13
白に支配された密閉空間から脱出した直後に見る夕焼け空と自然の景色は、数時間しか中に居なかった俺でさえ大層美しく思えた。
ではそんな俺以上にずっとずっとそんな場所で暮らして来たココさんの目にはどう映るのか。
俺は一番後ろを恐る恐る歩いて来ているココさんを見た。俺の半分ぐらいの身長しかないココさんは恐らく今心細い気持ちなんだろう。余計小さく見える。
ココさんは俺のすぐ隣まで歩いて来ると、深呼吸をしてから意を決したように顔を上げた。
ココさんの目が見開かれる。
続けて口を開閉はするものの何も言葉は発せられていなく、彼女は暫くの間ただただ正面を瞬きもせず呆然と見ていた。
そんなココさんを見ていると何だか俺の方が泣きそうになった。ココさんは何年ぶりに外に出たんだろう。まさか五年ぶりなんて事は無いと思いたいが…。
「ウホ、ウッホホ(天使の収監所なんて言うけどさ、やっぱ天使は自由に走ったり飛んだりしてるべきだよな)」
「天使の…収監所…?」
目の前の景色に目を奪われていたココさんが、俺の言葉に反応し不思議そうに繰り返す。それと同時に、視界の隅でダニエル君の肩が跳ねた。
何かあったのかとダニエル君を見ると、何故かさっと勢い良く視線を逸らされた。何だこいつ…今更になって久しぶりに会ったココさんに対して緊張してるなんて言わないだろうな…。
「あの、聖獣様…天使の収監所とは…?」
「ウッホホホ…ウホ?(この、ココさんが居た研究所みたいな所がそう呼ばれてるって聞いたけど…ココさん自身は知らないの?)」
「はい、私はそんな話一度も聞いた事は…。授力の研究や活用の為に連れて来られた動物の皆からも聞いた事はありませんでしたし」
おや?誰も知らないのか。結構マイナーな呼ばれ方だったんだろうか?
俺はダニエル君を見る。ダニエル君は明後日の方向を向いたままだ。何だこいつ、やっぱり様子おかしいぞ。
「ウホ?ウホホ?(ダニエル君?なんか挙動おかしくない?)」
「……あの、聖獣様。畏れながら質問させて頂きます。その天使の収監所という名称はもしかして…ダニエルからしか聞いていませんか?」
「ウ?ホホ。ウホ、ウホホッ(え?うん。って言っても、今まで俺に話し掛けて来た人間ってダニエル君かさっきの収監所ボスだけだけど)」
「…成る程、よくわかりました」
俺には全くわからないままなんだがココさんは何かを理解したらしく、静かに頷いた。それからダニエル君の方を見る。
「ダニエル」
静かに名前を呼んだココさんに、ダニエル君はジャンプしながら身体を半回転させココさんの方向に向けると、そのまま膝を折り畳み地面に着くと同時に首を垂れた。
…な、何という流れるようで無駄な動き一つ無いクイックな正座…!こいつ、慣れていやがる!!
「ごめんなさい。最初は俺の脳内でだけ呼んでいたんですけど、気づいたら口からも出ていました」
「…はぁ、信じられない…人の事勝手に天使呼びって…ハードル上げられるのは私なのに…」
ダニエル君の潔い謝罪にココさんが頭を抱える。…ん?つまり?
