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朝から俺の後ろをぴょんぴょこ付いて来るかわいいうさぎさんが、思いの外火とか吐いちゃうかなり強力なモンスターだった。
マツタケもどきをお腹いっぱい食べた頃には俺もその事実を受け止めていた。ちなみにうさぎさんにもマツタケもどきを差し出してみたが首をふるふる振られ拒否された。
まぁね、うさぎさんがいくら強くてもしかしたら俺なんて一瞬でゴリラの丸焼きに出来る存在だったとしても、うさぎさんは俺に敵意無さそうだから何も問題無いよ。強さ差別はいけないよ。勇者が魔王倒したら化け物扱いとかも前世じゃありがちなファンタジーの展開となって来ていたけど、そんなに強い相手をわざわざ自ら敵に回すなんて正気じゃないよね。
それにうさぎさんを見てくれ。こんなにふわふわで愛くるしい。強さなんてこの可愛さの前では所詮飾りに過ぎないんですよ。可愛いは正義。
「ウホッホ(自分、ちょっとお花摘みに行ってきます)」
ちょっと下手には出るけどな!
俺はぺこりとうさぎさんに頭を下げ、前置きをしてから木陰でトイレを済ませた。柔らかい木の葉は思っていた以上に使えて、安めのトイレットペーパーぐらいには尻の拭き心地が良かった。
さて、焚き火をそのままにしておくなんて森のマナーがなっていない事は出来ない。
しかし多少の焚き火なら何とかなるだろうと思っていたが、あんな立派な焚き火となると…バケツみたいなものがあればいいんだが、そんなもん自然界に無いよなぁと悩みながら一先ずうさぎさんの待つ焚き火の元に戻った。
口からホースのように大量の水を放出しているうさぎさんが、焚き火をきれいに消していた。
俺は沈黙した。
「キー」
俺に気付いたうさぎさんが走り寄って来てドヤ顔をする。
うさぎさんの能力が高過ぎて、俺はもうどうしたらいいのかわからないよ…俺の望む事をさくさく熟してくれるけど、どう考えてもうさぎさんの方が俺よりも強いし俺の方がうさぎさんの為に働くべきな気がする。
可愛いけど、うさぎさんの方が目上の方として接するべき存在なのではないか?うん?
「ウホウホホ…ウホォ(何でうさぎさんは俺に付いて来てくれるんだろうな…俺がうさぎさんの言葉を理解出来ればよかったんだけど)」
「…キー!」
うさぎさんはちょっと考えるように沈黙した後、大きく鳴いて俺の脚に擦り寄ってきた。萌えた。
そうだよな、言葉なんて些細なものだ。生物とはハート。言葉なんて必要ない程に相手を思いやり行動で愛を示し、心が通じ合っていれば何の問題も無い。
俺がゴリラじゃなくうさぎだったら、もしくはうさぎさんがうさぎじゃなくゴリラだったら、うさぎさんに求婚していたところだった。慣れない土地で優しくしてもらった、なんて恋に落ちるパターンとして王道じゃないか。
それはそうと、さっきからうさぎさんが何も食べ物を口にしていないのが地味に気になる。
「ウホッ?(うさぎさんご飯食べなくて大丈夫なんです?)」
うさぎさんは俺の言葉にぴたりと動きを止めた。鼻だけは変わらずひくひく動いているけど。
うさぎという生き物は寝ている時とよっぽどリラックスしている時以外はそういうものだと理解はしているが、裸でまだ水浴びしていない身としては体臭が気になって来るな。
俺が不安になり自分の二の腕あたりの臭いを嗅ぎ始めた所で、うさぎさんが動いた。
後ろ足で立ち上がり、座り、前足で地面をたしたしと叩く。俺を見る。
…うん?
俺が首を傾げると、うさぎさんはまた同じ動作をした。
後ろ足で立ち上がり、座り、前足で地面をたしたしと叩く。俺を見る。
「……ッホ?(……座れ?)」
うさぎさんがこくこくこくと何度も頷く。
俺は、これお説教始まるのか?正座の方がいいのか?と思いつつも一先ず普通にしゃがんでみた。ゴリラの身でも正座は出来なくは無さそうだから、怒られたら正座しよう。
怒られてからしか直そうと思っていない、人としてもゴリラとしてもクズの姿勢。
うさぎさんは特に怒らず、しゃがんだ俺を見ながらまた地面をたしたしと何度も叩く。
な、何だろう?
