うさぎさんは頷いた。
俺は一抹の不安を感じながらも仮ホームに戻るべく、いつもより少しだけ早足で歩き出す。
だが五分も歩かないうちに、普段は俺に近づいても来ない小鳥が飛んで来て目の前に止まった事により、足を止めざるを得なくなった。
小鳥がわざわざゴリラの進行方向に止まりに来るというのは、もう字面だけで異常事態だ。ゴリラの足を止めなくてはいけないどうしようもない理由があるとしか思えない。
言葉が通じない俺は自然とうさぎさんに視線を移した。うさぎさんは心得たとばかりに頷き、俺の前に出る。
「キ」
「チーチュン!チッチチ!」
何か緊急事態が起きたのかもしれないなと俺の拙い頭でも憂慮はするが、うさぎさんと小鳥の会話は見てる分には非常にかわいい。俺の手元に文明の利器さえあれば動画撮影していたところだ。
「キ…キー?」
「チチチ」
話が終わったのか、うさぎさんが振り向く。俺の顔を見上げ、一度視線を伏せ、また見上げて来る。言葉がわからない俺に対しどう伝えようかと困っているのかもしれない。
「ウッホホ!(俺の力が必要なら使ってくれていいんだよ!)」
俺は状況がいまいちわからないながらも、うさぎさんを元気づけるように両拳を握りおどけるようにマッスルポーズを取ってみた。前世の俺だったらさぞ滑稽でしかなかったろうが、筋肉モリモリなゴリラがやったならば多少は頼もしく見えるだろう。
うさぎさんは少しの沈黙の後こくりと頷き、俺の脇を通り過ぎ後ろへと駆け抜ける。振り返ると、顔だけ此方を向いたうさぎさんが短く鳴いた。
ついて来いという意味だと解釈した俺は、うさぎさんに向かって駆け出す。うさぎさんもそんな俺を確認すると走り出した。
うさぎさんのスピードは恐らくうさぎとしてはかなりのものだった。前世の俺では勝てたか怪しい。むしろ今のように森の中という走りづらい場所で、となると負けていた確率の方が高い。
だがゴリラになって相当な足の速さを身につけていたらしい俺は、いつの間にやら自然とうさぎさんを背中に乗せ首に捕まってもらうというおんぶの態勢で走っていた。たまにうさぎさんに右肩、左肩を叩かれる事で方向を調整する様は完全に乗り物だ。ゴリラ号だ。乗り心地はたぶんあんまり良くない。
三十分程走っただろうか。
全力で三十分走って多少は疲れているものの、ゴリラパワーなのか何なのかまだまだ元気な俺の耳に、信じられない音が聞こえた。
微か過ぎるそれに俺は一瞬思考を固まらせ、次いでさらに自分の手足に力を込めて走った。
もううさぎさんの案内を気にする必要も無い。うさぎさんの行き先が音の方向で無かったとしても、俺の目的地は音がした場所となっていた。
より近くなり鮮明になって行く、音。いや、声だ。
そして、言葉だった。
それは俺が聞き取れる…意味のわかる言葉だ。
その姿が見えた時、そいつは腕から血を滴らせ死相を感じる顔に苦笑を浮かべていた。
そいつの目の前には俺より大きな凶暴な面をしたクマが居て、クマが振り上げた腕は今まさにそいつの命を刈り取ろうとしていた。
「っくそ、ココ…俺、君を助けられなか、」
「ッホォオオオ!(その最期の言葉ちょっと待ったぁああ!!)」
俺はがむしゃらに飛び出し、クマの横っ腹にタックルをキめた。丁度良いところにでも当たったのか、クマの身体が宙へと浮き吹っ飛んで行く。ナイスゴリラパワー!
ふんっと鼻息を吹き出し、俺は遂に出会えたその"人間"を見た。
ファンタジー満点な剣士だか騎士だかのような格好をした、中々に小綺麗なイケメンだ。右腕の装備は壊れて腕から血流してるし全身中々泥だらけ草まみれなのに小綺麗と思わせるとは、実に恵まれた顔立ちだな。俺が人間として転生していたら嫉妬で舌打ちの一つでもしていたかもしれない。
金髪にエメラルドグリーンの瞳という、いかにもなファンタジーでよくあるイケメンカラーなところもさすがだ。歳は…二十歳にギリギリ届かないぐらいだろうか?若干の幼さが残る顔は、歳上にも人気が出そうだ。
しかしこの外国人っぽい外見なのに話す言葉が流麗な日本語とは。これはご都合主義ってやつだろうか?俺としてはそこをご都合主義にするより、もっと他にして欲しい所がたくさんあったんだけど…。
そんなイケメン君は状況に頭が追いついていないのか、ぽかんとした顔で俺を見ている。まぁそりゃそうだろう。俺だってクマに命を狙われ死ぬかと思ったところでゴリラに助けられたって、ありがとうゴリラさん!とはならねぇわ。意味がわからねぇわ。
「…聖獣、様」
イケメン君が俺を凝視しながらぽつりと呟いた言葉に、俺は疑問符を浮かべる。せいじゅうさま、とは?
