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いきなり目の前に悪魔が登場した。
俺は真っ黒で凶悪なお顔をじっと見ながら、あまりにも唐突過ぎて慌てるよりむしろ、えー?と反応に困った。恐怖を感じる隙も無い困惑だ。
「成る程、聖獣サマは俺ごとき警戒の必要もねェと」
悪魔が苛立たしそうに俺を見て言う。どうやら反応の薄い俺の態度が悪魔を怒らせてしまってるっぽい。そういう訳じゃなくて、ただの誤解なのに。
でも今からいきなりきゃーって怖がった反応してもわざとっぽいだろうし、困るわ。さらに困ったわ。
隣ではダニエル君が冷や汗を流しながら腰の剣に手を掛け構えているし、腕の中ではうさぎさんも毛を逆立出たせ悪魔を睨みつけている。誰もがピリピリした中、棒立ちでぽかんとしている俺だけが明らかに場違いだ。
「魔王様からのアイサツだけの予定だったんだが、やめだ。テメェにはチョット痛ェ目にあってもらう」
悪魔が細くて長い指と無駄に長い爪でびしりと俺を指差し、意地悪く宣言する。言い回しこそ小学生ぐらいのいじめっ子のようだと思ったが、実際悪魔で強そうだから困る。
痛い目にあうのは嫌なので、俺は今から謝ろうかと迷った。でもそもそもこの悪魔が俺のゴリラ語を理解してくれるかびみょ――
待て、魔王様から挨拶って何です?
「ウホホ!ウッホ?!ウッホォ?!(ちょちょちょ!何で魔王が俺達に挨拶なんて来るんですか?!俺魔王と幼馴染だったり学友関係だったりする過去とか無いんですけど?!)」
「あぁ?ウホウホ言われてもわかんねェなァ?命乞いかァ?」
結局わかんねぇのかよ!!わかれよ!!悪魔は語学堪能であれよ!!
――俺はこの時点でだいぶ、噛み合わない悪魔に理不尽な苛つきを感じていた。
「聖獣なんておとぎばなし、上級悪魔の俺にゃ怖くも何ともねェんだよ」
――しかも、続いた台詞は自慢話である。
だけど俺は理性を強く持ったゴリラであり、これだけでいきなり暴れ出すような野蛮な奴ではない。
上級悪魔だかなんだか知らないが、こっちが別イベントをいざ始めようとした所を、いきなり強制イベント発生させる。しかもうざい。…という状況に、最早恐怖を感じる余地を全くもって捨てていたが。
「あァ、そうだ。お前よりこっちを殺した方が、面白ェかもなァ?」
だからそう言って悪魔がうさぎさんに手を伸ばした瞬間、こいつマジうぜぇ一発殴ろと思ってしまったのは俺が短気なんじゃありません。小さい苛々の積み重ね故です。
俺は後先考えず悪魔に全速力で突っ込んで行き、腕を大きく振りかぶり渾身の右ストレートをその顎に向けて放った。
紫スライムの時といい、俺は冷静さを欠くと短絡的思考になると思う。後、疲れるともういいやとすぐ考える事を放棄し脳筋な手段に出る。
その二つの悪癖が重なった結果、どう見ても中ボス以上の強さはあるように見受けられる悪魔様に対し、この行動である。もう目も当てられない。
そう、目も当てられない結果となった。
悪魔の首から上が弾け飛んだ。
……ん?
悪魔の首から下がその場にふらりと倒れる。
自分の手を見ると、飛び散った悪魔の黒い血液が付着していた。
ん゛?!
「キー」
俺の腕から地に降り立ったうさぎさんが可愛く鳴いてぺこっとしてくる。感謝されてる気がする。とても可愛い。癒される。
だがその薄茶色な毛にも悪魔の黒い血液は付着している。特に顔に。なんかごめん。赤じゃないのが救い…なのかなぁ…?