うさぎさんは俺が理解していないと察したらしく、少し動きを止めた後、今度はその場に寝転がった。あら可愛い。縦に伸びてる。
そのまま俺を見てまた地面をたしたし叩いたうさぎさんに、何となく察した俺も寝転がる。
うさぎさんはまたこくこくこくと頷き、自分は座っている態勢に戻った。
「キー」
一鳴きして俺を見ながら再度地面をたしたしした後、うさぎさんはくるりと背を向けて茂みの向こうに走って行った。
寝転んでやっとほぼ同じ高さになった傾いた視点で、小さなしっぽがぽちっとついたふわっふわのうさケツを目で追った後、うさぎさんの姿が見えなくなってから俺は理解した。
待ってろ、って事か。
じゃあお別れだな、とならずにちょっと此処で待っててねとお願いしてくれていたわけか。可愛い。
でも俺、全然付いて行ったのになぁ。うさぎさんが草か何かをむしゃむしゃ頬張り小刻みにお口動かして食べる姿なら、何時間でも飽きずに見ていられる自信あるよ?
食事風景なんて見せられないっていう恥ずかしがり屋だったのだろうか。それとも遠慮してたとか?
うーん…言葉なんて要らないハートがあれば、という考えを撤回する気は無いが、やっぱり細かいコミュニケーションを取るのとかそのハートを相手に伝える手段として言語は通じ合っていた方が便利なんだよなぁ。
俺からの言葉はたぶんうさぎさんに通じているんだけど…これってどういう事かな?俺、もしかして口は動物語を自動で話しているけど、耳は人間の言葉を聞き取れる仕様なのか?…なんだよその中途半端。会話のキャッチボールじゃなくドッチボールじゃねぇか。どっちかに寄って耳と口両方機能する状態の方がよっぽど嬉しかったわ。
異世界なんだし、言語翻訳出来るものあったりしないのかな?翻訳魔法とか、精霊水とか、神の果実とか、そういうの。
まぁそんなのあったとして、ある場所も使える人が何処に居るかもわからない上に存在も不確かなのに無鉄砲に森を出る気は無いけど。
俺が寝転びながらつらつらと考え事をして十分足らず、早くもうさぎさんが帰って来た。
「ウホ?(もうお食事終わったの?)」
「キ」
うさぎさんは頷く。早いな。
うさぎさんは俺の横に伏せ、じっと俺を見ている。俺の行動を待っているんだろうか?
えーと…じゃあ、また探検でも行こうかな。
食べられるものはどれだけ把握しておいても得しかないし、もう少しこの一帯について調べておきたい。
俺が起き上がると、うさぎさんも起き上がった。うさぎさんを後ろに伴い歩く。
道中、俺がこれ食べられるのかなと草や木の実の匂いを嗅ぐ度、うさぎさんが同じ物を咥えわざわざぺっと吐き出したり食べるふりをしてくれたお陰で、どれが食べられるのかよくわかった。
なんて優しくて優秀なうさぎさんなんだろう。
しかし別に食べられるならそのまま食べればいいと思うんだが、何で食べないんだろうな?もしかして異世界の風習で他生物の前ではなるべく物を食べないなんてものがあるとか?野生なのに?そんな事一々気にする?
そんな異世界生活二日目だというのに、和やかで穏やかな危機意識一つ持っていなかったこの時の俺に、神様がイラッとしてしまったのかもしれない。
前方に大きな川を見つけた俺は、やっぱり何の危機感も抱かずに行ってみようと思った。
綺麗な川では無かったから飲み水や水浴びには向かないまでも、魚とか水辺にしか生えない美味しいものがあるかもしれないし。
そんな俺の夢と希望は、水辺から半分だけ顔を出した灰色の生物に見事に吹き飛ばされた。
俺が冷や汗を流すと同時に、灰色の生物が欠伸をした。その口はあまりにも大きく、強靭な顎と牙を見せつけるようで――
カバやん。
俺は真顔になった。
カバは、水辺の支配者だ。体長目測四メートル、体重は確かトン越え。基本草食だが、縄張り意識が強く獰猛。体格に似合わない水の中での俊敏な動きはもちろん、陸上でもかなり早く走って来る。一度テレビか何かでワニを食い殺す姿を見た事もある。
…刺激しないように、そっと逃げましょう。
ゴリラじゃカバには勝てませんよ。大きさも倍差があるし、体重は五倍ぐらいは差あるんじゃないか?無理無理。敵前逃亡待ったなしですよ。
俺はそろそろと、後ろ歩きで逃げ始めた。うさぎさんは俺を見て首を傾げている。
いやいや君、いくら火を出せてもその体格なんだからもうちょっと危機感持たない?ねぇ?そこにカバさん居るの見えない?見えなかったのかな?
