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天使の収監所に忍び込み、ダニエル君を先頭に音を立てないよう移動する事約五分。真っ白な室内は観葉植物の一つも無く、部屋のドアに貼ってある札の文字も読めない俺はすっかり自分では何処を走っているのかわからなくなっていたが、曲がり角の前でダニエル君が足を止めたので俺もそれに準じて立ち止まった。
「…研究員が居ます。聖獣様、お願いします」
ダニエル君の小声に頷きうさぎさんを床に降ろした俺は、深呼吸を一つしてから松明もどきを握り締め角から飛び出した。
相手の顔を認識する隙さえ無く、人型を確認した瞬間に相手の頭目掛けて松明もどきを振るう。
ちちんぷいぷい、気絶しろ!
松明もどきから思惑通り光の光線が放たれ、一瞬で研究員に辿り着いたそれは研究員に当たると消えた。
失敗かと思ったが、すぐに研究員がその場に後ろから倒れたので成功を確信する。念の為走って行って胸に耳を当て腕に手をやると心臓音も脈拍もあった。本当にただ気絶したらしい。
体重のやけに軽い研究員を引きずって壁に寄せ、ダニエル君を振り返り頷く。このアイコンタクトの感じ…秘密組織のエージェントっぽくてテンション上がる…!
「ありがとうございます。…急ぎましょう」
しかし応えるダニエル君の方のテンションが低い。まぁ、そりゃそうだよね。ダニエル君は真剣に好きな人を助け出そうとしてるんだもんね。
いや俺もわかってるんだ。何度も何度も真剣に考えようとしてるんだけど…何ていうか、カバさんと戦ったのが俺の中で一番の死にかけた体験で、それも昨日の話で、あれに比べちゃうとどうしてもあんまり危機感を抱けなくて…俺がしてる攻撃方法が自分の力を一切使わずただ松明もどき振ったらファンタジーに解決するだけってせいもあって現実味も薄いし…。
でも罪悪感が酷いから、ココさんを助け出した暁にはダニエル君のプロポーズに至るまでの演出に一躍買おう。恋のキューピッドをするには俺の見た目が少々問題があるが、そもそもダニエル君の容姿と性格と地位なら助けなんて必要無いだろうからな。何なら結婚式の余興でゴリラダンス踊ってやってもいいぞ!
俺達はそれから、特に目立った障害も無く人を見つける度松明もどきで気絶させながら、只管階段を降りては忍び歩き降りては忍び歩いた。
松明もどきの光線に回数制限があるんじゃないかと途中ふと不安になったが、今の所光線が弱まる気配は無い。
地下三階まで辿り着くとずっと険しい顔をしていたダニエル君の口元に弛みが出てきた。こういう時こそ油断禁物で危ないといえば危ないんだろうが、もうすぐ何年も会えなかった好きな人と会えるんだから喜んで当然だろう。
「この階に、一番奥に、扉の向こうに、ココが居るんです。ココ、ココ、ココ…」
無理やり笑い出すのを抑えているような表情でココココと繰り返すダニエル君は、頭のネジが数本飛んだ鶏のようだった。
最初と比べて警戒不足にふらふらと早足に進む様は、見るからに危なっかしい。俺は松明もどきで片っ端から研究員を気絶させながら何とかそれをカバーする。
ココさんが中に居るという扉を見つけてからのダニエル君に至っては、最早全ての雑事を脳内から消し飛ばしてしまったように扉に向かって全力疾走してしまう。流石にここまで行くと俺だけでは手が回らず、うさぎさんも高圧の水で研究員達を吹き飛ばし協力してくれた。手段として火じゃなく水を選んだ辺り、うさぎさんは心優しい子。異論は認めない。
俺の思考がまた緊張感の無い方向に流れて行っている一方、ダニエル君を主役とするなんかイケてる物語は盛り上がり所を迎えていた。
「ココ!…助けに来た!!」
鉄のような材質に見える重そうでぶ厚い扉を軽々しく開け放ち叫ぶダニエル君、マジ勇者。演出として是非ともこの後ろ姿には逆光を加えたいところ。
そのまま中に入って行くダニエル君に続き、扉が一度閉まり分断される訳にはいかないので、俺は閉じようとする扉を慌てて腕で抑え中に滑り込んだ。足下をうさぎさんも駆け抜けて行ったのを確認し、扉を閉める。扉は意外にもメチャクチャ軽かったので見掛け倒しだと思ったが、これがダニエル君のイケメンっぷりに一躍買っていたのでそうあるべくしてそうだったんだろうと思い直す。
そうして部屋の中に入った俺は一目見て凄そうなコンピュータ系の電子機器で囲まれた内装に気後れしながらも、奥の透明で分厚そうなガラスに囲まれた部屋に座り込み、呆然とダニエル君を見ている一人の獣人に目を留める。
状況からいってこの人が、ダニエル君の命の恩人で憧れの意中の人…彼を昔森の動物から格好良く助け出した獣人さん…。
……あれ?