でも黒い血液って悪い成分入ってそうだよね。呪いとか毒とか。
「さすが聖獣様…上級悪魔を一撃で…」
一方俺と首無し悪魔を見て恐れ慄くダニエル君。上級悪魔って何ですか?そう言われても悪魔内の位と強さがどの程度か、俺全然わからないんですが。
どうしよう。わからないながらとにかくやらかしてしまった空気を感じる。俺が短気なばっかりに…いつもの考え無しを発動して暴力で解決しようとしたばっかりに…。気の強い奥さんもらったらDVにならないか、自分の事ながら心配。女子供には手を出さないゴリラだと自分を信じたい。
でも今回の件だけに関しては、解決出来たから良く――はないですよね。はい。だって悪魔、魔王様がどうたら言ってましたもんね。もしかして俺これ使者を問答無用で殺したと解釈されて、魔王様に喧嘩売っちゃった事になるんですかね。
俺が今更視線を彷徨わせていると、悪魔の首無し死体はいつの間にか砂となっていた。環境に優しい。
うさぎさんは口から上に水を噴き出し、セルフシャワーをしていた。今日のサービスショット。
死んだ目でうさぎさんを見ていたら、優しいうさぎさんは俺の手にも優しく水を噴き出し洗わせてくれた。ついでにたぶん顔にも黒い血液掛かったと思うので洗っておいた。すっきりした。
…うん、やっちゃったもんは仕方ねぇよ!よし切り替えて行こ!
だいたい、あの悪魔がこっちのイベントキャンセルしていきなり襲い掛かって来るから悪いんだよ。俺達は今から天使の収監所に行ってココさんを助けるんだ。天使と悪魔でそれっぽいけど何の関係性も無い奴にいきなり出て来られてもややこしいだけで困るし。悪魔はイベント位置をミスした罰で神様に砂にされたようなもんだよ。天罰だったんだよ。
「ウホ!(うし、先を急ごうぜ!)」
俺は何事も無かったかのような明るさでダニエル君に声を掛け、親指で進行方向を指差し笑みを浮かべた。
ダニエル君も気持ちを切り替えたのか、ほのかに笑みを浮かべ「はい」と頷いた。
それから歩くことたぶん三十分ぐらい。
まだまだ遠いものの、初めて建物の上部が見えた。下の緑と上の青の自然の中では目立つ白の四角。
「…休憩にしましょう。此処で少し休んでから突入、という事でよろしいでしょうか?」
強張った顔のダニエル君に頷き、その場に腰を下ろした。
ダニエル君の様子を見るに、建物の上部だけ見えているあの白い四角が天使の収監所で間違い無いだろう。白い四角というと庶民な俺では豆腐が思い浮かぶんだが、あの建物は綺麗過ぎる白…目に優しくない人工的な白色で間違っても食べられそうにない。むしろ毒がありそうだ。
例えるならまるで病院…それも、重症患者の精神病院のような印象を受ける。研究施設にも拘らず収監所なんて呼ばれているのにも納得が行く。
ダニエル君は天使の収監所を眉間に皺を寄せ、エメラルドグリーンの瞳を歪めて憎々しく睨みつけていた。その姿は魔王と対峙する正義の勇者という題名で絵画にされていてもおかしくない程に格好良い。俺がやると確実に邪悪なモンスターゴリラだろうに、これが格差。
しかしダニエル君が無言になってしまったな。色々と今までの収監所への憎悪やらココさんを巡った戦いの記憶を思い返しているのかもしれない。回想シーンは邪魔しちゃいけない。
俺はうさぎさんが持って来てくれた食べられるらしいかわいいお花を食い荒らして原っぱを少しだけ寂しいものにしたり、トイレを済ませたりごろごろしたりしながら思う存分休憩した。
てか、昨日から薄々感じてたんだけど、ゴリラはあんまり水を必要としないらしい。食べてる物の影響がありそうだが、喉が渇くという感覚が全然しない。