「ウホ、ウッホ?(天使の収監所って、ダニエル君が呼んでただけで一般的な名称じゃなかったって事?)」
「はい、そうです…。この研究所の正式名称は生物翻訳授力研究活用所と言いまして、人間の役に立つ素晴らしい研究所であるという考えが一般的です。そんな悪どい呼び方をしているのはダニエルぐらいのものですよ」
あ、へー。そうだったんだ。俺、一般常識全然無い異世界生活三日目の森のゴリラだから全然違和感も覚えなかったよ。
あーでも、そういやダニエル君がこの世界の獣人は立場が低いみたいな事を言っていたような。だからそんな好意的な解釈が一般的だったんだろうな。思えば、もし天使の収監所なんて広く呼ばれてるようなら、もっとココさんを助け出そうとする動きがダニエル君以外にあっても良かったはずだ。
「…研究所の話はもういいです。一先ず、当面の予定は王宮へ行くんですよね?もうすぐ暗くなるでしょうし近くに町もありませんから、野宿になると思うのですが…聖獣様はそれで構いませんか?」
王宮行くの?…ああ、ダニエル君が王宮護衛騎士だったっけ。そっち関連で今回の件の後処理やら何やらがあるのかもしれない。それは俺も行くべき…か。そうだよな、俺も一応当事者のような微妙な立場だし、なんか事情聴取みたいなのされるのかもしれない。
ゴリラが野宿するのは当たり前の話なんだし、と俺はすぐに頷く。
…あ、そういや言葉通じるんだったな。これからはココさんと居る時はどんどん自分の意思を伝えて行こう。
「ウホッホ。ウホッ(じゃあ研究所から少し離れたら野宿な。暗くなって来たし松明もどきで明かり点けて行こうか)」
「…た、」
た?
俺が至極真っ当だと思われる意見を出して松明もどきに明かりを灯し歩き出そうとすると、ココさんが思わず出てしまったとばかりに呟いた。
ココさんを見ると、俺を引きつった笑顔で見ている。え?何?俺何かした?
俺の疑問の視線に、ココさんは逡巡するように下を見て黙り込み、数秒後顔を上げて何かを呑み下したような少しだけ迷いの消えた顔で、だけど重そうに口を開いた。
「……いえ…聖獣様の前では伝説の聖武器と言えど松明もどき…その程度のものなのかもしれませんね…」
デンセツノセイブキ?
え?…え??
「ウッホ、ホ?!ウホウホ?!(薄々そうじゃないかと思ってたけど、これやっぱ凄い物なの?!俺が松明もどきとして使うなんて烏滸がましい品?!)」
「いえそんな!聖棍ラリゴールドファも聖獣様に使って頂けて幸せだと思います!」
なに?!精魂ゴリラドルフィン?何て言ったココさん?!
俺とココさんがわたわたと譲り合いのような何かをしていると、このままでは埒が明かないと判断したのかダニエル君が近寄って来た。
「事情はよくわかりませんが、僭越ながら聖獣様はもっと堂々としていてくださっていいと思いますよ。聖獣様の行いに文句をつけるような輩など、魔王やその配下ぐらいなものです」
わかってないくせに大きく出たな、ダニエル君。ただのゴリラに生まれ変わっていつの間にか超重要アイテム丸出しな伝説の武器を日々の雑用に使ってたのに堂々として居られるわけないだろ。むしろこの場面で胸張ってたらただ開き直っただけの馬鹿だよ。
「そうです。それに聖武器を扱えるのなんて聖獣様ぐらいですから、使わないでご大層に飾られているより松明もどきとしてでも使った方が宝の持ち腐れにならずに済みます。武器は使ってなんぼですよ」
わー、俺が馬鹿なばっかりに丸め込まれてしまう!良い反論の言葉が浮かばない!てか俺ぐらいしか使えないってどういう事?
せいじゅうさまにせいぶきって、まさかこの二つの言葉の最初についているせいの字に当て嵌まる漢字は聖だったりするの…か…?聖属性の武器が聖属性の生き物にしか使えないというのだったらRPG的には理解しやすい。
けど!ゴリラが聖属性なんてそんな馬鹿な!明らかに物理の無属性とか、譲歩しても木属性やら土属性やらだろう!