「ダニエル…何で、此処に…なっ?!せ、聖獣様?!」
そう可愛らしいソプラノで叫ぶ彼女は、俺の想像上のココさんとはだいぶ異なっていた。でもダニエル君の名前を呼んでいるんだから彼女がココさんでたぶん間違いは…んんー?
……おかしい。どういう事だ。
普通に考えて、俺とダニエル君のドッチボールでさえないただ俺がダニエル君にボール投げられる、とそれだけ聞くといじめみたいに思える会話のせいで齟齬が生じていたんだろう。
いやでも、アイツ恋がどうとか…後、ココさんがダニエル君を助けたのは十年前で…ええぇ?
何でココさん、どう見ても小学生ぐらいにしか見えないプリティー美幼女なの…?
ダークグレーのケモミミとしっぽが明らかに萌え要素になってるし、桜色のサラサラなウルフヘアの髪の毛とか金色のちょっとつり目なぱっちりしたおめめとか、そりゃ確かにその手の人にはモテ…、モテ……?
…あ、もしかしてダニエル君ったら完璧イケメン君に見えて正しくその手の…?ふ、ふーん?
まままぁ待て、落ち着け俺。まだそうと決まった訳じゃない。ココさんの見た目がそうだからと言って中身と年齢が一致するかは話が別だ。獣人なんてファンタジーな存在なんだから、いっそ百歳ぐらいかもしれないし。
それに、獣人の中でも耳としっぽぐらいしか人間と異なる部分が大きく存在しないココさんならまだノーマルな方の性癖と言えるだろう。
…少なくとも真実を聞くまでは俺の中でのダニエル君の尊厳を保とう。そしてその真実が何だったとしても、冷静に対応しよう。
「ウホ、ウッホ(まぁ事実が何にせよ、しかし俺が思ってたのとココさんはあまりに違うな)」
俺はいつも通りに、足下で毛づくろいでもしているのか何やら細かく動いているうさぎさんみたいに動物にしか通じない言語で独り言を吐いた。
俺の中でココさんは格好良い系のお姉様戦士なイメージだったから、想像との差が大き過ぎるんだよな。
ちらっとココさんを見ると、さっきまでは驚いてはいたが普通の顔色だったのに何故か急に蒼ざめていた。具合でも悪いんだろうかと心配になっていると、俺より心配したらしいダニエル君が腰の剣を抜いてガラスを叩き割り、ココさんの元まで行っていた。過激だな、おい。
ココさんは駆け寄って来たダニエル君を見るとハッとする。抱き締めるようココさんに向けて手を伸ばしたダニエル君に応えるよう、その頭をかき抱くみたいに腕で包み込み――
床に向かって思い切り叩きつけた。
「うぐっ?!」
ダニエル君が苦悶の声を上げると、ココさんはさらにダニエル君のサラサラなイケメンヘアーをわし掴み思い切り捻る。
「い、痛、っ痛い!ココ?!」
そんな力技でぐるんと半回転させられ顔が床とこんにちはしているダニエル君の頭頂部を見ながら、俺はおろおろした。
何これ?プロレスの試合かなんか始まってた?ごめん俺、格闘技とか詳しくなくてさ。それともSM、もしくはDVとか…?獣人特有の愛情表現…?
「聖獣様、ま、まさかダニエルに騙され此処に連れて来られてしまわれたのですか?!あぁあ…どうかお赦しください、ダニエルも悪気は無いはずなのです…!この通りダニエルも反省をしていましてっ」
ダニエル君への対応とは異なり、ココさんは俺には何故か平謝りした。強制的に俺に頭を下げているみたいな格好を取らされているダニエル君の隣でココさんも頭を下げている。
…?俺ダニエル君に騙されてるの?初耳なんだけど。ゴリラ置いてきぼり。
「ウッホウホウホ(事情は詳しく知らないけどダニエル君を助けるって俺が自分で決めて来たんだし、大丈夫ですよ)」
「そうですか…聖獣様の寛大な御心に私からも感謝申し上げます。ほら、ダニエルも」
「…ありがとうございます、聖獣様」
いやいや、ダニエル君は俺の言葉わかってないし何の事だか意味不明だろ。そんなココさんに言われたからってほいほい頭下げなくても…いや下げさせられてんのか。HAHAHA――
あれ、待って?おかしくない?ダニエル君は、って…そうだよ、さっきからココさんと俺の間で妙に会話成立してないか?俺、相変わらずウホウホとしか言えてないのに。
「ウ、ホ?(あの、ココさん?)」
「はい、何でしょう聖獣様」
「ウホ…ウホ、ホ?(えっと…もしかして俺が何言ってるか、わかる?)」
「はい。何かご質問やお話でしょうか?」
「…ウホ?ウホ?ウ、ホホ?(…え?え?あ、獣人、だからわかる、の?)」
「いえ、普通の獣人は人間と同じ言葉しか聞き取れも話せも致しません。私の場合は授力が全生物言語翻訳ですので…ダニエルからお聞きではありませんでしたか?」