ちなみに俺がモリモリ食べてる一方で、うさぎさんはやっぱり何も食べなかった。朝俺と会ってからずっと何も飲み食いしていない。こんなにちっちゃい身体なのに体力が持つのか心配だ。
一応、物は試しと俺あっち向いてるから食べていいよってウホウホ言ってみたんだが、予想通り首をふるふると振られ拒否された。
「…やっと、助けられる」
ダニエル君は俺にはよくわからない武器や装備の手入れ確認をしながらも、まだ主人公やってる。でも主人公がそういう事言うと、既に手遅れか目の前で研究所爆発するかギリギリで助けられないか助けたはいいが引き換えに自分が死ぬ結末になりそうだから、やめた方がいいと思う。
空を見るとこっちもフラグのように暗かった。雨が降っていないのが不思議な程の黒雲だ。行く先々天気が怪しいのは、もしかして今まで俺が天気悪いなと思う度に松明もどきで周りに吹き飛ばしてるせいかもしれない。だとしたら近辺の生物達ごめん。この先注意勧告される事があったらやめるよ。
今回も嫌なフラグを折るべく黒雲を散らしたいのは山々だが、今松明もどきで空に向けて光の柱ビームなんて出したら収監所からも見咎められかねないので我慢した。晴らすならココさんを助け出してからだな。
しかし空のせいでいまいち時間がわからない。体感的にはそろそろ夕方かなってぐらいなんだが。
またちらっとダニエル君を見て手入れ確認は終わっているのを見届けた俺は、このままじゃこいつずっと仄暗い気持ちで居かねないなと心配になったので、ダニエル君の隣まで歩いて行きしゃがんでその顔を覗き込む。
どうだ、突然のゴリラフェイスのどアップだぞ。シリアスが砕かれるだろう。
「ウッホ?(ダニエル君、そろそろ行かね?)」
親指で収監所を指しながら聞くと、ダニエル君は一度目を伏せた後強い眼差しで前を向き頷いた。格好良く正義のオーラで立ち上がったダニエル君に安堵し、俺も腰を上げる。
「ウーッホ!(うさぎさーん、出発だよ!)」
呼び掛けるとすぐ足下まで走って来たうさぎさんを片腕に抱き、歩き出した。別にうさぎさんは疲れていなさそうだし抱く必要は無いんだが、この方が俺が癒されるのだ。
天使の収監所には、それからまた二十分程歩くと辿り着いた。
上部だけしか見えていなかったそれは、全体が見えると本当に全部が白い建物で圧倒される。ここまで白一色だと頭がおかしくなりそうだ。病院でももうちょっと白くないぞ。
しかも妙に閉鎖的な感じがすると思ったら、病院と違い窓がほとんど無いのもわかった。うーん、気味が悪い。
ダニエル君の指示で俺が見える範囲では誰にも見つかっている気配無く、収監所の裏口に回れた。速やかにどんなルートで入手したんだか怪しい鍵でドアを開けてもらい、ダニエル君に続いて中に入る。
軽く見回すと中まで何処もかしこも白ばかりで辟易した。病院の消毒液のような臭いが鼻につく。嗅覚が人間やゴリラより鋭いからか、うさぎさんは両手で鼻を押さえていた。
うっかり和みかけたが、もっと緊張感を持つべき場面だと思い返しうさぎさんを抱えていない右手で握っている松明もどきを確かめるように握り直す。
「…では、行きます。道は全て俺に任せていいので、聖獣様は人が見え次第口封じをよろしくお願いします」
俺の数倍緊張した顔のダニエル君に任せろと頷く。ここで俺が失敗すると、ココさんを助けられないか、ダニエル君が手を汚すか、最悪全員捕まって殺されるのかもしれないからな。
俺は今まで探った事なんてない生物の気配ってやつに目を凝らし耳を澄ませながら、ダニエル君のすぐ後ろを小走りで進んだ。
…ちょっとRPGっぽいなんてわくわくしている場合じゃないぞ、俺!色んな人の生死掛かってるんだから頑張ろうな!