確かに俺は子ゴリラではなく大人ゴリラであり成獣だと思うが、何故に敬称の様を付けるのか。
てか、助けたはいいけどイケメン君をこの後俺はどうしようね?森の外まで送ろうにも、どっち行ったら早く森を抜けられるのかとか人里が何処かとか俺は知らんよ。うさぎさんに聞くべきか?
俺はそうイケメン君と見つめ合いながら逡巡していたが、どうやら俺が答えを見つけるよりもイケメン君が頭の中を整理し次の行動を決める方が早かったらしい。
イケメン君は突如、俺に土下座した。
「私の名はダニエル。身分はゴルボード王国の王宮警備騎士です。この度は、無礼を承知で聖獣様に我が願いを聞いて頂きたく参りました」
うん、よくわからん。
俺は表面上は真面目な顔で話を聞きながら、頭の上に疑問符を浮かべた。
言葉はわかるんだけど、固有名詞とか専門用語とか出されても、ゴリラこの世界来てまだ三日だからさ?王国の名前濁点多いねとか、王宮警備騎士ってよくわからないけど格好良さげだねとか、そんなアホな感想しか抱けないわけよ。
そんな俺の困惑などいざ知らず、イケメン君ことダニエル君は話を続ける。
「我が願いは、聖獣様に伝えるようにと命ぜられた王命とは異なります。私の命はどうなっても構いません。ですが、どうしても…どうしても叶えたい願いなのです。私はその願いの為だけに生きて参りました」
俺の背中から降りたうさぎさんがその場にごろんと寝転がる。伏せではなく身体を横たえたのだ。その視線はダニエル君を捉えてはおらず、実に…退屈そうだ。
うさぎさんのダニエル君への眼中の無さがやべぇ。うさぎさん、今ダニエル君腕からまだだらだらに血流してるのも構わずに、たぶん俺に本気の一生のお願いしようとしてるんだよ?もうちょっと興味持ってあげられない?
俺と視線が合ったうさぎさんは、半目だった。ダメらしい。うさぎさんはダニエル君に興味ゼロです。
…俺は真剣にダニエル君の話を聞いてあげよう。俺の事せいじゅうさまとかよくわからん呼び方して来るしめちゃくちゃハードル上げて来るけど。それが本当に俺に出来る範囲の事なのかにも疑問があるけど。聞くぐらいは、せめて真面目にな。
「聖獣様…どうか、どうかお願いします。罪も無いのに世界の為にと犠牲にされ悲劇に身を投じている我が恩師を、聖獣様のお力でお救いください」
ダニエル君は土下座している頭をさらに地面にめり込ませるようにぐぐっと下に下げた。これは本気土下座だ。
でも肝心の俺には話の内容がふわふわし過ぎて何も伝わっていないよダニエル君。でもこの時点でも話が壮大過ぎて、俺の力でどうこう出来ない範囲である気がひしひしとするよダニエル君。
「私と共に、天使の収監所まで来てください…っ!!」
ダニエル君が恐らく全身全霊の誠意を持ち悲痛に叫ぶ。
俺は、なんか凄ぇファンタジーっぽい固有名詞出て来たぞ…というふわふわとした認識のまま、地面にちょっとめり込んでいる土下座を続けるダニエル君に自分の頭を掻いた。
全然願われてる事がどんな事なのかわかってないし、何でダニエル君がゴリラな俺に頼んでるのかもわかってない。
だけどこの世界で初めて会った人間な彼が、きっと凄く良い奴なんだろうなというのだけ、わかった。胸に響いた。
だってゴリラ相手に、命乞いをするでも無く他人を救って欲しいとこいつは土下座してるんだ。その場しのぎなんかじゃない本気の土下座なんて俺は見た事が無い。
王宮警備騎士って、たぶん結構偉い立場なんじゃないかなと思う。そんな奴が、男が、自分のプライドをかなぐり捨ててでも救いたい人が居るらしい。
俺は一つ、ため息を吐いた。
「ウホ、ウッホホ(いいよ、俺が何をどこまで出来るかはわかんないけど協力してやるよ)」
俺は恐らくとんでもなく大変だろう事を安請け合いする言葉を吐いた。
とは言っても言葉はゴリラ語なので通じないだろうから、ダニエル君の両肩を押して上体を起こさせ、潤んだ目で顔を上げたダニエル君にいい笑顔で頷き親指を立てた。
ダニエル君は一筋の涙を流し、ありがとうございますとまた土下座した。
俺が人間で相手が美少女なら恋が動き出すところだが、残念ながら俺は雄ゴリラで相手はただのイケメンなので、俺はダニエル君の背中を軽くポンポン叩いて慰めた。男の友情である。