「では、つい立ち話をしてしまいましたがそろそろ移動致しましょうか」
俺が自分の属性について苦悩していると、俺の負けっぽい流れで話が進んでしまった。ここで話を蒸し返し面倒臭いゴリラになった所で口で勝てる気もしない俺は大人しくダニエル君に頷き歩き出した。俺は丸め込まれたゴリラ。子ども番組のマスコットだけど大して人気は無い健気なまるまるゴリくんだ。キャラ設定は今三秒で決めた。そしてもう捨てた。
無事、野生動物にも野盗にも襲われる事無く野営場所に移った俺達は、松明もどき――正式名称覚えられなかったしもう開き直った馬鹿としてこれで通す事にした――を使うより野生動物を寄せ付けない効果もあるので薪を集めうさぎさんの力により一瞬で火を点けてもらった。うさぎさんマジ優秀。仕事出来る子。
俺は脳内でうさぎさんを褒め称えながらその頭から背中までにかけてを優しく撫でる。うさぎさんが気持ち良さげに目を細めた。かわいい。
うさぎさんは凄いよなぁ、こんな小さいのに。いったいどんなご飯食べたら火なんて吐けるように――
「ウホ!ウホッウホ!ウホォ?!(てか、そうだ!うさぎさん朝から何も食べてないじゃん!大丈夫なの?!)」
食事も与えず仕事だけさせるってどんなブラック団体?!と俺は大いに慌ておろおろしながらうさぎさんを見る。
「…キキ」
「…『一日飯抜くぐらい問題無いッス。聖獣様にお気に掛けて頂けて自分幸せッス』と、言っています」
凄いココさん。うさぎさんの言葉もわかるんだ!でもその口調は何なんだ?俺の時みたいにココさんのうさぎさんへのイメージがそうさせてるのかな?そのイメージ謎過ぎて俺の中のうさぎさんと全然合致していないんだが?
あ!てか、今はっきりとわかった真実!うさぎさんは俺からの言葉は正確に聞き取れてたのか!成る程、俺のウホウホ言っちゃうあれは動物言語な訳ね!…やっぱり常に人間とも動物とも一方通行なのが俺の宿命なのか。ぼっちにならなくて良かったぁ。
いや、そんな些細な問題より今はうさぎさんの食問題だ。うさぎさん自身は問題無いと言っているらしいが、俺にとってはとても問題です。
「ウホ、ウホ?ウホッ?(ココさん、うさぎさんって何食べるの?もしかしてこの辺では手に入らないもの?)」
「いえ、そんな事は。キラーラビットは肉食ですしこの辺りにも普通に動物は居ますよ」
へぇ、うさぎさんってうさぎなのに肉食なんだ。見た目はどう見てもうさぎだけど身体の構造は結構異なるのかもしれない。まぁ、火とか水とか出せるぐらいだし当然か。
でも待って?ただの肉食なら何でそんなに頑なに俺の前では食事してくれないの?食べてるとこ見られるのが恥ずかしいの?乙女なの?かわいいね?うさぎさん雄だけど。
「キラーラビットの食事か?なら、聖獣様の前でする訳にはいかないだろう。護衛は俺達がするから行って来ればいい…ココ、通訳頼めるか?」
「うん。…キ、キキー」
「……キ」
「キキ」
「…キー」
成る程、此処が天国だったか。
俺はココさんとうさぎさんがキーキーとよくわからない会話をするのを見て、自然とそう思った。この光景を見ているとかわいいは正義だとはっきりとわかりますね。
もし俺が人間の言語を聞き取れないタイプのゴリラだったらココさんにウホウホ言わせる羽目になっていたかもしれないという事実は端に追いやり、俺は和んだ。
やがてココさんと俺が幸せな空間を作り上げていたうさぎさんが、俺をちらっと見て一声鳴く。
「キ」
そして背を向け、走り去った。どうやらご飯に行く事に同意してくれたらしい。良かった。
「ちなみに今のは『行って来ます』と言っていました」
「ウホッ!ウホホー!!(行ってらっしゃい!うさぎさん行ってらっしゃーい!!)」
俺はうさぎさんに届くようにと大声で叫んだ。背中向けてるし見てないだろうけど両手も大きく振った。
ちゃんと俺に挨拶してから行ってくれるとか俺の萌えが止まらないんだが。うさぎさん雄だけど。
「…ウホホ?(…ところで何で俺の前で食事する訳にはいかないの?)」
「それはもちろん、聖獣様に血を見せる訳には行きませんので」
ただの過保護かよ!!理由浅過ぎてビビったわ!