俺はうさぎさんを気にして、足下の警戒を怠った。
結果、でかい木の枝を見事に踏み抜いた。
バキベキャキッ!!
豪快で派手な音が一帯に響き渡り、俺は血の気が引いて行くのを感じた。そーっと、カバの方を見る。目が合った。
蛇に睨まれた蛙とカバに睨まれたゴリラは同意義である。俺は逃げる事も忘れ、はわわと魂を口から飛ばしながら固まるしか無かった。カバが陸地にのそのそと上がり、明らかに此方へと近づいて来る。
やめて、ゴリラ美味しくないよ。さっきうさぎさんに教えてもらった美味しい草取って来るから平和的に行かない?行けない?水草は詳しくないからダメ?問答無用?
視界の隅で、うさぎさんが動くのが見えた。
俺は、そうだ、君だけでも逃げてくれと震えながらもうさぎさんが逃げ切れる事を神に祈った。
思えばうさぎさんには本当に良くしてもらった。うさぎさんの小ささなら逃げ切れるだろう。アイツは今、俺しか見えていない。俺が少しでも時間を稼げれば…!
俺は勇気を振り絞り、一歩カバに向かって踏み出した。この一歩は小さい。だが、これは俺の勇気の証。戦う覚悟だ!!
俺は真っ直ぐに前を睨みつけた。
うさぎさんがカバの前にちょこんと座っていた。
……ぅおい、どういう事だぁあ?!
俺は困惑しながらちょ、ちょっと!と慌ててうさぎさんの元へと駆け出した。
そうしている間にも、うさぎさんは明らかに全力の火力じゃないチャッカマン程度の火をカバの顔に吹っ掛ける。
カバは顔を振り、明らかに怒った声で唸った。
何やってんの?!ねぇ、何やってんのあのうさぎさん?!今の行動、俺の目には挑発にしか見えなかったんだけど?!
やっと二匹の所まで着く、という所でカバはゆらりと動き俺を思い切り睨みつけて咆哮した。
「ガァアァアアア!!!」
俺は漏らしそうになった。
うさぎさんは脇に避け、何故か伏せったリラックス態勢で俺達を見ている。俺と目が合うと、しっぽをぴょこっと揺らす。
「キ」
わからない。言っている事はわからないんだが、状況を見るに挑発するだけして俺に丸投げされた気がする。おい待てよ、キじゃねぇよ。
俺の動揺と錯乱などいざ知らず、何故かうさぎさんじゃなく俺のみを狙っているらしいカバが大きく口を開けた。
視界いっぱいに広がる口に、俺は本能的な食われる事への恐怖を覚え戦慄する。死にたくない。
俺は咄嗟に、ソウルフレンドこと松明もどきを地面と垂直に、カバの口内へとストッパーにでもするように差し込んだ。
喉を突き刺した所で顎を閉じられたら終わり。と考えての事だったが、一拍後どっちにしろ松明もどきが折り砕かれて終わりだと気付いた。絶望。
しかし、松明もどきは砕けなかった。
「ぁぐ、が…!」
カバが閉じない顎に動揺したように唸り声を上げながら、届かない前足をひょこひょこと動かす。
口が閉じていないという事は今にも食われそうという感覚もまだまだ抜けないもので、俺は明らかに優位に立った状況にも拘らずそこで勝機とばかりに攻撃に打って出る事は出来なかった。
何とか無力化出来ないか。そう必死に回らない頭を働かせた結果、策を思いつく。
俺はさっとカバの側面に回り、まだあがあがして俺に注視できていないカバをえいっと押した。一トンは越えているだろうカバだから相当な力が居るだろうと思ったのに、容易く転がった。カバは横倒しになった。
口を大開きにした不安定な状態!しかも陸上で!横倒し!起き上がれまい…!
とてつもなく地味な攻撃で、俺ことゴリラはカバに勝利した。