じゅりょく…たぶん話の流れからして特殊能力の事だよな。そういえばダニエル君が、ココさんはそれのせいで此処に監禁されてるとか言ってたような。
また蒼ざめながらダニエル君の頭を思い切り床に打ち付けた愛らしい獣人さんに、俺は慌てて気にしてないからと手を振った。
「ン、ホ。ウホッ(いやうん、大丈夫。それより一先ずココさんを救い出さなくちゃな)」
ついでに話題も転換した。せっかくのイケメンが見るも無残な顔になっては、ゴリラは責任を取れないからな。全世界の乙女を敵に回したくないし。
そう思った結果の極当たり前な話の逸らし方というか元に戻した方だったと思うんだが、何故かココさんの顔色はまだ思わしくない。むしろ狼狽加減が増した気さえする。
「そ、そんな…聖獣様に救い出して頂くだなんて、私にそのような価値は…っ!」
必死に、せっかくの逃げ出すチャンスを自ら断るような事を言うココさんと、そんな彼女を険しい顔で見るダニエル君。まさかのヒロイン枠の少女が救出拒否。どうやらココさんはかなり自己評価が低い子らしい。ふむ。
「ウホ(あるよ)」
俺はココさんの目を見ながら断言した。
「(ダニエル君にとってはそうする価値があったから命懸けで俺の所まで来たんだろうし、俺はそんなダニエル君の願いを叶えてやりたいと思った。それだけの想いを持つダニエル君に心を動かされた。価値なんてそれで充分じゃねぇの?)」
結局、価値なんて結果論で自分じゃなくて人に勝手に決められるもんなんだから、たった一人でも世界で一番何より大事と思ってくれる人が居るならその人は価値のある人間…じゃないや、この場合は獣人、になるんじゃないかって、ゴリラはゴリラながらそう思います。
てか、今更救助拒否されてはむしろ俺が此処まで来た時間が無駄になる訳で。
「ウホ、ウッホホ?ウホウホ(俺をどれだけ大層な奴だと思ってるかは知らないけど、もう助けに来ちゃったからさ?ダニエル君の為に大人しく救われてやってよ)」
俺は言い聞かせるように、だけど半ば我が儘に意見を押しつけ、疑問系にはせず話を締めくくった。
こういう自分に自信無い子は、その方が人の為にもなるからってゴリ押して説得すると頷きやすい。ゴリラだけに。
「…っは、い」
堪えていたものを押し流すように大粒の涙を零しながら、けど確かに二度大きく頷いたココさんに、俺はよし上手く行ったようだと笑顔を向けた。
ダニエル君はココさんを抱き締める。
…。
あれでもこれ、俺が泣かせちゃってよかったのか…?今のはもしや、ダニエル君がイッケメーンな台詞を吐いて何ならプロポーズも一緒にしちゃう場面だったのでは?…プロポーズに関しては年齢差問題が浮上したけども。
うーん…けど目上の人が、すれ違い両想いな男女の仲人をして悟ったような事言うのも有りっちゃ有りか。俺が目上のゴリラというのも違和感があるし、ダニエル君はロリコンだとしてもココさんの気持ちがまだ謎だが、そこら辺は置いておいて。何にせよ、後はお若いお二人で、をするのは問題ちゃんと解決して此処を出てからだね。
ダニエル君もその辺は俺と同じ考えらしく、最後にまたぎゅっとココさんを抱き締めると、名残惜しそうにしつつも此方まで戻って来た。
これからどうするんだろうと思っていると、ダニエル君はココさんと会えたからか穏やかになった顔で俺の足下に声を掛ける。
「もう大丈夫です。俺の為では無いと思いますが…時間稼ぎをありがとうございました」
俺が疑問符を頭にポンポンポンと浮かべながらダニエル君の視線の先、足下を目で追うと、うさぎさんが俺達も通り抜けて来た唯一の扉に向けてかなりの出力で炎を噴き出していた。
材質が鉄だと思われる扉では、恐らく触れた瞬間大火傷するとんでもない高温になっているだろう。これでは人が入って来られるはずもない。
一瞬何事かときょとんとしてからはっとする。
そっか、そうだよね。ちょいちょいファンタジーだけどこれ現実だから、感動の再会のイベントシーンだからって敵は普通待ってくれないよね。変身ヒーローは変身中に袋叩きにされるもんだよね。
さっきまでの悠長な会話は、うさぎさんの地道な妨害のお陰で成り立っていたのか。俺どうせ俺以上に緊張感無く毛づくろいでもしてルンだろうなって思ってたのに、ごめんよ…そしてありがとううさぎさん。
ダニエル君をちらっと見て火を収め俺を見上げたうさぎさんを、すかさず抱き上げ頭を撫でた。
俺、頭良くないから交渉は予定通りダニエル君に丸投げしてうさぎさんを愛でてるからな。よろしく。